第8話 迷い家の管理人

 ゴルフ場建設計画は結局白紙に戻った。

 昨今の建築ラッシュのあおりで建機や建材の都合がつかない、人足の確保ができないという問題で足踏みしている最中に、スポンサーが心変わりして資金繰りがつかなくなる……など、種々の問題が頻発して計画が頓挫したそうだ。


 そして、不由ふゆの婚約相手だった社長息子は、なんと以前から交際していたという女性に刺されてしまった。

 不由との婚約の話が進んだことで一方的に別れを切り出され、遊ばれて捨てられたのだと知った女性が逆上して刃傷沙汰となったのだ。彼は全治一ヶ月の傷を負ったらしい。

 さすがにそういう相手に娘はやれぬ、と今井家のほうからお断りし、こちらも白紙撤回となった。

 ついでに、山を開発で潰そうとした村長が夜道で狸に囲まれて噛みつかれて怪我をしたなどという噂もあったが、そこの真偽は明らかになっていない。


 ――どこまで白露はくろや鴨川さんの息がかかっているのかは不由にはわからなかったが、ひとまず、不由が白露に望んだことは叶えられた。ただ、さすがに刃傷沙汰は糸を引いていないと思いたい。

 村長に関しては、ほぼ間違いなく白露の領域を犯そうとしたことに対して怒ったたすくの差し金だろうが。


 そして不由は、祖父の友人だという人物から京都のにある行政書士の事務所で働かないかと声をかけられ、そちらでお世話になることになった。

 もちろん嘘なのだが、家族への説明用に立派な事務所パンフレットが用意されており、不由はさすが鴨川さんだと唸ったのだった。

 この後は折を見て死亡届を出し、そのまま音信不通となる予定である。



 神籍に入るときには、肉体を捨てて霊体となり、別の存在として生まれ直す扱いになるのだという。

 そのため、名前も新たにつけられることになる。

 白露という竜神に属するものとなるため水に縁のある名が望ましい、ということで眷属達との協議により『芙遊ふゆ』と改めることとなった。

 祖父から与えられた文字は捨てたが、それでも音だけは残したのだ。

 

 だが、竜神の妻となっても目下やることといえば迷子案内だ。

 人間の世界での仕事がなくなった分、前より暇になる……かと思ったが、芙遊が迷い家に常駐していることを知った者たちが、単純に話をすることを目的に顔を出すようになったため、前より忙しくなってしまった。

 

「私の奥方は人気者だな」


 白露はそれがあまり面白くないようで、拗ねていることが多い。

 実はこの竜神は寂しがりやのやきもち焼きなのだということを芙遊は最近知った。


「そうよ、知らなかったの?」


 芙遊はそう言ってふふん、と笑う。


「知ってたよ。小さな頃からずっと見てきたんだからね、私の愛しい芙遊」

「っ……よ、く……そんな恥ずかしい言葉がすらすらと出てくるわね」

「君の気を惹くためならいくらでも出てくるさ」


 彼が、亡くなった祖父に代わって物の怪や悪霊などからずっと彼女を守ってくれていたことも、鴨川さんから聞いて最近知った。

 そして実は、『竜神の寵愛を受けた人間の娘』としてこちらの世界では昔からかなり有名だったことも同時に聞かされ、頭を抱えたのも記憶に新しい。

 道理で遠巻きに眺めに来る物の怪が多かったわけだ。



 迷い家の管理人になって、四十五年目。

 弟の春孝はるたかに孫が生まれた。

 かつての芙遊と同じように、見鬼の力を持った娘だった。


 そしてその二年後、彼女は母に抱かれて迷い家へやって来た。


「私のことを嫌うのは勝手だけど、孫にまであたるなんて春孝のやつ許せん。お嫁さんが迷い家に来ちゃうほど追い詰めるなんて! ちょっと嫌がらせしてやろうかしら!」

「おお、人間への嫌がらせなら手を貸してやろう」

「あら、話がわかるわね佑!」


 嫌がらせは別としても、孫娘には――そしてその母親にも――理解者が必要だと判断して、『庵に住む行かず後家の』が存在すると家人に思い込ませ、老女の姿で孫娘のサポートをすることにした。

 ――そして三年目、孫娘が五歳になった年、は死んだと見せかけて身を引いた。

 死亡届や火葬の許可、葬儀の手配などは佑が幻術を使い、すべて滞りなく進んだと

 火葬場で骨が消えていると知った春孝の顔は非常に見ものだった。

 白露は芙遊と佑が結託していたことでしばらく拗ねていたが、孫娘を守ってやってほしいとお願いしたら機嫌を直した。



***



 それから数日して、鴨川さんがやって来た。


「さて、芙遊嬢。管理人就任から五十年経ったので、前借り分の役割は果たしたね。この後は管理人を続けていいし、辞めても良い。どうする?」


 五十年。肉体はすでに持たないので体が衰えることもなく、時間感覚としていまいち実感はない。だがこれで『負債』がなくなるというのは嬉しい。

 さて、どうしようか……と芙遊は首をひねる。


「続けてもいいのよね? それに、ここから先は私も報酬をもらえるのよね?」

「そうだな。なにか欲しい物があるのかい?」

「庭に東屋が欲しいわ。白露が来たときに一緒に外でお茶がしたいの」


 いつも管理人室でお茶をしているのだが、祖父の蔵書のせいで手狭だし圧迫感がある。

 芙遊の言葉を聞いた鴨川さんがクククとくちばしを震わせて笑う。


「それは白露様が喜ぶだろう。だが、芙遊嬢が自分でやらなくても、嫁御として『お願い』をしたほうが喜ぶんじゃないか?」

「だめよ。私が用意して、もてなすの。だってここの管理人は私なんだもの」


 リィン……と風鈴の音がする。

 ずっと前に白露に連れていってもらった祭り会場で買った魚の柄の風鈴だ。

 お客さんが来たら知らせてくれるように術をかけてもらってある。


「ああ、お客さんが来たわ。行かなきゃ。じゃあ鴨川さん、私は管理人を続けるってことで手続きお願いね」

「了承した。行ってらっしゃい芙遊嬢」



 迷い家の入口に所在無さげに佇んでいる人影がある。


(――あら、また人だわ)


 ここに来る物の怪はだんだんと減ってきている。その代わりに人の魂が迷い込むことが増えてきていた。

 まあどちらであっても、芙遊の役割は変わらない。


「いらっしゃい。道に迷っているなら少しお話をしていきません?」

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ふゆの章 @yuzuzu-uru

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