『狸火』外伝・楠藤兵衛狸 朝鮮従軍記

野栗

楠藤兵衛狸 朝鮮従軍記

 市松、万作、もう寝てしもたか?


 おまはんらの火術、見せてもろたで。狸火でようけ花火こっしゃえてはポンポン上げよったな。きれいかったでよ。川べりで花火しとった子どもら、びっくりしとったな。

 わしも昔は火術の名手やいうて、ようこの大クスで花火あげては、他県の狸に負けず劣らず勇名を馳せておったんやけどな。


 あれはもう百年以上前のことになるなあ。明治二十七年・甲午の年、大クスのあるこの村で、さあちゃんいう若いしが兵隊にとられて、海を渡って朝鮮に行ったんじゃ。

 朝鮮で、東学党とやらいうのが暴れとるけん、それを抑えに行かんならん、朝鮮におる日本人を何としても守らんならん――それで、さあちゃんら村々の若いしが引っ張られていったんじゃ。


 さあちゃん言うたら、なにさま海も汽車も自動車も見たことのない根っからの田舎もんじゃ。朝から晩まで野良仕事に精を出すよりほかに能のない、そやな、『雨ニモマケズ』より、飯だけはようけ食べて、ほんでもって宮沢賢治よりはだいぶ気の利かん、愚直一点張りの男やった。さあちゃんは大きな図体しとるくせに雷が大嫌いで、畑しとって遠くからゴロゴロ音が聞こえてきたら、もう一目散で家に逃げ帰っとった。なんや日本男児がだらしない! 思うてな。わしは雨が降りそうな空模様になると、遠隔操作――今でいうリモコン使うて大クスのてっぺんから花火でドカーンと音出して、さあちゃんをたまげさせては大笑いしよったんじゃ。


 ほなけんど、いざ、あのおじみそのさあちゃんが戦争なんぞようするんかいな、と思うたらわしはなんやもう、心配で心配でたまらいでな。家族親戚に見送られて入営するさあちゃんに憑いて、守護霊気分で一緒に出征したんじゃ。

 忘れもせん、梅雨明け間近の大雨の次の日じゃった。吉野川の水がふくれあがってごうごう言いよった。さあちゃんはびくびくしながら渡し船に乗っとった。わしは案ずることやかしないけんな、とさあちゃんの肩と背中を前足と尻尾でずっとさすっとった。


 そんなさあちゃんも、入営してふた月もすると、だいぶん兵隊らしくなってきよった。ある日、平壌での戦闘で隣村の武智某という兵士が壮烈な戦死を遂げた、と新聞の記事で知ったさあちゃんは、部隊の仲間と酒保に繰り出し、酒をくらっては


「矢でも鉄砲でも持って来い! わしがまとめて返り討ちにしたるわい!」 


 と大いに意気を上げておった。


 村で百姓をしておった頃は、酒はおろか、カネばかり食うけんもったいない、と茶すらろくに飲まず、のどが渇けば井戸の水をごくごく飲むだけやったさあちゃんが、いつの間にか、いっぱしの酒飲みになっておった。


 いつしか季節は秋になり、さあちゃんたちの部隊は下関から汽船に乗って朝鮮に向かった。いっときは鳴りをひそめておった東学党がまたぞろ勢いを取り戻しておる、警戒を厳に! ――部隊は朝鮮の村から村をしらみつぶしに回っては、東学の一味をあぶり出そうと躍起になっておった。


 その日入った村で、部隊長はついに東学の接主(リーダー)の息子を捕えた。


「おやじはどこに行った」


 と聞くと、接主の会合に向かった、場所はわからん! とにべもなかった。

 あまりの反抗的な態度に、部隊長は息子を縛り上げて獄に放り込んだ。

 翌日、再び尋問しようと部隊長は兵卒に命じて息子を獄から引きずり出した。息子はずらりと並んだ日本兵をにらみつけ、両腕を押さえつける兵卒をふりほどこうと激しく身もだえた。


「馬鹿野郎が」


 部隊長は息子を傍の木にくくりつけるよう兵卒に命じた。


「貴様ら、よく見ろ」


 部隊長はピストルを出すと、息子の胸に狙いを定めて発射した。


 パァン! パァン!


 すさまじい音に、さあちゃんは思わず耳を塞いでしゃがみこんだ。

 

「……きっさまあ!」


 青筋を膨らませた古参兵がダッと駆け寄るや、震えているさあちゃんを力いっぱい蹴り上げた。


「立て!」


 ひょろひょろと立ち上がったさあちゃんの横面を、古参兵はいったい何発ぶん殴ったのだろうか。殴るだけでは飽き足らず、古参兵はさあちゃんの顔をむりやり血まみれの死体にぐいと近づけた。

 わしは茫然とするばかりで、何もできんかった。


 部隊は朝鮮半島を北へ北へと進み、東学の根城の村を見つけては次々と攻め入った。

 さあちゃんたちは出撃の前に「バクダン」いう強い強い酒をあおり、吶喊の声を上げて突撃を繰り返した。

 あのさあちゃんも、いつしか激しい銃声や大砲の発射音、手榴弾の破裂する音に、血を流しながら倒れていく朝鮮の農民たちの姿にひるむこともなくなっていった。


 わしは……わしは、とにかくさあちゃんたち徳島の若者が無事でおることばかりを考えておった。討伐を終え、村全体を焼き払う時に、わしは得意の花火を何発も藁屋根に向けてぶっぱなして手伝うたのじゃ。東学の農民たちは竹やりと鍬や鎌だけで、銃や大砲でがっつり武装したわしらの部隊に立ち向かってきよった。かなんのわかっとるのに、あきらめるいう気持ちは、怖くなるぐらい誰ももっておらんかった。


 この年の十二月。緑豆将軍とかいう東学の首魁がついに逮捕された、というニュースが部隊中を駆け巡った。さあちゃんも仲間の兵隊たちも、万歳! 万歳! の連呼じゃった。

 わしも花火をポンポン上げて、一緒に喜んだもんじゃった。


 進軍の途中、家を焼かれて行くところがないようなった子どもらが、焼け跡で粉雪交じりの寒風に震えながら、声を合わせて何や悲しげな歌を歌うておった。わし、ものっそ気になったけん、ツバキの葉を頭に乗せて、朝鮮の子どもに化けてそっと近づいて、聞いてみたんよ。


 鳥よ鳥よ 青い鳥よ 

 緑豆の畑に 降りられんでよ

 緑豆の花が 落ちてしもうたら、

 緑豆豆腐売りが 泣いてするけんな


 鳥嶺山の 鳥の峠は 

 まあ なんちゅう峠じゃ

 くぶくぶ くねくね 曲がるたび

 曲がるたんびに 涙が出よる


 アリアリラン スリスリラン

 アラリガ ナンネ……


 討伐は成功を収め、部隊は次の年に無事に日本に凱旋した。徳島だけちゃう、日本全国が万歳と歓呼の声に満ち溢れた。


 ほなけんど、わしはもう、二度と戦地に行く気はせんようになってしもうた。あの子らの歌声がずうっと耳にこびりついてな、どんなきれいな音楽も耳に入らんようなってしもうた。


 アリアリラン スリスリラン

 アラリガ ナンネ……


 あの時の歌声が、百年たった今も離れんのじゃ。


 村じゅうの歓呼の声に包まれながら、帰郷を果たした若者たちは家族と再会を喜び合った。さあちゃんは郷土の英雄やいうて、勲章までもろうとった。


 ほなけんど、さあちゃんは変わってしもうた。


 野良仕事して、雷が鳴り始めると、あれだけ戦地で鍛え上げたはずやのに、怖い怖いと震えあがり、へなへなと腰が抜けてしもうていた。前は家に走って帰っておったのに、それすらもようせんようになって、畑の真ん中でへたりこんでひいひいと情けない声を上げておった。

 夜中になると、二日を空けずけったいな声を上げて跳ね起きては、家族を何度も何度も往生させとった。

 

 さあちゃんは、気がついたらもう酒が手放せんようなっておった。悪夢を追い払おうとぐでんぐでんになるまで酒をあおって、いつしか畑に出ることもままならんようなっていった。


 さあちゃんが死んだのは、二十世紀が幕を開けてまもない頃やった。

 窓ひとつない納屋の中、黒い血をようけ吐いて、せんべい布団の上でこと切れておった。

 枕元には一升瓶と、朝鮮出征の勲章があった。

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