パッと咲いて散って灰に

ヤチヨリコ

パッと咲いて散って灰に

 夏休みが始まるのと同時に、私の恋は終わった。


 終業式の日。


「ごめん」と彼は頭を下げる。


「別れてくれないか」


 彼――リョウは、真面目な瞳でそう言った。


「……理由だけ聞かせて」


 できるだけ平静を装った声色で、そう尋ねた。素直に「いいよ」と言えない、未練がましい自分が嫌になる。


 彼は顔を上げて、私の目をまっすぐ見つめると、その理由を話し始めた。曰く、「他に好きな子ができた」と。その子はひとつ下の一年生で、新しくマネージャーとして入部してきた子らしい。最初はよく話しかけてくる明るい子だな、くらいに思っていた。けれど、部活で同じ時間を過ごすうちに、自分にだけでなく他の部員にも愛想よく接する姿を見て、嫉妬にも似た思いを抱くようになっていた。そして、だんだんと自分が彼女に惹かれていっていることに気がついた、と彼は語る。


「彼女さ、生意気だけどそこが可愛いんだ」


 私はそうじゃないの?

 訊かなくても、その答えは彼の顔に書かれていた。

 彼の目に映るのは、私ではなく、彼女。


 それを聞いて、ああ、と思い当たる子が一人いた。三井カナ。一年生で、バスケ部のマネージャー。私と彼も所属している、図書委員会の後輩。


「彼女、俺がいないと駄目なんだ」


 そんなわけないでしょう。勘違いも甚だしい。

 本当にあんたがいないと駄目なら、彼女、あんたと出会う前に死んでるよ。口から出かかった言葉を、ぐっとこらえて「そっか」と呟く。


「あと、これ」


 リョウが差し出したのは、一冊の文庫本だった。表紙にはアニメちっくな絵柄で女の子が描かれている。


「今日、誕生日だろ。だから、これ」


 もう彼の気持ちは私から離れている。

 渡された本を見て、痛いくらいに分からされた。


 前に、あらすじをどこかで読んだ。他に好きな人が出来たなどとのたまう彼氏にフラれた女子高生が、新しい恋を見つけるも、元彼を忘れることができず、新しい恋人と別れてしまう。

 そういうありふれた恋物語らしい。


 表紙に描かれた女の子が主人公なのだろう。

 見つめていると、なんとなく私に似ている気がしてきた。


 泣けるとか、共感できるとか、そういう口コミをネットで見た。


 でも、私は好きじゃない。

 わざとらしいくらいに『お涙ちょうだい』する物語は、嫌いだ。


 そのくらいリョウだって知っているはず。

 本の好みについて今まで何度も語り合ったのだ。


 エアコンの壊れた図書室。

 夕日の中の帰り道。

 書店が併設されたカフェは、お馴染みのデート先。


 今までこんな本を今まで薦めてきたことはなかったのに。

 もう、『今まで』と『今』じゃ違うみたいだ。


 こんなにも皮肉めいた本を、別れ際に渡してくるだなんて。


 主人公のように未練がましく引きずればいいというのか。恋を過去形にできず現在進行形のまま、愛し続けろというのか。

 なんて男。


 取り乱したら負け。取り乱したら、負け。


 私は震える指先で、割れたガラス細工を摘むように本を受け取った。


「もう、終わりなんだね」


 私の言葉に、彼は「ああ」と答える。


「おまえ、そういうの好きだっただろ」


 ――この本、私の好みじゃないのにな。

 胸がちくりと痛む。


 本をぎゅっと胸に抱いて、「ありがとう」と笑った。こういうとき、泣き言一つ、恨み言一つ言えたらいいのに。プライドが邪魔をして言えない。そんな可愛げのない私より、あの子のほうがいいと、彼は思ったのだろう。



 雨がざーざー降っている。カフェの窓ガラスから、ぼんやりそれを眺めていた。これはしばらく止みそうにない。この店にはよく彼と来たものだ。併設された書店は、規模も大きく、品揃えもいい。だから、デートの場所はいつもここだった。


 私も彼も読書が好きで、それで馬が合って、付き合い出したのだ、とふと思い出す。


 中学二年で付き合いだして以来、互いの誕生日には本を贈りあっていた。私の誕生日は夏休み初日で、彼の誕生日は夏休み最終日。初日にもらった本を、夏休み中ずっと楽しみに読んでいた。書店に行くと、彼は何を贈ったら喜ぶか、それだけを考えて本棚の迷宮をうろうろさよった。本を手渡したときの、笑う彼の顔を見るのが好きだった。


 ――それも今年で終わり。


 温いホットコーヒーは、なんと呼べばいいのだろう。アイスでもないし、ホットでもない。舌に残る、微妙な温度の苦みが不快だ。


 カフェに入る前、書店をぶらぶら見て回っていたとき、いつもはスルーするはずのラノベコーナーがなんだか目についた。


 彼からもらった、あの本の表紙の女の子が描かれたポップが新刊の台に飾られていた。そのポップの下には彼から贈られたのと同じ本が置かれている。人気作家の本らしく、冊数は残り少ない。私が見ている間にも、中学生くらいの女の子が一冊手にとってレジへ持っていった。


 何か買おうと思って来たのに、店中の本棚を見て回っても、何も買おうと思えなかった。いつもだったら買う気がなくても、一冊か二冊買って帰るのにも関わらず。


 この本は彼に薦めてもらった本だ、とか、あの作家は彼が好きだったな、とか。思うのはそういうことばかりで、いつものように、本棚の迷宮で宝探しをするような気分にはなれなかった。


 ――好きだったんだ。本も、あいつも。


 コーヒーを一口飲み下す。暗くて、苦い。カップの底には、暗褐色の液体がわずかに残っていた。


 一筋の涙が頬を伝った。底なしの悲しみが私の胸を満たした。


 今さらだ。今さらすぎる。別れを告げられたときに、この気持ちが私の胸を満たせば、それから、この気持ちを伝えられたら、何かが変わっていただろうか。


 ――私の隣に、リョウはもういない。


 その実感がようやく胸に湧いた。


 コーヒーを飲み干すと、ため息がこぼれた。


 店を出て、少し歩くと、あちこちに露店が出ていた。道路が交通規制されて、車通りのない、いわゆるホコ天――歩行者天国になっている。


 そういえば、今日は花火大会だ、と思い至る。花火大会は毎年夏休み最終日に開催されている。街中に露店が立ち並び、大勢の人が行き交う。


 地元だがしばらく来ていなかった。何故だろうと記憶をたどってみれば、あるときを境にぱったりと来た記憶が途絶えている。


 リョウと付き合いだしてからだ。彼は賑やかなところも人が多いところも嫌いだからと、行こうと誘っても嫌だと言う。それで、おまえだけ楽しむのも癪だと言われて、花火大会に行くのを禁じられたのだった。だから、久々なのだ。


 可愛い浴衣を着た女の子が、同じように浴衣を着た男の子の手を引いて、横を通り過ぎていく。男の子のほうは仕方ないなとでも言いたげな顔でされるがままにしている。


 ――いいな、私もあんなふうに……。


 いや、いけない。人のことをじろじろ見るのは。それに、私もこういう賑やかで人の多いところは苦手だ。人通りが増える前にさっさと家に帰ろう。



 自室でスマホをいじっていると、ひゅーと口笛のような音がしたあと、どんと破裂する音、それから、ぱらぱらと散る音がした。


 花火が始まったみたいだ。


 花火はどんどん打ち上がる。


 色とりどりの花火を映して、赤、青、緑と部屋中がカラフルに色を変える。


 ベランダのほうから、花火そのものも見える。大輪が花開いて、瞬きの間に消える。夢のように儚く、パッと咲いて散る。


 ――私の未練も花火みたいに一瞬で消えてしまえばいいのに。なんて、くだらないことを考えたりする。


 スマホの画面には、三井カナのインスタのプロフィールが映し出されている。リョウがフォローしているアカウントを一つ一つ調べていたら、簡単に見つけられた。


 投稿をさかのぼっていけば、リョウと付き合い出したこと、彼にアタックを仕掛けていること、部活見学のときに彼に一目惚れしたこと、となんとなく二人の関係の遍歴が浮かび上がってきた。


 こんなに簡単にたどれてしまうなんて、ネットリテラシーがないな、と笑えてくる。


 それに、リョウが私に贈ったあの本は、三井が好きな作家の作品らしい。本の表紙の画像といっしょに、予約した、と投稿されていた。


「あっ」


 三井が新しくストーリーを投稿した。


 花火柄の浴衣を着た女の子と、藍色の無地の浴衣を着た男の子が手を繋いでいる。写真は手だけだ。けれど、その手にある黒子から、男の子のほうはリョウだとわかる。


 タップして二枚目を見ると、音声付きの動画が流れ始めた。花火の音と、雑踏のざわめき。「はぐれるなよ」と、リョウの声。そして、「ほら」と差し出される、バスケットマンの無骨な大きい手。


 動画が終わると、続いて三井が過去に投稿したストーリーが画面いっぱいに映し出されていく。二人が肩を寄せ合い自撮りした写真、デートの写真……。それ以上見たくなくて、スマホをスリープ状態にした。


 どん、ぱらぱらと音がしたあと、外は静まり返った。

 花火はもう見えない。花火の音もしない。


 ああ、終わったのだ。


 世界を静寂が支配している。


 ああ、終わったのだ。

 ――私の恋も。

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