第12話 草原の盟主

 新たなヒュンナグ王となったジムスの前途は多難だった。

 ボルドゥがズーン相手に起こしたいくさと、軍内での内紛により、少なからぬ犠牲者が出た。そして、ズーンに対しても、西のバローンに対しても、大きな借りを作ることとなってしまった。


 それもこれも、ボルドゥを打倒するためにはやむを得ぬこと――。まだ弱冠十二歳のジムスは、自分にそう言い聞かせ、数々の負債を返済して、再びヒュンナグの勢力を盛り返すことに人生を捧げる覚悟を決めていた。


「そう肩肘かたひじを張るでないわ。世の中、なるようになるものじゃ」


 彼の愛する妻アヤンガ――瑠璃色の髪に琥珀色の瞳の美少女、の姿をした竜神が、さとすように言う。


「はい、わかっています。ぼくにできることは、目の前のことを一つ一つ片付けていく……ただそれだけですから」


「まだまだ肩に力が入っておるようじゃがな。思い詰めずとも、お前の周りには信頼できる人間がたくさんおるじゃろう。遠慮くなく頼るがいい」


「はい。そのつもりです」


 生真面目な顔で、ジムスが頷く。竜神はやれやれといった様子で小さく溜息をきつつも、千歳ばかり年下の夫を愛情のこもった眼差しで見つめるのだった。



 東のズーンは、王太子エルデニはヒュンナグに対して比較的好意的ではあるものの、バーブガイ王はことあるごとに高圧的な姿勢を見せてくる。

 それに対して、時には妥協し、時には毅然としてねつけながら、両国の関係を保っていく。

 この困難な役目を担っているのが、ジムス王の重臣の一人となったションホルである。表向きは。

 一本気で相手の心を読み取って腹芸を演じたりするのが得意ではない彼を、陰で支えているのは、言うまでもなく愛妻のサラーナだ。

 エルデニ王太子の側室であるアルタントヤーとも緊密に連絡を取り合いながら、対ズーンの外交を一手に取り仕切る彼女のことを、周囲の人間は冗談交じりに「宰相殿」と呼んでいた。


 一方、西のバローンはというと。

 相変わらず、嫡子であるアーセマーン王子と庶子であるオストハーン王子の対立が続いており、ヒュンナグはなまじ両方と関係を築いてしまったため、なかなか難しい舵取りを求められる状況となっていた。

 こちらの担当は、一時期アーセマーン陣営との繋ぎ役を務めていて王子とも面識のあるドルジと、ジムスの異母姉でオストハーンの妃・シャルモールに気に入られているオルツィイ。この二人は、ドルジの熱意にオルツィイがほだされるかたちで夫婦になった。

 それと、アーセマーンの実妹であるファリーダの側近で事実上の夫・セターレ。

 彼らはサラーナの助言を仰ぎつつ、両王子の陣営との微妙な関係を維持していた。

 ちなみに、バローンとの関係上、ファリーダはアヤンガと同格のジムスの正室という扱いになっている。あくまで形の上でだけだが。




 こうした状況のもと、八年の歳月が流れた。

 ズーン王バーブガイはなおも健在で、ヒュンナグを完全に支配下に置いてしまおうという野心がしばしば見え隠れする。

 破滅的な状況を回避して来られたのは、ひとえにサラーナと、アルタントヤーの苦心の賜物と言っていいだろう。

 しかし、ヒュンナグの者たちの間にも、ズーンの圧迫に対する憤りは溜まりに溜まっており、いつ燃え上がってもおかしくなかった。


 状況が変わったのは、中原ちゅうげんの情勢がきっかけだった。

 戦国乱世を統一した帝国がわずか三代で滅亡し、再び群雄が割拠した中原ちゅうげん。最終的にシャン=ユーという人物とリウ=バンという人物、二人の争いに絞られたが、最後に勝利を収め皇帝となったのは、リウだった。


 ハン帝国という大国家を築いたリウは、自身の権力固めのため、天下統一の功臣たちを次々に粛清していった。

 そして、粛清を恐れて北方へ逃げ落ちた功臣がいたことから、戦火は草原へも飛び火することとなる。


「で、中原ちゅうげんの皇帝から、ズーンを攻めるために共に兵を出さないかとの誘いがあった、というわけですか」


 三月みつき前に生まれたばかりの三人目の子をあやしながら、サラーナが言った。

 今も側で警護役を務めるツェレンと、その夫のゾリグを伴い、ジムスが直々にサラーナのもとを訪れて、対応を相談しに来たのだ。


「重臣たちの中からは、この機にズーンを攻め滅ぼしてしまおう、という声も上がっているのだが……」


「陛下ご自身は、どうお考えなのです?」


「エルデニ殿やアルタントヤー殿には申し訳ないが、僕自身、バーブガイ王のなさりようには、腹に据えかねるものがある。だからと言って、中原ちゅうげんの皇帝とやらと組んでズーンを攻めるというのも、信義にもとるし……」


 苦悩に満ちた表情で胸のうちを明かすジムス。それに対しサラーナは、


「信義を守って滅びるより、そんなものは犬に食わせてでも生き残る方が大事ですよ。でも、今回のことに関しては、中原ちゅうげんと組むのは悪手ですね」


「そう……なのかな」


「きっかけは、奴らが言うところの叛徒がズーンに逃げ込みこれをかくまっているから、ということですけど、この機に草原を支配下に置いてしまいたい、という野心もあるのは間違いないでしょう。そして、ズーンが滅ぼされたら、次はヒュンナグの番です。ええっと……」


 サラーナは記憶を探るように小首を傾げ、


「ああ、そうそう。中原ちゅうげんのことわざにこういうのがありますね。唇がなくなったら歯が風邪をひく、って。それに、中原ちゅうげんの連中の古来からの常套じょうとう手段、をもってを制す、ってやつに乗せられて、草原の民同士が殺し合うのも馬鹿々々しい限りでしょう」


「なるほどな。では、やはり中原ちゅうげんからの誘いは断ろう」


 しかし、サラーナはそれには首を振り、人の悪い笑顔でこう言った。


「いえいえ。せっかくのお誘いです。断ることはありませんよ」



 サラーナは飛竜ひりゅうを飛ばして、アルタントヤーに宛てた手紙で事情を知らせ、エルデニ王太子の了承を取りつつ、ハン帝国へも使者を送ることにした。


「ちょうどおあつらえ向きのお人がいらっしゃるでしょ? ああ、本人には真の目的は伏せておきましょう」


「……本当に、あなたが敵でなくって良かったよ」


 ジムスは呆れ顔で呟いた。



 使者に選ばれたのは、オストハーン。一年あまり前に、ついにアーセマーンとの王位継承争いに敗れ、妻のシャルモールともども、バローンからヒュンナグに亡命してきたのだ。

 アーセマーンからの再三に渡る引き渡し要求をのらりくらりとかわし、この厄介な客を手許てもとに置いてきた。


 良く言えば勇猛、悪く言えば粗暴な彼は、中原ちゅうげんと組んでズーン相手の大戦おおいくさ、と聞いて大いに喜んだ。おまけに、サラーナからは、ヒュンナグがズーンから奪った領地をそのまま彼の封土にすると聞かされたから、なおのことだ。


 中原ちゅうげんと草原を隔てる城壁を越え、国境近くの都市で、オストハーンはヒュンナグ王の特使として、ハン帝国の使者と面談した。

 事前にサラーナから、変に中原ちゅうげんの礼にならおうとしたらかえって舐められる、と助言されていた彼は、思い切り素のままで、良く言えば豪放ごうほう磊落らいらく、悪く言えば傍若無人な振る舞いを貫いた。


 中原ちゅうげん産の度数の高い高粱コーリャン酒を気に入ってがぶ飲みし、豪勢な料理も手づかみで口に放り込む。

 ただ、ハンの使者たちが用意した中原ちゅうげんの美女たちには、シャルモールの手前、手は付けなかった。


 ともあれ、接待に大いに満足した上、ヒュンナグがズーンから奪った領地は好きにして良い、という言質げんちをハンの側からも取り付けたオストハーンは、上機嫌で帰って行った。

 彼を見送った後、ハンの使者たちがほくそ笑む。


「いやはや、あれが塞外さいがいの蛮族ですか。聞きしに勝る野蛮さですな」


「そう言ってやるな。人間だと思えば野蛮さに不快も覚えるが、御しやすい獣だと思えば腹も立たん。せいぜい、獣同士噛み合わせてやるがよかろう」


 噛み合いの末に奪い取った領地が欲しければくれてやろう。いずれはそれも含めてこちらが頂戴するのだから――。それが、ハンの使者、ひいては皇帝の、本音だった。



 ヒュンナグと密約を結んだハン帝国は、ズーン征伐の兵を起こした。中原ちゅうげんではかなりの贅沢品である騎竜きりゅう部隊も大規模に動員し、さら騎馬部隊、歩兵部隊から成る、総兵力約三十万の大軍だ。


 それに先立って、ジムス自らが率いるヒュンナグ軍はズーン軍と矢を交えるも、兵力において大きく上回るズーン軍に押されて敗走。ズーン軍の本隊はそれを追って西へと展開した。


「ヒュンナグとやら申す連中、中々律儀ではないか」


 自ら陣頭に立って遠征軍を率いてきたハン帝国皇帝は、ヒュンナグが約束通り兵を起こしたとの報せを聞いて、満足げに笑う。


「いかがなさいますか? このまま蛮族同士噛み合う様を高みの見物なさるのも、一興かとは存じますが」


 側近の言葉に、皇帝はわずかの間だけ考え込んだが、一つ首を振って、すぐに結論を出した。


「いや、せっかくズーンが餌に食いついてくれたのだ。この機を逃す手はない。一気に攻め滅ぼしてくれようぞ」


 そして皇帝の命令一下、ハンの主力部隊は草原の奥へ奥へと侵攻していった。



 その頃、オストハーンが率いる部隊は、南へと向かっていた。


「おい、ションホル。一体どこへ向かっているのだ? ズーンと戦うのではなかったのか?」


 そう声を掛けられて、ションホルはこっそり溜息をきながら、腹をくくって言った。


「いえ、ズーンとは戦いません。我々が戦う相手は中原ちゅうげんの連中です」


「はあ!? おい、それは一体どういうことだ!?」


 オストハーンが大声を上げる。


(サラーナめ。厄介な説明を俺に押し付けやがって……)


 真相を伏せられ、ハンと組んでズーンを攻めるものと思い込んでいるオストハーンへの説明を、それじゃあよろしく~、と軽い調子で押し付けてきた愛妻に心の中で毒づく。


 実のところ、ションホル自身も、最初はサラーナの意図がよく飲み込めていなかった。

 中原ちゅうげんの誘いは断って、ズーンとともに戦う、というのでは駄目なのか、と問うたションホルに、サラーナは、


「そうだね。もしそうしたとして、バーブガイ王はどういう態度に出ると思う?」


 それを聞いて、ションホルも顔をしかめた。


「……ご協力感謝する、とは言わないだろうな。むしろ、ヒュンナグがズーンのために働くのは当然だ、ぐらいに思っていそうだ」


「でしょ? だから、多少小細工を弄してでも、こっちが主導権を握らないとね。まあ、ハン帝国は良い面の皮だけど、そもそもやつらが攻めてくるのが悪いんだし」


 つくづく、うちの嫁の智謀は恐ろしい――などと思ったことを回想しながら、ションホルはオストハーンに対し、懇切丁寧に説明してやった。


「なるほどな。まあ俺としては、戦う相手が誰だろうと構わんのだが……。何であらかじめ話をしてくれなんだのだ?」


 そりゃあ、あなたに腹芸なんて出来っこないからですよ――という言葉は胸の奥に飲み込む。そういうションホル自身も、そういったことはあまり得意ではないのだが。


「申し訳ございません。ことは秘密を要しましたものですから」


 オストハーンはあまり納得は出来なかったようだが、やがて敵の姿が見えてくると、不機嫌は高揚感に取って代わられたようだった。


 敵――ハン帝国の後続部隊に対し、オストハーンは嵐のように襲い掛かった。

 これを叩き潰してハンの主力部隊を孤立させた上で、ズーン軍と共に包囲する、というのが、サラーナが立てた策。事の成否にかかわる重要な一戦だ。

 オストハーンは異母兄アーセマーンに智謀で敗れて国をわれることとなったが、いくさは滅法強い。そして相手は、前線はまだまだ先だと油断していた連中だ。到底相手にはならない。


 それでも、ハン軍の部隊長も中々に有能な将だったようで、潰走せずに踏み止まった士気の高い兵たちをどうにかまとめ上げ、輜重しちょう隊を守りながら懸命に抵抗を続ける。

 が、そんな彼も、普通ならば到底とどかないはずの距離から右肩を射抜かれ、ついに騎竜きりゅうから転げ落ちた。

 その矢の矢柄やがらには、百合の花サラーナの紋様が刻まれていた。


「おうおう、相変わらず見事な腕前だな、ションホル!」


 オストハーンに怪力でばんばんと背中を叩かれ、ションホルははなはだ迷惑した。

 しかし、手柄を横取りしやがって、などとは言わないあたり、どうにもこの人は憎めない――そう思うションホルであった。



 後続部隊を打ち破られ、補給も断たれたハン軍主力部隊は、ズーンの地で孤立した。

 そしてその周囲を、事前の打ち合わせどおり、ヒュンナグとズーンの連合軍が包囲する。


「おのれヒュンナグめ、たなかりおって!!」


 皇帝はもう何度目かの恨み言を吐き捨てたが、その声は今や弱々しい。

 補給を断たれたとはいえ、さすがに皇帝までが腹をかせるところまでは至っていないが、軍全体の士気の低下は目を覆わんばかりだ。


 包囲されて七日目、皇帝は謀臣のチェン=ピンという人物に泣きついた。


「策がないこともございません。此度こたびいくさで策を弄したのは、おそらくズーンではなくヒュンナグ。交渉も、そちらを相手にすべきでしょう」


「ほほう。で、どのような策を用いるのだ?」


「ヒュンナグ王はまだ若いですが、兄を討って王位にいた時には、兄の妻たちをまとめて我が物にしてしまったほどの女好きだとか」


 実際には、寡婦かふの面倒を亡夫ぼうふの弟が見るという草原の風習に従っただけなのだが、そのような風習の無い中原ちゅうげん人には、とんでもない好色漢に見えたらしい。


「なるほど……。もしかして、中原ちゅうげんの美女を贈るから兵を引いてくれと頼むのか?」


 そう言った皇帝の顔は、そんなもったいない、と言いたげだった。いや、どうせすべての美女を我が物にできるわけでもないでしょうに、と呆れる気持ちを飲み込んで、チェンは言葉を続ける


「いえいえ。交渉を持ちかける相手はヒュンナグの王ではなく、その妃です」


 皇帝はチェンの献策を受け入れ、ヒュンナグ王妃に使者を送った。



「ふっふっふ。中原ちゅうげんの皇帝とやらは、中々愉快な人物のようじゃな」


 ハンの使者から受け取った手紙をサラーナに見せながら、竜神はどす黒い笑みを浮かべた。


「『中原ちゅうげんには数多くの美女がおります。もしあなたのご亭主が我らを滅ぼして中原ちゅうげんに入り、それらの美女を手に入れたなら、あなたはご亭主の愛情を失うことになるでしょう』――だそうだ」


「ははあ、ご丁寧にその美女とやらの絵まで添えてありますね。絵師も従軍させてたのか、皇帝さんは」


「ジムスのことを、他の女に目移りするような男だと思うておるようじゃな。うむ。久しぶりに面白い冗談じゃ」


「ちょ、竜神様。あかくなってますよ!」


 ちょっとばかり恐怖を感じながら、サラーナが言う。


「ああ、すまんすまん。少々熱くなってしもうたわ。で、どうする? 攻め潰すか?」


「いえ、そこまでしなくてもいいでしょう。力攻めをすればこちらにも損害が出ますしね。ただ、せっかくですからこちらからも手紙を送っておきますか」


「ほほう、また何か良からぬことを思いついたようじゃな」


「あんまり人聞きの悪いことを言わないでください」


 などと軽口を叩きながら、サラーナは王妃竜神に代わってハン皇帝への手紙をしたためた。



「『我が夫は美女よりも勇者を好む。そういえば、ハン帝国には“国士無双”と評される名将がおられるとか。我が夫がかねてより会いたがっておったが、陣中においででないとは誠に残念至極』――だと? おい、まさかあいつら、淮陰侯わいいんこうにちょっかいをかける気ではあるまいな?」


 手紙を受け取って、皇帝は顔面蒼白となった。

 淮陰侯とは、シャン=ユーとの争覇戦において、軍事面で突出した働きを示した名将で、もっと言うなら、リウが天下を取れたのは半分以上彼のおかげと言っていいほどの人物なのだが、現在は謀反の嫌疑を掛けられて謹慎しており、今回の遠征にも参加していない。

 もし、皇帝がこの地に足止めを食らっている間に、淮陰侯が挙兵するようなことにでもなれば……。


 このあたりの情報を、ボルドゥ亡き後あっさりとジムスに乗り換えたチャンから仕入れて、サラーナは詳細に把握していたのだ。


 皇帝が全面降伏を申し出たのは、それから間もなくのことだった。



 かくして、ヒュンナグは草原の勢力を代表する形で、ハン帝国と和議を結んだ。

 その条件は、一にヒュンナグを兄、ハンを弟とする盟約を結ぶこと、二にハンは毎年ヒュンナグに貢納すること。三つ目に、ハンの皇女をヒュンナグに嫁がせる、という条項が盛り込まれかけたが、ジムスは丁重に断り、代わりに、草原と中原ちゅうげんとを隔てる城壁よりも南の土地の割譲を求めた。

 これには、ハン帝国内にも反対の声は大きかったが、降伏した以上は仕方ない。それに、国内の不満分子をきつけられる可能性を示唆されては、これ以上北方に関わり合ってばかりもいられない。

 結局、皇帝はその条件を飲んだ。



「バローン王になりそこなった俺が、このようなところに領地を得ることになろうとはな。義弟ジムス殿には感謝の言葉も無い」


 オストハーンが感慨深げに呟く。それを見て、シャルモールも目頭を熱くした。

 城壁の南――黄色い大河が大きく蛇行して北へ膨らんだ部分の東側の土地を割譲させたジムスは、オストハーンにその土地を与えた。ズーンから奪った領地を与えると言っていた分の代わりというわけだ。


 バローンのアーセマーンにとっても、異母弟が遠く離れた土地で満足してくれるならば文句は無い。いや、無いわけではないのだが、一気に発言権を強めたヒュンナグに対し、文句は言えなくなってしまった。


 ただし、この“河東ゴラン・ズーン ”と呼ばれる新領地は、定住民族も多く暮らしており、統治には細心の注意を要する。

 シャルモールが付いているとは言え、オストハーンに任せるのはいささか不安に思ったジムスは、ションホルとサラーナ夫婦を補佐役に付けた。


「オストハーン様の面倒を見ながら、遊牧の民と農耕の民との間を取り持つ、か。無理難題にも程があるだろ」


 ションホルはしきりにぼやきながら、新たな任地に赴いた。

 難しいことは何も考えず、ひたすら草原を騎竜きりゅうに乗って駆けまわっていられた頃が懐かしい。


「ま、頑張るしかないよ。さすがのあたしも、こんなところに来る羽目になるとまでは予想してなかったけど……」


 傍らのサラーナが、特に気負う様子もなくそう応じる。

 そうだ。自分にはサラーナが付いていてくれるのだ。彼女にばかり頼るつもりはないが、少しばかり気が楽になったように思えるションホルだった。




 この後、ションホルとサラーナはオストハーンを支えて“河東ゴラン・ズーン ”の地を大過なく統治しつつ、子や孫に囲まれて幸せな人生を送った。


 そうして、七十年あまり後。ハン帝国の第七代皇帝、初代皇帝からは曾孫に当たる人物が、ヒュンナグとの関係を逆転させるべく、兵を催した。

 しかし、“河東ゴラン・ズーン ”の地出身の、ウェイ=チンという人物やその甥のフオ=チュィビンといった名将たちの活躍もあって、第七代皇帝の野心は打ち砕かれることとなった。


 ヒュンナグはその後も長く草原の盟主として君臨し続けた。

 ヒュンナグの王家には竜の血が混じっている――とは、中原ちゅうげんの著名な歴史家が、その著書に記すところである。


――Fin


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大変お待たせしてしまいまして申し訳ありません。

以上を持ちまして、『鏑矢の鳴る頃に』完結です。


淮陰侯こと韓信を実際に蜂起させるという筋書きも考えたのですが、さすがにそれはやり過ぎかなと思い自重しました。

どなたか、高祖が匈奴の捕虜になってその隙に韓信が復活を遂げる、っていう歴史if物お書きになりませんか(笑)?

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鏑矢の鳴る頃に~謀反の練習台として矢の的にされた寵姫ですが、このままで済ませるつもりはありません~ 平井敦史 @Hirai_Atsushi

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