第65話 辿り着けない背景に挑む

 今年入学した坂部の大学生活最初の夏休みが終わろうとしていた。高村と坂部は来た時と同じように、大場さんの運転するシーマで福井駅まで行った。今度は美紗和さんも同乗して駅まで見送りに来てくれた。

 典子さんと利貞ちゃんが亡くなり、高村家の直系は美津枝さんを残して、ようやくその幕を閉じた。おじいちゃんの遺訓はこれで途絶えて、父の利忠を中心にして高村家は古い因習から抜け出し新しく生まれ変わった。だが大場さんは相変わらず父と兄の克之を送迎して、裕介はまた大学に戻る。生活は今までと変わらないが気の持ち方、気分は一新した。 

 駅までのシーマにはどう言うわけか裕介が助手席で、美紗和さんと坂部が後部座席で話し込んでいた。これで美紗和さんと坂部には、次の冬休みまでには大きな進展が見られそうだ。

 大場さんと美紗和さんに見送られて列車は福井駅のホームを離れた。此の夏休みは思いの他に厄介な難題と新しい恋に目覚めさせた。差し引き坂部にとってはプラスだが高村も典子さんとの間に決着をみた。

「高村、お前本当に心中するつもりで夜叉ヶ池に行ったのか」

「三人揃って池に身を投げたのは事実だと謂うのになんで急にそんなことを聞くんだ」

「溺れた割には医者の見立てではお前あんまり水を飲んでなかったそうだなあ」

 本当に三人揃って身投げしたのか、そこでまだ納得感が湧かなかったが、葬儀が終わり落ち着くまでは禁句だった。

「聞いた処に依るとあの池に飛び込んで俺達の所まで泳いできたのは坂部、お前だそうだなあその時に見ただろう三人揃っていたのを……」

 今更何を言わすんだと謂う顔をした。

「三人とも浮いていたって言う事はそんなに水を飲んでなかったそうだ普通は沈むからなあ」

 少ないのは俺だけじゃないと居直られた。

「真っ先に子供を引き揚げて岸辺にいる美紗和さんに預けるととって返して二人を両手に抱えて水中に足蹴りしながら泳いだがお前の方が軽かったから沈まないだろうと思って途中から典子さんを抱えて岸まで泳いで美紗和さんも腰まで浸かって典子さんを抱えてくれると直ぐにとって返してお前を最後に引き上げたんだ」

 これには高村は沈黙した。それで話題を変えた。

「そうかそれはそうとして典子さんはいつあの池に行くとお前に同意したんだ」

「いつも行ってる店の前で待ち合わせしてその時に夜叉ヶ池に行くと言えば典子は頷いてくれた」

「早朝にか? 普通は子供も誘えばあんな処へ行くか? それはそれとして、利貞ちゃんも知っていたのかあの道行きは」

「じいちゃんのところへ行くと言えば頷いてくれた」

「意味を知ってるのか」

「そうだろう典子に明日一緒に出るときは連れて来るように言ったからその時に説明しているはずだ」

「だから何て言って連れ出したんだ」

「もうあんな煩わしい事で一生振り回されないようにするからと朝早くに呼び出したんだ」

「それで子供まで呼び出してスンナリ付いて来たのかそこが判らんから判るように話せ」

「昔、伯母さんが家出をした者同士だから今度は家出でなく駆け落ちをするんだと言ったんだ」

「この町を出ると言ったのか」

「そうだその前に此の門出を占う意味で夜叉ヶ池に詣でると言って連れ出したんだ」

「そんな所で何を占うんだ」

「前途洋々かそれとも波乱か、とにかく典子が気を惹くものを並べた」

 追い詰められると此の男はそこまでして道連れにするのか。

「それでどんな方法で占うのか」

「あの池の淵から伸びている木の枝にモリアオガエルは卵を産み付けその孵化した抜け後を見てその日が相応しいかそうでないか見極める」

「そんな占いがあの池にあるのか?」

「ない!」

「嫌にハッキリ言い切るなあ」

 これには呆れて、そこまで誤魔化すかと思った。

「そうでもしないと付いてこないだろう」

「じゃあは典子さんはあの家を出られる事にはどう思って出たんだ」

「最初は利貞をあの家のあるじにすれば実質は自分が差配出来るから俺に会社のことを義父から学んで欲しいと頼まれたのだが……」

 遂に典子さんは子供のために覚悟を決めたようだ。

「それが重荷だった」

 ウッ、と言葉を詰まらせた。今まで何のためにあくせくと、此の男は祖父から学んできたんだ。

「なんせ亡くなった祖父から色んな物の価値や教養を教え込まれたが会社経営は一切教わってない。そこから謂えるのは会社はおやじや兄貴に任して典子は家内を取り仕切れば良いと割り切ったのだが利貞が生まれておじいちゃんが急に考えを変えたのだ。彼女が全てを取り仕切るように祖父が刷り込ませたのだ。もう俺はそんなおじいちゃんには我慢がならなくなったんだ」

「それでどうしたんだ」

「お前が今逗留しているあの部屋に行った。そこで『おじいちゃんに言われて跡取りを作ったんだからもう楽隠居してくれ』と頼んだがこれにはおじいちゃんは激怒した処へ千里がお風呂が沸いたと知らせてくれた」

 これで俺は後が支えているからと話を中断させて千里に連れて行かせた。祖父はこう云う頼みなら千里が言えば結構聞いてくれるからその場を何とか凌げた。だが頭に血が上った状態でそのまま風呂に入って脳溢血を起こされてしまった。

「それがお前の云う楽隠居か」

「直ぐに典子にはこれで今まで通りにすれば良いと言い聞かせたんだが、もうスカッリおじいちゃんに刷り込まれたから貴方が祖父に代わって利貞を此の家のあるじとして宣言して欲しいと言われた。それは父親を宣言するのに等しいから今まで躊躇ためらっていたんだ」

 こんな大事なことを半年もうやむやにするか。まあ本人は毎日葛藤の連続で解決策が見出せずに、遂に坂部に現状を見せ付けたのだろう。

「それでどうして心中したんだ」

 何でこんなつまらん解決策を導き出したのか、そっちを追求すればこの男はまた半年以上掛かるのか。

「お前が導いてくれた」

 これには開いた口がふさがらない。

「俺の所為せいにするのか」

 と怒るより、やれやれ何処までお坊ちゃんなのかと思う。この男の恋に対する決断力にはとうとう情熱が最後まで感じられなかった。

「坂部、お前に此のまえ話した早野勘平やけどなあ」

「また忠臣蔵の話か」

「違う忠臣蔵は忠義に生きた人の話やけど仮名手本忠臣蔵は早野勘平に象徴されるようにその狭間に揺れ動く忠義に翻弄される人達を描いているんや俺みたいに、そやさかい俺の言いたい事が判るやろう」

 早野勘平が恋と忠義に揺れ動くのなら、俺は祖父の執念に揺れ動かされた。それで遺訓に翻弄されたのが俺と祖父の本来の姿やと思う。そやさかい何も考えずに本懐を遂げられるんや。そんな上手く行く人生なんか何処が面白いのや。しょうもない人生やさかい面白しろて、やがてやって来る哀しさが美しいと思えてくるのとちゃうか。

「そうでもしないとあの池の淵で三人の真ん中に立って典子と利貞の肩を持って飛び込めないだろう。俺はお前と違ってあの解決方法しか導けなかったが、もし坂部、お前がいなければ俺はもっと卑屈な事をしたかも知れないから感謝している」

 理屈どうりに生きられないお前に、そう言われても感謝の仕方が違うような気がするが、俺も美紗和さんに巡り逢えたことでお前に感謝したい。

 此の北陸トンネルは新幹線を除く在来線では、日本一長い長いトンネルで、此処を抜けるとパッと明るくなった。やがて車窓からは大きな湖が見えると、二人を乗せた列車は越前大野を離れ、琵琶湖を望む近江路をひたすら走った。


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それで如何するか(辿り着けない世界・夜叉ケ池) 和之 @shoz7

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