第24話 続

「おはよ、ハルっち」


 何気ない、いつもの挨拶。けれど田中の顔はどこか不安げで、知らず知らずのうちに目が泳いでしまっている。


「……ぶはっ、何だよその感じ。こっちが気まずいわ」

「——っ!」


 田中の瞳孔が一瞬開いて、それを振り払うように勢いよく首を振る。


「そうだな、そうだよな! これだよこれ! やっぱハルっちはこうでないとさ」

「田中……お前、さてはMか」

「ち、ちげーし。本当、意地悪いなハルっちって」


 挨拶して、くだらない話で笑い合って、遅刻ギリギリになって教室まで走る。そんな当たり前のことが、今は何よりも愛おしい。


「そうだ、今日の放課後って空いてる?」

「あー、悪い田中。今日はちょっと用事入ってんだわ」

「へー、珍しいな。何の用事だよ」

「世界平和の維持」


 ポカンとした顔の田中に、つい吹き出しそうになる。


「——兼、デートだ」

「へ、デート? 誰と!?」

「それは……あ、やっべ、遅刻しそうじゃん!」

「おい、はぐらかすなって……!」


 スニーカーの感触を体全体で噛みしめながら、俺は日常の中を駆けていった。


 夕暮れ時、久しぶりに自分の部屋へ入りベッドへと転がる。頬を撫でるそよ風に、思わず寝落ちてしまいそうになった。


「ちょっと、何寝てるの? 約束が違わないかしら」

「……フウ、窓は入り口でもなければ出口でもないんだけど」

「そう思うなら、鍵くらい閉めておけばいいのに。いつか泥棒に入られるわよ」

「あーはいはい、そうですね。……閉められないってわかってて言ってるんだからタチ悪いよなぁ」


 差し出されたフウの手を取って、ゆっくりと起き上がる。


「ねえ、本当にいいの? 週に三回も変わってもらうなんて。……命の危険だって、あるのに」

「それ、確認するの何回目だよ。いいじゃん、俺がいいって言ってるんだから」

「そうじゃなくて、その……ただの強がりなら、別に嬉しくないから、やめて欲しいなって」


 向き合って、唇を重ねて、また離れる。

 まばたきをすれば、ぎこちなく目を伏せた俺の顔が視界に映りこむ。


「好きって理由だけじゃ、ダメか?」

「……よく真顔でそんなこと言えるわね」


 でも。そう彼女は続けて、躊躇ためらうように口をつぐむ。


「何だよ」

「……何でもない。気をつけて」


 窓枠に足をかけた俺を見て、フウは眩しそうに目を細めた。夕日はもう、地平線の向こうへ沈み切った後だというのに。


「いってらっしゃい」

「ああ、いってくる」


 こんな非日常も、慣れてしまえば悪くないものだと思う。屋根を軽々と飛び移りながら、少女の体に心を任せる。


『ねえハル君。フウが言いかけていたこと、特別に教えてあげようか』

「おいおい、あれだけ気にしてたプライバシーってやつはいいのかよ」

『ああ、もちろん。許可はきちんと、取ってあるからね』


 夜の闇につられ群がるシャドー。その前へと降り立ってかかとを鳴らせば、静寂に澄み切った音がこだました。


『幸せ、だってさ』


 その言葉を聞いた瞬間、これが夢じゃなくて良かったと、本気でそう思えた。

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目が覚めたら魔法少女とか、どこのラノベだっつーの 御角 @3kad0

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