ホーンテッド・オンボロアパート
羽間慧
第2話 4号室の約束
【薮坂さまの第1話はこちら】
https://kakuyomu.jp/works/16817330661653398946/episodes/16817330661653434411
阿部晴明、26歳独身。趣味はアニメ鑑賞とコラボカフェ巡り。直近の高い買い物は、1級クジのロット買2い万。ラストワン賞のフィギュアほしさに買ったものの、C賞のおっぱいマウスパッドに悩まされていた。手首を包み込むシリコンの弾力は多幸感を得られるものの、普段使いにするべきか鑑賞用にするかどうかが問題なのだ。俺のおかんは思い立ったが吉日と言わんばかりに、様子見もとい遊びに来る。アラがあればすぐ知人の娘を紹介しようとするから、キモがられない範囲の神棚に留める必要があった。性癖を社内でもオープンにしている下根とは違い、俺にはまだ一般常識が残っている。そう自負していた。南下出荘4号室のドアを開けるまでは。
変態? 俺が?
露出狂と遭遇したレベルで絶叫している女の子の目に、きらりと光るものが浮かぶ。初めて女の子を泣かせたという肩書きは、紳士の俺にとって不名誉でしかない。脱字はないぞ、児童書に登場するようなれっきとした紳士だ。
幽霊の叫び声じゃなかったら、近所迷惑で訴えられていたかもな。いや、その前に警察に通報されているか。いささか盛り上がりすぎたなんて言い訳が通じないほど、女の子は今も泣きわめいていた。黄色い声ではないことは明白だ。座っていたソファーからずり落ち、両腕をさすっている。腰が抜けるのも俺の役目な。幽霊の方が怖がっているから、俺は意外とメンタル鋼なんじゃねーかと錯覚しちまう。
「まだ鳥肌立ってるよ! ベタベタ触るわ、キスしかけるわ、生気吸うわ。新しい同居人がどんな人か見極めようと思っただけなのに、とんだ変態じゃない。引越し早々、変な動きばっかりして、もうホームシックなの? この場所から離れられないのに、また同居人ガチャ爆死じゃんか。イケメンとの同居生活はフィクションじゃないとありえないってこと? 来世に期待するしかないかぁ」
正直タイプだと思っていた子から好き勝手に言われるのは、ダメージが大きい。悲しみを通り越して腹が立つ。
「あのさ。キミの声、バッチリ聞こえてるんだけど」
「~~~~~~っ!」
女の子は視線を合わせた俺に、声にならない悲鳴を上げる。
「こ、ここここんな夜遅い時間に、怖い話なんかしないでよ。心臓止まったらどーするの?」
「いやいや、幽霊が何言ってんだ」
お前の心臓は、とうの昔に止まっているだろうが。我ながらツッコミが突っ込みが冴えていると思ったものの、女の子のこわばった顔は全然緩まなかった。
「怖い怖い。お願いだから、絡まないでください。命以外は何でもあげますからぁああああああっ!」
「だ・か・ら! 全身透け透けでそのセリフはないだろ! 愉快な同居人さんよぉ?」
ほんの少し語尾を上げただけなのに、女の子の顔はますます沈む。
「ひぐっ。ぼくが一番気にしてるとこなのに」
阿部はほんとデリカシーねーなァ。透けてるのを見ないふりするのも優しさだぜェ? 後でブラの色を鮮明に思い出せばいいだけなんだし。
以前の下根の発言が再生され、嫌悪感が倍になる。あいつに正論を言われるのはしゃくだ。
「どうせ服も透けたらいいとか思ってるんでしょ、この人でなし!」
「とりあえず落ち着こうな。えっと、幽霊……くん」
鎖骨の空いた服はやや青白く、体と違って透けていなかった。平坦なラインを見て男と判断を改めたのだが、余計な配慮だったらしい。頬がぷくりと膨らんでいく。
「ぼくのどこを見たら男の娘になるの? ちゃんとあるよね、女の子のしるし」
女の子は俺の手を取る。急に氷水を浴びせられたかのように、思わず身震いした。
「だめだあぁっ。この手を離せ! 自分の体は大事にしろ!」
絵面的にマズいと、なけなしの理性が警報を鳴らす。ぎゅっと目をつぶっていると、思っていたほどの柔らかさを感じなかった。
この位置は、鎖骨と喉……か?
「分かる? 喉仏ないの」
「……あぁ」
俺は女の子のしるしを見下ろした。間近で見せつけられたから分かる。水風船の膨らみに負けていることを。
「ずっと気になっていたんだけど、お兄さんがこのアパートを決めた理由は何? 内見予約入ってなかったから、荷物が運ばれてびっくりしたんだよ」
「実はな……」
俺は身の上を話した。スターダックス皆戸駅西口店から漆草市店に異動してきたこと、漆草市店の店長が三人も失踪してること。失踪の共通点は、職場が同じだけじゃないこと。
「いなくなった店長は、全員この部屋を借りてた? やだやだ、ガチのホラーじゃん。いつの間に事故物件になってたの? 電気消して眠れないよ」
俺と頭を抱えるポイントがずれているのは、肉体とともに常識も離れたからなのか? 計算していない可愛さは癖に刺さる。
いやいや、三次元でこんな無防備な子がいてたまるか。推しが写らないチェキとか虚しすぎるわ。
雑念を払い、気になっていた疑問を訊いた。
「キミはいつからこの部屋にいるんだ?」
「分かんない。初盆が過ぎても、死んだ実感が湧かなかったんだよね。生きていたときの記憶も全然覚えてないし。死んだ理由が分かったら、成仏できると思う? 安倍晴明様?」
「安倍じゃなくて阿部な。俺は、陰陽師でもゴーストバスターでもない一般市民だぞ。成仏できるか分かるか、そんなもん。でも、調べる意味はあるんじゃないのか? キミがどういう生き方をしたのか、俺も気になるし」
透明な体がより薄くなる。今のは照れたのか?
目をこすっていると、女の子は口角を上げた。壁の白さがまばゆい歯のように見える。
「じゃあさ、手伝ってよ。陰陽師の末裔じゃなくてもぼくのことが見える晴明に、協力してもらいたいんだ。失踪した人を探すついでにさ」
「交渉成立だ。よろしく頼むよ、同居人」
ふよんとした手をがっしり掴む。最初に感じた冷たさほど、気味の悪いものではなくなっていた。
「ぼくはユウ。安直な名前だって笑わないでよね! ユウが一番しっくり来たんだから!」
「笑わねーよ」
たとえ安直すぎたとしても、人の名前で笑うような奴が、店長としてやっていけるかっての。
ひきつらせた頬を見て、ユウは後ずさっていた。
「笑ったら金縛りで動けなくさせて、気絶するまで電マ責めしちゃおっかな」
「笑わないって。だから、そんなヤバいこと言うなよ。目覚ましかけずに寝オチして、シャワー入らないまま朝になるのはマジ勘弁。激痛のツボで気絶させられるとか、かわいそすぎんだろ」
そのままの状態で放置してほしいとは思っていないから、あわれむような目をやめろ。
お前にピュアさは似合わないと言われているようで、身体中がぞくぞくする。ヤバイわ、新たな扉が開くかもしれん。
ハァハァと息を吐いていると、ユウがおでこに顔を近づけてきた。
「体だるいの? 熱中症じゃないよね?」
「あー、冷えててきもちぃー」
おでこをくっつけただけで熱冷ましができるとか、真夏にありがたい用途だ。まつ毛1本1本までよく見える。それにしても、ユウは綺麗な目してんなー。瞳に俺が写りこまないのは、人体の仕組みと違うところなのかもしれん。
可愛くて謎が多い同居人との生活は、こうして幕を開けたのだった。満月が俺達を祝福してくれていると思った矢先に、顔がキモいとビンタされるのだけは解せない。一体俺が前世で何をしたというんだ!
―――――――――――――――――――――
ユウには不評の顔だが、職場ではそこそこの人気がある。目が潰れるほどのイケメンじゃないから気兼ねなくアドバイス聞けるんですと、バイトの子らが言っていた。漆草市店に初出勤した日、俺は間違いなく歓声を浴びた。俳優に似てるだの、彼女がいるかの確認だの、色めきだっていた。ちやほやされるのは嫌いじゃない。おばちゃん達からもらった飴をポケットにしまう。
「阿部店長、この子がバイトリーダーよ」
「バイトリーダーの
俺は倉間に圧倒された。とにかく背が高い。2メートル近くあるだろう。スラっとした倉間の手足を一瞥し、横に並ばれたら鬱になりそうだと思った。己の短足ぶりをいやが上にも自覚させられる。
「倉間さんは、大学3年生の4月からバイトリーダーになっているのよね」
「
前任の店長、古河
「大学4年生なら、就活や卒論があるだろう。無理にシフト増やさなくていいからな」
「卒論なら、去年の冬に完成しました。私としては提出したかったのですが、教授が受け取ってくれなかったのですよね。内定も第1希望からいただいていますので、問題ありません」
バックアップを取っていなかったことを悔やんだ俺の苦しみと、縁遠いというのか! こちとら一週間徹夜でデータを復元して、提出後にインフルエンザで寝込んだんだぞ!
「さすがだ。先見の明とはまさにこのことを言うのかもね」
不満を堪え、できる先輩ムーブをかましてやった。それにしても、今までの店長はバイトリーダーが優秀すぎて失踪したんじゃないか? 可能性としてはゼロじゃないかもしれん。
尻ポケットに入れていたスマホが振動する。
「非通知?」
いかにも怪しい。どうせ詐欺か間違い電話の類だろう。無視を決め込もうとしたが、先日の異動の件もある。俺はトイレに入ってから通話ボタンを押した。
「もしもし。わたし、メリーさん。今、アナタの職場の近くにいるの」
「どわあああああっ!」
背筋に走った寒気は、禁忌を破ったような焦燥感と似ている。本能的に近づいてはマズいものだと察知し、スマホを耳から離した。
「あはは! 引っかかった! 引っかかった~! 晴明って、意外と怖がりなんだね」
高らかに笑ったのは、メリーさんではなくユウだった。ネタバラシをされても、心拍数はなかなか収まらない。
「くだらない用件なら切るぞ」
「冗談も通じないの? 電波をいじって連絡してあげたのはね、晴明が財布を忘れたって教えてあげるためなんだよ」
「マジか。全然気づかなかった」
「よろしい。でさ、大事なのはここから。晴明の財布、ぼくが届けてあげよっか?」
「持ってきてくれたら助かるけど、スマホに電子マネーチャージしてるから足りると思う。気にするな」
「りょーかーい! なる早でお届けするね!」
「いや、聞けよ人の話!」
あいつ、アパートから動けないんじゃなかったのか。
一方的に電話を切られ、俺は舌打ちをしかけた。こちらから折り返しできないのも苛立つ。
「マズい。そろそろ開店準備始めねぇとな」
数時間後、俺はユウを止めておけばよかったと後悔することになる。
【薮坂さまの第3話に続く!】
https://kakuyomu.jp/works/16817330661653398946/episodes/16817330661969795208
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