13話
10時40分
「なあ、よろっと準備しね?」
すっかり秀の上でくつろぎスマホをいじり始めた叶向に、スマホから視線を離すことなく秀は問いかける。
「あ〜、そうですね……」
スマホゲームをしながら叶向はやる気のない返事を返す。
「準備すっから降りろ」
「それはそれで名残惜しいと言いますか……」
「時間もったいねーじゃん」
「おっしゃる通りなんですけど……秀さんがチュウしてくれたらすぐ動けるんですけど……」
「体勢きついからむり」
「え、じゃあこれならどうですか!?」
勢いよく起き上がると、叶向は秀の前に正座をする。
「するならしやすいかもな」
すくっと立ち上がると洗面台へと向かう。ぼけーっと歯磨きをしていると、リビングの方から慌ただしい叶向の足音が近づいてくる。
「ひどいじゃないですか! 期待させるようなこと言ってほったらかしなんて!! そーやって俺のことを
「うるせーな」
「秀さんと並んで朝から歯磨きなんて……新婚さんっぽいですね」
「そーだな」
「んもー、照れちゃって」
「だりぃな」
「だる絡みぐらいさせてくださいよ!」
* * *
「か、完璧です!!」
鏡越しに映る秀を見つめて叶向は目を輝かせる。
「俺の目に狂いはありませんでした!」
「すげぇな」
叶向によってセットされた自身の髪をまじまじと見る。
「秀さんは絶対にセンターパートが似合うと思ってたんですよ」
「普段デコ出さないからソワソワする」
「お、俺に秀さんがゾクゾクしてくれるなんて……」
「そんなこと言ってねぇだろ」
11時20分
「もう昼近いじゃん、早くでよーぜ」
早々に支度を済ませた秀は玄関で靴を履き終えると、いまだに脱衣所から出てくる気配のない叶向を急かす。
「今行きます!」
あたふたと支度を終えた叶向が荷物の最終チェックをし始める。
「バッグにどんだけ物入れてんだよ……」
「いろいろですよ。ティッシュにハンカチ、モバ充とか家の鍵とか財布に——」
「そんなにいるか?」
「いるんですー」
「モバ充とか車なんだからいらねーだろ」
「……それもそうですね、でもないと落ち着かないんで入れておきます」
叶向はサコッシュの隙間を埋めるように荷物をきれいに入れる。対して秀はボディバッグに財布と鍵のみといった身軽なスタイルだった。
「俺と秀さんの初デートですね! 楽しいな〜」
アパートの階段を踊るように降りると、叶向は上機嫌にスキップしながら車へと向かう。
「先に蕎麦食おうぜ、腹減ってきた」
「いいですよ! 俺ナビしますね、お邪魔しま〜す」
車に乗り込むと、叶向のナビに沿って目的の蕎麦屋まで走らせる。
「こんなに明るい時間から秀さんとデートできるなんて……ドキドキしますね」
「ドキドキするポイントがわかんねーよ」
「深夜のドライブデートしかしてこなかったのに、突然お昼の健全デートなんですよ?! ある意味ドキドキするじゃないですか!」
「語弊がある言い方をするな」
「語弊だなんて! 本当のことじゃないですか」
叶向のペースに乗せられたまま会話は弾む。あっという間に、目的地である蕎麦屋へと到着した。
「何にしますか?」
叶向は楽しそうにメニューのページをめくる。
「ざるそばと天ぷらの盛り合わせ」
「決まるの早くないですか?」
「一番おすすめって書いてあるし、うまそう」
「確かにどれも美味しそうですけど……もうちょっと色々とみてみましょうよ」
「んー、ざっと見たけどやっぱり最初にいいなって思ったのが一番いい」
「え〜、俺なににしようかなー」
パラパラとページをめくる。
「すみません、俺こういうの結構悩むタイプで」
「別に急ぎじゃないし、ゆっくり選べばいいじゃん」
真剣な表情でページをめくる叶向の顔を秀はじっと見つめる。
「……あの、そんなに見つめられると……緊張すると言いますか……選びにくいと言いますか」
「え、わりぃ」
叶向に言われて初めて自身の視線に気づくが、逸らすことなく困った顔をした叶向を見つめ続ける。
「きれいな顔してんなーって」
「えっ……!」
「え?」
「きゅ、急にどうしちゃったんですか⁉︎ 俺、もしかして今口説かれてます??」
「いや、思ったこと言っただけ。口説いてねぇよ」
「た、たらしだ」
「おい、誰がたらしだ」
「天然たらしだぁ」
「さっさと食うもん決めろ」
* * *
「美味しかったですねー」
「だなー」
「俺腹一杯です、秀さんよくアイスおかわりできましたね」
「そばの実アイスうまかった」
車に乗り込むと、二人はふうっと一息つく。二人とも満腹でしばらくの間放心状態が続く。
「次は不動産ですよね、ここから近いんですか?」
「近いところに店舗があるから、そこまでナビよろしく」
「任せてください」
心地のいい六月の風を頬に感じながら秀は車を走らせる。隣にいる叶向といえば、なにやら落ち着きのない様子で窓の外と秀の方を行ったり来たりと、忙しなく視線を動かしていた。
「トイレか?」
「あ、いえ、違います……その、ちょっと気になったことがありまして……」
「ん?」
「今更なんですけど、秀さんって今恋人とかいるんですか?」
「……すげー今更だな」
「すみません……」
「今はいないかなー」
「ほ、ほんとですか!?」
「うん」
「じゃあ、じゃあ、俺が一番の恋人候補ってことでいいですか⁉︎」
恋人候補。叶向のその言葉に案外すんなりと受け入れることができる自分に秀は戸惑う。
「……マジかよ」
戸惑いは無意識に言葉に出ていた。
「マジかってどーいう意味ですか!?」
「わかんねぇ」
「お、俺としては秀さんの恋人になれたらすごく嬉しいんですけど……も、もちろん、秀さんの気持ちを待つつもりですし、無理強いするつもりもないですけど……その、できればお付き合いしたいと言いますか……ちゃんとした告白とかまだしてないのでアレなんですけど——」
「わかったから……!」
急に早口で話し始める叶向を停止させる。
「落ち着け」
「すみません……」
「付き合うとか恋人とかじゃなくても、今は友達とかでも良いだろ」
「それじゃやです。俺は秀さんの特別になりたいんです」
「……」
「それに! 友達だと秀さんとセックスできないじゃないですか! 俺は秀さんとイチャイチャしながら恋人セックスがしたいんです!!」
「……ちょっとぐっときたけど今ので台無しだな」
「ぐっと来てくれてたんですか⁉︎」
「途中までな」
「それって脈ありじゃないですか!」
「途中まではな」
「今は?!」
「ほら、ついたぞ」
車を降りると、スタスタと店舗へ向かう秀の後ろを叶向が小走りで追いかける。
「待ってくださいよー。まだ話の途中じゃないですか」
「続きなんてねーよ」
渡された受付表を記入する。あらかじめ問い合わせしていたため、物件はすぐに紹介と内見可能とのことだった。
「内見ってなんだかワクワクしますよね」
「そーだな」
「てか、秀さんが良いって言ってた所2LDKなんですね」
「な、俺もさっき改めて間取り見て思った」
「え? 知ってたんじゃないんですか?」
「ガレージと立地しか見てなかったから、他の間取り知らんかった」
「そんなことあります……?」
信じられないといった表情を浮かべる叶向。
「自分でも思ったわ」
「ふふふ、秀さんて変なところ抜けてますよね」
くしゃっと笑う叶向の笑顔が可愛いと思ってしまったことが悔しくて、逃げるように受付表に視線を移すとぶっきらぼうに放つ。
「……うるせー」
紫陽花が咲くころに君と くろいゆに @yuniruna
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。紫陽花が咲くころに君との最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます