『ウォッチ・ドッグ・タイマー』

小田舵木

『ウォッチ・ドッグ・タイマー』

 はーい。引きこもりのみんな、元気にしてるかなあ?

 私は犬山みはり。何をしているかって?

 名は体を表すと言うよね?私は引きこもりと言うシステムのウォッチ・ドッグ・タイマーをしているんだよ。

 君たち、アパートに引きこもるスタンドアローンなシステムのウォッチ・ドッグ・タイマー。うん、システム内に組み込まれてはいないけど。定期的に君たち引きこもりが動作しているかチェックしに行く訳だね。


 今日も私は引きこもりの一人に電話をかける。

「トゥルルルル…」出やしない。 

 こういう時にどうするかって?そんなのチェックしに行くに決まってるじゃない。君たちが動作終了したら、親たちからカネをせびれないからね。

 

「ピンポーン」玄関のベルが鳴り響く。私はドアの前で仁王立ち。システムチェックに参りました。さあ、動いているかい?引きこもりくんや。

 ここに住んでるひきこもりは30代男性。仕事場でうまく立ち回れなくなって仕事を辞めたっきり、外に出なくなってしまっていた。俗にいう社会恐怖な子だね。

「ピンポーン」チェック信号。2発目。いい加減応答おうとうしてくれないとお姉さん、悲しくなるなあ。

「居るのは分かってるぞ、坂井くん!出てきなさい!じゃないとお姉さん鍵けちゃうぞお〜」私は彼の親から家の鍵を託されている。もしもの事態に備えたものだ。

「…」ドアの向こうには反応がなく。

「ピンポーン…」「コレが最終信号だよ、坂井くん。君が部屋でしてようが私は中に乗り込むからなあ」私は脅しをかける。

「…」ああ。面倒な話になった。ま、いつもの事だけど。


 私は目の前のドアのシリンダーに鍵を突っ込んで回す。そしてドアを開けようとしたのだが。

「おお。ドアチェーンかけたかい。坂井くん」要らない知恵が回るなあ。

「良いかい。お姉さんはあくまで君のウォッチ・ドッグ・タイマー。ただ定期的にシステム…君が生きてるかチェックしに来てるだけさ。声さえ聞かせてくれたら帰るよ」私は言う。

「…生きてるから!もう来るなよ!!」部屋の奥の方から声が聞こえてくる。

「そうもいかないなあ。君の親からしこたまカネをもらっているからね。こうやって定期点検にはくる。これが面倒なら、諦めて適当に対応することだね。私も君の生存を確認する以上のカネはもらってない」

「…死ぬほどドライなヤツだな。アンタは」部屋の奥の彼は疎ましそうに言う。

「まあね。そういう性分なんだと思うよ」

  

                  ◆


 坂井くんはそこまで重度のひきこもりではない。一度は社会に出ている。

 だけど。そこでちょっと疲れちゃっただけ。社会復帰は簡単に出来ると思う。

「あーあ。どうしたものかね」私は次の現場に行きながら考える。

 私はウォッチ・ドッグ・タイマーを自称するが―本来は引きこもりの引き出し屋と呼ばれる職業に就いてる人間だ。


「代表。今日も坂井さんは玄関での応答に留まりました」私は帰り道、代表に報告の電話を入れる。

「犬山、今日もしくじったか」

「しゃあないでしょ。私に対して心を開いてくれないんだもの」

「お前―向いてねえんじゃねか。この職業」代表は電話口の向こうでため息を吐きながら言う。

「…かも知れないす。せいぜいウォッチ・ドッグ・タイマーやるのが精一杯」

「ま。それも大事な役目だが。その先の仕事もこなしてくれなきゃな」

「善処しまーす」ああ。私も仕事、うまくいってないなあ。

  

                  ◆


 坂井くん。今日も電話には出てくれない。いい加減、上司を頼って強制部隊に引き出してもらおうか?

 強制部隊。それは我が団体が抱える最終兵器である。筋肉ムキムキの兄ちゃん2人が、引きこもる者たちを強制的に部屋から引き剥がす。

「私、アレ好きじゃねえんだよなあ」うん。アレは軽い人権侵害だ。

「ったく。今日も私はウォッチ・ドッグ。これじゃあ何時まで経っても半人前だあ」


「ピンポーヌ」今日も呼び鈴を鳴らして。

「ほらあ。犬山。今日も君を見に来たぜっ?」精一杯の媚を声に込める。

「…」返ってくるのはお決まりの沈黙で。

「ピンポーヌ」「いい加減、私の仕事、先に進ませてくれよお」嘆願。泣き落とし。営業次代につちかったテクニック。

「…」ああ。コイツは今日もシラを切るつもりだな。

「うーし。強制イベントスタートぉ」私はドアのシリンダに鍵を突っ込み回す。カチン、と言う音が辺りに響き渡る。

「おいおいおい…まさか中で死んでねえだろうな」私はこわごわドアを開ける―ドアチェーンがかかっていない。

 ドアの先はキッチンを兼ねた廊下。そこにはゴミが散乱していて。こりゃ、あまり外に出てないな。ここ最近は。

 部屋へと続くドアは閉まっている。磨りガラスが配されたドア。見えるのはベットの影だけ。

 このドアから強烈に嫌な予感が漂って来ていた。コイツを開けたら、何かが吹き出して来そうな予感。

「坂井くーん。元気にしてるかあ〜」できるだけ呑気のんきな声を出す。じゃないと場の雰囲気にのみこまれそうだ。


 意を決して。私はドアを開けてみる―と。眼の前に坂井くんが転がっていた。

 その周りには酒の空き缶と睡眠薬の包が散乱していて。ああ。コイツ、オーバードーズ決め込みやがった。

 そこらの睡眠薬を拾って品名を確認。コイツは短時間作用型のアレだな。効果が6時間ほど継続する、睡眠薬入門編。こんなのオーバードーズしたところで死にはしない。

 …でも割と量を飲んじまっているな。とりあえずは救急車かな。胃の洗浄をしたほうがいいだろう。


「ピーポーピーポー」坂井くんの部屋からも救急車の音が聞こえてくる。

 私はとりあえず代表に緊急連絡。

「代表。坂井さん。部屋で眠薬みんやくオーバードーズしてました…とりあえずは救急車呼んだっす。後の指示をください」うん。私も多少テンパってはいるかな。久しぶりのハード局面。

「あらら。とりあえず親には僕の方から連絡する。犬山、君は彼に付き添いなさい」

「ういっす。しっかしまあ。やってくれましたよね」

「我々が思うより深刻に思いつめてたって訳だな」

「…私、これからも担当、するんですか?」聞いてみる。ウォッチ・ドッグ・タイマーな私がこの先、彼にどう接していくか?コレは難しいぞ?

「一度担当したものには責任を持ってもらうぜ?ま、無理そうなら言え」

「無理かもです」

「いきなり音をあげるな」

「後生な」


 この後、私は救急車に同伴し、病院へと行った。

 ある程度処置が終わった夜8時に、遠方に住む坂井くんの親たちがやってきて。

「この度は大変なご迷惑をおかけしました」彼の父と母は頭を下げる。

「いいやあ。私という者がありながら、このような事態を招いた事、謝罪します。申し訳ありませんでした…」私は頭を下げる。

「頭を上げてください!」彼の父は言う。

「いや。本当に済みません…」

「あの子…思い込むと激しいから」彼の母は漏らす。

「そういう事を把握するまでにコミュニケーションをとれてなかったんです、私。家の前で追い返されるばかりで」

「いや。定期的に訪問してもらってるお陰で、我々がどれだけ助かっているか」

「そう言ってくださるのはありがたいんですが」

「毎日、あの子が死んでるんじゃないか、って心配してますからねえ」と彼の母。

「実家に居ればそれも把握出来ますが、アイツが動きませんから」と彼の父。

「…これからも坂井くんは私が担当します。出来る限りの事をして彼を社会に戻します。しばらく時間をください」私はもう一度頭を下げて。

「よろしくお願いします」彼の両親も頭を下げた。

  

                   ◆


「よお。引き出し屋」眼の前の坂井くんは言う。伸びた長髪。伸びっぱなしの髭。目には覇気がない。

「よお。坂井くん。いやあ前は迷惑かけてくれちゃって」私は軽くなじる。ネタとして昇華してしまおうという腹だ。

「…アレは済まんかった」

「こっちもゴメン。定期的に君をチェックしときながら、あんな事させちゃって」

「いいんだよ。アレは俺の勝手だ」彼は顔を掻きながら言う。

「…二度とあんな事はしてくれるなよ?アレやり方次第じゃ死ねるから」吐瀉物ゲロを気管に詰まらせれば死ねるのだ。オーバードーズなんかでも。

「約束は出来ない」

「いんや約束して。じゃないと私は君に力を貸せない」私は言う。

「しゃあねえ」彼は渋々同意する。


「さって。話が一段落したところで。今日は何しよっか?」私は尋ねる。コミュニケーションを深めたい。

「…ノープランで来たのかよ」

「下手な策はろうしないに限るんだよ、坂井くん。そうだなあ。とりあえず買い物でもいくかい?それとも髪でも切りにいく?いい加減暑いだろ?」外は真夏。太陽がさんさんと輝いている。

「髪…切りにいくか。帰りに買い物だ」

「了解」


 こうして。坂井くんの更生計画は始まった。

 髪を切りに行った坂井くんは不安そうな面持ちで。

 シャキシャキと切られていく彼の髪は―彼を覆うカーテンのようだった。

 今。それを切っている。これが良い結果に繋がってくれると良いな。

 

                   ◆


 それからの日々はあっという間だった。

 ちょっとしたきっかけで引きこもった坂井くんは見る見る間に外に出る気力を取り戻していった。

「ピンポーン」今日も私はウォッチ・ドッグ。

「うい。坂井」

「うい。犬山。犬を見に来たぜ?」

「わんわん!!俺は今日も元気だよ」

「そりゃ安心…なあ。今日はハローワークに行ってみない?」私は次策を出す。そろそろ仕事を探しても良いんじゃないか?

「…俺もそういう時期か。そうだな、何時までも引きこもってらんねえ。待ってろ今着替える」


 私と彼は連れ立って近所のハローワークに行ってみる。

 とりあえずは受付で利用者登録をして、パソコンで求人を見ることにした。

 私は彼に付き合って彼が検索する席の隣に座る。ついでだから求人を検索してみる。

 うーん…ロクな求人がない。びっくりするほど時給や給料が安い。

「坂井くん。この県ってこんなに給料安いの?酷いよ、検索結果」

最賃さいちんが安いからな。まあ、これでも大分マシになった方だぜ?この仕事なんか前職より給料いいぞ」彼は楽しげに求人を見ている。

「今日はこんな所に連れて来ちゃったけど。別に焦らなくていいからね?」私は言う。こういう治りかけってのが一番危ない、風邪も引きこもりも。

「…まあ、ぼちぼち、やるさ」

「うん」 


 その日はある程度求人を漁って、帰ることにした。

 帰り道の坂井くんはしっかりとした顔をしていて。

「頼もしい顔になってきたなあ。私を通した頃は締まりのない顔してたけど」

「…ま。俺も大人の男だ。そりゃしっかりもするさ」

 

                   ◆


 坂井くんは―あっという間に再就職を決めた。

「お姉さんとハロワにいく前に決めるとは…やるな」私は言う。内心はびっくりしている。まさかこんなに早く再就職するとは。

「ちょうど良い求人があったからな。応募したらあっさり通った…来月からは勤め人だ」坂井くんは得意げに言う。

「あーあ…これで。ウォッチ・ドック・タイマーの役目も終わりか」

「世話になった。アンタが定期的に来てくれたお陰で、なんと言うか張り合いが出たんだ」

「そう言ってくれると、お姉さんも助かる…が、金づるが一本減ったね。どうすんだい。仕事減らしてくれちゃって」

「…相変わらずの減らず口だな。アンタは」

「こーいうサバけた性格だから」

「…ふん。まったく」彼はぎこちない笑顔を向ける。

 

                   ◆


 坂井くんの勤め人生活は―3ヶ月目まではうまくいっていた。

 だがある日の事である。私の携帯に一本の電話が入ってきた。

「はい。犬山…お久しぶりです。坂井さん」相手は坂井くんの両親で。

「…あのう。実は最近、あの子と連絡がつかなくなって」

「それは心配ですねえ。でも忙しいんじゃないんですか?」彼は働いているからね。

「それが…今日、あの子の勤め先から電話がかかってきて」

「どうしたんです?まさか?」嫌な予感がする。

「あの子、今日と昨日。無断欠勤してるらしくて。今、私達もそちらに向かっております。その前に犬山さん、あの子の部屋確認してきてもらえませんか?」おおう。仕事を通さないオファー。少し迷ったが乗りかかった船である。

 

                   ◆


「ピンポーヌ」久々にこれやるな。ここで。

「犬を撫でにやって来たぜ?坂井くん?」私は言う。できるだけ軽く。この先に何が待ち構えているかは分からないが。せめて死んでいて欲しくない。

「…」中からの応答はない。

「ピンポーヌ」二度目の呼び鈴。チェック信号。コイツに応答してくれ。頼むから。

「…」ここで本来なら三度目の呼び鈴を鳴らすところだが。

 私はスマホからこのアパートの管理会社に電話して。

「済みませんが―209号室の方が仕事に出てきてないんです…ええ。出来れば鍵を開けて確認を取りたいのですが…」

「ご親族の方ではないですよね。勤め先の方ですか?」

「いや。以前、ここの住人の坂井さんの生活支援をしていた者で―」

「すると。ほぼ他人ですか」

「いや。坂井さんのご両親から中を確認するように依頼されています。なんなら、電話で確認してみてください。電話番号は…」

「こちらでも把握してますから。とりあえずまた折り返します」

 私は管理会社との電話を切ると、代表に連絡。

「あの坂井さん…また会社に来てないし、連絡が取れないみたいで。ええ。ご両親から電話が私にかかってきまして…」

「とりあえず。確認、してこい。後…ある程度覚悟はしておけ」

「…やっぱ。代表もそう思います?」

「なんとなくな。あり得ない話じゃない」

「ああ」私のチェックから外れた坂井くん…無茶な真似だけはしないでほしかったのに。

 

                   ◆


 管理会社はすぐにやってきた。そして、彼の家のドアを開けた。

 ドアの先のキッチンを兼ねた廊下はあの自殺未遂の日以上に散らかっていて。

 そこを踏み分けながら入っていった私達。部屋へと続くドアからは腐臭がただよってきていて。

 ドアを開けると―そこには部屋の窓際にあった洗濯物干し用のつっかえ棒を使って首を吊った坂井くんの死体があった。

 その死体は窓際で垂れていて。足元には糞尿が漏れ出していて。

「っう」私は催して吐瀉物ゲロを吐いてしまう。一緒にいた管理会社の人は慣れているらしく、冷静に警察に電話をかけていた。

吐瀉物を吐いた私はその場にへたり込んで。その床に遺書が落ちていることに気づく。

『俺は―社会復帰に失敗した。二度目の辞職…これじゃあ何処に行ってもやっていけない。だからもう死ぬ。お父さん、お母さん世話になった。最後にまた迷惑をかける』

 ああ。彼はもう大丈夫だと思っていたのに。

 その時思い出す。引きこもりと風邪は治りかけが一番危ない。

 私は彼のウォッチ・ドッグ・タイマーだったのに。

 彼というシステムの見張り番だったのに。

 その役目を放棄してしまった。仕事が終わったからと。

 

 それからはスチル写真みたいな情景で進んでいった。

 警察が彼を引きずり下ろして。その場に横たえて。

 私はそれを呆然と見守っていた。名は体を表す。犬山みはりは―見守る事しか出来ない。

 

                    ◆


 あの自殺の後。私は引きこもりの引き出し屋を辞めた。

「担当していた案件で人死出しちゃいましたから」

「…よくある事さ」代表はそう言うが。

「私は訳立たずの番犬です…」

「そんな事はない」

「いや、そんな事はあるんです」

「…そうか。済まん。迷惑かけて」

「いや。それが私の仕事でしたから」


 そうして。

 私は部屋に引きこもるようになってしまった。いまや精神科にも世話になっちまっている。PTSDになってしまったのだ。あの自殺の光景で。


 私は今、自分というシステムのウォッチ・ドッグ・タイマーをしている。

 システム…起動してますか?

 私の心はハングアップを起こしていませんか?

 でもそれはうまくいかない。

 もう。心が動いているかどうか分からない。


「ピンポーン」インターフォンが鳴る。親が雇った世話人だ。

 私はそれに応答しない。


 新しいウォッチ・ドッグ・タイマー。それは私の心を救うだろうか?

 

                 ◆


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『ウォッチ・ドッグ・タイマー』 小田舵木 @odakajiki

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