第3話 入部に至る無理難題(?):後編

 妖怪という存在について、人間たちはどのように捉えているのだろうか。

 科学技術が妖怪を駆逐した。そもそも迷信に過ぎず、物語の中にしか存在しない……そのように考えている人間たちが大多数であろう。

 しかし大多数の考えが真実であるとは限らない。

 妖怪は実在する。人間に擬態し、科学技術や文明を上手く利用して彼らは平成の世を謳歌している。何となれば科学技術や文明は、彼らの術を模倣したものであるとも言われているくらいだ。

 そうした真実を、源吾郎は知っていた。のみならず、むしろ源吾郎はに近いのだ。源吾郎は半妖だった。母の代で人間の血が混じり、更に彼の父親は人間である。だがそれでも、源吾郎の身には先祖の血がしっかりと流れていた。

 源吾郎の三代前の先祖。それは日本三大悪妖怪の一体・玉藻御前こと金毛九尾である。

 半妖なれど偉大なる大妖狐の子孫である。これこそが源吾郎のアイデンティティであり誉れでもあった。

 もっとも、その事を知る者は殆どいない。源吾郎の胸に野望が潜んでいる事も。家族の意向で人間として育てられているからだ。

 いかな大妖怪の子孫と言えども、親や年長の兄姉には逆らえないのだ。


 夕食後。自室で台本を読んでいると、ノックなしにドアが開いた。顔をのぞかせたのは末の兄である庄三郎だった。七歳上の庄三郎は、美大生になった頃から実家を出て一人暮らしを行っていたらしいが、時折思い出したように実家に戻って来る事があった。そして庄三郎と源吾郎は相部屋だったのだ。だから兄がこうして入って来るのも、何らおかしな事では無い。

 源吾郎は兄が入って来た事で少し居住まいを正した。寝そべっていた所から状態を起こし、更に野放図に伸ばしていた四本の尻尾を縮めたのだ。妖狐の血を引いているがゆえに、源吾郎には尻尾があった。


「庄三郎兄様。戻って来るなんて珍しいじゃん」


 まあね。弟の言葉に対し、庄三郎はほんのりと微笑んだ。庄三郎もまた先祖の血を局所的に色濃く受け継いだ存在であるのだが、それはまた別の話である。それよりも源吾郎は服がよれていたのが気になった。芸術家気質の兄の事だ。創作活動に励むあまり、他の事がおろそかになってしまったのだろう。


「それよりも源吾郎。演劇部に入部しようとして、一悶着あったんだってね。宗一郎兄さんが心配していたよ」


 長兄の名が出てきたのを聞いて、源吾郎は渋い表情を浮かべた。生真面目な長兄の事であるから、後で色々と追及されるのではないか。そう思うと面倒くささやうんざりした気持ちが浮き上がってしまった。十八歳も年の離れた宗一郎の事は、源吾郎にとって兄というよりもむしろ父親のような存在だった。宗一郎も、敢えて源吾郎を自分の息子のように扱う事もままあった訳だし。


「一悶着じゃあないよ。演劇部の部長からオーディションを受けるようにって言われただけさ」

「でも、その話になるまでに色々ともめたんでしょ? しかも相手は良い所のお嬢様だって言うし」

「はあ……、宗一郎兄様もお堅い社会人だもん。その辺りには敏感になっちゃうんだろうな。だけど兄上。俺の演技力が凄い事は兄上だって知ってるでしょ?」

「だけど源吾郎。相手は人間たちだから変化はしないんだよね?」

「そりゃそうさ。だけど演技力だって磨いているんだからさ。俺は大丈夫だよ。ふふふ、河合部長の心を掴んでやるよ、演者としてね」

「……まぁ、ほどほどにね」


 投げかけられた兄の言葉には、ほのかな呆れの色が浮かんでいた。


 とうとう約束の日となった。源吾郎は意気揚々と演劇部の部室に足を踏み入れた。部室の中にいたのは顧問の汐崎先生と部員たちだけではなかった。部員たちの友達や、場合によっては彼氏などもまた部室に来ていたのだ。


「来たのね、島崎君」


 佐和子は余裕たっぷりに微笑んでいた。彼女はギャラリーとして彼氏を連れてきていた。源吾郎は佐和子の彼氏がどんな生徒なのかは知らない。しかし見るからに自信たっぷりのイケメンで、運動部に所属してそうな事は解った。


「台本はしっかり覚えましたので準備万端です」

「余裕綽々ね。良いわ、せいぜい頑張りなさい」


 佐和子の高圧的な言葉に対しても、源吾郎はニヤリと笑うだけだった。妖狐として女子変化を行い、女子の行動を観察している源吾郎である。台本でのヒロインは確かに失恋に打ち沈む女という事で込み入った設定ではあるが、演じきれると源吾郎は踏んでいた。


「僕の演技を見るのはこれだけですか? もう少し沢山お呼びになられても良かったのに」

「島崎君……?」


 生徒らの視線を浴びながら呟く源吾郎に対し、気づかわしげに声を上げたのはやはり汐崎先生だった。


 源吾郎の演技は五分ほどの短い物だった。オーディションという事もあり、そんなに佐和子も時間を使いたくなかったのだろう。全力を尽くしたつもりであるが、果たして佐和子の眼鏡にかなうものだっただろうか。

 滑稽な事だ。額の汗をハンカチで拭いながら、源吾郎は自嘲的な笑みを浮かべる。演じるまではおのれの演技に確固たる自信を持っていたのではないか、と。

 もしかしたら、演技を見ていたギャラリーたちが、お行儀よく無言だった事もまた、源吾郎の不安をあおったのかもしれない。もしかしたら、緊張しすぎて雑音が聞こえなかっただけなのかもしれないが。

 そう思っているまさにその時、生徒たちの声が源吾郎の耳に届いた。


「え……マジでヤバない」

「島崎君って男子だよね? 一瞬女子に見えたんだけど」

「あれもう演劇部ってレベルじゃないっしょ」

「島崎君……そうか、だから自信たっぷりだったのね」


 河合部長。生徒らの声を聞き流しつつ、源吾郎は佐和子に声をかけた。彼女は恋人であるイケメンにしなだれかかり、顔を覆って小刻みに震えている。少し近付いてから、彼女が泣き崩れており、イケメンがそれを必死で支えているのだと気付いた。


「あ、あんたの勝ちよ島崎君。ううんそうじゃない、あたしの完敗だわ……」


 近付いた源吾郎の気配に気づいたのか、佐和子が顔を上げる。華やかなその面を涙で濡らし、つっかえつっかえ彼女はそう言った。


「うっ……ごめんね島崎君。あたし、しょうもない意地とかで、あんたを突っぱねちゃったよね……でも、さっきの演技を見て解ったわ。あんたは本物だって。下手をすれば、演劇を愛する……演劇への愛はあたしよりも上回っているって」

「それじゃあ河合部長。僕の入部を認めてくださるんですね」

「もちろんよ!」


 かくして、源吾郎は河合佐和子の設けた試練を正面からぶち破り、演劇部に入部する事と相成ったのだ。

 それ以降は源吾郎は佐和子を含めた他の部員とも良好な関係を気付き、演劇部での活動を心行くまで謳歌していた。特に佐和子からは演劇のノウハウやコツ等を直々に教えて貰っていた。実はこれは「あたしを心服させたら何でも言う事を聞く」という佐和子の言に対し、源吾郎が要求したものに他ならない。

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