暴れウォシュレットは二度死ぬ

惟風

暴れウォシュレットは二度死ぬ

「ワシのウォシュレットでお主の菊門を清めてみんか」

「出たな暴れウォシュレット!」


 男子トイレ内に、下半身裸でバールを持つ俺の怒号が響き渡った。

 時刻は深夜二時。

 古びてはいるが地元民に愛される四階建てショッピングモールの二階、西側トイレで「暴れウォシュレットが出る」という噂が広まったのは、いつの頃からだったろうか。少なくとも、十年前には既に多くの人の知るところとなっていた。

 丑三つ時に用を足していると勝手にウォシュレットが起動し尻をズタズタにされる、そのまま全身をミンチにされて最後には排泄物と共に便器内に吸い込まれていく――そんな怪談話が。

 真夜中にショッピングモール内をうろつく人間などいない。ましてや二階で排泄に励むなんて都市伝説にしても出来が悪い、とほとんど笑い話としての語り草だった。

 だが。


「どこにいる! 姿を見せろ!」


 俺は尻も拭かずに立ち上がり辺りを見回す。今しがた着座していた便座は沈黙し、何の変哲もない無機物の様相を呈している。変態的なセリフを発した第一声以来、暴れウォシュレットはその気配を消してしまった。

 無駄に明るいトイレの中で、俺の荒い息遣いだけが耳に響く。自分の鼓動の音までも聞こえるようだ。

 集中するんだ。奴は必ず、姿を現す。

 目を閉じて深呼吸をする。特有のアンモニア臭が肺を満たした。

 親父も、こうしたのだろうか。


 噂が出回りだした当時、暴れウォシュレットの話を信じる者はいなかった。

 俺の親父、ただ一人を除いて。


 好奇心が強く稚気に溢れ「ツチノコいたもん」のような子供の訴えにも、本気で向き合ってくれる人だった。

 そんな人だったから。

 十年前のある夜、胡乱な話の真相を確かめてみようとショッピングモールに赴き帰らぬ人となった。母とまだ小学生だった俺を残して。

 ショックを受けた母はそれから一年ほどして、父の後を追うようにして亡くなった。

 俺はこの地元からは程遠い親戚の家で育てられることになった。

 今日、成人してやっと戻ってこれたのだ。復讐をするために。


 神経を研ぎ澄ましゆっくりと目を開ける。バールを持つ右手に、改めて力をこめる。ただの鈍器じゃない。由緒正しい霊能者から譲り受けた、神聖なバールだ。


「“闇の暴れウォシュレット”と呼んで欲しいのう」


 個室の横の壁を穿って、ビームのような水が横切った。すんでのところでしゃがんで避けたのは、長年の修行により身についた危機察知能力によるものだった。考えるより先に身体が動いた。

 転がるように個室を出る。何も着けていない下半身の動きは軽い。

 入口近くの手洗い場前に、通常よりも三倍は大きい洋式便器が浮かんでいた。

 その便座から伸びたノズルから、マシンガンのように立て続けに水が噴き出す。

 俺はバールをバトンの如く回してそれを跳ね返した。

「大人しく尻を洗わせておけば良いものを」

 殺意を含んだ声色だった。

 再び、マシンガンが繰り出される。

「何度やったって同じことだ!」

 俺は同じようにバールを回して弾いた。

 一瞬、攻撃が止んだ。

 呼吸を崩されたタイミングで、俺の両足を水の弾丸が貫いた。たまらず、両膝をつく。

「バカな……射程は見切っていたハズ……」

「ビデじゃよ」

「クソッ!」

 やられた。ウォシュレットとビデはノズルの位置が違う。

 足元の床が赤く染まっていく。アドレナリンが出ているのか、痛みはそこまでではない。だが身体に力が入らない。急激に血を失ったせいか視界がボヤけていく。まずい、このままでは意識が……


「イキの良い人間は味も上物。尻だけでなく全身を洗ってやろう」


 ノズルが動く気配がした、ビデからウォシュレットに切り替える気だ。

 今またあのマシンガンを撃たれたら、俺は蜂の巣になるだろう。

 ここまでなのか。

 諦めかけた時だった。


 どこからか、鳥の囀りが聞こえてきた。

「音姫……だと……? 馬鹿な、ここにはないはず……」

 暴れウォシュレットにとっても想定外の出来事のようで、便器を動かしキョロキョロと見回す素振りをする。

 それは決して大きくはない、けれどはっきりと耳に届く心地良い音色。戦いの最中というのに、全身に優しさが染み渡るようだった。どこか懐かしい、そう、遠い記憶にある子守唄のような。


「かあ……さん……?」


 知らず言葉にしていた、だがそれは俺を奮い立たせるのに充分な響きだった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 俺は膝立ちのまま、両手でバールを振りかぶる。

 背中を反らした反動を存分に活かして、よそ見をしている暴れウォシュレットにバールを全力で投げ込んだ。


「ぐわああああああああああああああああああ」


 汚い断末魔と共に便器は真っ二つになった。


「やっ……た……やったぞ……」


 俺は達成感と共に床に転がった。

 止血をしなければいけない、頭ではわかっているけど、重たい身体は言うことを聞かなかった。ついでに膀胱も意思に反し、生暖かい感触が足の間を伝った。血と混じり合った液体は、俺が入っていた個室にまで広がっていく。

 何とか上体を起こす。バールが砕いた便器が視界に入った。


 俺は目を瞠った。

 砕けた破片が集まり、割れた陶器を再生しようとしていた。


「嘘だろ……」


 バールは遥か前方に転がっている。這って間に合うかどうかも怪しい距離だ。その前に、もう移動する力なんて残っていない。

 逡巡している間にも便器は元の姿を取り戻しつつある。

 嫌だ、悔しい。死にたくない。


「残念だったな」


 傷ひとつない姿になると、暴れウォシュレットはノズルの照準を俺の眉間に合わせた。

 恐怖で反射的に目を閉じる。


「が……っ…… 何だ……これは!?」


 素っ頓狂な声と、激しい水音。そして鼻が曲がりそうなほどの刺激臭。微かな飛沫が顔にかかる。

 恐る恐る目を開けると、暴れウォシュレットが大量の茶色い水に飲み込まれ、個室内に吸い込まれていくところだった。


「こ……の、黄金の力……何故だ、何故こんな……」


 もがくように便器の蓋が揺れている。徐々に亀裂が入り、欠けた破片ごと汚水に引きずり込まれていく。俺はそれを呆然と見ることしかできない。


「聖なる水によって、力を得たのさ」


 暴れウォシュレットとは違う男の声が、個室からした。

 その声は。


「やめろおおおおおおおおおおおおお」


 個室に姿を消した暴れウォシュレットの悲鳴がトイレ中に響き渡った。

 静けさを取り戻したトイレで、俺は腹ばいで個室を覗いてみた。そこには、暴れウォシュレットはおらず平凡な便器があるだけだった。元から存在しなかったかのように、汚水ごと消えてしまった。


 ****


「それで、どうなったの?」

 つぶらな瞳で息子が俺の顔を見上げた。瞬きの回数が多くなってきている。もうおねむの時間だ、今夜は夜更かししすぎたかな。

「もう二度と、罪無き人を襲う暴れウォシュレットは現れなくなった。今もそのトイレはショッピングモールの中にあるんだ。ただあれ以来、トイレ付近で痴漢や不審者が出ると、男子トイレのある個室から水が噴き出して犯人を撃退するようになったんだ」

 俺は息子の頭をゆっくり撫でた。

「すごいじゃん!」

「さしずめ、“光の暴れウォシュレット”ってところかな」


 息子から視線を外し、カウンターの端に目をやる。

 幼い頃に写した家族写真の中の父が、ウインクした気がした。



 <fin>

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