シェピアニー
ジュン
第1話
今日も来てるわねあのお客さん 。 そうね 。 若い女性の店員同士が 小さな声で バックヤードで 会話している 。毎日来てるわよね。 そうね。 何してらっしゃる方なのかしら。 仕事のこと。そう。わかんないけど 何もしてないって訳でもなさそうね 。そうなのよ。それがまた不思議なのよね 。かといって何をしてるのかがわからないっていう 不思議なお客さんだわね。 そうね。
東京都内 K市にある 喫茶店に毎日 黒い服を着た 変わった 印象の それも年齢不詳な 髭を生やした 男がやってくる。 毎日注文する商品は同じで ホットコーヒーの S サイズを 注文する。 男は階段を登り2階に上がり 空いている席に着くと 大抵足を組みゆっくりとコーヒーを飲み始める。 いつも一人で 来る。
この客は不思議な客でいつも一人で来るとコーヒーを飲みながら店内にかかっているラジオ放送を聴いているようだ 。 大概、 洋楽が流れてるわけだが それを聴きながら何か考えているようだ。何を考えているかまではよくわからない謎の多い男だ。 全身黒の服を着て、ブラックのコーヒーを飲んで また 何か 雰囲気それ自体 ブラックな感じがする。かといって危ない人物であるといった感じはしない。だからこそどういう人物なのか全くわからないといった感じである。
この客はだいたいお昼前後にやってきて、かなり混んでいる時間帯なのだけれどもコーヒー一杯を飲むために 長い列に並び、長い時間ときには1時間近く待たされるわけだが、それでも毎日来てコーヒー一杯を飲んでいく不思議な客だ。
ある時、別の客が、この客の 足元でつまずき この客に 商品のコーヒーをぶちまけてしまい服を汚してしまったことがあった。 ぶちまけた客は、 ごめんなさい。 ごめんなさい。 と謝って、そして クリーニング代は持ちます。 などと言っている。
店員がやってきて 大丈夫でしょうか。などと言っている。 コーヒーをかけられた 黒い服の男は、 コーヒーをこぼしたんだ君は 。と相手の客に言った。相手の客は、ごめんなさい。 とまた繰り返している。 男は、コーヒーをこぼしてどんな気持ちになったか。 などと聞くものだから、こぼした客は 申し訳ないですと言った。 そうすると男は 、コーヒーだけに苦い思い出になる な。と言った。 そんなに謝るなよ。 珈琲だけに可否は問えないじゃないか などと言った。
このやり取りを 見ていた店員は、この客一体何なんだろう。 と思ったらしい 。お笑い芸人さんなのかな 。でも、ちょっと 雰囲気が違うし変な人だなと思った。
店員はおそるおそるこの客に、 あのお客様、よく来て頂いて大変嬉しいのですけれど、失礼ですが、お客様はお仕事は何をされてらっしゃる方なんですか。と 聞いてみた。 そうすると男は答えた。
私は 指揮者です。 店員は驚いた。指揮者だったんですか。それは学校の先生で指揮とかをやってらっしゃるということですか。それとも本当の交響楽団とかの指揮者さんですか。 私は元々 ある交響楽団の指揮者をやってましたが理由があって退団したんです 。と男は答えた。 そうなんです か。 その理由というのは何なんですかと聞くと 男はこう答えた。 音楽というものを 発見する場ではなくなっているからです交響楽団というものが 。店員がどういうことでしょうかと聞くと、 あまりにも周到に準備された環境であってそこには発見する喜びがないのですよ などと男は答えた。
それでこちらに来て コーヒーを飲んで いろいろ考え事をされてるんですか と店員が聞くと 男が言った 。
それよりもまずこの コーヒーをぶちまけたお客さんを解放してやった方がいいんじゃないのかい。 コーヒーをぶちまけたお客さんは、 あのクリーニング代はどうしたら、 と言いかけると、 君、真っ黒い服にコーヒーをこぼしてそれで全く目立たないのにクリーニングに出してどうなるというのか。 などと 的を射てるような射てないようなことを言った。
状況はかなり奇妙な雰囲気になってきて、周りのお客様の目が気になりだしている。 あのお客様 、指揮の仕事はもう完全にやってらっしゃらないのですか と店員が聞くと、いや指揮の仕事はやってますよ、仕事ではないけれど。失礼ですが、どこでやってらっしゃるんですか、楽団がないのに。と店員が聞くと、 何を言ってるんですか。ここですよ。 と男が答えた。 それはどういうことでしょうか。ここは店内ですし楽団員はいないんですけれど。 と店員が言うと 、男は だからこそ指揮者はここにいる必要があるのです。などと言った。ますます訳がわからない男だ と店員は思った。
男が聞いた。 店員さんあなたはいつも音楽というものはどこでお聞きになりますかと 。店員は答えた。そうですね私は 仕事から帰って、寝る前などに寝室で オーディオ機器でゆっくりクラシックなんかを聴くのが好きなんですが。 と店員は答えた。 男は言った。 そうですか。 男はさらに続けて言った。
指揮というものは 音楽の番頭のようなもので 方向性を決める、 まあ船で行ったら海図のようなものにあたるのですけれど 、 それには大きな問題があるのですよ。 と言った。 問題とは何でしょうか。 もし海図の見方を一つ誤れば大事故に繋がってしまうでしょう。 つまり指揮というものも 重責を担っているがゆえに そこには 音楽の快楽以上の苦悩があるのですよ。私はそれが嫌になってね。 音楽なるものはいかに 楽しめるかということが最も重要なことではないのか 。指揮を取るということがいかに音楽というものを束縛しているかということに思い至ったのです。店員は ああ、なるほど。そういうことですか。と言った。
店員は言った。 しかし、ここでさすがに指揮をするというのは無理じゃないでしょうか。というのは誰も音楽を演奏する人はいないのですから。 男は言った。 ラジオで店内放送が流れてるでしょう。 音楽が流れている。あの音楽に私が指揮をしても流れている曲はその指揮には従わないのです。なぜなら独立してますからね。 店員は、そうですね 。だと思います。と答えた。
男は言った。 だからこそ私はここで指揮者になれるのです。つまり私の指揮というものから完全に影響を受けない音楽というものが、いかに自由であるか。 音楽が統制から免れて 私の指揮の意向とは裏腹に自由気ままに流れているという様が私にとっては何よりも嬉しいことなのです。
むしろ私は流れている音楽というものにタクトを合わせるのです 。 そうするとそれはタクトの動きだけでなく私の体あるいは魂こころ全体が音楽に委ねられて 曲と一体化してそう 指揮というものが、私が音楽に与えるのではなく音楽が私に与えてくれるものに変わるのです 。と男は言った。 それでお客様は毎日当店にいらっしゃって店内放送の音楽を聴いてらっしゃるのですね と店員は言った。 そうです。 と男は答えた。
店員は尋ねた。お客様のお好きな 音楽はどのようなものですか。 私はクラシックが好きですが とりわけ シェピアニーが好きですね。シェピアニー 、初めて聞きました。 どんな楽曲が代表作なのですか 。それは私にも分かりません 。男はそう答えた。 それはどういうことでしょう。 お客様はそのシェピアニーに 魅了されてらっしゃるんですよね 。なのに 代表作を知らないというのはどういうことでしょう 。
シェピアニーがどのような曲を書けるかはまったく私にも分かりませんがその曲というものを 聴いてみたいと思うのです。と男は答えた 。店員は、それはどういう意味でしょうかと尋ねた。 音楽というものは一つの可能性を表している豊かな 遊びの場です。 シェピアニーは 世界のどこかにいらっしゃるのではないでしょうか。 などと男は 固い表情 弛ませて話した。 店員は聞いた。つまりシェピアニーさんという人物はお客様の中での架空の作曲家ということなのでしょうか。 そうですよ。 架空ではあるけれど確かに存在しているのです。
たとえ楽器がなくても心の中で曲を奏でることができるでしょう。 その時にもたくさんの声や楽器というものを登場させることができるはず。 たとえ楽器というものが 実在していない状況であっても、心は表現することができるでしょう。 男はそう答えたのだった 。
男は逆に店員に聞いた。音楽というものが成立するために最低限必要な物って何でしょう。 店員は少し考えて答えた 。それはやっぱり音じゃないでしょうか。 そうすると男は言った。ジョンケージは音楽家として失格だと。 店員は笑いながら答えた。
そういえばそうですね。音がなくても音楽は成立するのかもしれないですね と。
店員は逆に尋ねた。では音楽 が成立するために必ず必要なものとは何なのでしょうか。 それは、その問いに 答えないでおく、という態度ですと男は答えた。 店員は聞いた。 その問いに答えないでおく態度、 とはどういうことでしょうか。 男 はこう答えた。
音楽というものが まさに可能性や 表現というものの自由を象徴しているのであれば、そこにできるだけ限定的な定義というものを与えないということが 音楽にとって最も重要なことではないか。私はそう考えます。 なるほどなあ と店員は言った。
男はこうも言う。 あなた自身が ひとつの音楽なのです。 店員はきょとんとした顔をして 、私が一つの音楽とはどういうことでしょう と聞いた。 男は こう答えた。
あなたとわたしがこのように会話しているやりとりというものは お互いの 未知の部分つまり互いの 知らない部分へと踏み込んでいき そしてその中で共鳴できる部分あるいは共鳴できない部分というものを発見していくという行為でもある。 それはちょうど音楽を聴きながら深い感銘を覚える時もあれば 何か耳障りで共感出来ない時もあるでしょう 。音楽というものはつまりは、人と人との関係、つまり 直接の会話では表せないものを メロディーに乗せているに過ぎないのです 。様々な音楽の 傾向、それは メロディー に乗った音で表現されたもので、まさしくその内容は人間の心模様であってそれは音楽という一種独特な表現様式ではあるけれど、私とあなたがこのように会話をしているというのもまさに一つの音楽の原型をなすものです。
店員は言った。 つまり音楽とは 愛する ということなのでしょうか。 はい。 と男は答えた。 店員は言った。 ところでお客様、 別のお客様がこぼしたコーヒーでお洋服が汚れてしまいましたが そのクリーニング代は私が持ちますね。 なぜですか。 別に気にしてませんよ。 それは黒い服だから コーヒーの汚れが目立たないからですかと店員は言った 。そうですよ 。 しかし店員はこうも言う。たとえ目立たなくても お洋服がコーヒーで汚れてるのは事実です。 色だけに着目すれば汚れていないようですが 付着物に着目すれば 汚れているのは事実ですわ。ですから 音楽と同じように できるだけ その本質というものに目を向けるのであれば 色だけに限定するべきではないのではないのですか 。と店員は言った 。 男は そうですね。おっしゃる通りだ。 と言った。 店員はクリーニング代は私に払わせてくださいと 再度言ったのだった。
次の日またあのお客様が現れた。 しかし いつもと違う 。何が違うかといえばいつもは全身真っ黒な服を着ていて靴も黒いのだけれど、今日は黒いズボンに 黒い靴 これは黒だけれど 服だけは白いワイシャツを着ていた 。
例の店員が、 あらお客様 白いワイシャツ着てらっしゃるんですね。 初めてじゃないですか、白い服は。 と言った。 男は、 はい。と答えた。 店員 は どうして 今日は白いワイシャツを着てらっしゃるのですか と尋ねた 。男は これに コーヒーを こぼそうと思うんです。と答えた。 店員 は どういうことでしょうかと尋ねた。
私は自分で注文したコーヒーを この服に こぼしたいと思ってるんです。 いつの日か。 店員は聞いた。それはどういうことでしょうか。真白いワイシャツというものに 、この 喫茶店の ある 店員さんの 淹れてくれたコーヒーというものを こぼしたいと思ってるんです。 というのは その店員さんの 淹れてくれたコーヒーが まるで ロールシャッハ テスト の絵柄のように 私の心というものを はっきりと 映し出してくれるような気がするのです。 と男は言った。
どういうことでしょう と店員が尋ねると 、コーヒーだけに苦い思い出 、あるいは 珈琲だけに可否は問えないとは言ったけれど、 砂糖を混ぜれば 甘い想い出に変わる気もするし また 珈琲であっても 白に象徴されて 、今まで黒い服に隠してきた私の 猜疑心というものを 白いワイシャツで 遠ざけることができれば 珈琲でも、私の本心の可否を 、きっと彼女は 問うことができるのではないかと思ったのです 。
では、私が純白のウエディングドレスを着た時にはあなたが逆に 私の ウェディングドレスに コーヒーをこぼしてくださるかしら。 店員はそう言った 。
コーヒーをこぼすことはできますが しかし もっとふさわしいものがあります。 それは何かしら 。 それは何もこぼさないということです。 なぜかしら。 それは あなたには 猜疑心の 破片も感じさせない 穏やかな そして聡明な 表情をしてらっしゃいますから 。ですから ウェディングドレスを背景として 前景に描かれたコーヒーの絵というものをあなたの無垢の心は 必要としていないからです。 ですからもし こぼすにしても 純白に極めて近い シャンパンなどがいいのではないかと 思うのです 。 男はそう答えたのだった。
私は 彼女と 結婚した。 彼女はよく私に言う。 あなたコーヒー淹れて と。 私は コーヒーを淹れる。彼女は長いこと喫茶店で働いているからコーヒーの淹れ方は圧倒的に上手だ 。その点私は まだまだだ。 他方、 音楽に関しては私の方が幾分理解があるかもしれない 。そして 今 寝室で彼女愛用のオーディオで 私の 淹れたコーヒーを 飲みながら 好きな 作曲家の 曲を 聴いている。
コーヒーと 楽曲は シンクロして そこには豊かな 可能性というものが響いている。
彼女は言った。 あなたコーヒーの淹れ方は まだまだよと。 僕は、 そうだよね。 もっと練習しなきゃ。と言う。 一方で、君は 音楽の 聞き方が まだまだだよ。などと言ってみる。
彼女は 唐突に 言った 。 シェピアニーの曲をいつか 二人で聴きたいね と。 未来の 作曲家よね 。彼女は続けて言った。私、子どもが欲しいわ 。実在するシェピアニーを欲しいの。 僕は びっくりしてコーヒーを 白いワイシャツにこぼしてしまった 。 そしてしばらくして冷静さを取り戻した後に僕はこう言った 。 実在するシェピアニー というものに 僕らは出会える可能性があるということだね 。それは 君と僕とが出会って そして 音楽に希望を託してきたから、その希望の中から現実に シェピアニーが 人となって現れるということが 可能なんだと思う。 実際に作曲家になるとかならないとかそんな事はいいのだけれど。 彼女は言った。 可能性の 塊として 生まれてきた 子どもというものは それだけで 豊かな 音楽を奏でるわけだから 、その存在自体が 楽器で、 バイオリンの弦みたいなものじゃないかしら と 。
寝室で 二人コーヒーを楽しんで二人、 音楽を楽しみ そしてその後、僕らはコーヒーと音楽のその続きを楽しむ。 愛のシンフォニー が 寝室から 微かに漏れている 。 周りに聴衆はいないが その シンフォニーを奏でている 二人というものが、同時に 二人だけの 聴衆というものを兼ねている。 交響曲を聴ける聴衆という立場は こういう場合 演奏している当事者二人 に限られるのだ。
コーヒーというものが 人間の 心の 味わい深いものの 比喩であり また音楽が 人間の可能性というものの比喩であるならば また 愛し合うということもそれと同じで そこから 互いにお互いを解放していくという行為は より自由に よりいきいきと、より穏やかにそして より幸せにしてくれるものだ 。そしてそういう愛し合うということから 芽生えた命というものは まさしく 二人にとっても 幸福の画期となるわけだし 新しい命それ自身も 幸福を体現したものであって、 つまりは 音楽も珈琲も愛し合うことは無論、みな愛の 比喩であって それは惜しみなく 降り注ぐ 愛情の光であり、 それを 躊躇うことなく浴びられる勇気というものが、 私を黒い服から脱却させ、日の光に輝く 白いワイシャツが 似合う人へと成長させてくれたわけである。
シェピアニー ジュン @mizukubo
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