どこまでも行けたなら

月空 すみれ(ヒスイアオカ)

失恋

 幼なじみ。

 よくある家が隣同士、親同士が仲の良い関係。

 小さい頃からよく遊んだ彼に、当たり前のように、恋をした。


 彼の家の前で、彼が出てくるのを待つ。

 いつも一緒に学校に行っているから、割と朝が弱い彼を待つのは慣れている。

 しばらくして、ドアが開いた。

 出てきた彼に、沸き立つ心を抑えつつ、声をかける。


「おはよう」

「おはよ」


 眠そうに彼は返事した。

 気のない返事だけど、声が聞けて嬉しかった。

 通学路を二人で歩く。

 うららかな春の朝。

 風が気持ちいい。


「ねえ、今日の髪型、どう?」

「……その前髪流行ってるよな。女子皆その前髪でビビる」

「はあっ!? 他に言うことがあるでしょうが!」


 いつものように笑う。

 いつものように話す。

 いつも通りの日々。



 放課後、いつも通り二人で帰っているとき、兄の後ろ姿が見えた。

 兄は背が高いので、すぐに分かる。


「あ、お兄ちゃん!」

「っおわ、びっくりさせんじゃねえよ。ああ、今日も二人で下校?」

「そうだよ!」

「……まあ」

「仲良いなあ。付き合ってんのか?」

「はっ、そ、そんなわけないでしょ!」

「俺たちは別にそういう感じじゃないですよ」


 ……一瞬、自分で否定しておいて、胸が苦しくなった。

 彼は心なしか不機嫌な表情で、兄に反論する。

 照れ隠しとかじゃない、本当にそう思ってる顔。

 幼なじみ同士で、自然と付き合うなんて流れが、私たちの間では起きない。

 分かってる。


 兄は軽く笑って、私たちと一緒に歩いた。

 普段から嫌いなわけじゃないけど、兄はデリカシーがないと思う。

 折角二人きりだったのに。

 内心ふて腐れていると、ふと彼の横顔が目に入った。

 彼はなんだかきらきらした表情で、いつもより嬉しそうに、兄を見ていた。


「いやあ、マモルもでっかくなったなあ。もう中三か。はえー」


 兄は彼を頭をガシガシと撫でた。


「お兄さんは相変わらず背が高いですね」


 普通の会話。

 いつも通りに見える彼。

 でも、少しだけ幸せそうな顔。


「まあな。うちは高身長の家系なんだよ。ほら、瑞希だってお前と身長同じくらいだしな」

「はあっ!? 私の方が2㎝小さいの! それに、クラスには私より背が高い子もいるって!」


 いきなりそんなことを言われたので、私は思いきり兄を睨みつけた。


「おい、そんな怒るなよお」

「2㎝なんて誤差だろ」

「黙れ万年赤点野郎」

「あぁっ!? 黙れ高身長!」

「はーあ? 私は高身長じゃありませんし~!」

「落ち着けよお前ら……」


 兄が窘めて、彼は渋々と言ったように引く。

 それで、私も引かざるを得なくなった。


「そうだ瑞希お前、この前クラスメイトのこと殴ったんだってな。なんでそんなことしたんだ?」


 急に兄の顔が険しくなって、私は一瞬固まった。

 殴った。

 そう、確かに私は殴った。

 だってあいつは、彼のことを馬鹿にしたから。

『同性愛者なんだろあいつ。きもくね?』

 あいつの声が脳裏に蘇る。

 後悔はなかった。

 彼が傷付かないなら、なんでも良かった。


「……別に。ムシャクシャしてやっただけ」

「はあっ!? おい、それ本気で言ってんのか? 人を殴るのは犯罪なんだぞ!?」

「分かってるってば! あんたに関係ないでしょ!!」

「いや、俺は兄としてだなっ」

「お前、兄さんにまで迷惑かけんなよ」

「……っ、うるさいっ! ほっといてよ!」

「瑞希!」


 気づいたら私は駆けだしていた。

 彼の言葉が鋭く胸に突き刺さる。

 涙が滲む。

 こんなこと言いたかったわけじゃないのに。

 でも、もし彼がこのことを知ったら、きっと傷付くって分かってたから。

 言えなかった。

 言えなくて、でも、他に言い訳が思いつかなかった。

 馬鹿みたい。馬鹿みたい。

 私なんて嫌いだ。


 入り組んだ道を進んで、見慣れた公園まで来た。

 もう五時を過ぎているからか、子供は誰もいない。

 ブランコに乗って、無我夢中にブランコを漕いだ。

 漕ぎながら、涙が止まらなかった。



 事の発端は2日前で、兄が彼女ができたことを、私たちに伝えたときだった。

 彼はそのとき、他の人には分からなかっただろうけど、酷く傷付いていた。

 それで私は気付いてしまった。

 いや、本当は、もっとずっと前から気づいていた。

 気づかないふりをしていた。

 彼が、私の兄を好きだってことを。


 でも、分かったって、何かできるわけじゃない。

 マモルがこの前テストで2点取ったんだよ!やばくない?とか軽く言ってみたりして、話を逸らして。

 なんとかその場では耐えたけど、私だって泣きたかった。

 彼が失恋した瞬間、私も失恋してしまった。

 こんなに不毛な恋なんてない。


 彼が兄を好きだということは、誰にも言わなかった。


 でも昨日、彼が兄へ密かにあてた恋文が、なぜか学校の廊下に貼ってあって。

 あっという間に、それは学校全体に広がった。

 もしかしたら、間違って鞄に入っていたのが、落ちてしまったのかもしれない。

 それを悪意ある誰かが、たまたま拾ったのだろう。

 色んな偶然が重なった結果、秘密はバレてしまった。


 とにかく、それ以来、彼は同性愛者だということを隠さなくなっていた。

 学校では色んな視線に晒されるから、なるべく私が庇うようになった。

 彼はむしろすっきりしたようだったけど、どこか悲しそうにしていることを、私は知っていた。


 昨日の放課後。

 借りていた本を教室に忘れていたのを思い出して、教室に行った。

 中では複数のクラスメイトが話していた。

『まじさあ、アレは傑作だったわー』

『同性愛者なんだろあいつ。きもくね?』

『それなあ』

『手紙だろ? マモルってああいうやつだったんだな』

『私超ビックリしたあ』

『でもさ、いくらなんでも、廊下に貼り付けるのはやりすきだったんじゃね?』

『はあ? お前、あんなやつがいるってこと、皆知らなきゃ不公平じゃん』

『まあな』

『ほら、あいつの幼なじみの瑞希ってやつ、マモルのこと好きそうだったけど、どう思ってんのかな?』

『さあ? でもまさか自分の兄ちゃんに恋してるとは思ってなかっただろうな』

『……ま、結構良い暇つぶしだったんじゃない?』


 その言葉を聞いた瞬間、怒りが頂点に達して、私はドアをバンッ!と開けた。

 あいつらは私を見ると話すのをやめた。

 多分、私の顔は怒りですごいことになっていたと思う。

『お前らなんか、死ねッッッ!』

 叫んで、私はあいつを全身全霊で、何度も何度も殴った。

 周りの奴に妨害されても、とにかく只管。

 私のただならぬ気迫に押されたのか、周りの奴らも、あまりしっかりとは妨害してこなかった。

 あいつは抵抗したけど、私はそれでも何回か拳をあてた。


 くそみたいあいつ。

 人の気持ちを踏みにじるようなことをしたあいつを、許せなかった。


 兄は相変わらず、彼の思いに気づいていない。

 でも、もしかしたら、そのうち人づてに聞いてしまうかもしれない。

 私は兄にこのことを言うつもりはないし、彼もどうやら言うつもりはないらしい。

 あの手紙は気持ちを消化するために書いただけで、渡すつもりはなかったと言っていた。


 お互い不毛な恋なのだ。

 私たちの恋は、多分永遠に叶うことなく、終わっていく。


 胸が苦しい。

 分かっていても、簡単には割り切れない。

 彼が幸せなら、失恋したって良かった。

 でも、その幸せが叶うことはない。

 叶わないなら、いっそのこと、私を好きになってほしかった。

 無理だと分かっていても、この恋が叶うことを、心のどこかで期待していた。



 鳥の声が聞こえる。

 涙はようやく止まった。

 ブランコを降りて、暫し思案する。



 家に帰りたくなかった。

 でも、行くところもなかった。



◆◆◆◆




 付き合える可能性なんて0に等しいと、俺は初めから分かっていた。

 幼なじみの兄。

 あの人にとっては弟みたいなもの。

 最初は憧れだったものが、次第に胸を焦がす何かになっていて。

 好きになるつもりなんてなかったのに。

 自分でも分からない。

 自分のことが理解できない。

 今まで好きになったのは皆女だ。

 それこそ男友達といても、特にそんな気分になることはなかった。

 あの人だけが特別だった。

 他の誰でもない、あの人のことが好きだった。

 ただそれだけのことだ。


 性の壁はどんな時でも、なによりも大きく立ち塞がる。

 力にしてもそうだし、見た目も、感じ方も、接し方も、まるで違う。

 幼なじみの瑞希は女子らしくファッションに気を使っていて、輪郭だってふわふわしている。

 俺とは全然違う。


 もし俺が女だったら?

 何か、もっと、気持ち悪いと思われることなく、好かれることができたなら。

 思いを伝えられたなら。

 あの人はきっと俺の気持ちを知っても、突き放さないでいてくれるだろうけど。

 もしかしたら。

 もしかしたら、俺のことを拒絶するかもしれない。


 そんなことになったら、俺はもう立ち直れない気がする。

 分からない。

 自分が何故こんな不毛な恋をしてるのか。

 なんで好きになったんだ。

 恋じゃなくて良かった。

 恋じゃなければ良かった。


 それでも体は正直で、あの人に褒められれば舞い上がって、触られればどきどきして。

 同時に分かってしまう。

 意識されてないことを。

 理解してしまう。

 どうあがいても、俺があの人の恋の対象にはなり得ないことを。


 こんなことを思っていると知ったら、あの人はどう思うだろう。

 俺が心の中で考えていることを、バレないように、知られないように、伝わらないように、必死に隠して。


 嬉しいのに息苦しい。

 自分が気持ち悪くて、苦しい。

 一緒にいたいのに痛くない。

 嫌われたくない。

 嫌われたくないのに、さらけ出してしまいたくなる。

 気持ちを隠すように笑って。

 ごまかして。

 こんな思い、捨てた方が良いんだ。

 なのに捨てられない。

 頭で分かっているはずなのに。


 彼女ができた。

 あの人が幸せそうな顔をして、そう言った。

 俺はその瞬間、心の中に暴風が吹き抜けた気がした。

 無理矢理笑みを浮かべる。

 おめでとう、と祝福の言葉を紡ぐ。

 俺は今ちゃんと笑えてるのだろうか。

 分からない。

 でも、素直に祝えない自分なんていらない。


 そうだよな。

 かっこいいし、性格良いし、彼女できるに決まってるよな。

 分かってたはずだ。

 いつか、いつか諦めなきゃいけなくなるんだ。


 俺とあの人の人生は一生、交わることはなくて、ただ見てるだけ。

 幸せにすることも、家族として添い遂げることも、一番になることも、俺はできない。


 瑞希はあの人が浮かれているのが気に食わないらしく、『ちょっと浮かれないでよ気持ち悪い。それより、マモルがこの前テストで2点取ったんだよ!』なんてサラッと俺にまで飛び火するようなことを暴露する。

 驚いて目をまんまるにする彼。

 いつもは兄貴っぽく頼もしい顔なのに、そうやってふとしたときに幼くなる顔が、好きだ。




 家に帰って、散々泣いた。

 我ながら相当メンタルやられてるなあと、妙に冷静な頭で思う。

 こんなに泣いたのは幼稚園児のとき以来かもしれない。

 気持ちを消化したくてもできなくて、深夜のテンションで手紙を書き始めた。

 メンタルやられてるときに深夜テンションが重なるとやべーのな。

 俺は号泣しながら手紙を書いた。

 手紙はすぐに埋まった。

 夜中のテンションだと、選ぶ言葉もいちいちウザい。

 だが俺はお陰でものすごくすっきりした気持ちになって、見事眠ることに成功した。


 そして朝起きて、机の上にあったポエミーで恥ずかしい黒歴史の残骸を見て、顔から火が出るかと思った。


 そんな手紙なのに、何故か俺は学校の鞄に間違って入れて持ってきてしまっていたらしい。

 友達が焦ったような顔をして俺を呼ぶので何かと思ったら、何故か廊下に俺の手紙が貼ってあった。





 やっぱりちょっと疲れてるのかな、俺。

 現実逃避にも限界があって、泣きっ面に蜂というべきこの状況だ。

 俺は逆に笑えてきた。

 何だかもう全部どうでも良くなってきた。

 この手紙は誰にも見られたくない最重要機密文書なので、取りあえず掲示板から容赦なくむしり取って、ビリビリに破いて捨てる。

 周りに集まっていた生徒が、それを静かに見ていた。

 シュールな光景である。

 俺は友達の怯えた顔に、「そうなんだよ。俺、同性愛者なんだよ。まあでも振られたけどな。お陰で絶賛失恋中!」と軽く言ってみた。

 彼はハ、ハハ……と空笑いした。

 別に、そんな顔をさせたかった訳じゃねえんだけどな。


 周りを見回して、にっこりと笑みを作る。


「この手紙さあ、深夜のテンションで書いた黒歴史だから、ぶっちゃけ忘れてくれると助かるんだわ。後、同性愛者っつったって、別に男だったら全員好きになるわけじゃねーから。お前のことも、友達として好きだ。だから、できれば前と変わらず接してほしい」


 友達は俺の言葉を聞いて、気を取り直したのか、「そうだな! 同性愛者だからとか、そんなんで俺らの友情はなくならねえ!」と笑った。


「俺らの友情はちょっとくさいけどな」

「なあっ!? オイ、それでも親友かよおっ!」


 馬鹿な話をする俺たちに、次第に生徒たちも散っていった。

 ……この事をもし瑞希が知ったら、どう思うだろうか。

 少しだけそれが気になったが、きっと瑞希は、特に気にせず流してくれる気もした。



 あの人には、ずっと伝えない。

 伝えたところで困らせるだけだから、言わない。

 まあ、もし今の彼女とあっさり別れたら、俺がその後釜に座るのも悪くないけどな。

 その日がくるまで、当分この気持ちは秘密のままだ。





 ちなみに、これはのちに知ったことだが、男でも女でも両方を好きになる奴は、ゲイじゃなくてバイセクシャルと言うらしい。

 知らなかった。

 ネットって偉大だ。

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