第5話「もう一人の幽霊」


 唐辛子タコ焼き爆弾が俺の腹で爆ぜてから数十分後。ようやくトイレに一時的な別れを告げた俺は、ユウを目の前にして事のあらましを説明した。

 しかしユウは首を横に振るだけだ。いわく、髪の長い女幽霊なんて一度も見たことがないらしい。ちなみにその髪の長い女幽霊は、二度目の爆発音(俺のケツ的な意味で)を食らって今は消えてしまっている。そらそうだわな、トイレ内のクロスレンジであんな音聞かされたら普通逃げ出すわ。

 だがしかし、ヤツの存在は確かに感じる。チャンネルが合ってしまったというべきか、姿は見えないもののそこに気配があるのだ。多分それはまだ、この部屋の中のどこかにいる。


「でさ、ユウ。もう一回聞くけどマジで知らねーの? 髪の長い女幽霊」

晴明はるあきこそホントに見たの? ぼく、晴明の3人前の住人がここに来る前からいるけどさ、幽霊はこの部屋にぼくだけだよ? 間違いない。それにさ、もしその幽霊がいたとしたら、ぼくのほうが認識しやすそうじゃない? だって同じ幽霊なんだから」

「まぁ一理ある……のか?」

「人と人の絆みたいなのってあるじゃん。初見の人たちが多く集う場所でもさ、見ただけで『この人、ぼくと同じ趣味だ』とかって感じるヤツ。そんな感じだよ、たぶん」

「あー、わかった完全に理解したわ。入社式でさ、数多くの同期の中で下根しもねだけ妙に浮いて見えたんだよな。で、気になって後で話しかけてみたら下根もガチの貧乳好きだった。そんな感じか」

「絶対違うし、ぼくちっちゃくないよ!」


 ユウは胸を隠しながら言うが、別に俺はユウのことを言ったつもりはない。とは言ってもユウはガッツリとそのに入るのだけどな。

 俺は恥ずかしがるユウを見て、思わずニヤリと笑みをこぼしてしまった。ユウは確かに幽霊ではあるが、その前に俺のストライクゾーンど真ん中な女の子でもあるのだ。そんな女の子が恥じらう姿なんて、なかなか見られるもんじゃあない。

 それに幽霊と言っても、この部屋の中でなら生身の人間みたいな振る舞いができる。確かに常時背景透過率50%で、自分の目がおかしくなったのかと思うこともあるけれど。


「……な、なに笑ってんのさ、晴明」

「いや、可愛いなと思って。ユウみたいな彼女がいたら、きっと人生楽しいだろうなって」


 ユウは一瞬目を見開いて、顔(というか身体全体)をほんのりと桜色にする。そして「ななななに言ってんの! ヘンなこと言わないで!」と途端にむくれた。薄赤いレイヤーを重ねたようなその姿は、やはり可愛いの一言だ。

 そんなユウを見て、俺はふと考える。どうしてユウは死んでしまったのだろう。どうしてこの部屋に囚われているのだろう。考えたくはないが、もしかして……。

 思考がさらに深いところまで達しようとしたその時。ユウの大きな声に、俺の考えは中断させられた。


「で、話を戻すけど! そのもう一人の幽霊って、晴明に何を求めて来たの? なんて言ってた?」

「おー、そうだな。なんかヒドイヒドイって言ってた気がするけど、ユウが仕込んだ唐辛子爆弾のせいでケツがヤバくてさ。マジそれどころじゃなかったんだよなー。今思えばめちゃくちゃ怖い体験なんだけど、それよりケツがもうからくてからくて」

「ケツがからい? つらいじゃなくて?」

「あぁ、とにかくケツがカラいんだよ。ヒリヒリするっつーの? わかるだろ? あの感覚」

「わからないしわかりたくないよ!」

「えー、絶対わかると思うけどな。激カラ料理とか食べた後さ、身体がそれを異物だって認識して強制的に排除しようとするだろ? それで……」

「あー、もういいもういい!」


 ぷんすかという音が聞こえそうなくらい、頬を膨らませるユウ。ハムスターみたいだって言ったら多分怒るだろうなぁ。

 しかしまぁ、改めて考えてみるとユウは特異な幽霊だ。例の「髪の長い女幽霊」と比べると、明らかに幽霊っぽくない。普通幽霊って言ったら「恨めしや」的なアレだと思うのだが、ユウは身体が透けている以外は普通の女の子に見えなくもない。幽霊にも善悪があるとすれば、明らかにユウは善だ。そしてナニカは確実に悪。と、言うことはくだんの店長連続失踪事件は、やはりの仕業と考えるのが妥当だろう。

 例の呪われし封筒(今名付けた)からしても、先代の店長がに怯えていたのは必定。少なくともあの封筒を残した先代はナニカを見ているに違いない。


「……なぁ、ユウ。また聞いていいか?」

「ヘンなことじゃなければね」

「至ってマジメだよ。俺の前の店長はさ、ユウのことは見えなかったんだよな? それは間違いない?」

「んー、間違いないと思うよ。いろいろコンタクトを取ってみようとしてたんだけど、みんなぼくに全然気がつかなかったし。でも確かに、何かに怯えていたっぽかったけど。てっきりぼくの気配を微かに感じてたのかなーって思ってた」

「何かって、例のナニカか? つまり髪の長い女幽霊?」

「それはわかんない。みんな途中から調子悪くなって、ブツブツ独りごと言い始めて、最終的には帰って来なくなっちゃったからさ」

「やっぱり原因は髪の長いナニカっぽいな……」

「だからわかんないよ。だってぼく、その女幽霊が見えてないんだもん。今も晴明が言うそのナニカって存在を疑ってるくらいだし」


 ユウの表情からしてウソは言っていないのだろうが、俺は実際にナニカと接触を果たしている。つまり、この4号室には幽霊が少なくとも2体はいるということになる。

 ……とんだホーンテッドアパートだぜ。会社め、家賃が安くて店から近いからって適当に決めやがったな。そのツケを社員3人の身柄で払うことになるとは、完全に収支が狂っている。

 

 多分、この部屋は呪われている。だが俺は幸運なことに先にユウと邂逅を果たした。しかし先代たちは先にナニカに遭ってしまった、ということなのだろう。そしてそのナニカが放つ負のオーラにやられて、結果失踪してしまったということだろうか。


 ……うーんわからん。元々アタマを使うのは苦手なのだ。俺がああだこうだ考えたところで、そしてそれが正解だったとして、消えてしまった店長たちの居場所に繋がるとは思えない。多分だが、ナニカという存在がカギだ。

 つまりはもう一度、ナニカと会って話さなければならない。なんとなくそんな風に思えて、俺はユウに告げた。


「悪い、ユウ。俺もう一回トイレとズッ友になるわ。いやもうズットイレだわ」

「いやいや意味わかんないから」

「察せよ、ユウのせいで腹ん中に爆弾仕込まれてんだよ。ちょっと全部爆破してくるわ」

「いらないからそんな宣言!」


 ユウは背後でぎゃあぎゃあと何かを叫んでいるが無視だ無視。ナニカに会わないといけないのもあるが、わりとマジで出そうなのだ。またケツがからくなってきたしな。

 そんな訳で意気揚々とトイレに駆け込んでみたものの、三度みたびの爆発音(しつこいが俺のケツ的な意味で)もあってかナニカは姿を現さなかった。

 うーんこれはキツイ。手掛かりらしい手掛かりは見つかったが、その手掛かりの出現条件がわからないとなると、正直お手上げってヤツだ。



 ────────────



「あー、もしもし下根しもね? 俺だよ俺、俺俺」

「んだよ、その使い古されたオレオレ詐欺みてぇなセリフはよ。なんだ、失踪事件に進展でもあったのか?」

「いやねーよ。コンビニまで行こうと思ってんだけど、暇だから電話付き合ってほしいなーって」

「あのなぁ、今どき付き合いたての高校生でもそんなことしねぇぞ多分。ちなみに言っとくけどオレぁ女の子しか愛せねぇからな」

「心配すんな、俺もだよ」


 コンビニへと向かう道すがら、やることもないので下根に電話を入れてみた。あの後トイレで粘ってもナニカは出てこなかったので、俺はユウに「アイス買ってくる」と言って夜のコンビニへと足を向けていた。

 ちなみにユウは例のゲームに夢中らしく、コンビニに誘ったのだが憑いてこなかった。しかしちゃっかり「ぼくは抹茶のハーゲルダッツね!」とお土産のリクエストをしてくるあたり、幽霊なのに楽しそうなヤツである。


「おい、聞こえてんのか阿部ェ?」

「ああスマン、考え事してた」

「お前なぁ、考え事すんなら電話してくんなよな。こう見てえオレぁ忙しいんだ。今も隣に美女がいるのに、お前の電話を優先してんだぜ? 泣けるだろこの友情はよォ」


 ──俺もさ、部屋に帰ったら美女がいるんだ。まぁその子、幽霊で透けてんだけどな。

 下根にそう言ったらどう返してくるだろう。下根はアホで変態でどうしようもないヤツだが、それでいてリアリストでもある。つまりユウの話をしても絶対に信じない。同じ理由で例のナニカの存在だって疑問視しているに違いないだろう。

 ユウとナニカ。幽霊っぽくない明るい幽霊と、明らかに負の感情を纏った典型的な幽霊。何故あの部屋には2体も幽霊がいるのか。そんなこと確率的に言って有り得るのだろうか?


「そういやよォ、気になってお前のアパートについて深掘りしてみたんだよ。したらよ、ちょっと不思議なことがわかってな」

「不思議なこと?」

「ウチの店長たちが住む前のことだ。一人の女の子がその4号室に住んでたんだと。アパートのオーナーによるとだな、まぁ礼儀正しく真面目な子でよ、実家から送られて来たミカンとかのお裾分けにワザワザ来るような女の子だったらしい。住んでた時は一度も家賃滞納なんかなかったらしいぜ」

「ウチの会社が使う前の住人か……」

「んでよ。その子なんだが、その部屋で亡くなったらしいんだ。ただ自殺か事故死か自然死か警察でも判然としないらしくてよ、オーナーにも聞き取り調査があったらしいんだ。で、その子の名前なんだが────っていう名前らしいんだ。さすがに心当たりねぇよな?」

「は? いやいや下根、肝心なところ言ってねーだろ。名前のところが無音で聞き取れねーよ」

「いや言ったぞオレ。────ってよ」

「お前フザけてんのか?」

「──あ、ヴェ……聞こ、えて……ルノカ、電、パ、オカオカオカオカシ──……」


 ザラリとしたノイズで、下根の声が遠のいていく。あれこの辺りって圏外なのか? 耳からスマホを離して見てみても圏外の表示はない。ただスマホがおかしい。さっきまで下根と繋がっていたのに今は真っ暗な画面だ。タップしてもサイドボタンを押しても全く反応しない。電話が壊れてしまったのか? とりあえず再起動してみるかとリセットコマンドを試そうとした、その時だ。


 真後ろに気配。ぬめっとした風というか、空気というか。この世ならざるモノが後ろにいる。それも、ユウとは全く違うベクトルを持ったモノが。

 意を決し、俺は勢いよく振り返る。間違いない。


 ──ナニカだ。


 この感情は純粋な恐怖。肌が粟立ち、筋肉が硬直する。目を逸らしたいのに叶わない、そんな吸引力を持った真っ黒な目。だがここで逃げ出すワケには行かない。このナニカに、俺は訊くことがある。なけなしの勇気を振り絞り、俺はワザと軽い口調でナニカに問うた。


「……よぉ、さっきのトイレ以来だな? あんたと話したかったんだよ。まさか、部屋の外まで憑いて来れるとは驚いたけどな」


 精一杯の虚勢を張るが、しかしナニカは答えない。真っ黒な目でじっと俺を見つめるだけだ。


「あんた、あの部屋に棲んでんだよな?」

「…………」

「目的はなんだ? どうして先代を3人も消した? 何をしてどこにやっちまったんだ?」

「…………」

「答えてくれよ。俺の目の前に姿を現した理由はなんだ?」


 矢継ぎ早に質問を投げかけるが、やはりナニカは答えない。ただじっと。そう、じっと。虚ろな黒い目で俺を見つめるだけ。


 1分くらい、その状態が続いただろうか。どうしたもんかと考えを巡らせていると、ナニカに動きがあった。ゆっくりとその右手を、俺に向けて差し出して来たのだ。握手をしようと、そう言わんばかりに。


 ──正直怖い。ユウみたいに透けてはいるが、ナニカは明らかに「暗い」のだ。その存在というか纏う空気というか何というか。そんなモノに触れたらどうなるか、想像もできない。


 しかし、である。このナニカは何かを俺に訴えたいのではないか、とも思えるのだ。そしてトイレでの会話から、少なくともナニカはユウのことを知っているのはわかっている。

 これはチャンスなのかも知れない。この問題──つまり店長連続失踪事件に一歩踏み込むまたとない機会。それに不思議と確信めいたものを感じるのだが、ここで逃げ出せば俺も先代店長と同じ轍を踏むのだろう。


 だから俺は恐る恐る、差し出された右手に手を伸ばす。

 思っていたのと違う。その手は不思議と、温かい。


「……ありがとう。私の手を取ってくれて」


 明瞭な声。透き通るようなそれは、トイレで聞いた声とはまるで別物だ。それどころかこの声は──。


 


「──私はユウ。いえ、と言うべきなのかな。家に居るあの子は、私の願望そのものなの。ねぇお願い、あの子の夢を叶えてあげて」

「……いや待て、何を言ってるのかわからない。ユウが2人? どういうことだよ?」

「言ったでしょ、あの子は私の願望だって。あの子は私の光。だから私は、すべての闇を背負うことにした。あの子は何も知らないの。だからあなたに、あの子の願いを叶えてほしい」

「だからわかるように言えって! 意味わかんねーよ!」

「……私は、あの部屋で死んだ存在。でもこの世に未練がすごくあって、どうしても叶えられなくて、ずっとこの世を恨んで……。だからあの子を産み出した。恨み辛みを知らない、生前の記憶さえない純粋なあの子を」

「あのユウは、あんたが作った存在だって言うのか? 何のために?」

「私はもう闇に堕ちてしまった。人を恨む事しかできない、そんな悪霊とも呼ぶべき存在に。でもあの子は私の光を集めたような存在だから。あの子を認識できるあなたなら、きっとあの子を幸せにできるはず」

「ユウを幸せにして、どうすんだよ……?」

「あの子の願いを全て叶えて、そして私たちを──、成仏させてほしいの」





【羽間さんの第6話に続く!】


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