死にぞこないのスヴェン

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死にぞこないのスヴェン

 数刻前のことである。

 斥候を終え、拠点であるスノリ砦に帰還したザインたち三人を出迎えたのは、まさしく屍山血河と呼ぶ他ない光景だった。

 砦正面の大門が、まるで巨龍の突進を喰らったのかのごとく、粉々に打ち砕かれていた。

 内部の惨状は酸鼻を極めた。

 一面に転がる、今朝まではザインの仲間たち

 遺体、と呼ぶにはあまりに無惨なそれら――岩鬼の一撃をまともに受けてしまったがごとく、頭と、胴と、四肢がばらばらに千切れ飛び、さらに吹き飛んだその破片に胴を貫かれて、頭を砕かれて、たおれた残骸の山。

 そこから流れ出したものが、地面をじっとりと赤黒く染めている。

 ザインが出立するまではたしかにそこに溢れていた、スノリ砦の活気に満ちた喧騒はまったく絶え、しんとした死の静寂と、沈みゆく陽の名残りが、冷たくその場を包んでいた。


「なんだよ……なんなんだよこれぇッ!?」


 遅れて帰参した、まだ若年のストークが悲鳴じみた声を上げる。

 それをたしなめる余裕が、いまのザインにも、ない。

 その後ぱらぱらと帰り着いた兵たちも、一様に顔色を紙のように白くした。

 ――結局、生き残った、と明らかに言えるのは、ザインを含めて十二名。いずれも偵察任務や、他の任務で砦を離れていて、難を逃れた者たちである。


「どうするよ、ザイン」


 ザインとは旧い戦友であるガルが問いかける。

 この場でいまもっとも階級が高いのは、ザインだ。


「……ガルとエンジィの班は為念ねんのため生存者を確認しろ」


 望みは薄いように思えた。

 砦を構成する建屋の各棟の外壁も、大きく罅割れたり、粉々に砕けていたり――建物自体が完全に倒壊しているものすらある。

 まったく、宙から突如として現れた巨人が、力任せに暴れ回り、そしてまたふいと姿を消したかのような有様である。


「リリーザの班は急ぎツォーネ砦に事の次第を伝えろ」


 女だてらに古兵ふるつわものの弓兵であるリリーザが力強く頷く。


「おまえはどうすんだ」


 ガルがザインに問う。


「俺とダッジとヘイズで“ヤツ”を追う」

「心当たりがあんのか!?」


 意外そうに声を上げるガルに、ザインは静かに首を振って答える。


「べつに“お知り合い”ってわけじゃあねえよ。ただ……」


 確信めいた調子でザインは言う。


「こいつはだ」


 さしもの戦友たちも、どよめく。


「一人って……いくらなんでも……」


 ストークが砦内の惨状をふたたび見回して、戸惑いがちにザインに視線を戻す。

 無理もない。おおよそ単独の兵で可能とは信じられない、甚大な破壊の痕である。


り方が画一的すぎる。見たところ、どれも打撃――ただ馬鹿げた威力の――によるものだ」


 ザインの言葉に一同は顔を見合わせる。

 詳しい検分はまだだが、なるほど、たしかに、犠牲者の体に刀傷や矢傷は見当たらなかったように思える。

 ただどれもが、埒外らちがい膂力りょりょくから放たれた痛撃に鎧ごとその身を砕かれている。そして、その威力はそれに留まらず、ばらばらに吹き飛んだ最初の犠牲者の身体の一部や、装備品の破片の直撃が、後続の者にまで致命的な受傷を蒙らせた。

 この場で起きたのは、そうした圧倒的な暴威の連続だった、とザインはそう考えているのである。


「……“技芸アルス”持ちか?」

「それには違いないな」


 呟くように問うガルに、ザインは首肯しゅこうする。


 ――この世界フェンダールに生を受けた者は、一人一人自分だけの“守護者まもりがみ”に見守られているのだという。

 そして、その者が生死のあわいに足を踏み入れたとき、“守護者”は一度だけ、死の淵から生の岸に救い上げてくれるのだと、そう言われている。

 “守護者”の姿は一様には語られない。

 ある者は“後光を背負った美髯びぜんの老人”だったと言い、ある者は“纏った薄衣を靡かせた、天上の美貌を持つ女神”だったと言い、またある者は“禍々しい漆黒のはだえに、双角を生やした悪魔”だったと言う。

 ただひとつ共通するのは、“守護者”は命を繋いだ者を現世うつしよに還すとき、をひとつ、その者に授けるということである。

 ある者は岩をも砕く剛力を得、ある者は業火を自在に操る術を得、またある者は致命の傷をも治す癒しの力を得る。


 その力を、人は“技芸アルス”と呼び習わす――


「しかも……」


 改めて砦内の惨状を見渡して、ザインは溜め息とともにごちる。


「相当ヤバい“技芸アルス”だ……」


 その言葉に異論を掲げる者はこの場にいない。

 砦ひとつを単身で壊滅させることのできる“技芸アルス”持ちなど、そうそう話に聞くものではない。

 しかも、スノリ砦は隣国アルバントとの国境に程近い要衝のひとつである。

 守りは堅く、兵の練度も高い。

 それをこう易々と落とすとは、その力量たるや如何ほどのものか。


「だったら尚更よ、ザイン」


 ガルが顎鬚を撫でながら思案気な声を出す。


「俺ら全員でかかるべきじゃねえのか」


 その言葉に、皆がザインに視線を集中させる。


「おい、ザイン!」


 それらにふいと背を向け、ザインは正門の残骸の方へと歩き始める。

 城壁の境を越え、さらに外へと歩を進めるその背中に、止む無く引き連れられる格好になった一同の前で、ふとザインが足を止める。


「こいつを見ろ」


 ザインが指し示す下生えが、残照の中で赤黒く見える。


「血か」

「ああ」


 短く答えながら、ザインが指先をすこし離れた位置に移す。


「あそこにも、あそこにもだ」


 順々に指す先に、ぽつぽつと血の流れた跡がある。


「それに、外れた矢の跡」


 見渡せば、くさむらのあちらこちらに狙いを外した矢が突き立っている。


「ヤツは馬鹿正直に砦の真正面から攻めて来てやがる」

「そこに城壁から弓兵の連中が矢を射かけた……」

「ああ、ヤツはその矢雨やさめの中を無理矢理突っ切って――」

「なんらかの“技芸アルス”で正門をブチ破った」

「ああ」


 ザインが頷く。


「ただ、この時点でヤツはそれなりの手傷を負ってる」


 単身砦の正面に突っ込み、城壁の上から矢を射かけられながらもそれを切り抜け、門に辿り着くだけでも人並外れた身のこなしを感じさせられるが、それでもいくらかの矢傷を受けたのは、ザインが指し示した幾許いくばくかの出血の痕跡から察せられる。


「防御系の“技芸アルス”じゃあねえ」


 人がたまわれる“技芸アルス”は、基本的に一種のみだと考えられている。

 例えば、炎を操りながら同時に氷を操るような“技芸アルス”は、人に宿らない。

 砦を襲った仕手は、極端な攻撃能力特化型の“技芸アルス”持ちに違いない。それは砦の惨状と、砦に突入するまでに矢を受けていることから推測できる。


「砦に押し入ってからも、多少の傷を負ってるはずだ」


 いくら兇悪な破壊の“技芸アルス”持ちとは言え、対するは精強で鳴らしたスノリ砦の駐留部隊である。

 壊滅させられたとはいえ、戦友たちは相手に少なからない損傷を与えているはずだと、ザインは信じる。


「あれを見てみろ」


 ザインが指さす先には、敵が砦の正面に吶喊とっかんしただろう経路からはややずれて、やはり草むらの上を点々と血の跡が続き、それが背の高い葦原の中に吸い込まれている。


「馬は使ってねえ。行きも徒歩かち、帰りも徒歩だ」


 ザインは葦原に向かう血痕をひとつひとつ指差しながら、言う。


「歩幅が狭い。やっぱりヤツは結構な深手だ」


 滴り落ちた流血が下草を汚した痕跡の間隔は、極端に狭い。瀕死の身体を引き摺りながら、辛うじて葦原の中に紛れる仇敵の後姿を、皆が幻視する。


「アルバントの差し金には違いねえが、多分、やとわれの鉄砲玉だ」


 ザインが淡々と続ける。


「正規の作戦行動に組み込まれてる仕掛けだったら、今頃アルバントの本隊がスノリを悠々素通りして、ツォーネに押し寄せてる」


 周囲の平原に、軍馬に踏み荒らされた跡はない。


「そういう意味で、リリーザ、おまえらがツォーネに急を知らせるのは絶対だ」


 話を向けられたリリーザが、びくりと身を強張らせる。


「この強襲が成功したのが知れた途端、アルバントは本隊を動かしてくる。ツォーネの守りを急ぎ固める必要がある」


 ぎこちなく頷くリリーザの端で、ガルが声を上げる。


「じゃあ、俺たちはどうだってんだ」

「相手は一人でスノリを潰したバケモンだぜ」


 ザインは皮肉気に唇を歪ませて、答えた。


「三人が九人に増えたところでわけもねえだろう。それよりは――」


 にやりと笑って、言う。


「俺たち三人だけのほうが、――」


 大柄なダッジと小兵のヘイズ――普段は明確な意志表示を滅多にしない二人が、いつのまにかザインの後方に佇み、しっかりとひとつ、頷いた。


 ザイン、ダッジ、ヘイズ。


 それぞれが独自の“技芸アルス”持ちである。

 ザインを中心とした三人一組で常に行動し、その連携から逃げおおせた者はこれまでに一人としていない。


 途端に獣じみた色を瞳に過ぎらせるザインに、ガルは頷きを返す。


「よおし、おまえら!! やるこたぁわかったな!!」


 手を叩きながら声を上げるガルに、各々が了解の言葉を発する。

 動き始める。

 ガルたち六人は砦の中に取って返し、外壁を迂回するようにリリーザたちが駆けて行く。

 残されたザインたちは――ザインがダッジとヘイズに軽く目配せをすると、一散に葦原の中へと踏み込んだ。

 大人の背丈ほどの高さまで生い茂った葦原の中を、三人は平地を行くのと変わらぬ速度で駆け抜けてゆく。

 程なくして――先頭を行くザインがふいに“待て”の手信号を出す。即座にダッジとヘイズもその場で足を止めると、三人でやや身を屈めて前方を窺う。

 距離にして二十歩ほど先か、行く手の葦が、ざわり、ざわり、と揺れている。その合間に、ゆらり、ゆらり、と覚束ない足取りで遠ざかってゆく背中が見えた。

 身の丈は中背。砦の中の凄まじい破壊の跡から、ザインも思わずむくつけき大男の姿を頭の中に思い描いていたが、身体つきもどちらかと言えば痩身――おそらくは男だろう。

 ザインが“囲め”の合図を出す。無言のままダッジとヘイズが二手に分かれて、一層身を沈めて葦原の中を搔き分け、男を取り囲む位置取りに移動してゆく。

 頃合いを見て、ザインは手にした短弓に矢を番えると、ゆっくりと男の背に照準をつける。

 仕損じた場合に備え、ダッジとヘイズを配置に付かせたが、ザインはこの不意撃ちの一射で男を仕留める心算つもりだった。

 ――正直、ヤツの“技芸アルス”の正体には興味がある。

 だが、そんな好奇心を満たすためにまともにやり合うのは、阿呆のやることだ。


「《隼の矢》」


 ザインの呟きに応えて、番えられた矢が青白い燐光を纏う。

 ザインの“技芸アルス”――《隼の矢》――は、術者の放つ矢の速さを飛躍的に高めるものである。

 言ってしまえばの単純な“技芸アルス”だが、単純であるが故に、強い。

 いま構えているような短弓で放つ矢に、強弓こわゆみの一射に劣らぬ威力を乗せることができる。

 それこそ長弓から放てば、敵陣最奥に守られた大将首をも射貫いて見せる自信が、ザインにはある。


「あばよ」


 引き絞った指を、放す。

 瞬間、青い閃光と化した矢が男の背に突き立つ――寸前、慮外の反応速度で身を翻した男の手にした長剣が、辛うじてザインの放った矢を斬り払っていた。


「てめェッ!!」


 立ち上がりながら、思わずザインは叫ぶ。

 向かい合う男の後方の葦原から、左右に分かれて位置取りしたダッジとヘイズも身を起こしたのが見えた。


「……てめぇだな。スノリ砦をやったのは」


 ザインの問いに無言のままゆっくりと周囲を見回すと、改めて男がザインと視線を合わせる。


 ――飢えた痩せ犬のような眼をした男だった。


 年はまだ若い。

 しかし、幾つもの死線を潜ってきた老兵のような気配が周囲に漂う。

 そして、染みついたあまりにも濃い死臭。


「――ったら……」

「ああ?」

「違う、って言ったら……通してくれるのか……?」


 ぜぇぜぇと荒く肩で息しながら、男が宣う。

 人を食った物言いに、かっと血が昇りそうになった頭を軽く振って鎮めると、ザインは男を観察する。

 装備は鎖帷子を着込んで籠手をはめた程度の、驚くほどの軽装である。道中捨てたのかもしれないが、兜すら着けていない。右手には使い込まれて傷だらけの細身の長剣。左手には小盾。

 やはり、あれだけの破壊を齎し得たとは到底思えぬ身形みなりである。

 しかも、男の身体の至るところには折れた矢が突き立ったままで、あちこちに負った刀傷、刺創から血が流れ続けている。

 葦の叢の間から見た男の足取りもよろよろとして頼りないもので、ただ立っているだけのいまも、指で一突きすればそれでもう倒れてしまいそうなほど身体がふらついている。

 だが、それだけの傷を負いながらも、この男がスノリ砦の兵を鏖殺おうさつせしめたのは疑いようのないことなのである。


「ダッジ! ヘイズ! 構えろォ!」


 ――手加減はしない。


「最初からアレで行くぞ」


 ザインの指示に、ダッジが背負った得物を振りかぶる。

 それはダッジ自身の背丈にも及ぶような長さの分厚い鋼の板に、申し訳程度の刃付けを施したような武骨な大剣だった。

 ダッジの“技芸アルス”は《剛力》である。術者の膂力を高める、やはり単純な“技芸アルス”ではあるが、ダッジ本来の身体能力と合わさり、その猛威で戦場を圧する。

 対してヘイズも短杖を眼前に掲げる。

 ヘイズの“技芸アルス”は少々特異だが、三人の連携の起点となるものである。

 ザインも短弓に次の矢を番え、“技芸アルス”の名を唱える。

 じりと間合いを調整し、あとはザインの号令を待つばかりとなった、そのとき――


「……ああ、一個だけ……」


 ふいに男が声を上げる。


「あんたたち、『“守護者”にもう一度逢わせてくれる“技芸アルス”』持ち、って……知らないか?」


 ザインは眉をひそめる。

 人が“守護者”とまみえるのは一度だけ、と過去の類例は物語っている。

 二度目はない。

 あるのは、冷厳な死だけだ。


「……知らねぇし、聞いたこともねぇな」

「あぁ、そうか……」


 男はさして残念そうでもなくひとりごちると――得物を構えた。


「じゃあ、やろうか――」


 男の宣戦布告に場にびりついた緊張が走る。

 ザインとヘイズの間で、視線が交錯する。


「ヘイズ! やれェ!!」


 ザインの指示に応じて、ヘイズが自身の“技芸アルス”の名を唱える。


「《風神の槌》」


 途端、男を中心として、葦の叢が精密な円形に圧し潰される。

 ヘイズの“技芸アルス”――《風神の槌》――は、局所的に重力を強める術である。

 直接的な殺傷能力はほぼないと言っていいが、敵の動きを著しく阻害するには十分。

 男も重圧に膝を崩しかけ――ぎりぎりのところで、耐えた。

 そこにダッジが躍りかかる。

 ヘイズの“技芸アルス”の範囲、強度、適切な進入角度を完璧に把握したダッジの大剣の一撃が、獲物に襲いかかる。

 大概はここで決着が着く。

 だが、ヘイズの術が生み出す重圧と、そこに最適な角度で打ち込まれたダッジの渾身の一撃を、男は姿勢を崩しながらも長剣の刀身を添えるようにして受け流す。


「そこだッ!!」


 そこに三手目――ザインの《隼の矢》が男の心の臓を狙って放たれる。

 そこをわずかに角度を変えた男の長剣が割り込み、あらかじめ読み切っていたかのごとく軌道を逸らす。

 結果として、ザインの必殺の一射は男の脇腹をわずかに抉るに留まる。

 次の瞬間、ダッジの一振りが大地に叩きつけられ、噴き上げられた土砂と葦の破片がもうもうと視界を遮った。

 それが収まった後には――しかし、依然満身創痍ながら立ち上がった男の姿があった。

 だが、男が手にした長剣は、ザインの射撃を受け流した代償として半ばからぽっきりとへし折れている。

 惜しげもなく、もう用を果たさなくなった得物を男が投げ捨てる。


「もう一度仕掛けるぞォ!! 構えろ!!」


 ザインの飛ばす指示に、ダッジとヘイズが即座に得物を構え直す。

 そのときだった。


「……まあ、これぐらいか……」


 男が呟きながら、腰の革帯からなにかを引き抜く。

 男が無造作にぶら下げるそれは、鋭く尖らせた切っ先で鎧の隙間を突くことだけに特化した短剣――鎧徹よろいとおしである。

 警戒するザインたちを尻目に、男はそれをゆっくりと両手で逆手に構え、躊躇うことなく


「なっ……!? なんのつもりだてめェ!?」


 思わず問うザインに、男は答える。


「なあんだ、心配してくれるのか?」


 自身の血に塗れた鎧徹しを、ぞんざいに投げ捨てる。


「心配はいらないぜ」


 不敵な笑みを浮かべながら、言葉を続ける。


調


 ザインの背筋に戦慄が走る。

 

 いますぐにコイツをらなければ、全員られる。


「ヘイズゥッ!!」


 ザインの絶叫に応えて、ヘイズが“技芸アルス”を発動させる。


「《風神の槌》ッ!!」


 それを、死にかけのはずの男は棒立ちのまま受け、しぶとく踏み止まる。


「るあッ!!」


 大剣を大きく振り回して、ダッジが跳躍する。

 だが、そこで――重圧に抗いながら、男が徒手空拳の戦闘の構えを取る。


「――ダッジ!! 引けッ!!」


 ザインの制止の声も虚しく、ダッジはすでに宙に身を躍らせ、大剣を男に向かってすでに振り下ろしていた。

 男の鋭い左腕の振りが、ダッジの大剣の側面を捉える。

 重厚な鋼の塊が、飴細工のように歪み、破砕されるのを、ザインは見た。


「ヘイズッ!!――」


 さらにその破片が恐ろしい速度で飛散し、ヘイズの小さな身体をずたずたに引き裂く。

 そして――


「――ッ!!」


 渾身の力を込めて繰り出された男の右の拳がダッジの身体に叩きつけられ、それを無惨なまでに粉々に打ち砕き、その破片が恐ろしい速度でザインの眼前に――



* * *



 数瞬の記憶の断絶の後、ザインの意識は浮き上がった。

 だが、右半分の視界は完全に闇に覆われている。

 自分はいま倒れているのか。

 腕も脚も、どこも動かせない。

 息を吐こうとして、ごぼり、と血の塊が口から零れた。

 微かに動かせる視線を彷徨わせると、視界の端に傷だらけの男の姿が映った。

 男は慣れた仕草で帷子を捲り上げると、腹の傷にぱしんと血止めの軟膏を張り付ける。腰に提げた革袋から取り出した水薬ポーションを一息に飲み干すと、地面に放り捨てた。


「……なぁ、おまえ……」


 息も絶え絶えなザインに問いかけられた男が、びくりとこちらに振り返る。


「名は……なんてぇんだ……」

「……スヴェン」


 少しの間沈黙して、男は言った。


「“死にぞこない”のスヴェンだ」


 ははは、とザインは喉の奥で笑う。


「……なぁ、おまえが言ってた……」

「ああ?」

「“守護者”に逢えるとかなんとか……」

「あぁ……」

「ありゃどういう意味だ……?」


 スヴェンが視線を逸らして、心底忌々しそうな顔をする。


「あのクソ女神……」

「あ?」


 スヴェンが視線を戻す。


「俺の“守護者”は見た目だけはバツグンにイイだったよ」

「ああ」

「でも、あのクソ女神……!」

「おお」

「俺の“技芸アルス”を賽子さいころで決めやがった……!!」

「……あ?」


 当惑するザインに、あくまで真剣な顔つきでスヴェンは返す。


「一個目の賽子は“攻撃力9999%アップ”」

「ぱーせんと?」


 聞き慣れない言葉に、ザインは疑問の声を返す。


「なんだそりゃ?」

「俺も知らねえよ……ただ、このときはあのクソ女神も上機嫌だった……だけど、二個目の賽子だ」


 心底忌々しそうにスヴェンが表情を歪める。


「“ただしHP1%以下のときに限る”」

「んん?」


 またもザインは疑問の声を上げることになる。


「えいちぴー、ってなんだ?」

「俺にもわからねえよ……」


 スヴェンが不貞腐れた表情で答える。


「ただ、いろいろやってみてわかったのは……」

「のは……?」

「俺は瀕死のときだけ滅茶苦茶強くなれる」

「……難儀な“技芸アルス”だな」

「だろ?」


 心底うんざりした様子でスヴェンはぼやく。


「だから俺は死ねねえ」

「ん?」

「あのクソ女神のツラを一発ぶん殴ってからじゃねえと、死ねねえ」

「そうか……」

「そうだ」

「まあ、精々頑張りな……」

「おう」

「ただ、おまえ」

「ん?」

「……ろくな死に方はできねえな」

「承知の上だよ」

「そうか……」

「……じゃあ、俺はそろそろ行く」

「ああ……」


 ザインの傍らから、スヴェンが立ち上がる。


「……まあ、精々頑張りな……」

「おう」


 葦原をかき分ける音が遠ざかって行くのを聞きながら、ザインは目を閉じた。

 じきに、永遠の闇がやってきた。



* * *



 このスノリ砦の陥落を嚆矢きっかけとして、“第三次アルバント・イェスタ戦争”の戦端が開かれた。

 その中でスヴェンという傭兵がどう活躍したのか、歴史には記されていない。

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