第2話 入部に至る無理難題(?):中編

 翌日。演劇部顧問である汐崎先生と出会ったのは、昼休みの時の事だった。源吾郎はその時図書館から教室へと戻ろうとしている最中で、その時汐崎先生に出くわしたのだ。


「島崎君、ちょっと……」


 おずおずと声をかけ、汐崎先生は源吾郎に手招きをした。源吾郎は本を小脇に抱えたまま彼女に近付く。


「どうしたんです汐崎先生」

「……ねぇ島崎君。あなた本当に演劇部に入りたいのよね?」


 上目遣い気味にこちらを見つめる若教師に対し、源吾郎は思わず眉をひそめた。問いかけの形を取ってはいたが、源吾郎の行動を良く思っていない事が伝わったからだ。


「河合さんが言ったオーディションとやらは、受けない方が良いわ」

「何だって!」


 源吾郎は叫んでいた。よもや教師から、それも顧問の教師からそんな事を言われるとは夢にも思っていなかった。

 汐崎先生はまつ毛を揺らしながら源吾郎を見つめている。先の言葉は冷徹に言い放たれたものでは無いのだと悟った。何がしかの義務感ともどかしさとがせめぎ合うのが彼女の瞳から感じ取れた。


「先生の、私の言っている事が教師として不適切である事は解っているわ。だけどね、人生の先達として私は言っているの。

 はっきり言うわ。河合さんは元より島崎君を入部させるつもりなんて無いのよ。だからこそ、オーディションで男子であるあなたに敢えてヒロインの役を行うように言って、怯ませようと思ったのね」

「だけど僕が受けるつもりですが?」

「もちろん、島崎君がそう言う選択を下す事も彼女は想定していたでしょうね」


 やや語気が強まってしまったが、汐崎先生は怯まずに源吾郎を見つめ返した。


「でもその時はその時で、あなたをより貶める事が出来る。そう思ったに違いないわ。男子が女子を演じるのは難しい事だし、きっと河合さんは、あなたの演技を見てみんなで笑い者にするつもりなのよ」


 汐崎先生の言葉は、源吾郎も先日想定していた事そのものであった。それで俺の事を心配しているのか。そう思った源吾郎であるが、口にしたのは心中に沸き上がった疑問だった。


「先生。そこまで解っていたのに、あの時どうして俺の味方になってくれなかったんですか。そうでなくても、先生は顧問なんですから、河合部長に注意するのが筋ではありませんか」

「それが出来たら私もやってたわよ!」


 汐崎先生の剣幕に、一瞬だけ源吾郎は怯んだ。小動物のような雰囲気の彼女が、まさかこんな声を出すとは思っていなかったのだ。


「だから言ったでしょ。私の言葉は教師としては不適切で、それで人生の先達としての言葉だってね。

 河合さんはここでは有名な資産家の一人娘で、お祖父様やお父様も民間企業とか、政財界の方にも権力を喰い込ませているようなお方なの。

 実を言えば、河合さんの横暴を疑問視する生徒もいるわ。だけどお祖父様もお父様も河合さんを溺愛していて……逆らったり不興を買った生徒なんかには、圧力が掛けられるのよ。私は何度もそれを見てきたの。それで解ったのよ」


 あなたも解るわよね、島崎君。汐崎先生は、気付けば真っすぐ源吾郎の瞳を見据えていた。


「一番丸く収まるのは、島崎君が演劇部の入部を諦める事よ。そうすれば、河合さんもあなたが自分の言う事を聞いたと思って満足するでしょうし、何より島崎君だって自分の演技を笑われるなんて屈辱を味わう事も無いでしょうから」

「――そんな下らない理由で、俺が引き下がると思ったんですか?」


 源吾郎はゆっくりと、低い声で汐崎先生に言い返した。佐和子の横暴な振る舞いと、それが許容されている理由はひとまず判明した。祖父や父親が権力を持ち、娘を可愛がっているのならばそうなるだろう。

 そしてそんなワガママ娘が源吾郎を目の敵にして試練を設けている――端的に言って、闘志がみなぎってくるようなシチュエーションではないか。

 親の権力を笠に着てふんぞり返る小猿に目に物を見せてやる絶好のチャンスではないか。ほのかな笑みの裏側で、源吾郎は仄暗い愉悦をも感じていた。もちろん、おのれが持つ残忍で邪悪な考えは汐崎先生に悟られないように用心しているが。


「河合部長のご家族が資産家で政財界に喰い込んでいると言っても、それは河合部長の権威そのものではないじゃないですか。そもそもお偉方だとかいう河合部長のお祖父様や御父上だって、所詮は普通の人間に過ぎないんでしょうし」

「島崎君……?」


 汐崎先生の呼びかけに、源吾郎はハッと我に返りった。少し興奮してしまった。冷静さを取り戻した源吾郎は一人反省していた。とはいえおのれの姿はいつものままだ。獣めいた特徴が露わになった訳ではない。

 そして、落ち着いて自分の様子を眺めている間に、汐崎先生も落ち着きを取り戻したようだった。彼女は源吾郎を見据えると、深々とため息をついた。


「島崎君。あなたがどんな子なのか、この短い会話だけで充分解ってしまったわ。本当は思い直して欲しかったんだけど、きっと私の言葉は届かないわよね」

「俺の演技力でもって、河合さんが入部を快諾してくれる。その可能性を真っ先に押してくれたのなら、俺も先生の話に耳を傾けたかもしれないんですけどね」

「……言い忘れていたけれど、河合さんは中学生の頃まで子役をやっていたのよ。だからこそ、演劇に対するこだわりを持っているとも言えるんだけどね」


 それじゃあね。汐崎先生は言いたい事だけ言うと、源吾郎に背を向けて教室へと進んでいった。気弱な先生だと思っていたが、彼女なりに生徒の事を気に掛ける性質だったのかもしれない。源吾郎はそう思う事にした。

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