第4話 IIIの悲劇

【薮坂さまの第3話はこちら】

 https://kakuyomu.jp/works/16817330661653398946/episodes/16817330661969795208






「へへへ。へへへへっ」


 俺は壁に手を当て、荒い息を整える。尋常ではないほど腹が悲鳴を上げていた。痛む箇所をさすると、生暖かい感触がした。手のひらを濡らしていく液体に、俺は死さんを予感する。すでに全身の血が失われつつあった。


 思えば朝から調子が悪かった。夏バテとタカを括ったのが間違いだったようだ。俺はくまの浮き出た眼を閉じる。体調管理は社会人の基本だけど、幽霊絡みによる不慮の事故なんて防ぎようがないよな。恨むなら、この顔に生まれたことを恨むほかあるまい。


「晴明? 晴明、どこにいるの? 返事してよ、はるあきーーー!」


 遠くで自分を探すユウの声がする。俺はすまんと心の中で返事をした。ここにいると、叫ぶ気力すら残っていない。ユウを残して逝くことを許せ。短い間だったが、お前と暮らす生活は悪くなかった。たとえ命の危機を感じる起こし方をされても、お前のことは嫌いになれそうにないんだから。





 ―――――――――――――――――――――




 まだ6時を過ぎたばかりなのに、蝉は暑い暑いと連呼していた。ラジオ体操へ行く子ども達の声も聞こえてくる。それに引き換え、俺は室温25℃の中でも動きたくない大人に成り下がっちまった。だが、子どものときほど遊べないのだから、悲観的に思うことはないはずだ。時間の許す限り、安眠を貪ろう。


「ふがーーーー?」


 俺は鼻を抑えて飛び起きた。やけに息苦しいと思ったら、ユウが摘んでいたらしい。あははと脇腹を抱えるユウに、あぶねぇだろと声をかける。


「俺の眠りが深かったら窒息してたぞ。密室殺人でも起こすつもりか?」

「まさか。晴明がおもしろい顔してたから、ぼくを笑かそうとしてるのか寝顔なのか気になってさ。そんなことより、もう朝だよ。さっさと顔洗って来なよ。お布団干しとくから、どいたどいた。お仕事遅刻しちゃうぞ~」


 フライパンにお玉を叩いてかいがいしく起こしてくれるのは、ラブコメの幼馴染限定なんだな。 現実は少ししょっぱい。無理やりタオルケットを剥がされ、俺は床に頭を打ちつけた。自分のタイミングで起きられなかった苛立ちも相まって、怒りが爆発する。


「勝手に鼻を摘んだことについて、詫びの言葉もないのかコンニャロー!」

「にゃあっ! そこ触んないで、くすぐったああああっ!」


 背中を手で抑えたユウは、床に倒れ込んだ。ふにゃあと両手で萎む耳を作る元気があるなら、心配しなくていいか。


 俺はあくびを噛み殺した。すっきりとした寝覚めではないのは、昨日発掘してしまったあの書き置きのせいだ。お化け屋敷の小道具かっていうぐらい、無駄に怖い演出にしなくてもいいだろうに。下根に電話が繋がらなかったことで、俺はすぐに寝つけなかった。

 だから頭をからっぽにするために、動画配信サービスで新着映画を見たのだ。


 国民的アイドルを主演に使ったくせに、興行収入が振るわなかったクソ映画。そんな批評が多いことは知っていた。だが、いくら世間の評判が悪くても、実際に見てみないとクソ映画かどうか分からない。意気揚々と見始めたものの、開始3分で停止ボタンを押しかけた。

 あの豪華キャストでこけるなんて許せない。おおかたストーリーが難しすぎたのだろうと思い、最後まで再生したのが運の尽きだった。子ども向けに作った映画だとしても、だいぶ先の展開を予想できてしまう脚本はよくなかった。お口直しのエンドロールに拍手を送ったのは、ちょうど2時間前。できるだけ長く寝かせてくれと思う自分は、わがままだろうか。


「ひどいよ、晴明。せっかく起こしてあげたのに」

「今日は午後からの出勤だ。まだ引っ越して間もないだろうから、店長はゆっくり来てくださいってさ」

「え~? そんなに甘やかさないでいいのにね。13日間連続勤務でも楽勝なんでしょ?」

「楽勝じゃねぇ。途中からDJみたいにハイになるだけだ。あんなになるまで働かされるのは、二度とごめんだよ。語彙力が消えるより、遥かにタチが悪いからな」


 そういうもんかなぁと、ユウは首を傾げながら物干し竿にタオルケットをかける。


 よし、今だ!


 もう一寝入りしようと枕を引き寄せた瞬間、ローテーブルに置いていたスマホが鳴り響く。こんな朝っぱらからかけてくる人物は1人しか思い当たらない。だが、もし昨夜の怪奇現象が続いたら? 俺はごくりと唾を飲み込みながら、通話を許可した。


「昨日は電話出れなくて悪かったなァ。おやじがぎっくり腰になっちまって、てんやわんやしてたんだわ。新しい住処はどーよ。シャレオツな家具ばっかりで、お前にはちと分不相応だと思ったけどよ。住めば都っつーし、問題ねェだろ?」

「確かに家具と家電は最高だな。それだけは感謝してるよ。前住んでた人にも、お前にも」

「……お前、ほんとに阿部かァ? 仕事以外でありがとうなんて言わないだろ。不在着信99件も、らしくねェしな」


 そこまで人でなしじゃねーし、どんなメンヘラ彼女だよ。


「失礼極まりねーな! てか、不在着信の数それマ? いくらなんでも多すぎんだろ」

「ははっ。必死こいて笑える。冷房壊れてんのに寒気が止まんねェ。お前が羨ましいぜ。ヤバい場所だからすぐヌけるだろ?」

「ヌける訳ないだろ! お前の頭がヤバいわ!」


 前に髪の毛触ったら抜けたぞと言われ、俺は頭を抑えた。薄毛の自覚はない。できれば一生自覚しないでいたかった。


「勝手に他人の髪の毛に触んなよ! 俺のご先祖様は揃って後光が眩しいんだ。つーか、いくらストレス抱えてても、そこまで心労たたってないからな!」

「たつのはテントだけってかァ?」

「お前の安否を1ミリでも心配した俺が馬鹿だったわ!」


 神隠しにでも遭ったんじゃないかと思っていたのに、清々しいほどの通常運転だ。


「つれねェなァ。密着感抜群な俺らの仲じゃねェか。お前のためにとっておきのブツ、用意してやったってのに、涙が出るぜ」

「とっておきのブツ?」


 下根のことだ。どうせ成年向けのビデオに決まっている。


「冷蔵庫の天井に封筒がなかったか? ガムテで貼ったヤツ」


 勘違いしてすまん……って、やっぱりお前が仕込んでいたのか! ドッキリ仕掛け人みたいな悪い声を出しやがって。俺が電話しなかったら、いつ言うつもりだったんだよ。


「お前も中身読んだのか?」

「そりゃそうだろ。俺が封筒に入れたんだから。靴箱の下に、くもの巣被ったまま落ちてたんだよ。誰かに話しちゃいけないとか、ガチでヤバくね? ずっと言わないようにするの、しんどいしよォ」

「それな」


 分かりみが深いと頷こうとした俺は、下根の言葉に引っかかりを覚える。


 ――ナニカがいることを、誰かに話してもいけない。


 おどろおどろしい文面が脳裏をよぎる。もしかして俺ら、メモの忠告を破ってないか?

 電話口でくっくと笑い声が漏れた。


「おめでとう。これで立派な共犯者だな」

「世界一いらない称号だ!」


 やられた。下根の策略にまんまと嵌ってしまった。


「まっ、そんな気落ちすんなって。とりあえずメモを残してくれた人は分かったんだ。半歩前進ってとこだな」

「あのダイイングメッセージで特定できたのか?」


 さすがにあの筆跡では分からないと思っていたが、手がかりは別のところにあったようだ。


「優秀店長に贈られる手帳があるだろ。破られたページは去年のデザイン、つまり前任者の古河伯哉のものだった。本社で古河について調べてみたら、異動希望先に北海道と沖縄を選んでいたことが分かったよ。ナニカの正体を察して、できるだけ遠くに行きたかったんだろうな。だけど、異動通知が来る前に失踪しちまった」

「それじゃ、俺はどうしたらいいんだ?」


 同じように失踪してしまうかもしれない。


「どうもできねェな。分析するにはデータが少なすぎる。コックリさんとか、何か試してみたらどうだ? こっちも色々と探りを入れるから、消されない程度にやれよ。相棒」

「だから相棒じゃねーよ!」


 俺が言い終わる前に、下根は通話を切った。謎と恐怖は消えるどころか増える一方で、こんなことなら電話するべきではなかったと考えてしまう。


「電話終わったぁ? 晴明に聞きたいことがあるから、ずうっと待ってたんだよ」

「うおぉ。ビビらせんな」


 壁から顔を出したユウは、俺の袖を引っ張る。リビングのテレビは納涼特集を放送していた。


「このように、流しそうめんの台を自分の手で作ると、夏休みのよい思い出になりますよね。お子さんの自由研究の題材が決まっていないご家庭は、ぜひチャレンジしてみてください。蔦恵田伊那つたえたいながお送りしました。現場からは以上です」

「ぼくも、あれ作りたい! 裏から竹を取ってきてくれない? あと、そうめんもほしい!」


 テレビに影響されて単純だとか、幽霊に食事ができるのかとか、ツッコミどころはいくつかある。とりあえず、超重要事項を真っ先に確認した。


「俺の髪の毛は食うなよ」

「何言ってるの? 餓死寸前でもありえないよ」


 ジト目を向けられても、髪の毛が死守できるのなら軽い代償だ。冗談だよとサムズアップして、ご所望の竹を確保しに行く。土地の管理人である大家さんの許可をもらった上で、水路と竹脚に必要な量を採集した。なお、竹を切るためのナタは、9号室の宇部さんに貸してもらった。刃物愛好家を名乗る彼女は、自作のナタケースを作る徹底ぶり。ナタを金槌で直接叩かないことを条件に、血判状を求められた。木槌をあてがわなければ、ナタに傷がついてしまうらしい。命懸けで竹を2つに割り、竹の節を取った。ユウも一生懸命ノミを動かしている。これも宇部さんの私物だが、一時的に俺が借りている状態なら使えるようだ。


「これ、すごい楽しいね。プラモみたいでさ」


 やすりがけすら楽しそうにするユウは、俺の賛同を得られなかったことに驚いていた。


「晴明はプラモ作らなかったの? 必要なパーツ切っちゃって、破壊されたビームサーベルに作り変えなきゃいけなくなるとか、組み立て直してデカールの金メッキがかすれたとか、そういう失敗もなし?」

「ないな。部屋が塗料臭くなるし」

「それが醍醐味でしょうが」


 組み立てるフィギュアより、塗装もプロが完璧に仕上げている方が好きだ。それを言えばユウがむくれると思い、仕事用のカバンを手に取った。


「俺は仕事行ってくるから、あとは頼んだ」

「任せて。晴明が帰ってくるまで、組み立てもしとく。そこのポリタンク、触っておいて。ちゃんと流れるかどうか、実験しとくから」

「はいはい。水の出しすぎには注意しとけよ」


 釘を刺しながら、前の人のキャンプ道具に触っておいた。どうせなら、触るだけで黄金になるスキルを持ちたかったぜ。錬金術師になれない俺は、働くことでしか富を得られないのだから。




「店長の歓迎会をしようって話になっているんですけど、盆休みはもう予定がありますか?」


 チョークペンを動かしながら、倉間さんが俺に訊いた。店頭に置く黒板は、おすすめや新商品の告知が多い。いかに通行人の目を引き、美味しそうだと思わせられるかどうかは、描き手の力量にかかっている。ごろっとした夕張メロンの果肉に喉を鳴らしながら、俺は頷いた。


「夏休みに入っているから、子どものいる人は参加しにくいだろう。気持ちだけ受け取っておくよ」

「それなら、盆休みの後はどうですか? 東京ディスティニーランドホテル、まだ予約が埋まっていない日があるんです。よかったら、私と2人きりで」


 ストロベリークラペチーノにチョコレートソースを追加したかのような響きに、俺はたじろいだ。女子大生が俺なんかを誘うはずがない。だが、もし本気で誘ってくれていたら、茶化すような断り方はマズい気がする。おばちゃん達から袋叩きにされかねない。


「すまない。彼女いるから、行けないんだ。ほかの子と一緒にいると、あいつを悲しませちゃうからさ」

「彼女さん、どんな人ですか?」


 深堀りされるとは思わず、俺は冷や汗をかいた。黙り込んだままだと疑われるため、パッと浮かんだイメージを話し始める。


「とにかく明るくて、落ち込んだとこなんて見たことがない人だよ。いたずら好きなのは困るけど、結果的に笑って許せるから憎めないんだよな。勝手に注文するわ、人の私物漁るわで、全然可愛くないのにさ。あの笑顔はずるいだろ」


 待て、待て。全部ユウのことじゃねーか。嘘は言ってないから余計小っ恥ずかしいわ。


「パワハラで訴えますよ。そこまで惚気話を聞かされて、胸焼けしちゃったじゃないですか」


 倉間は手で仰ぎながら、POPに集中したいので離れてくださいと言った。目尻に浮かぶ雫に、俺は無言で背を向ける。まさか、リア充爆発しろと言い続けてきた俺が、恨まれる側に回る日が来ようとは思いも寄らなかったぜ。倉間にデートの誘いを受けたのが、夕方で助かった。帰った後は流しそうめんとタコパが待っていたんだからな。


 ずっと使ってみたかったという前の人の私物に、ユウは上機嫌で舞い踊る。


 薄力粉に卵にタコ。おまけにバナナ、チョコレート、マシュマロの買い出しメモは、そうめんに不要なものしかない。


「家に、たこ焼き器とかホットプレートはなかったんだよねぇ。誰かと一緒にパーティーをした記憶もないかも。晴明は楽しんでる? 息が苦しそうだよ?」 

「誰かさんが唐辛子を入れてくれたからな。下根が送ってくれたご飯のお供、ラー油は重宝するけどよ。トリニダード・スコーピオンなんて食えるか! チョコレートでも全然緩和できねぇぞ!」


 ユウがあーんで食べさせた1球は、とんだ死球だった。汗が止まらない上に、三途の川が見える。

 はふはふと頬張っているユウは味覚が薄いらしく、唐辛子入りたこ焼きを連続で食べていた。生者に不利な罰ゲームじゃねぇか。


「ちょっと外の空気吸ってくる」


 ベランダに行こうとした足は真反対へ進む。これはトイレとずっ友になるやつだ。痛む腹をさすり、間一髪駆け込んだ。


 ユウ、お前にしかできない頼みがある。俺が死んだら、ダンボールのマンガを全部売るか処分してくれ。あれをおかんに見られるくらいなら、ゲームデータを初期化する方がましだ。


「晴明? 晴明、どこなの? 返事してよ、はるあきーーー!」


 力尽きてベランダから落ちた訳じゃないから、安心しろって。力なく口角を緩めると、天井から逆さになった髪の毛が見えた。30センチは超えている。

 とうとう走馬灯のスライドショーが始まっちまったかぁ。俺が目を閉じると、体が重くなった。


「ネェ」


 ねっとりとした風が耳元に吹く。


「アナタ、見エテルンデショ」


 ユウとは違い、声に親近感は持てなかった。覆いのない命のろうそくが、簡単に吹き消されそうだ。血の気のない体は、さらに体温が下がっていく。


「アイツガ見エルノニ。触レラレルノニ。ワタシノコトハ見ヨウトモシナイ。ワタシミタイナ可哀想ナ子ニ、手モ握ッテヤレナイノ?」


 すすり泣きが聞こえ、トイレットペーパーを渡してあげようか本気で悩んだ。泣いている女の子を放置するのは良心が痛む。


「ヒドイヒドイ」


 だよな、俺もそう思う。だけど、俺も命が惜しいんだよ。

 辺りが静まり返ったとき、もう脅威は去ったのかと肩の荷が下りた。返事がないから飽きたんだろう。呑気に考えた俺の思考は甘かった。


「ヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイ」


 叫び声を上げなかった俺に、主演男優賞をくれ。爪を噛む音を聞きながら無の境地でいられるのは、並大抵の人間じゃできないだろ。唇に流れる冷や汗を飲み込みかけたとき、聞き覚えのある声がした。


「大丈夫、晴明? 意識ある?」


 ドアからユウが顔を出している。


「かろうじて、な」

「いやぁぁぁぁ!」


 俺はトイレの狭さを忘れていた。引き戸を開けたらすぐ便座。つまり見下ろしているユウの位置は、直で覗き込む形になる。何がとは言わん。察してくれ。


「この前は、かろうじて見えてなかったのにぃぃぃぃぃぃ!」


 脱兎のごとく逃げ出したユウから、しばらく露出狂と呼ばれるようになった。いやいや、被害者はむしろ俺だ。ノックする前にすり抜けるなっての! おい、見られたのはむしろご褒美だろって言ったのはどいつだ。見せびらかすのがお前みたいな変態だって? ふざけんな!




【薮坂さまの第5話に続く!】

https://kakuyomu.jp/works/16817330661653398946/episodes/16817330662988479876

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