プロローグ
「あ、悪徳問屋だったんですか!?」
ルティはブルーベリー色の瞳をくわっと見開き、紫金の髪の毛をガシッと掴んだ。
彼女は週に二回、山で薬草やキノコなどの高級素材を見つけては、歩いて一時間かかる首都のガレッツィオまで売りに来ている。
それなのだが、今日はなぜか問屋が閉まっていた。
おかしいと思いノックを繰り返していると、やたらと顔のきれいな騎士の青年が中から出てきたのがついさっきの出来事だ。
ルティは不愛想な青年騎士に不審者扱いされ、問屋内で事情聴取を受けることになってしまっていた。
というのも、なんと問屋は法外な値段で品物を売買し、さらにその利益を隠して法律に反することに使っていたらしい。そういうことで、王弟殿下の調査が入っている最中だった。
事情聴取をたった今終えて、品物の売買先が悪徳問屋だったというのを知ったルティの心境は複雑だ。
「……たしかに、ちょっと購入金額が安いなとは思っていましたけど。ひどいです」
今まで買い叩かれていたとは思っていなかったため、ルティはへなへなと椅子の背もたれに寄りかかる。
「超希少なハミングマツタケを、この店で売ったばかりだったんですよ!」
「いくらで売ったんだ?」
ルティが悔しがっていると、青年は資料を手繰り寄せて値段を確認する。
「金貨二枚です」
「そうか。どうやら相場は金貨十枚らしい」
ルティは「うっ」と声を詰まらせるや否や、両手で顔を覆って天井を仰いだ。
悔しさで震えてきそうなのをこらえ、深呼吸をしてから青年に向き合う。
「今まで買い叩かれたぶんの差額は、私のもとに戻ってきますか?」
「無理だろうな。どうしてもというなら問屋を訴えたらいい。多少は戻ってくる可能性もある」
しかし、ルティはその提案に肩を落として首を横に振った。
「騙した相手も悪いですが、騙された自分の無知が招いたことです。これだから、世間知らずのお嬢様と言われてしまうわけですね」
「……お嬢様?」
いまさらながら、自分が名乗っていないことに気付いてルティは慌てた。
「申し遅れました。私はルティ・コルボールと言います」
「まさか、あのコルボール伯爵令嬢か?」
穴が開くほど見つめられて、ルティは気まずくなる。
「そのまさかの、コルボール伯爵令嬢です。元、ですけど」
三百年前に当時の王朝を支えたコルボール家は、王国の旧家の名門貴族だ。
現王朝にひっくり返る以前は、首都からほど近い緑豊かな領地を治めていた。
名家のお嬢様のわりには、と言いたそうな含みのある視線を向けられて、ルティは身を縮めた。
自分がただの町娘にしか見えないことを彼女自身よく知っている。青年の空色の瞳は、ルティに対する強い疑いを持っているように思えた。
「身分を偽っていると思われても仕方ないですよね、こんな格好ですし……ええと、証拠は……あっ!」
ルティは今まで地面におとなしく座っていた、とある生き物を持ち上げる。青年に見えるように、机の上で腕を前に出してかざすようにした。
クリーム色をした両手に余るくらいのサイズのそれは、尻尾をぱたつかせてぷぷぷぷん! と鳴いた。
「この子は私の相棒で、真珠豚のボーノといいます!」
青年は本気でぽかんとしたあと、眉間にうっすらとしわを寄せる。
「…………ただの子豚に見えるのだが」
ルティは青年の返しにムッとした。
「白くないだけで、れっきとした真珠豚です! それに高級キノコを探りあてる優秀な嗅覚を持っていて……と、話がそれましたが、ここを見てください。首輪に当家の紋章があります」
ボーノの首元には、スプーンをかたどったコルボール家の家紋がついている。
「なるほど。君は本物のコルボール伯爵令嬢というわけか」
「……元、伯爵令嬢です」
なぜ、と問うように青年に見つめられてしまい、ルティはこうなってしまったいきさつを彼に話し始める。
ルティの両親は病気がちな幼い弟を残して、崖崩れに巻き込まれて四年前に他界してしまった。
父が分家の当主と揉めていたということもあり、叔父と叔母に家財や土地をすべて取り上げられ、あっという間に修道院送りにされたのだ。
不幸中の幸いだったのは、ルティが当時まだ成人していなかったことだろう。
もしも成人していたのなら、確実にどこかの金持ちの貴族の後妻や妾にされていたに違いないのだから。
しかしルティは助かっても、騎士を志していた弟としてはとんだとばっちりだ。
騎士になることで身体の弱さや自己肯定感を補おうとしていた弟は、騎士学校への入学費用の工面ができないことを知ると、心を閉ざしさらに病に臥せりがちになってしまった。
どうにかして弟に元気になってもらいたいルティは、修道女長と話し合いの末、弟のために資金調達する許可を得た。
幼馴染の豪商の家で会計作業を手伝い、隙さえあれば山に薬草や高級キノコを採りに行き、毎日せっせと働いている状態だ。
「ですから、この高級なキノコが売れる場所がないんじゃ困りました」
「他の店を探すか、知人をあたってくれ」
「知人はほとんどいません。お店もここしか……」
現当主である叔父が大枚をはたいて貴族連中を味方につけたせいで、ルティも弟も社交界では無視されている存在だ。
事情をそれとなく察した青年は、それでも自分にはどうにもできないとばかりに首を横に振った。しかしそれでは困るので、ルティは食い下がらなかった。
「では、お仕事を紹介してもらえたりしませんか?」
彼のたたずまいから滲み出る気品は、貴族で間違いないとルティは踏んでいる。コルボール家の家紋を見せて、一発で本物だと見抜いたのだから間違いない。
であれば、メイドの手が足りていない大きな屋敷を所有する知り合いの、一人や二人くらいはいるはずだ。
「猫の手も借りたいくらいお困りの高貴なお知り合いとか、キノコをお探しの大富豪のかたとか」
「あいにくどこも手は足りている」
「ならば、一部のマニアックな人々の間で重宝されている、特別な薬草を大特価でお譲りします!」
ルティが市場の客引きのように自信たっぷりに言うと、青年はあきれたように美しい眉をつり上げた。
「……そんな顔しなくても」
「ひとまず座ってくれ」
困りながら下を向いていると、青年は薬草をやっとみる気になったのか、品物を見せてみろと口を開いた。
まるでレースのように重なった、非常に美しい形の花弁を見せたとたん、彼は目を丸くした。
「これは、幻と言われる花じゃないのか?」
「そうです。劇薬にもなりますが、分量さえ守れば痛み止めとして大変有効だそうです。ただ、貴重すぎるので……」
つらつらと説明していると、彼はいつの間にか身を乗り出すようにして、穴が開くほどルティを――正しくは手に持った薬草を凝視している。
「えっと、その……決して違法なものではありませんから、ね?」
しげしげと見つめられて、ルティはすすすと身を引く。
しばらく考えた素振りのあと、彼は手袋をした指でトン、と机を軽く叩いた。
「コルボール伯爵令嬢。君にぴったりの仕事を思い出した。引き受けてくれるなら、弟の入学資金の問題はなくなる」
その言葉を耳に入れた瞬間、ルティは目を輝かせる。
「どんなお仕事でしょう!?」
「この先にあるクオレイア公爵家で、住み込みで三か月ほどの手伝いだ。その間の衣食住は保証するし、修道院には公爵が話をつけるから弟も心配ない」
ルティがぱああと表情を明るくすると、「ただし」と青年は口の端をニヤッと持ち上げる。
「ただし、なんでしょう?」
「超、極秘任務だ」
ルティは即座に「お任せください!」と返答していた。
家族である可愛い弟のためだったら、姉としてできる限りのことをしたい。
幼くして両親を亡くしたルティは、たった一人の家族を想う気持ちを人一倍強く持っていた。
超極秘任務だろうがなんだろうが、いい案件には違いない。それも、公爵家ならば安全は保障されて当然、お給料もがっぽりだろう。
「守護聖人に誓ってなんっっっでもします!」
騎士学校への入学日が差し迫る中、稼げることを躊躇する理由はない。ルティは後先考えず拳を握りしめていた。
「決まりだな。では、今からわたしの『恋人役』を演じてもらいたい」
「わかりました! ……――えっ!? はい?」
言われたことが理解できず、ルティはあんぐりと口を開けた。そんな彼女にかまわず、青年は続ける。
「申し遅れたが、わたしはオーウェン・クオレイア。クオレイア公爵と呼ばれている」
「はいっ!?」
身分が高いのは見てわかっていたのだが、まさか公爵家の跡取りとは。
「……おっしゃっていることの意味が、まったくわかりません」
女性が見たら卒倒するような甘い笑顔を見せてきだが、目が笑っていないように思えてルティは身を引いた。なんだか悪寒がするが、絶対に気のせいではないだろう。
「ぜひ『恋人役』をよろしく頼む、ルティ・コルボール伯爵令嬢」
ルティはあははと笑ったあと、笑顔をひきつらせた。
「元、伯爵令嬢で……というか、やっぱりお断――」
「今からわたしと君は『恋人』だ。聖人に誓ってなんでもするはずだったよな?」
ぴしゃりと言われてしまい、ぐうの音も出ない。
こうしてルティは、なかば強制的に公爵様の『偽恋人役』の仕事を引き受けることになってしまっていた。
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ちょっとまだ色々とまとまりきらないところがあるため
不定期更新で申し訳ないですがよろしくお願いしますm(__)m
神原
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