第7話 正攻法の手続き
おなじみの鴨川さんが、ネギではなく沢山の書類の束を背負ってやって来た。
「土地を転がしているのは人間だけではないのだよ、
「こちら側の息のかかった業者は無数にあるんだよ。私も伊達に長い間土地を守ってきたわけじゃないからね」
白露や鴨川さんが書き込んだ書類が消え、代わりになにもない空間から新しい書類がふわりふわりと舞い落ちてくる。
不由が目を丸くして見ている前で、何枚もの書類が文字通り
「何だか……凄く、正攻法ね……?」
「人間の世界のことだから人間の世界の理に従うさ。それに、不由は災害など望まないだろう?」
それはそうだ。沢山の人や生き物が犠牲になるような方法で望みが叶っても嬉しくない。
「不由は人間嫌いだから
「
曇りのない瞳で不由を見ながらそんなことを言う佑を座布団で張り倒す。鴨川さんがクワックワッと笑った。
「不由嬢は、なんだかんだと文句を言ってるけれど本当は家族が好きだろう」
「そうだね。不由の行動原理は、基本的に家族に迷惑をかけたくない、その一点だ。結婚の話だって、彼らが本当に喜んでいたから断れなかったのだろう?」
「……そうよ……」
ムスッとむくれた不由に白露が笑う。佑は心底不思議そうな顔をしていた。
「人の考えはよくわからないな」
「佑が馬鹿だからよ」
「なんだと!」
「なによ」
いつものように佑と言い合いをしていると、急に横から肩を抱かれ、ぐっと引き寄せられる。
「君は私に愛の告白をしておきながら佑ばかり構う。あの言葉は嘘だったのか?」
「!!!」
「!!!??」
白露の言葉に、不由は頭が真っ白になり、その直後耳まで真っ赤になる。
佑は驚きのあまり全身の毛を逆立てていた。
「悲しいな……私は不由に騙されたのか……」
「う……そ……じゃない、わ……」
「よく聞こえないが」
ニコリと笑う。どう考えても聞こえた上で言っている。
「う……嘘じゃないけど!……だからって神様とどうこうなれるなんて不遜なことさすがの私だって考えてないわ!!」
「どうこうとは?」
「っ……!」
「白露様、あまり娘御をいじめなさるな」
赤くなりすぎて頭から蒸気が出そうな不由を見て、鴨川さんが白露を諫めた。
「不由嬢、あなたには選択肢がある。このまま人として生涯を全うするか、白露様に
「……人の世界を捨てる……って」
急に大きな話になったことに戸惑って言葉に詰まる。
「私と共にあることを望むなら、肉体を捨て、神籍に入ることになる。君は神に近い霊となり、人の世界から切り離された存在になるんだ。……だが、それは人の魂には辛い道だ。家族も、親しいものも失って、いつ尽きるとも知れない永い時間を過ごすことになる。……
不由の肩から手を離し、白露は静かに微笑む。その瞳には、祖父の名を口にした時ほんの少しだけ寂しそうな色が見えた。
「……心配しなくても社長息子との結婚の話は潰すことができる。不由の言うところの正攻法でね。だから君は、人として自由に生きて――」
「望むわ」
「……え?」
「だから、白露の側にいることを望むって言ったの。あの家に残っていずれどこかに嫁入りなんてうんざりだし、私がいなくなれば弟は喜ぶだろうし……でも、あなたが、私なんかいらないっていうんじゃなかったら……だけど……」
珍しく驚いて目を丸くする白露に、不由はそう言いながらだんだん自信がなくなって、声が小さくなる。
「そ、それに! 私、本当なら十四のときに山から落ちて死んでいたのよ。それを生かしてくれたのは白露だわ。いわば今の私はそもそも人生の延長戦中なの。――だからその、つまり、私は……人でなくなったとしても白露の側にいたいのよ」
最後はまっすぐ白露を見つめる。すると、不由の言葉に固まっていた白露が笑い出した。
「忘れていた……そうだ、君は武士のような精神の娘だったな」
「なにそれ、悪口?」
「褒め言葉だよ、愛しい娘」
「!」
頭に血が上りすぎてめまいがする。くらくらする不由の視界の端で、自失呆然状態から復帰した佑があわあわと白露にすがりついた。
「主様、主様、不由は凶暴ですよ! 噛みつかれますよ!」
「噛みつかれても不由なら可愛いだろうね」
「主様ぁ……」
涙目の佑を白露が笑いながら膝の上に抱き上げて撫でる。佑は「後悔しても知りませんから!」と、むくれた顔をしつつもおとなしく撫でられていた。
「さて、それではそちらの手続きも始めますかな」
そんな様子を見ながら、鴨川さんがクワックワと笑って新しい紙を取りだした。
「手続き……って何の?」
「社長息子との婚約を白紙に戻し、なるべく人の世界に影響を与えないように不由嬢を神籍に入れるための諸々の準備さ」
鴨川さんがコツンとくちばしで叩いた紙には『転籍届 神界異動・成神用』と書かれていた。
「転籍……書類手続きなのね……」
「どんなときでも書類は必要だ。そして、それとは別に神籍に入るにはいくつかの条件がある。第一に肉体を捨てること。そして第二に、徳の高い精神を持つ魂である必要がある」
「徳など不由には無縁の言葉だ」
「うるさい狸」
「徳が高い、というのは善行を積んでいるということだが、手っ取り早く言ってしまえば、他の魂の役に立つと与えられる得点の総合点が一定以上溜まっていることなのだよ」
「……随分機械的なのね」
「以前にも言ったが、機械的に処理しないと収拾がつかなくなるのだ。力のある御歴々の中にはごねる連中もいるからな」
鴨川さんはそこでひとつ咳払い――といっても鴨なのでクワッと鳴いたのだが――して、言葉を続ける。
「それはさておき、不由嬢は迷い家の管理人を務めているから、この得点はすでに溜まっているな」
その言葉に不由は首をかしげる。
不由が迷い家の管理人をすることで発生する報酬はすでに『自身の命』という形で前借りして受け取っているのだ。
「……私は報酬を前借りしている状態でしょう? そんな状態でその点数とやらが貯まるの?」
「報酬と積んだ徳は別物なのだよ。報酬は勤務年数に応じて与えられるが、点数は顧客数と満足度に応じて与えられる。よく話を聞いてもらえる、と、不由嬢の噂を聞きつけて遠くから足を運ぶものもあったくらいだから、点数は十分溜まっておるよ」
「不由の評判は良かったからな。君を管理人に据えた私も褒められたくらいだ」
しみじみとした白露の呟きに鴨川さんはクククと笑う。
「尚行が管理人だった頃は漢文の話を始めると止まらなくて困ると苦情が出ていたし、白露様が管理人代行だった頃はやる気がなさすぎると不評でしたからな」
不由は思わず半眼で白露を見るが、彼は「はて、そうだったかな」と涼しい顔をしていた。
鴨川さんは「そうでしたよ」と言いつつ、新しく取りだした書類をくちばしで示す。不由が管理人になる時にサインした書類だ。
「不由嬢が過去に命をつなぐ代償として前借りした迷い家の報酬は五十年分。就任から五年と少し経っているので、残り四十五年分だな」
「つまり、あと四十五年は管理人を続けろということね」
「そうなる。神籍に入り、管理人業務に専念してもらえるとこちらは非常に助かるのだが……そうなると、人間の世界の方でのカモフラージュが必要となる」
「かもふらーじゅ……?」
「神籍に入ってしまえば人間としての不由嬢は消えることになる。戦時中ならばともかく、今の人間界で人がひとり消えていなくなったら大騒ぎだろう? そこで、神籍入りで余った徳の点数を使って、失踪、死亡、遠隔地への移住など、なるべく人界に影響が出にくい理由を、不由嬢を知る人間たちの意識に植え付けるのだよ。……おすすめのコースは、仕事を理由とした遠隔地への移住、その後に折を見て死亡の連絡をするというコースだな」
「おすすめのコースなんてあるの……まあなんでも良いわ。そちらでやりやすい形で良いようにして」
うん、と頷いた鴨川さんは目を細めてククク、と上機嫌な様子で喉を鳴らした。
「承知した。――不由嬢、あなたがこちらの世界に来ることを歓迎するよ」
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