第6話 麝香色の空
「ロクスウェルだと!? メリザンド貴様、死んだ兄だけではなく弟まで誑かしていたのか……!」
クレスが歩み出るのを見てイーサンは怒鳴り声を上げた。
すると、少年クレスは兄に似た秀麗な顔立ちをイーサンに向け、黒い瞳を鋭く細めて口を開く。
「僕の兄が死んだ? イーサン王太子、貴方が殺したの間違いでしょう。兄のクレイドルを、嫉妬などというくだらない理由で殺したくせに」
「「なっ……」」
クレスの言葉に、イーサン本人と王のイズリクが同時に驚愕した。
「それは誠か!? 答えよ、イーサン!!」
「ち、父上……! あ、あいつは俺の婚約者を誘惑したのです! あろうことか主人である俺の女を! 俺は無礼な臣下を罰したに過ぎません!」
想像以上の息子の退廃ぶりに、イズリク王は涙を流した。震えながら地に拳を打ち付け、嗚咽を漏らしながら自身の息子の行いを詰った。
「そこまで……そこまで堕ちておったとは……! ロクスウェル家は、長き年月に渡り王国を支えた忠実な臣下であったというに……! 息子のクレイドルは、あれは天才だった! だからこそお前の導き手として選んだのだ! 彼の元ならば良き王になれるであろうと……! 早逝してどれほど悔いたかっ……なのにお前というやつは!」
「違います父上! すべてあいつらが悪いのです! 俺は悪くない! 俺を蔑ろにした奴らが悪いんだ! ねえ父上、さきほどのは嘘ですよね!? 俺を廃嫡だなんて、そんな事……!」
「ええい黙れ下郎! 儂は貴様の父ではない!」
すべてを他人のせいにし、狂ったように自らの罪を認めないイーサンの問いかけをイズリクは一蹴した。
「嫌だ、いやだ……俺は悪くない、俺は、悪くないんだ……」
するとイーサンは虚ろな顔で、隣に同じく捕らわれているフローナを見る。
「フローナ、君は、君だけは俺のそばにいてくれるよな……?」
イーサンは騙されていたと知ってもなお、フローナに縋った。
「えっ、嫌に決まってるわ! 王太子だから一緒に居たのよ! ただの平民になったあんたなんて興味ないわよ! そもそもあんたのせいでこんな事になったのよ! どうにかしなさいよこの愚図!!」
「っなんだとこの女! お前こそ身体しか取り柄のない女め! こうなったのもすべてはお前のせいだ!」
互いに罵り合う二人の姿はまさに醜悪だった。周囲の者たちは兵士含めそんな彼らに軽蔑の眼差しを向けていた。
「……見苦しい。イズリク王、悪いが子息には相応の罰を受けて貰うぞ」
メリザンドはせめてもの慈悲に王に断りを入れた。決定事項だが、少しでも心の準備をさせてやりたかったのだ。
「構いませぬ。このままでは我が国の民に示しがつきませぬゆえ」
王は平伏してメリザンド、否メリザンディアに従った。
真紅の瞳が、罪人二人に向けられる。
「ちょっと! わたしは悪くないから! イーサンが勝手に惚れて王太子妃にしてやるって言ったんだから!」
イズリクとメリザンドの会話を聞いたフローナが、慌てて無罪を主張した。
「だが私に対する虚偽の申告、無礼については私よりもこれが怒っているのでね」
「っひ」
メリザンドが顔を上向けると、ぐるる、と地に響く唸り声を上げた真紅の竜がぎろりとした琥珀の目をフローナ達に向けた。彼女に従う忠実なる竜は、主人が愚弄されたことを大層怒っていた。
憤怒している、が正しいのだろう。竜は人よりも遥かに賢く、古い種族であるからして。
「ヴァロモア。好きにおし」
メリザンドが死刑宣告を告げた。途端、竜は口をかっと開き、喉奥から紅い火球を吐き出した。
人間一人分の塊くらいある火球が、ひとつずつイーサンとフローナに向かって飛んでいく。
彼ら二人を取り押さえていた兵士達は、慌ててその場から飛び退いた。
「っ、きゃああああああ!?」
「フローナ!? うわああああ!?」
イーサンとフローナのそれぞれが火球に飲み込まれた。炎の中で泣き叫ぶ二人は苦痛にもがき、のたうち回り、狂ったように悲鳴を上げている。
それを静かに眺めながら、メリザンドは絶望のまなざしで炎に巻かれる息子を見るイズリクに告げる。
「あれは幻視の炎だ。痛覚にも作用しているだろうが、運が良ければ正気でいられるやもしれぬ」
メリザンドの言葉にイズリクはばっと彼女の面を見た。そうして、両目からつうと音もなく涙を流し、両手を地に付けて頭を垂れる。
「……御慈悲に、深く、深く感謝いたします……っ」
愚かで哀れな息子の命が助かったことを、自らも愚かと知りながらイズリク王は感謝した。
焼き殺されても文句など言えぬところを、優しき女神は救ってくれたのだ。感謝以外あるわけがない。
「連れて行け」
「はっ」
イズリクが兵士に命じた。
「熱い! 熱い熱い熱いいいい!!」
「誰か! 誰かあああああ! 助けてくれえええ!!! ぎゃああああ!」
幻視の炎がもたらす激痛でのたうち回るイーサンとフローナを、兵士達が引き摺っていく。
そんな彼らを見送ったメリザンドは、自分の目の前にまっすぐに立つ少年を見つめた。
愛しい、今もなお愛しい人とよく似た面影を持つ利発な少年は、これから背に負う重責を十分理解した上でしっかりと足を地につけ立っている。
メリザンドはそんな少年の前で、自らの手にある剣を掲げた。すると結界となっていた炎が立ち消え、代わりに剣が真っ赤に染まる。
それを合図のように、少年が彼女の前で膝をついた。
真紅の炎の色を纏った剣が、細い肩に置かれる。
「―――我、メリザンディアの名のもとに、この者、クレス=ロクスウェルに守護の竜印を授けん。この契りによって、エンデルバルドの地は竜血によって守られよう」
宣言と同時に、剣が赤々とした光を放った。それはまるで炎の剣だったが、肩に置かれた少年は熱がる様子は微塵もない。女神の炎は、少年をまったく傷つけてはいなかった。
「クレス……大任を背負わせて……ごめんなさい」
メリザンドがぽつりと呟いた。
すると少年―――クレスが顔を上げ、にっこりと兄によく似た顔で優しく微笑む。
「良いんですよ。義姉様。僕の兄さんを愛してくれて感謝しているんですから。兄さんは本当に、幸せそうでしたよ。それにありがとうございます。この国を、見捨てないでいてくれて。貴女なら焼き払うことだって出来たはずなのに」
「だってここは、彼が育った、愛した国だもの……」
そう言って、メリザンドはクレスの肩に置いていた剣をおさめた。契約は完了したのだ。
立ち上がったクレスの顔を見つめたメリザンドは、彼を通してクレイドルを思い浮かべていた。この少年はどんどん兄に似てきている。賢明さも誠実さも、十二分に受け継いで。
クレスならば、次代王として安心して任せることができるだろう。
たとえ、愛した人がすでにこの世にいなくとも。
(ねえクレイドル……これで、いいわよね。貴方言っていたもの。クレスなら、良い統治者になれるって……)
メリザンドは、この国を守る任に就いていたクレイドルの意志を無下にしたくはなかった。それはメリザンドが最も望まないことだ。そしてこの国を守るに値する人間は、彼の弟であるクレスの他にいない。何しろクレイドル自身のお墨付きなのだから。
メリザンドは一度そっと瞼を閉じて、今も自分に向け微笑んでくれているクレイドルの思い出を胸の奥に閉じ込めた。
「……これから、どうされるのですか」
そんな彼女をじっと見守っていたクレスが尋ねる。
「竜の地へ。クレスには申し訳ないけれど、他の竜人の娘をこの地に送るわ」
メリザンドが彼女の竜であるヴァロモアを見上げながら言った。
「他にも竜人がいるのですか?」
「少しはね。彼らはデラクロワ家の分家にあたるのだけど、今は竜達と共に暮らしているの。いつかこんなことがあった時のために、先祖を二家に分けたのよ」
「また、義姉様に会えますか?」
首をすくめてそう答えるメリザンドに、クレスは一歩近づいて聞いた。少年の黒い目は真剣で、愛しい人と全く同じ瞳に見つめられたメリザンドは思わず狼狽えてしまう。
「クレス……それは」
「義姉様。覚えておいてください。僕は必ず、義姉様に会いに行きます」
「く、クレス?」
「必ずです」
少年はしっかりした口調でそう告げた。表情にはどこか鬼気迫るような気配すらあり、メリザンドはつい気圧されてしまったほどだ。だが、彼の言葉は素直に嬉しかった。メリザンド自身として、本当に嬉しかった。
愛した人の弟が、こうまで姉として慕ってくれるのだから。
「ええ……また、いつか。会いましょう。クレス」
「はい!」
笑顔の少年を目に焼き付けたメリザンドは、阿吽の呼吸で首を降ろしてきた竜に掴まると、その背にひらりと飛び乗った。
そうして―――彼女は笑顔で、空高くへと舞い上がる。
空はすでに白み始め、遠くから朝日の光が帯状に伸びてきていた。
夜が、明けたのだ。
すると王都のどこからか、二匹の竜が飛び上がった。
人々は驚愕の思いで空を舞う竜達を見つめている。
やがて麝香(じゃこう)色が混じる空で三匹の竜が集った。
「終わったのね。メリザンド」
「ええ。母様、父様」
新しき王を迎えた国の空で、竜の血を引く娘が微笑む。
竜人の家族を乗せた三匹の竜は大空をゆうゆうと、遥か遠くへ向け、飛び立っていった。
―――その後。
メリザンドに密かな恋心を抱いていたクレスが必死になって彼女を探し当て、跪いて求婚するのは、また別のお話である。
婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。 国樹田 樹 @kunikida_ituki
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