ホーンテッド・オンボロアパート

薮坂

第1話「異動通知は突然に」


「トゥーゴー2点お願いしまーす! ツーアイストールラテー!」

「ツーアイストールラテ!」

「こっちはフォーヒアで1点です! ショート抹茶クラぺチーノ!」

「ショート抹茶クラペチーノォ!」


 レジから矢継ぎ早に飛んでくるオーダーを復唱し、俺はエスプレッソマシンのショットボタンをノールックで押した。

 夏の日の午後1時過ぎは、ランチを終えてカフェにお茶をしにくるお客様で溢れている。つまりはこのストアのピークタイムだ。


 今日は休日で忙しいし、それに何より暑すぎる。エアコンが効いてる店内でも汗をかく気温だ。でも外よりはよっぽどマシだろう。ちらりと見た窓の外は暴力的な日差しで、ドラキュラだったら多分2秒で灰になるレベル。やべぇ、マジぱねぇ。どうやら夏の気温は語彙力をも溶かすようである。


 そんなこんなで、よく晴れた土曜日の昼下がり。緑のアヒルが目印のスターダックスコーヒー皆戸駅西口店は今日も盛況だ。

 7月下旬のこの時期は、冷たいドリンクが飛ぶように売れる。アイスコーヒーはもちろん、アイスパッションティーにシェケラータの売れ行きも、やべぇくらいに絶好調。

 特に「クラッシュアイス+カプチーノ」を混ぜて作った「クラペチーノ」は夏にピッタリのアイスドリンクで、原価もそれなりに安いことから夏のエースと呼べる商品だ。こいつの集客力はマジぱねぇのである。

 個人的に言えばクラペチーノはもはやコーヒーではないのだが(コーヒー成分が全く入ってないのもある)、お客様が喜んでくれるならきっとそれも正解なのだろう。


 新卒でスターダックスコーヒージャパンに就職して早5年。ストアマネジャー店長として、ここ皆戸駅西口店を任されて1年が過ぎた。

 このペースなら今月の売り上げノルマもかなりのプラスを見込めそうである。これでディストリクトマネジャーに小言を言われなくて済みそうだと笑みをこぼしていると、バイトの長門ながとさんが俺に声を掛けてきた。淡い青色のメガネがよく似合う、知的でクールな大学生。


阿部あべ店長、お電話です」

「俺に? もしかして、クレームかなんか?」

「いいえ、本社オフィスの下根しもねさんという方から。今フロアに出てますって言っても、急ぎだからすぐ代わってくれって。バックルームの電話、保留にしてますけど」

「ありがとう、ちょっと電話出てくる。悪いけど長門さん、抹茶ペチの仕込みしといてくれる? もうそろそろ切れそうだから」

「もう仕込んでます」

「え、マジ?」

「こんなことでウソついてどうするんですか。電話、早く取りに行って下さい。フロア見ておきますから」


 ありがとうと礼を言い、優秀な長門さんに後を任せる。やっぱり優秀な子は頼りになるなぁと思いながらバックルームの電話に出た。するとケラケラ笑う同期の無駄にムカつく声がした。

 本社オフィス・パートナーサポート課所属の下根しもね太一たいち。優秀だが喋り方がアホな悪友だ。


「よう阿部ェ、忙しそうだな? 売り上げは絶頂かァ?」

「言うなら好調か、だろ。なんだよ絶頂てアホかお前。今マジで忙しいんだ。オフィス勤務のお前にはわからないかもだけどな、この時間ってストアじゃピークタイムなんだよ。私用の電話なら切るぞ」

「おいおい、同期のオレが心配してお前に電話してやってんだぜ? ちったぁありがたがれよなー」

「心配? なんだよそれ」

「え、お前まだ知らねぇの?」


 なんだよマジ見てねぇのか。そう言葉を継いで、下根は俺にPCメールを見るよう促した。受話器を肩で挟んでPCの社内メーラーを立ち上げる。するとそこには「重要」とフラグのついたメールが1件届いていた。

 それを開けてみて俺は驚愕する。いやいやいや。これマジで?


 ──阿部あべ晴明はるあき殿。本年8月1日付をもって、漆草市店しっそうしてんストアマネジャー業務を命じる。


「……異動通知? この時期に俺が?」

「だから電話してやったんだよ。泣いてねぇかと思ってな」

「泣くかアホ。いやでも早いな、俺まだこの店1年ちょっとだぞ。1店舗、短くても任期は2年だろ? ていうか漆草市しっそうしってここからめちゃくちゃ遠いじゃねーか!」

「全国展開カフェチェーンの宿命だよなー、遠方への転勤は。お前、なんかやらかした? 女の子にセクハラしたり、店のPCでエロサイト覗いてたりとかよォ?」

「するワケないだろ!」

「いーやお前ならきっと、バイトの女の子に裸エプロンとか強要してだな、おもむろにブラックコーヒーを出してキミのミル……」

「黙れ変態! ドセクハラじゃねーか! お前と一緒にするな、俺は何もしてねーよ!」


 少なくとも、店の運営はしっかりできているし何の問題もないハズだ。売り上げだって好調。このペースなら前年比120%超えも夢じゃあない。なのに何故? しかも8月1日付ってあと一週間ちょっとじゃねーか!


「お前が何もしてねぇとなると、こいつぁ可哀想だぜ。知ってるか? 漆草市店の店長、失踪してんだぜ」

「なんだそれ、しょーもねぇシャレかよ」

「いやマジだ。それこそシャレんなってねぇんだよ」

「……本当に失踪したのか? 漆草市店の店長が?」

「あぁ、社の借り上げアパートから煙みてぇに消えちまってよ。1か月前だったかな。その店のバイトにも聞いたんだが、心当たりもまるでないんだと」

「激務で心身ともにやられたとかか……?」


 ウチの会社は世間一般から見ればホワイトな部類だろう。バイトは人気で求人に困ったことはないし、それに完全週休2日制で有給休暇だって取れる。

 しかしそれらは社員が人柱となって店を回しているからに他ならない。バイトの有給は社員の無給で補え。つまりホワイトなバイトとは違って、社員は限りなく黒に近いグレーなのだ。具体的に言うとチャコールグレーな仄暗さ。


「下根、詳しいことはわからないのか? その失踪の原因ってやっぱり激務が……」

「いや、そもそも漆草市店はそんな忙しい店じゃねぇよ。ただな、」

「ただ?」

漆草市店しっそうしてんの店長失踪騒ぎは、これで3人目だ」


 3人目。それを聞くと、暑い夏なのに体が冷えていく感じがした。あははエアコン要らずでラッキー! なワケがない!


「お、おいおい! ヤバいだろその店! どんな店なんだよ?」

「どこにでもある普通の店らしいぜ。バイトもハイパー優秀で、店長不在なのにストア運営できてるぐらいだ。ただ3人が失踪したとなるとバイトたちも不審がって、店を辞めようとする動きもあるみてーでな」


 バイトは店の宝だ。ウチの会社はコーヒーの味で勝負するんじゃあなくて、接客と居心地の良さで勝負している。それらは優秀なバイトがいるからこそであって、彼ら彼女らがいなければ成り立たない。バイトが大量に辞めればストアも終わる。だから社員は、自らを犠牲にしてバイトを大切にする。それがウチの社の不文律だ。


「とにかく阿部、お前は失踪した店長たちの代わりってこった。まぁがんばれ、同期のよしみで出来る限りサポートしてやるよ」

「そりゃ本社の命令には従うけどさ。お前のサポートはイマイチ信用できないんだよな……」

「とりあえず忙しそうなお前に代わって、向こうでの借り上げアパートはこっちで決めといたぜ。漆草市店しっそうしてんまで徒歩10分、なんと家具家電付きだ!」

「……そこ、前任者が住んでたアパートじゃないだろうな」

「ご明察! ウチの会社が新しいアパート借りてくれるワケねぇしな! それにお前がそこ住んでりゃ失踪した店長が帰ってくるかも知れねぇし、失踪の原因がわかるかも知れねぇ。本社オフィス的には、お前みたいな独身者は動かしやすいんだよなー、マジ助かるぜ」

「動かしやすさで人の人生いじくるなよ!」


 と俺は噛みつくのだが、下根はどこ吹く風と言った声色。一頻ひとしきりケラケラ笑ったあと、ワザとらしい咳払いをひとつ。そして今度は声を真面目なものに変える。


「……ここだけのハナシだ。この事態──、つまり漆草市店しっそうしてんの店長連続失踪騒ぎを上手いこと処理してストアを正常に戻せれば、お前の夢に近づくかも知れねぇぞ。海外赴任、手ぇ挙げてんだろ? 本社でも漆草市店は悩みのタネでよ、解決できそうな人材を探してたんだ。で、オレがそこにお前を捩じ込んだってワケ」

「捩じ込むなよ! 頼んでねーよ!」

「マジで頼むぜ、同期の星。お前は昔からイレギュラー処理が異常なほどに上手い。正直言ってそこだけはお前に敵わねぇよ。だからこれは、オレとお前がタッグを組んで会社相手にやる真剣勝負だ。お前を推したオレの処遇もかかってんだからな、頼んだぜ相棒。栄転も左遷も一連托生だろ?」

「お前の相棒になった覚えはねーよ!」


 電話口で笑う下根。苦虫を噛み潰したような俺。でもまぁ決まったことは仕方ないし、本社も期待を込めて俺を異動させるようだ。下根の話を信じるなら、だけど。

 下根はその後、引越し業者と日取りを勝手に決めて、俺の漆草市しっそうし入りは7月末日となった。今住んでいる借り上げアパートの引き払いまでやってくれるらしい。「何も心配いらねぇよ」と下根はうそぶくが、下根が妙に優しい時は要警戒なのである。コイツは悪いヤツではないのだが良いヤツでもない。

 優秀な人間は基本的に危険なのだ。ナイフみたいに頭がキレるヤツは、使い方を誤るとこっちが切られるからな。




 ──────────────────




 そして来る7月31日。新幹線と在来線を乗り継いで、俺はついに漆草市しっそうしに到着した。クークル先生のナビを頼りにこれから住む借り上げアパートへと向かったのだが、目の前に広がる光景に思わず絶句する。


 良く言えば風情がある。思い切り悪く言うと超が付くほどオンボロアパート。ていうかオンボロを振り切って完全にヤバめの雰囲気バリバリのアパートだ。

 そのエントランスには「南下出荘みなみしもでそう」という看板が掲げられていたが、「ナンカデソウ」と読めるのはシャレか何かか、おい。

 一応、風呂もトイレもちゃんと部屋に付いてるという前情報だが、姿の見えない同居人付きとかじゃあないだろうな。


 若干気後れするが、でもここに住むしかない。明日から漆草市店しっそうしてんで仕事だし、前任者はガチ失踪してて引き継ぎも出来てない。どうせ最初は働き詰めで寝に帰るだけの部屋になるだろう。ガマンだガマン。俺はかぶりを振って、予めカギを貰っている「4号室」のドアを開けた。


 ギィッと立て付けの悪い音がして、真っ暗な部屋の中へと足を踏み入れる。電気を付けると、意外にも中は綺麗だった。もともとあったのか、それとも前任者の私物なのか、センスの良い家具もある。ソファの座り心地もベッドの寝心地も良さそうだ。マットレスないけど。

 先に送っていたダンボールを開封する前に、とりあえずソファに座ってみよう。


 荷物を置いてソファに腰を下ろす。あぁ、沈み込むようにフカフカだ。外観はアレだが、この借り上げアパートは当たりかも知れないなぁ。と、何となく隣を見た時だ。


 俺の隣。まるで誰かが横に座ったように、ソファが

 は? いやいやどういうこと? え、何これ?

 頭の中が「???」で溢れかえる。恐る恐るソファが沈み込んだ場所に手を伸ばしてみると、そこは妙に冷たかった。というよりも、まるで水に触れたような確たる抵抗がある。これはなんだ? なにが起こっている? そしてこの部屋。真夏の熱帯夜なのに、変に涼しくないか……?


 冷静に考えてみればビビり散らかす状況だが、人間というのは不思議なもので、理解が追いつかない時はありえない行動を取る生き物のようだ。

 俺は何故か、そう何故かはわからないが、その「妙に冷たい水のような抵抗の境目」に思いっきり顔を近づけた。


 ──するとどうだ。その「境目」は朧げながら輪郭をあらわにしだす。それは次第に「目」「鼻」「口」の形になって、気がつけば「目がくりっとしてて鼻筋の通った薄い唇の可憐な女の子」になった。加えて言うと、ショートボブで色白なのも俺のストライクだ。ていうか色白すぎて背景が透けてるぜ、ハハハハハ。


 ──いやそうじゃあないッ!

 これ、どこからどう見ても幽霊じゃねーか‼︎


「き、きゃああぁぁぁああああぁぁ!」


 さらに続く驚きの展開。先に叫んだのは、まさかの幽霊の方だった。いやいやどう考えたってそれは俺の役目である。

 よしまずは落ち着け、思い切り深呼吸だ。スーハースーハー。あ、ヤバいわコレ。完全にクロスレンジで幽霊をスーハーしてる変態みたいじゃん。

 お、なんか妙に落ち着けた。やっぱり困った時は変態ムーブに限るなぁ。


 そして──。


「へ、変態ぃぃぃいいいぃぃぃ!」


 彼女の叫びが再び、オンボロアパート南下出荘に木霊こだました──。





【羽間さんの第2話に続く!】










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