真剣勝負

増田朋美

真剣勝負

その日は、とにかく暑い日で、何処かの県では台風がやってきたということで、色々騒がれていたところであったが、杉ちゃんたちの静岡県では、よく晴れていて、本当に夏だなあと思われる日であった。なんだかほかの県で台風がやってくると騒がれているのに、申し訳ないと思ってしまうくらい晴れていた。

「あ、ここだここだ。私が、人生観とか変えてくれた人だから、相談にも乗ってくれると思うわ。」

と、一人の絽の着物を着た女性が、一人の背が高い男性を連れて蘭の家の玄関先にやってきた。そして、なんの迷いもなしに、彼女は玄関のインターフォンを押した。

「あれれ、誰だろう、こんな暑いときに、ここへ来るなんて。」

蘭はそれを聞いて、インターフォンの受話器を取った。

「はい、どちら様でしょうか?」

蘭が言うと、

「あの、彫たつ先生でいらっしゃいますよね。私ですよ。峰山です。峰山優子です。」

インターフォン越しに女性が言った。蘭は、峰山優子という人にそう言えば、去年の冬に背中に観音様を入れた事を思い出して、

「ああ、峰山さんですね。すぐにお入りください。暑いですから、早く家に入ってくださいませ。」

と蘭が言うと、彼女は、

「私のフィアンセもいいですか?」

と、言った。このときは、その人物の顔を見たわけでもなかったので、どんな人物なのかよく分からなかった。とりあえず蘭は、二人分の椅子があるから大丈夫ですといった。

「じゃあ先生、お邪魔します。」

と言って、部屋の中に入ってきた。蘭はそれを見てびっくりしてしまった。一緒にやってきたフィアンセという男性は、日本人では絶対無い身長で、髪は金、目はとてもきれいな青。つまり白人であることは間違いなかった。

「先生、あたしの夫になりました。峰山ピーターです。」

と、優子さんが、そう蘭に紹介すると、

「ピーターです。はじめまして。ロンドンから参りました。よろしくお願いします。」

と不正確な発音でピーターさんはそう言ったのだった。

「はい。僕は、彼女、峰山さんの背中に、観音様をほったことで知り合いました、彫師の彫たつ、本名は伊能蘭です。よろしくどうぞ。それで、今日はどうされたんですか?もしかして、ピーターさんと夫婦になるので、彼にもなにか彫ってくれというんじゃないでしょうね?」

と蘭が言うと、

「ええ、それだったらいいんですけどね。実は、あたしたち、結婚する予定なんですが、あたしの母がどうしても許してくれないんです。日本の伝統をちゃんと知ってる人でなければ、うちの敷居はまたがせないって。それで、あたしは、どうしたらいいのか分からなくて、それで蘭先生ならわかってくれるかなと思って、相談に来ました。」

と彼女、峰山優子さんは言った。

「そうですか。峰山といえばあまり数の少ない名字ですが、峰山さんという有名な方ですと、お琴奏者の峰山小巻さんの娘さんですか?」

蘭がそう言うと、優子さんは、はい、そうですと小さな声で言った。

「いやあ、、、そうですか。峰山小巻さんの娘さんですか。それは非常に難しいと思いますよ。峰山小巻さんは、本当に、お琴の世界では有名な女性です。その女性が、果たして外国人を受け入れる事をするでしょうかね?答えは、峰山小巻さんの演奏を聞けばわかると思いますよ。」

蘭は一般常識的な事を言った。

「そもそも、なんで峰山小巻さんの娘さんであるあなたが、どうしてイギリスから来られた男性と結婚しようなんて思ったんですか?」

「ええ。ピーターさんが、母のお教室に入門したことで知り合いました。あたしは、その時、まだ弟子を持つことは許されていないで、母のお手伝いをすることしかできなかったんですけど、ピーターさんはお琴がすごく好きになってくれて、それをずっとやってもいいと言ってくれました。だから、あたしも、彼のことが好きになって、この人なら結婚してもいいと思うようになりました。」

と、峰山優子さんは、そう馴れ初めを説明した。

「しかし、峰山小巻さんと言えば、お琴の世界では大変有名な存在です。それも、古典筝曲の名手として、ディスクをリリースするほどの方です。その方がよく、ピーターさんを入門させましたね。大体、日本の伝統に携わる方は、ヨーロッパ人を毛嫌いする傾向があるようですけど。」

蘭は思わずそう言ってしまった。

「でも先生だって、外国で和彫を普及させたりしているのでしょう?それなら、あたしだって、そうしてもいいじゃありませんか。それにピーターさんは、あたしと一緒にお琴教室をやってくれると言ってくれたんですよ。」

優子さんはそういうのだった。

「つまり、婿養子になると言うことですね。」

蘭は困った顔でいった。

「そうです。あたし、一人っ子であることは先生もご存知だと思うんですけど、母からは、散々お婿さんをもらうようにと言われていました。今まで何人か男性と付き合いましたが、そうなってくれると言ってくれた男性は、ピーターさんだけでした。あたしが、婿養子という形で結婚してくれと言ったら、多くの男性は、嫌がって逃げていきました。ですが、ピーターさんだけがそれをしなかったんです。」

優子さんは、一生懸命言った。蘭が困った顔で次の返答を考えていると、

「おーい蘭、買い物行こうぜ。今日は、水曜日だろ。特売日ですごい安くなってるぞ。」

と、杉ちゃんの声がした。

「ああ、杉ちゃんだ。なんでこんな時に限って、来るんだろう。」

蘭は、やれれという顔をすると、車椅子の音がして、杉ちゃんはどんどん入ってきてしまった。蘭が、許可したわけでは無いと言ったのに、杉ちゃんという人はどんどん入ってきてしまうくせがあった。

「あれれ、お客さんが来ていたのか。もしかして蘭のクライエントさん?なかなかいい顔してんじゃん。もしかして、ヨーロッパからいらしたの?」

杉ちゃんは初めての人にも平気で話しかける癖があった。それはいいのか悪いのかよくわからないけど、杉ちゃんという人は、すぐにそうしてしまうのである。

「はじめまして、僕の名前は影山杉三です。あだ名は杉ちゃんって呼んでね。外国のやつは、あだ名で呼ぶのは慣れてるよな。それで、お前さんのお名前は?」

杉ちゃんが言うと、

「はじめまして。峰山ピーターです。よろしくお願いします。」

とピーターさんは言って、杉ちゃんに頭を下げた。

「それで、今日はどうして蘭の家に来たんだよ?」

杉ちゃんがそうきくと、

「なんでも、ピーターさんと彼女、峰山優子さんが結婚するということなんだが、彼女のお母さんである峰山小巻さんが、ものすごく反対していて、結婚を認めてくれないんだそうだ。ピーターさんが婿養子になることを、承諾してくれたのにね。」

と、蘭はそう説明した。

「うーんそうだねえ。普通の家の人なら、国際結婚を認めるかもしれないが、お前さんのお母さん、峰山小巻さんは、お琴の世界ではものすごい大物だぞ。一杯弟子も抱えていて、こないだも国立劇場で盛大な発表会をした覚えがある。それくらいの人だから、外国人を婿養子に取るというのは、認めないと思うよ。」

杉ちゃんが言うと、

「ええ。ピーターさんは、母のお琴教室に来てくれて、一生懸命習ってました。そして、お琴がとても好きになってくれて、ずっとお琴をやっていてもいいと言ってくれたんです。だから、あたしは彼と一緒に母の教室を引き継いでもいいと思ったのに。」

と、峰山優子さんが言った。

「まあ、そうだけどねえ、、、。これはねえ、、、お琴教室の存在意義もかかってくると思うんだよねえ。普通の家だって先祖代々続いているのを大事にするような家もあるけれど、お琴教室をやってるような家では、それがもっと大事なんじゃないのかなあ。そういう家の中に、外国人が入ってくるというのは、うーんそうだなあ、、、。難しいなあ、、、。」

杉ちゃんは頭をかじりながら言った。

「じゃあ、彫たつ先生たちもあたしたちの結婚を認めてくれないと言うんですか?」

と、峰山優子さんは言った。

「いや、そういう事を言うわけじゃないですけど、でも、お母さんが反対される気持ちがわからないわけでも無いので、それは、難しいと言っているだけのことです。」

蘭がそう言うと、杉ちゃんも、

「それともあれか、白蓮事件の二の舞いになるか?」

と、からかい半分で言った。ちょっとあなたと優子さんが杉ちゃんに詰め寄ると、誰かのスマートフォンがなった。どうやら優子さんのものらしい。

「はいもしもし。」

優子さんがスマートフォンを取って話し始めた。優子さんはすぐにえっと言って、なんでそんな事と言って、がっかりと落ち込んだ顔になり、電話を切った。

「どうされたんですか?」

と、蘭が言うと、

「いえ、見合いの話が出たんです。親戚の息子さんと私を見合いさせる事になったと。その人は、お琴の演奏もちゃんと心得ているから、私にはぴったりだということで。」

と、優子さんはそう言い始めた。ピーターさんはがっかりした顔をしている。

「まあ、相手が相手だから、そうなっても仕方ないわな。それでお前さんは、ピーターさんといったね。つかぬことをきくが、お前さんはお琴は弾けるのか?」

と、杉ちゃんが言った。

「ええ、ほんの少しですけど、弾くことができます。」

ピーターさんは不正確な発音でそう答える。

「じゃあ、十八番は?」

杉ちゃんが聞くと、

「沢井忠夫の讃歌。」

とピーターさんは答えた。

「ははあなるほど。そこもお前さんたちが結婚できない原因かもしれないな。沢井忠夫さんは若いやつからの支持はあるが、古典筝曲を愛好する人には壊し屋みたいなもんだからなあ。」

杉ちゃんは腕組みをしていった。

「できれば、古典筝曲を、一度弾くようにしないと、絶対認めてもらえないと思う。例えばそうだねえ、新青柳とか、八重衣みたいなそういう曲を弾きこなせないと、無理だと思うよ。一度、それらの楽譜を買って、一生懸命練習して、お母さんの前で弾いてやるくらいの気持ちでいなくちゃ。それくらいのことをやってみなきゃだめだと思う。」

「しかしですねえ。新青柳も八重衣も大曲で、讃歌どころではありませんよ。ちょっと外国人に弾かせるのは難しいんじゃないですか?」

と、蘭は、ピーターさんを養護した。

「そうかも知れないけど、やって見なくちゃだめだ。よし、すぐに楽譜を買って、勉強して見るんだ。それで、真剣勝負しろ。」

杉ちゃんに言われて、

「わかりました。できるかどうかわかりませんが、やってみます。」

と、ピーターさんはきっぱりと言った。

「新青柳をですか?あれは、大変難しい曲ですよ。」

蘭が言うと、

「それはわかります。ですが、どうしても、しなければならないと言うのであれば、やってみます。」

ピーターさんはそういった。

「よし、それならそうしよう。すぐにお琴屋に問い合わせてな、新青柳の楽譜を買うんだ。それで、頑張って練習して、優子さんのお母さんに真剣勝負するんだな。」

杉ちゃんに言われて、

「わかりました!」

ピーターさんはそういうのだった。

その数日後、優子さんは、母の峰山小巻さんに叩き起こされた。

「何をやっているの!すぐ起きなさい!今から、平野さんのところにお見合いに行くのよ!」

優子さんは、はあとポカンとした顔をしたが、

「電話でいったでしょう?今日は、お見合いの日よ。」

と小巻さんに言われて、優子さんは仕方なく、中振袖に着替えた。こういうときに、一人で着物を着られるのはいいことであった。そうすると、誰にも邪魔されずに着替えられるので。

小巻さんは、優子さんの中振袖をどうしてそんな地味なものをと言って批判したが、彼女は、それで行くと言い張って、お母さんの小巻さんと一緒に、お見合い会場である、富士で有名なホテルに行った。相手の、平野さんは、お父さんとお母さん、そして、息子さんの三人で到着したのであった。息子さんは、しっかりした感じの人で、たしかに結婚しても、いいなと思われる人でもあった。平野さんの息子さんの、平野正義さんは、丁寧に自己紹介をして、平野家の次男であるが、これから、峰山家に入るのであれば、頑張って筝曲の発展に尽くしますといってくれたのであった。それは、とても頼りになりそうな人だったけど、峰山優子さんは、何故か、納得できない様子だった。

「何をしているの?平野正義さんはとてもいい人じゃない。」

と、小巻さんが言うと、

「そうかも知れませんが、私にはもったいない方だと、、、。」

優子さんは、申し訳無さそうな顔をする。

「何を言っているの。これ以上いい申立はないじゃない。それを断ろうなんて、あなた何処かおかしいのでは?」

小巻さんは、困った顔でいった。

「あの、ピーターとか言う男にかなり騙されたのね。あの人は、決して私達の筝曲を受け継ごうとする人じゃないわよ。それは私が長年見ているから分かるの。そうじゃなくて、本当に筝曲が分かる人と一緒になりなさい。」

「でも私には、、、。」

優子さんは、小さい声で言った。

それと同時に、廊下を走ってくる音がした。そして、ふすまがガラッと開いた。なんとやってきたのは、着物姿をしたピーターさんだった。

「ちょっとまってください!」

ピーターさんは不正確な発音で、優子さんたちの前で言った。

「あらあなた、いつの間にか着物を着られるようになったの?やっとそれを覚えてくれたのね。でもそれだけでは、日本の筝曲を理解したことにはならないわよ。」

と、小巻さんが言った。

「へへん。着物は、僕が着やすいように紐をつけたんです。僕、こう見えても和裁屋だから、そういう事はすぐできるのよ。」

杉ちゃんが、ピーターさんと一緒にやってきて、カラカラと笑った。

「着物を着られるようになったので、ピーターさんも古典筝曲に挑戦して見るんだって。ちょっと演奏を聞いてやってくれないかな。ホント、触りだけでいいんだ。聞いてやってくれよ。」

杉ちゃんがそういって居る間に、ピーターさんはお琴を用意し、正座で座ってお琴を弾き始めた。曲目はもちろん新青柳である。歌だって音も外せずに歌えたし、手事の複雑で難しいメロディーも、ピータさんはちゃんと弾いた。

弾き終わると、平野さんたちが拍手をした。

「いやあ、外国の方が、そんなお上手にやってしまうとは思いませんでした。なかなかいい感じでは無いですか。」

と、平野さんたちは言うのであるが、

「そういうのであれば、優子さんをください。」

ピーターさんは、不正確な発音でそういったのである。

「そうさせてください。優子さんを絶対に不幸にさせないという気持ちは、誰にも負けませんから。」

「そうですが、あなたのような人を筝曲の世界に入れるわけには行かないんです。あなたは、日本の文化とか歴史とか何にも知らないでしょう。それでは、ただ弾けるだけではだめですよ。」

小巻さんはばかにするようにそういうのであった。

「じゃあ、本格的な新青柳を弾いてみたらどうだ?」

と、杉ちゃんに言われて、小巻さんは、

「わかりました。」

と言って、ピーターさんが持っているお琴を取り上げて、カバンの中から出した爪を付けて、弾き始めたのであった。確かに大物の箏曲家である以上、演奏技術はすごいものだった。それに歌の音程も正確だし、ビブラートもちゃんとかかっている。やはりすごいなと言わざるを得なかった。

小巻さんが、手事の演奏を終えようとしたとき、ぶちという音がして、お琴の弦が切れた。

「ああ、ごめんなさい。糸締めは、またお琴屋でしますから。」

ピーターさんは、申し訳無さそうに言った。お琴の張替えというのは、弾き手であれば誰でもできるかというものではない。古筝などの楽器であれば、自力でなんとか糸締めというか張替えができるが、お琴は専門的な技術が必要で、糸締めは職人に頼むのが通例であった。

「これはもしかして、私に恥をかかせたの?」

と、小巻さんは、ピーターさんに詰め寄ったが、

「お前さんが怒ったから弦が切れただけのことだよ。」

と、杉ちゃんに言い返されてしまって、黙ってしまった。

「ごめんなさい。すぐに糸締めしてくれる方を探しますから、お待ち下さい。」

ピーターさんはそう言って、インターネットで糸締めをやってくれるところを探し始めた。その態度は決して小巻さんをバカにしているとかそういう態度ではなくて、きちんと、張替え先を見つけようとしてくれているようだ。

「随分いいお弟子さんじゃないですか。他のお教室にはなかなかそういう人はいませんよ。峰山さんは流石ですね。きっと知名度のある峰山さんだから、そうやって、いい人が集まるんですよ。それは、絶対敵わないことだ。お陰で最後はあなたに負けました。」

平野さんのお父さんがそう言いだした。平野さんたちは、もうそれで納得してしまっているらしい。

「峰山さん、あなたは、日本人以上に真面目なお弟子さんをお持ちですな。」

「そんな。」

小巻さんは、嫌そうな顔をするが、平野さんたちは、もう納得してしまっていて、迷いはないようであった。そうなってしまうと、意志を変えるのは難しい。

「それでは、峰山さんの後継者には彼になってもらうといいと思いますよ。それでいいじゃありませんか。外国の人であろうと、日本の人であろうと、音楽を愛する気持ちは同じだと思いますよ。それは、比べてはいけないことだ。だからぜひ、峰山さんの後継者として迎えてあげてください。」

平野さんたちは、諦めきったように言った。

「それでは、正義のお相手は、また誰か別の人になってもらうということにしますかな。」

「どうもありがとうございました。こいつには、もう、ピーターさんが相手になるってわかってるからな。今更手を出さなくてもいいんだよ。ははははは。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「糸締めしてくれるところが見つかりました。近くでは無いですけど、出張で着てくれるところもあります。電話してみましょうか?」

ピーターさんが、小巻さんにそう言うと、

「そうね。電話してみて。」

小巻さんは初めて、ピーターさんにものを頼んだ。



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