第11話 復讐の終わり

 オクトルゴイをはじめとする主要氏族の造反により、ヒュンナグ軍は「れずの地」で同士討ちに陥った。誰が敵で誰が味方かわからぬ大混乱の中、ボルドゥは襲い掛かって来る者たちを片っ端から矢で射倒し、攻撃魔法で吹き飛ばす。しまいには、懐にまで飛び込んで来た敵を、剣を抜いて斬り伏せるに至り、彼の全身は返り血であけに染まった。


「まだだ! まだ終わらぬ! こんなところで終わってたまるか!!」


 呪文のようにそう叫び続けながら、ボルドゥは敵対する者たちを倒し続け、ついに乱戦の輪を抜け出して、逃走に成功する。

 付き従うものは、わずかに親衛隊ケシクの十数騎のみであった。


「陛下、どちらに向かわれますか?」


 親衛隊ケシクの一人の問いかけに、ボルドゥはこう答えた。


「ヒュンナグ本国にももう戻れぬ。こうなっては、チャンを頼って中原ちゅうげんに落ち延びるしかなかろう」


 長きに渡り戦乱が続いた中原ちゅうげんは、一度統一されたが、「皇帝」と称したその人物の死後、再び乱れた。チャンという男は、そのような状況下を巧みに立ち回り、各勢力と一定の距離を保ちつつ巨万の財を成したという。


 彼の支援を得て、巻き返しを図るか、あるいはいっそのこと、中原ちゅうげんの混乱に乗じて一旗揚げ、かの地で勢力を築き上げて、しかる後にヒュンナグに攻め入るか。いずれにせよ、このままでは決して終わらぬ。必ずやジムスの首級くびり、この屈辱は晴らしてみせる――。

 胸中でそう誓うボルドゥを見る親衛隊ケシクの者たちの目が、どこか冷ややかであったことに、彼は気付かなかった。



「なるほど。ボルドゥの野郎ヤロー中原ちゅうげんに落ち延びていきやがったか」


れずの地」に放っていた物見ものみから、おおよその状況を伝え聞いて、サラーナは安堵と不安が入り混じった溜息をいた。


 ボルドゥをこのまま逃してしまったら、中原ちゅうげんの地でかねてより繋がりがあるチャンとかいう商人の援助を得て、息を吹き返される危険性が高い。

 そのようなことにならぬよう、ボルドゥをズーンの地で倒し損ねた場合は、ヒュンナグ領内に戻って来させて確実に仕留めるため、バローンを引き込んで待ち構えているという状況はできる限りボルドゥに伝わらぬよう、手は打った。

 が、やはり完全に防ぐことは出来ず、ヒュンナグの状況はボルドゥの知るところとなった。

 そこでやはり状況を耳にしたシドゥルグが造反するというのは、一応考慮には入れていたものの、どうせならヒュンナグに戻って来てからにしてくれればよかったのに、というのがサラーナの本音だ。


 しかしその一方で、ボルドゥを迎え撃つ準備には万全を期してはいたものの、絶対に勝てるという自信は正直無かった。特に、ボルドゥが一発逆転のためにバローン軍は無視してひたすらジムスの首級くびだけを狙ってきて、なおかつ、シドゥルグらが思惑通り内応してくれなかった場合、はたしてしのぎ切れたかどうか。

 それを思えば、戦闘を回避できたのは良かったのかもしれない。

 後は、ボルドゥの中原ちゅうげん入りを阻止できるかどうかだ。


 こちらもやはり安堵と不安が入り混じった表情のジムスを見て、サラーナは少々苦い笑みを浮かべて言った。


「一応、根回しはしてあるんですけどね。正直、あまり後味は良くないんですよねぇ。素直に戦場で討ち取られてくれればよかったものを……」


 そう言った後、軽く首を振り、思い直して言葉を続ける。


「いえ、おためごかしな同情はよしましょう。あいつが自分で蒔いた種です。――それと、念のために奴がこのまま逃げ延びてしまった場合の善後策も、協議しておきましょうか」


「そうですね……」


 ジムスにも、サラーナがどのような「根回し」をしているのか、何となく想像はついた。

 両親の仇であり、命ある限り必ず災いをもたらすであろう異母兄ボルドゥを、生かしておくみちは無いことは重々承知しているが、それでも、せめて戦士らしい死を、と考えてしまうのは、この少年の優しさでもあり甘さでもあった。



 草原地帯と中原ちゅうげんの地との境界。古くより、定住民たちの手でつちづくりの城壁が築き上げられ、両者を隔ててきた。その城壁が見えるところまで逃げてきて、ボルドゥはほっと一息ついた。

 さすがの彼も、誤算に次ぐ誤算、敗北に次ぐ敗北に打ちのめされ、その上いつ現れるか知れない追手の影を警戒し続けての逃避行には、神経を擦り減らしていたのだ。


「城壁の警備兵の中に、チャンと繋がりがある者がいるという話だ。まずはその者に話をつけよう……」


 ボルドゥがそう口にした時――。


 ヒューーーーーッ!


 一本の鏑矢が放たれ、悪霊の叫び声にも似た甲高い音が鳴り響いた。

 そしてそれを合図に、ボルドゥに矢が降り注ぐ。


 完全に油断していたところに、一斉に矢を射掛けられては、ボルドゥと言えどもひとたまりもない。


「何の……真似だ……」


 全身に矢を浴びながらも、ボルドゥは自分を殺そうとした人物に向き直り、恨みと疑念が入り混じった眼差しで問い掛ける。


「恩義に報いるためですよ」


 その人物――親衛隊ケシクの一人、ムンバトという男はそう答えた。


「恩、義……?」


「ええ。俺の大事な義弟おとうとを、です。タルカン――と言っても、あなたは覚えていないでしょうね。共に親衛隊ケシクに入り、意気投合して義兄弟の契りを結んだんです。勇敢だけれど心根の優しい、本当にいい奴でしたよ。


 その言葉が終わらぬうちに、ボルドゥは大地に崩れ落ちた。

 結局彼は、自分を破滅に導いたのが何者なのか知らぬまま、最期を迎えたのだった。


「さて、それじゃあ帰ろうか。ヒュンナグに」


 ボルドゥの首級くびを掻き切って布に包むと、ムンバトはつとめて明るい口調で言った。

 しかし、重苦しい雰囲気の親衛隊ケシクの中から、返事を返す者は誰もいなかった。



 ムンバトたちが持ち帰った異母兄ボルドゥ首級くびと対面し、ジムスは顔を蒼ざめさせながらも、精一杯の威厳を保ち続けた。

 ボルドゥを討った者たちの中には、ただ単に自らの保身しか考えていなかった者も少なくない――と言うより、そのような者が大半だと承知してはいたが、ジムスは何も言わず、彼らの帰参を許した。


 アーセマーンとオストハーン、両王子が競い合うようにして兵を出していたバローンは、結局一度も戦うことなく本国へ引き揚げて行った。

 もちろん、ジムスの側からは援助に対する相応の礼を約束することとなった。ただし――元々同盟を密約していたアーセマーンだけでなく、異母姉シャルモールの夫であるオストハーンに対しても、今回兵を出してもらった礼として、堂々と関係を結ぶことが出来たのは、はたしてこの先、吉と出るか凶と出るか。


 そして、ボルドゥ亡き後の新たなヒュンナグ王として、ジムスが即位することとなった。

 今回の戦いで少なからぬ数の兵力を失った上、ズーン、バローン両国に大きな借りを作ってしまった状況での、数々の困難を抱えた船出である。


 それでもジムスは、シャルモールのもとから戻って来たオルツィイと、ツェレンの姉妹、それにサラーナやションホルをはじめとした竜神の里の者たちの支えを得て、困難に立ち向かうことに迷いはなかった。



 さて、新王となったジムスの最初の課題は、妃をどうするかという問題だった。

 ジムスは先ごろ十二歳を迎えたばかりではあるが、事は内政および外交上の問題である。


 草原の民の風習として、兄が亡くなった場合、弟がその妻を娶って連れ子共々面倒を見る、というのがある。これに従う形で、ジムスはファリーダと、それにボルドゥの子を生んでいる三人の側室を妻に迎え、その子供たちも受け入れた。

 それ以外の側室たちは、親元に返し、それぞれ再婚させることにした。


 この処置に関しては、オルツィイ・ツェレン姉妹も含め、周囲の者たちから反対の声が上がった。将来の禍根を断つため、非情なようでもボルドゥの子たちは処刑するべきではないかと。

 それに対してジムスは、ファリーダ妃が生んだ子を自分の子ではないと承知の上で受け入れていたボルドゥよりも器が小さいなどと思われるわけにはいかないだろうという論法で、周囲の反対を押し切った。


 ちなみに、ファリーダについては、兄のアーセマーンは本国バローンに戻した上でしかるべき相手と再婚させるつもりだったようだが、セターレとの関係を引き裂かれることを嫌がった彼女はヒュンナグに残ることを望んだ、という経緯があった。



「いやあ、中々大物ですね、新王陛下は。でも、これで良かったんですか?」


御座みくら”にて、サラーナが竜神に問い掛ける。


「ボルドゥめと真逆の道を歩みたいというのなら、好きにさせてやるさ。あやつの甘い部分は、側におる者たちが補ってやればよいことじゃ」


 鷹揚に頷く竜神に、サラーナはぱたぱたと手を振って、


「あ、いえ、その話じゃなくってですね」


「ふん、儂が焼き餅を焼くとでも思ったのか? 人の王が何人も妃をかかえるのは当然のことであろう。むしろ、ボルドゥの真似をしろとは言わぬが、自分が好きな女を妃に加えるくらいのことはしてもよかろうに。ほんに生真面目な奴じゃ」


 などという話をしているところに、当のジムスがやって来た。


「あの、アヤンガ様。お邪魔ではないですか?」


「お前が邪魔なわけはなかろう。何用じゃ?」


「はい。実はアヤンガ様におりいってお願いがありまして。どうか、ぼくの正室になってはいただけないでしょうか」


「「は!?」」


 思わず、竜神とサラーナの声が重なる。

 ジムスはそれに構うことなく、言葉を続けた。


「王たるもの、婚姻も政治のうち。それは十分承知しています。それでも、やはり愛する人を妻にむかえたいのです。アヤンガ様、はじめてお逢いした日から、ずっとお慕いしておりました」


「いや、儂もお前のことは一目見た時から気に入っておったがな。さすがに王の妃というのは……。お前が年頃になったら、子の一人か二人くらいは産ませてもらうつもりではおったのじゃが」


「……そんなこと考えてらしたんですか」


 サラーナがぼそりと呟く。


「まあ、人との間に子をもうけるのは、初めてではないからの。そもそも、竜神の里からして、儂が初めて生んだ子たちが開いたものじゃし……」


「いえ、それは知ってますけど」


「あの……やっぱり駄目でしょうか?」


 悲しげな表情で、ジムスが訴えかける。竜神はしばし迷っていたが、やがて意を決したように、言った。


「ええい、わかった。わかったからそんな顔をするでない。何百年ぶりかで惚れた男の頼みじゃ。無下むげにできようか」


 その返事を聞いて、ジムスは花の開くような笑顔を浮かべ、竜神に駆け寄ってその体を抱きしめた。


 そんな二人の様子を、サラーナは呆気あっけに取られて見ているしかなかった




 こうして、ジムス王と竜神との婚姻が決まり、祝宴の準備やら何やらで大忙しな中、サラーナとションホルは久しぶりに顔を合わせた。ションホルがズーンから戻ってからも、お互いに多忙で中々会う暇がなかったのだ。


「サラーナ……。やっと復讐が終わったな」


 そう口にしたションホルの表情は重苦しかった。心ならずもサラーナに矢を向けたことは、今なお彼の心に引っ掛かっており、復讐が終わったらけじめをつけるつもりでいたのだ。

 そんなションホルの胸の内を、知ってか知らずか、サラーナは首を振って、


「何言ってんの。まだ全然終わってないよ」


「え?」


「奴を地獄に叩き落としただけじゃ、まだまだ終わりとは言えないでしょ。あたしが幸せに生きてる様を、地獄の底の奴に見せつけてやるところまでが復讐、だよ」


「そ、そういうものなのか?」


 サラーナのよくわからない論法に、首を傾げるションホル。サラーナはそんな彼に、その名の通り百合の花サラーナのような笑顔を浮かべて、言った。


「言ったよね? 、協力してくれるって」



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というわけで、サラーナの復讐は終わらない(笑)。

次回は後日譚です。

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