第3話 宮廷美食コンテストの告知

 ベッティーナが出て行ったあと、私もさっと身支度を整えた。エルブ家の女性が代々受け継ぐ黒い髪に黒い瞳。少し小柄な私は、東の国から伝わった墨を一滴にじませたような漆黒の長い髪をお団子にまとめて、エプロンをはおる。

 今日も変わらずお皿を洗うだけの単調な一日だ。それでも、この仕事をしていれば大好きな料理、あこがれだった料理人、そしてなによりうるわしい王太子殿下のいる華麗な世界のすみっこにいることができる。

 それだけでも幸せだ。たしかにいじめはひどくなっていくけれど、それは夜だけ。日中は日の当たる場所の片隅でひっそり息ができる。その記憶を胸に、つらい夜を忍んで眠りにつくのだ。

 エプロンのひもを後ろできゅっとしめる。今日の仕事もがんばろう。

 小走りに大膳所へ通じる廊下を駆けていくと、いつもお触れの掲示される宮廷の掲示所の前で、人だかりがしているのが見えた。

 なにか目新しい掲示でもあったのかな?

 人混みをすり抜けて前へ出ると、ゲオルク殿下の紋章が付いた上質の紙に次の言葉が連ねてあった。

「獅子月十六日、宮廷美食コンテストが催される。出場希望者は、ゲオルク殿下が後日発表される食材を使用した健康的で独自の料理を作り上げること。優勝した者は、ゲオルク殿下の紋章を掲げたレストランを開業することを差し許す」

 この掲示を見たとき、あきらめた夢が再度こころの中でよみがえった。まるで砂漠で枯れていた可憐な花が、あまい雨を得て再び咲いて人の目を楽しませるかのようだった。

 そうだ。私は料理人になりたかった。エルブ家の人間として宮廷料理長になる夢は、お兄様のいのちを奪った罪で断たれたけれど、自分だけのちいさなレストランを開いて、人々に喜んでもらえたらいい。

 ゲオルク殿下の紋章をいただくということは、有機農業を応援する殿下のオーガニックブランド「ジョルジュ」から、公的に多大な支援をいただくということだ。健康的な料理を考えてみんなに提供することで、殿下と少しでもお近づきになれたなら……。

 夢は、荒野を駆け抜ける一陣の風のように、私の枯れた心で吹いている。あまい夢は風に揺れる花のような殿下との恋にもつながるのだ。

「銀のゲオルク」という異名で呼ばれる殿下の銀色の髪は、初めて殿下をお見かけしたとき、そよめく風にふわりとなびいていたっけ……。

 そのとき、掲示所に集まった人々がどよめいた。彼らの視線の先を追うと、そこには愛しい殿下が、軽く手を上げて人々の歓声に応えていた。

 ゲオルク・フォン・クラウト殿下は24歳。勇猛な軍人でもあり、戦場では白銀の甲冑をまとい、王家累代の宝物のひとつである銀のレイピアを片手に愛馬で駆けるらしい。その姿を見た敵は、「銀のゲオルク」が駆けつけたと聞いただけで退却していくという。有名な知将でもあり、あらゆる兵法書を学んだその鮮やかな作戦展開には、古参の軍師たちも形無しだという噂だ。

 銀色の長髪、ヘーゼルグリーンの瞳。189センチの長身に、彫りの深いくっきりとした顔立ち。殿下はもちろん女性たちの憧れの的で、私もその一人なのだけれど、なにより殿下を有名にしたのは、王族に似合わない「食べ歩きが大好き」という趣味だ。殿下はよくお忍びで街を散策し、ふらりとレストランに入って料理を注文し、それが気に入ると城に帰って「ゲオルク殿下の三つ星レストランガイド」に掲載される店の一つに加える。この本はロングセラーで、国中のレストランがこの本に載ることを望み、載った店は何よりの栄誉としているのだ。

 私は殿下のお姿にうっとりしたけれど、やがて自分の仕事を思い出してみじめな現実に引き戻された。

 私は兄殺しの皿洗い。とても殿下のお近くに進むことはできない。

 ――リーゼお姉様にはお似合いよ。

 エミリアの美しくも驕慢な笑みが思い浮かぶ。私はしおれて殿下から視線をそらした。

 そのとき、殿下の隣に黒いローブをはおった若い男性が、影のように付き従っているのが目に入った。

 顔はここからではよく見えないけれど、もしかしたらベッティーナの言っていた殿下の新しい家庭教師なのかしら?

 彼女がどんな人に恋をしたのか興味はあったけれど、私は悶々としてその場を離れた。だが、背中に視線を感じてふっと振り向いた。

 家庭教師だという青年が、こちらに顔を向けている。私を見つめているらしいが、時間に追われている私はその場を急いで離れた。

 ぞくぞくと感じる心のざわめき、何かを知らせる第六感のささやきに耳を傾けることができずに……。


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贖罪の王妃アンネリーゼの薬草レシピ~「ねこまんま食堂」へようこそ 猫野みずき @nekono-mizuki

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