竹藪
高黄森哉
竹藪
そろそろ夕方かな、という時刻に、ある男は竹藪の前を通り過ぎました。石の塀に囲われた土地の中、竹が鬱蒼としています。鳥居があって、入口から竹藪を覗きますが、
全ての竹は背が高く、しなりながら天を目指しているようでした。その時、風が吹いて、こっちへおいでよと言わんばかりに、幹が静かに揺れました。烏が鳴きます。鳥は鳴きながら竹藪へ飛び込んでいきます。彼は鳥を追うように、真っ白な石で出来た鳥居をくぐり抜けます。
むせかえるような竹林の匂いが、まず、彼の鼻腔を刺激しました。あく抜きしていないタケノコの味を何倍にも濃縮して噴霧した、竹林独特の芳香です。彼は頭がくらくらするようでした。
地面は笹の葉の絨毯になっていました。まるでカマキリの羽を拡大したかのような形状の枯れ葉が一面に堆積しています。その表面はとても滑りやすく、彼は散策中、なんどもころんでしまいました。また、笹の葉の地面には、動物の背骨かなにかのように竹の根っこが飛び出していて、男に、罠のように作用しました。
もう帰りたい、彼は思いました。転んで、傷だらけで、匂いでくらくらして、気分もすぐれません。ですが、竹は等間隔に生えているので、どこを見ても同じ景色でしかなく、彼は自分が一体、どこから来たのか不透明になりました。
竹林は夕日を受けています。抹茶の器の底に居て、真っ赤な唇を見上げているような色彩です。男は泣きました。そして涙を流している途中、気づいてしまったのです。そうです、ここは、一度足を踏み入れたら二度と出てこれないことで有名な竹林だったのです。そういえば、そんな話を友人がしていたことを、今になってようやく、思い出しました。
「君、どうしたんだい」
「はっ。貴方は」
男が見上げると、そこには、人のよさそうな白い顎鬚を蓄えた老人が立っていました。救世主を見つけて、涙が止まりせん。
「私は植物学者じゃよ。この竹林を調査しに来たんじゃ」
「ここは一度、足を踏み入れると、もう出れない場所です。どこも同じ景色で帰り道が判りません。助けてください」
「大丈夫だよ。わたしは方位磁石を持ってるからね」
彼はホッとしました。羅針盤は、狂ったりせず、同じ場所を刺し続けています。男は、学者についていくことにしました。
「これはこれは」
学者は、地面を探り、鳥の死骸を持ち上げました。地面から足が見えていたのです。男は驚愕しました。それは、ここに入る前に鳴いていた、あの烏では、ありませんか。どうして、竹藪に入ってから鳴き声が聞こえないか、ずっと不思議だったのですが、実は死んでいたのです。
「ふむ。融かされている。私の仮説は正しいようだ」
「仮説。仮説ってなんですか」
「まあ、君には言ってもいいだろう。この人が入ってしまうと、二度と帰ってこない竹林は、実は巨大な食虫植物なのだよ。林全体に、毒ガスを充満させて、中に入った生物を殺して、養分にしてしまうんだ」
「ははあ。そんなことがあるんですね」
「いや、これはまだ仮説にすぎないがね。む、匂いが強まってきた。これはさっきより強烈だ」
と学者は、その事態を予測していたのでしょう、ガスマスクをつけました。
「僕にもください」
「生憎、私は一つしか持っていないのでね。それに、仮説を試すいい機会だ」
ガスマスクでくぐもっていましたが、男には確かに、そう聞こえたのです。
「ひ、人殺し」
彼は叫び、学者へ向けてタックルをかまします。しかし、その学者は竹林の毒ガスが見せた、幻覚でしかありませんでした。彼は、そのまま足を根っこに引っかけて転び、彼の首にはタケノコが突き刺さった。
竹藪 高黄森哉 @kamikawa2001
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます