海のない生活

クニシマ

◆◇◆

 今から十年と少し前、私は町の小さな貸ホールで職員として働いていました。そこには数年の間勤めたのですが、どうも向いていなかったようで、何度も小規模な失敗をしては先輩に呆れられました。私よりふたつほど年下だったその先輩は、わからないことがあったら黙らないですぐに訊いてください、ということを口癖のようにいつも言っていました。表立って叱られるようなことはなかったのですが、居心地もさほどよくはない職場でした。

 そんなふうにお世辞にもうまくいっているとはいえない毎日を送っていたからでしょうか、当時のことはあまり記憶に残っていませんが、ひとり、常連の利用客だった小長井こながいさんという人のことはよく覚えています。

 その人は鷲鼻がやや特徴的な中年の男性で、半月に一度、ホールの中でも一番大きな会場を使ってセミナーを開いていました。どこかの会社の宣伝部長だということでしたが、社名は思い出せません。横文字の、やたらに長い名前でした。私が雇われたときにはすでに常連で、会場の準備などの手伝いは先輩がしていたため、かなりの間、受付をするときの他にその人と顔を合わせることはありませんでした。

 けれどあるとき、私がひとりで事務作業をしているところに、その人から内線電話がかかってきたのでした。備えつけのプロジェクターが映らなくなったということで、私は急いでセミナーが行われている最中の会場に向かいました。

 ドアをノックするとすぐに中からその人が現れ、すみませんね、とにこやかに言って私を招き入れてくれました。会場には三、四十人ほどの人がいて、みな一様に姿勢を正して前方を見ていました。それらの視線の向く先には白い台に乗った浄水器がありました。そして全員に一本ずつ水の入ったペットボトルが配られているようでした。

 私はプロジェクターに近づき、ひとまず再起動を試してみました。滞りなく電源は入るものの、私には意味の読み取れないエラーメッセージが表示されるばかりで、どうすることもできませんでした。けれども、職員である私ならなんとかできるだろうと考えて頼ってきてくれたのでしょうから、どうすることもできない、などとはとても言えません。何もせずに黙っているのが一番いけないというのは先輩に口を酸っぱくして言われてきたことですので、私はとりあえずもう一度電源を落として立ち上げました。当たり前ですが、特に状況が改善することはありませんでした。それならそれですぐに対処できませんと言って謝らなければならないと先輩には教えられていました。ですから私はそうしようと思ったのです。しかし、いざ謝ろうとして口を開いても、なかなか声が出ませんでした。

 思えば先輩は私のを私よりもずっとよく理解していました。あなたは自分でどうにかできないことがあったとき、ただ黙って困ったそぶりをしてみせて、その場にいる自分以外の人になんとかしてもらおうとしていませんか、と言われた覚えがあります。そうすることはあなたの得にはなりません、もしあなたにその気がないのだとしても、人には責任から逃れようとしているふうに見えますよ、と。働き始めてから三週間ほどが経った頃のことで、とても穏やかな口調だったのを記憶しています。そのときも私は何も応えられずにいました。決して好きで黙っているわけではないのですが、それではなぜ黙るのかと訊かれても、自分でさえその理由がわからないのです。何かを言おうとすればするほど言葉に詰まるのです。

 せめてもう少し試行錯誤しているところを見せようと、プロジェクターの電源ボタンにまた手を伸ばしたときでした。無理なようでしたら大丈夫ですよ、と小長井さんが言いました。その途端に口をついて「すみません」という言葉が出てきました。むなしいような気がしました。

 そして小長井さんは浄水器が乗った台の横に立ち、きびきびとした笑顔でよどみのない説明を始めました。出ていくタイミングを掴めなかった私は、そのまま会場の後方でセミナーの様子を見ていることにしました。

 セミナーの内容は大部分が浄水器の性能のよさについての演説に終始し、聴衆は真面目な顔でメモをとっていました。値段は浄水器の相場に詳しくない私にもやや高いのではないかと感じられる額でしたが、革新的なビジネスモデルによって購入者も損をしない仕組みになっているということでした。具体的にどういった理屈がつけられているのかはよくわかりませんでした。とにかく違法性はないそうです。

 セミナーが終わるまでその場にいましたが、はっきりと覚えているのは本筋とさほど関係のない質疑応答の中で横須賀の出だと言っていたことばかりです。私は海のないこの町を出ずに育ったため、昔から海に憧れがあり、海のある場所で生まれたという人に出会うたび、その人はどういったふうに海がそばにある暮らしをしてきたのかと想像する癖がありました。小長井さんはあんなに明るく快活な人ですから、きっと子供の頃は夏がくるごとに日焼けをして真っ黒になりながら砂浜を駆け回っていたのだろうと思いました。大きな岩から海面へ飛び込んで、上がった水しぶきの塩辛さに顔をしかめながら笑う姿が目に浮かびました。

 それから私と小長井さんはホール利用時の受付ついでに軽く挨拶を交わす程度の仲になりました。しばらくの間、小長井さんはいつでも物腰柔らかで笑みを絶やさない人だと思っていたのですが、ある日それは仕事をしているときだけのことなのだと知りました。

 秋の頃でした。休日の夕方、駅前のコンビニエンスストアで偶然に小長井さんと会ったのです。普段のように挨拶をすると、小長井さんは無表情にこちらを一瞥して浅く頭を下げました。私の知っている小長井さんとはあまりにも様子が違うので驚き、何か気に障るようなことでもしていただろうかと少し考えましたが、レジを待って並びながら簡単なやりとりをするうちに、そういうわけでもないようだとわかりました。つまり、小長井さんのいつものあの朗らかさは仕事を円滑に進めるためにそうしているだけで、その必要がないときにはたいして表情を変えることもなければ喋ることもあまりしないようなのです。

 私と小長井さんはどうやらご近所さん同士だったらしく、それからもたびたび顔を合わせる機会がありました。仕事で対面するときとの態度の差に初めはなかなか慣れませんでしたが、不機嫌なようにすら見える無愛想さは他人への無関心からくるものなのだろうと気づいてからは、なんとなく気楽に接することができるようになりました。

 知り合ってから一年ほどが経った頃、小長井さんがスーパーマーケットで買い物をしているところに遭遇しました。ぽん酢のボトルを買っていました。帰り道が途中まで同じだったため、とりとめのない話をしながら歩きました。私が喋ったことに対して小長井さんが言葉少なに返事をくれるだけの、会話とも呼べないような代物ではありましたが、それなりに盛り上がったような気がします。

 横須賀のご出身なんですよね、と私は言ったのでした。海のある生活っていいですね、ここには海がないから、羨ましいですよ、と。そうですか、などとだけ返されるのだろうと思っていました。けれども小長井さんはじっと私の顔を眺めて言いました。

「わたしはここの暮らしのほうがずっといいですよ。」

 静かな声でした。それが仕事以外でのあの人と一番長く話した瞬間だったと思います。海はお嫌いなんですか、と尋ねると、肯定の相槌が短く返ってきました。

 その後、ある頃から小長井さんは会場を借りにこなくなって、町中で見かけることもなくなりました。私もそのうち退職しました。最後まで馴染むことのできない職場でした。

 それでも未だに、あの人のいた茫漠とした日々を、こうして時折どうしようもなく懐かしく思い出します。

 あの人が今も、どこか海のない町の貸ホールで、割高の浄水器の宣伝をしているならいいなと思います。

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