どこでもドアは持ってないけど
朱々(shushu)
どこでもドアは持ってないけど
国際便なので少し早めがいいだろうとアドバイスをくれたのは、空港まで送ると名乗り出てくれた祖母だった。
荷物検査も早々に終わらせて、勢いに乗りカウンターでひとり、ビールまで飲む始末である。
楽しみという名の高揚感。わくわくという名の緊張感。改めて思う、ひとり旅という名の不思議な孤独感。今までに味わったことない心臓の動きをしているように思う。
窓の向こうに並ぶたくさんの飛行機たち。皆、それぞれ辿り着くべき行き先へ向かうのだ。自分の搭乗時間はまだ先だが、ますます冒険心が揺れる。
あぁ、ついに、ついに行けるのだ。
憧れのニューヨークへ。
幼少期、祖父の書斎に一枚の大きな絵があった。
本物ではないが、幼いながらにそのパワーに圧倒されたのを今でも覚えている。
「いつか一緒に、本物を見に行きたいね。華ちゃんも感動すると思うよ」
一緒に行く願いは叶わなかったけれど、祖父の言葉は、祖父が亡くなって数十年経った今も耳に残って離れない。
本物がニューヨークにあると知ったのは、学校の図書室にあった美術書だった。所蔵MoMA、ニューヨーク近代美術館である。
そのとき、自分がいる日本から果てしなく遠いことだけはわかった。同時に、いつか絶対に本物に会いに行こうと決めた。
高校生のときである。
バイトを細々ながらに続けていたおかげで資金も貯まり、念願の海外ひとり旅の行き先をニューヨークに決めた。小さいころ何度か家族で海外旅行に行ったことはあったが、ひとりで行くのは完全に初めてだった。大学に長期休みがあってよかったと心底思う。祖母から「お土産買ってきてね」と渡された金額も資金となり、思わず甘えてしまった。
ニューヨークだと決めてからの行動はまず、インターネットでの情報収集。ガイドブックも買った。地球の歩き方と、持ち歩きが便利そうなものを一冊。なるべく情報が被らないものにして、女子ウケしそうなお土産コーナーの多いページのガイドブックも買った。お土産候補は、日本未上陸のブランドものたち。毎日寝る前にめくっては、なぜかいけないことをしている気分のようだった。こんな浮かれ方は初めてだった。
同時に「ひとり旅」向けの本も買った。
そこには、ひとりでいるからこその注意点や危険予測、あったほうが良い持ち物など、実に細かく書かれていた。機内での過ごし方、街での過ごし方、海外ならでは特徴など。ネット上にはひとり旅をした人のブログもあり、かなり参考になった。
そして、ニューヨーク近代美術館の予習もした。どんな作品があり、どんな画家たちがいて、どんな空間かであることをまずは紙越しから味わった。
祖父が持っていたのは、フィンセント・ファン・ゴッホ作『星月夜』である。
うねる糸杉、濃い青、薄い青、厚みのある色の塗り方、月の輝き。
読み込めば読み込むほど祖父の書斎とも印象が違く、いろんな顔を感じた。
私はニューヨークへ行き、本物へ会いに行く。
こんなわくわくを、私は知らない。
十数時間エコノミークラスで過ごした体は、動かすたびに骨がバキバキと鳴った。首からは聞いたことのない回数骨が鳴った。おすすめの対策にあったのでメディキュットを履いてはいたものの、足のむくみは自覚するほどだった。
眠るときのアイマスク。機内は乾燥するのでマスクを着用。あえて大きめサイズのフード付きパーカーを買い、温度調節もした。髪の毛の乾燥は、フードで対策。足元は機内用スリッパを履く。座りっぱなしではなく、時々トイレを理由に足を動かすこと。座っているときには、足の指を開いたり閉じたりを繰り返すこと。全部、ガイドブックやネットで得た情報たちだ。
機内食を食べ、映画を観て、眠る。それらを繰り返し繰り返し、日本からやっと辿り着いた。憧れの街、ニューヨーク。着陸した瞬間、安心で息が漏れた。
ジョン・F・ケネディ空港は、怯むほど大きな空間だった。
私は英語がほぼしゃべれず、5W1Hで乗り切るつもりだった。あとは、ガイドブックの後ろに載っている英文の例をなんとなく覚えた。必要そうな文章はあらかじめ調べておいた。そんな私を母はひどく心配したが、祖母は笑っていた。
「今しか行けないのが一番よ。正々堂々いってらっしゃい」
その言葉は私の背中を押し、一歩踏み出すことが出来た。
何日も何日も経て下調べをし、飛行機のチケットを取って、ホテルの予約をした。アルバイト先に旅慣れしているスタッフがいるため、その人にもアドバイスをもらった。
「ひとりでホテル泊まるなら、大きなホテルの近くがいいよ。治安がいいだろうしね。駅が近いのもおすすめ。インフォメーションセンターは一番最初に行って、地図をもらうのがいいよ。あと時差ボケがあるだろうから、無理はしないってとこかな」
彼女らのアドバイスを快く受け取り、反芻した。計画を立てれば立てるほど、このにやけ顔はきっと人生初だろう。
別に現地で友達を作るわけじゃない。私はひとりでニューヨークへ行き、美術館へ向かう。これが、最大の任務なのだ。
空港からシャトルバスに乗り、セントラルステーションを目指した。そこさえ行けばなんとかなると、どのガイドブックにもあった。スーツケースをゴロゴロと引き、斜めがけのショルダーバッグは私物でぱんぱん。早くシャワーを浴びたい気持ちもさることながら、目の前に広がる景色に興奮が隠せなかった。
この街の圧倒的な美が、私を囲う。
いま私がいる国は、絶対的に日本ではない。日本ではない空気感と世界観が私を包む。すれ違う人々も、聞き取れる言語も、流れる音楽も、看板も広告も、全てが非日常。
どきどきする。
こんな胸の高鳴りを、私は今まで知らずに生きてきた。
なんてもったいない人生だったのだろう、とすら思ってしまう。
ひとり呆然としてしまったが、スリに注意せよというガイドブックの一文を思い出し、気を取り直してホテルを目指した。予約したホテルはセントラルステーションから近くにあり、シャトルバスの中で住所を確認したので覚えていた。
網の目のようなこの街は全ての通りに名前がついており、初心者の私でもわかりやすかった。看板も大きく目立つので、大変助かる。目当ての通りを目指し、スーツケースを転がしていく。
どんどん道を進むと、この街で暮らしているんだという人もいれば、私のような観光客も目立つ。さすが人種のるつぼと呼ばれる街だ。英語が出来ない私はリスニング能力も同様にないため、まるで自分が洋画の世界に紛れ込んだようだった。
様々な人種の人々が、街を行き交う。大きなサイズのスターバックスコーヒーを持って談笑する人々。ランニングウェアに身を包み走る人。急ぎ足で歩く人。西洋人も東洋人も、どんな国の人でさえ、この街は受け入れてくれる。
旅行に出る前、ニューヨークが舞台の洋画をいくつか観た。まるで不思議の国のように遠い存在だった街にいま、私はいる。映画の世界に紛れ込んでしまったようだ、とはこのことだろう。思わず口元がにやけてしまい、人生初めてのひとり旅の怖さより、わくわくや楽しさが圧倒的だった。
こうやって一人でいろいろと考えられることも、ひとり旅の醍醐味だと強く感じた。
予約したホテルに到着し、たどたどしい英語で無事にチェックインが済んだ。部屋はワンルーム。ダブルベット、テレビ、エアコン、バスルーム、トイレと、日本のごく一般的なビジネスホテルくらいだった。
泊まる選択肢としてホステルやゲストハウスもあったが、英語が出来ないことに加え、初めての海外ひとり旅による心配性が頭をよぎった。
また、「ひとり」でリラックスする時間がどうしても欲しかったので選ばなかった。なので、通常の旅行よりは割高になってしまったかもしれない。バックパッカーとなると、今回の私の旅は参考にならないだろう。
パリッとしたダブルベットに倒れ込み、日本からの日々を思い出す。
ビールを飲んだ日本の空港、荷物検査、ひとりきりの機内、アメリカに着いてからの諸々。体内時計が狂っているのを自覚し、小さく笑う。
今は一体何日で、何時なんだろう。日本はどうなんだろう。
やっと着いた。たったひとりで、ニューヨークまでやってきた。
おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん。私やっと、ここまで来れたよ。異国の地でひとり、少しずつミッションをこなしていくね。
時差ボケの影響か、緊張と疲れか、倒れ込んだそのまま眠った。
どのくらい眠っていただろう。目が覚めると、やけに頭がスッキリしていた。時計を見ると、午後八時。少しお腹も空いていたので、身軽な格好に着替えて街の散策をしてみた。来た時の記憶が正しければたしか、ホテルの角にベーグル屋さんがあったはずだ。
夜のニューヨークは、さらに表情を一変させる。
煌びやかで、華やかで、豪華絢爛。イルミネーションは咲き誇り、広告が爛々と光る。おそらくブロードウェイミュージカルを鑑賞したであろう人々が、興奮気味に帰ってくる。レストランの外の席やバーは盛り上がっており、人々の、なんてことのない動作すら全てがかっこよく見えた。
私はこそこそとベーグル屋さんへ入り、クリームチーズのベーグルをひとつお願いした。英語が通じたかは果たしてわからないが、お目当てのものが出てきたので良しとしよう。チップを渡すのも、この国のマナーである。
ずっしりとしたベーグルを部屋に持ち込み、持っていた水と一緒に遅めの夕ご飯を食した。ベーグルは思ったよりお腹に溜まるため、逆にちょうどよかった。試しにテレビをつけてみるも、突然のように何を言っているのかはわからない。それでも、それすら楽しくなってきた。ニューヨークに来て初日の夜。このずっしりとしたベーグルの味は、忘れられないような気がした。
翌日は、この旅一番のミッションである。
ベーグルを食べながら、再びガイドブックを復習をした。
次の日、この旅最大の目的地、MoMAへ向かおうと決めていた。
「旅先に着いた次の日はまだ時差ボケだったり、コンディションが良くない可能性があるから、メインは三日目くらいがちょうどいいかも」
というアドバイスをもらっていたのだが、せっかくニューヨークまで来て待っていられるほどではなく、振り切ってしまった。
目的地は、すぐ近くにある。
泊まっているホテルから美術館までは歩いて行ける距離で、地図を暗記してからホテルの部屋を出る。ガイドブックの注意点に、あからさまに観光客でしかもそれが日本人だとわかると狙われれやすい、という一文があった。日本人はお金持ちに見られやすいのか、騙されやすいと思われているのか。どちらにせよ対策するに越したことはないので、私はなるべく外でガイドブックを開かないよう、街中も堂々と歩いた。
ビビりな私は斜めがけショルダーバッグにさらにカラビナを付け、自分の体から離れないように工夫した。
その前に朝食を、と思い、適当に、美術館の近くにあったカフェに入った。外観がガラス張りの可愛いカフェである。注文は、コーヒーとドーナツ。想像の一回りは大きいコーヒーとドーナツを出てきて、食べ切れるのか…と不安すらあった。
私は特別早起きが得意なわけでないが、今朝はどうしてか、パッと目覚めた。ひとり旅がそうさせるのか、知らない街がそうさせるのか、目的があるからそうさせるのか。理由はまだわからない。日本より良い目覚めを体験し、早々にホテルを出た。持ち物は貴重品、現金、携帯電話、カメラなど。ホテルでも盗難があるかもしれないという恐れから、パスポートはいつも持ち歩くように決めていた。
カフェの椅子に座り、店内を見渡す。
私は、緊張していた。
現状時差ボケはまだ感じない。
それでも、これから訪れる旅の最大の目的に、その落ち着きのなさを自分でも感じた。
大丈夫だ。だってまず、ここまでひとりで来られたじゃないか。昨日の夜だって何の問題もなく過ごせた。トラブルも起こっていないし、警戒心は人一倍持っている。
耳に流れてくる店内の曲は、英語ということしかわからない。店員さんも、英語しか通じない。周囲の人だって、英語や、違う言語で話している。
もしかして私はとんでもないところに来てしまったのでは?と、ふと思った。
指先が冷たくなる。
コーヒーカップを握りしめ暖をとり、深呼吸をする。大丈夫、大丈夫だ。たしかにアメリカは銃社会だが、ニューヨークは大きな街であり先進国である。よほど大きな事件がない限り、巻き込まれない限り、治安の悪いところへ行かない限り、大丈夫だ。
私はカバンからノートを出し、計画を立てていた頃のページを見返す。あんなことしたい、こんなことしたい、食べたいものリスト、観たいものリスト、買いたいリスト。それぞれ、過去の私が楽しそうに躍動感持って書いているのがわかる。
そうだ。ずっとずっと計画を立ててきたじゃないか。未来の私が笑って過ごせるように、たくさん調べたじゃないか。
ノートをパラパラとめくっては、日本での時間を思い出す。母に心配されながら、祖母に応援されながら、友達にも「お土産買ってくるね」と言いながら。
だんだんと落ち着いてきたのか、指先に熱が戻ってきていた。もう一度深呼吸をする。
大丈夫。だってもう、今の私はここにいるんだから。
カフェを出て、いざ美術館を目指した。
すると不思議なもので、観光客っぽい方から英語で道を聞かれた。こんな瞬間的に、私はこの非日常に馴染んで見えたのだろうか。
私も旅行者なんです、ごめんなさい。と断りを入れる。
ニューヨーカーになれた気分に、思わず、ふふふと心のなかで笑った。さっきまでの緊張の糸がまたほぐれた気がした。
どんどん歩き、ニューヨーク近代美術館へと進む。そこは真っ白の、精悍さが漂う建物だった。まるで、礼拝堂のようにも思う。
昨日感じたどきどきとは違う、緊張感。
チケットを買い、音声ガイドアナウンスを借りる。日本語対応版があったので非常に助かった。
入り口から順番通りに巡っていき、絵画たちと対面する。
普段大学で西洋美術史の授業を受けていることと、ニューヨークに来る前自発的に少し勉強していたことが役立ったように思う。
知っている絵、知っている作者。知らない絵や作者の作品もある。
ここはまるで、画家たちの集会だった。もしも今彼ら彼女らが生きて集まり、各作品の横に立っていたら、とんでもない会になるだろう。
見渡せば見渡すほど、日本の美術展ではお目にかかれない「ホンモノ」たちが私を襲う。右を見ても左を見ても、力を感じる。
のんびりと歩いているなか、気配を感じふっと後ろを向いた。
そこには、ヴィンセント・ファン・ゴッホ作『星月夜』があった。
私の予想としては部屋を進んでいき、真正面で出会うつもりだった。ところが実際は、後ろを振り向かなければならないという、私的なサプライズだった。
「…これが、本物の」
誰にも聞こえない声で呟く。
間違いなく、ファン・ゴッホの『星月夜』である。
うねる糸杉、濃い青、薄い青、厚みのある色の塗り方、月の輝き。それら全ての絵の具たちが、私の目の前に広がる。世界に惹き込まれる。逃れられない。
目が、逸らせない。
「……っ…」
息をすることすら忘れていた。それだけ集中していたのだろう。
あぁ私、ここに来てよかった。
このために、これまで生きてきたんだ。
絵との出会いはもちろん、嬉しさで胸が詰まる。
普段自分が生活しているあの小さな部屋からここまで、自分の足で来ることが出来た。辿り着くことが出来た。どこでもドアは持っていないけれど、動き出せば、望んだ場所に行ける。観たいものを観ることが出来るし、新しい世界に飛び込める。
今回私は自分の部屋の扉から、こうしてニューヨークまで来ることが出来た。繋がっているであろう地球のなかで、日本のあの部屋からやってきた。
今だから言えるが、とてもじゃないが海外ひとり旅なんて無茶だと最初は思っていた。国内でもひとり旅は一度行ったくらいだった。
けれどそれよりも「絵に会いたい」気持ちが勝り、なんとかなんとかやってきた。
「こわい」気持ちだってあった。知らない国、知らない街、知らない言語が飛び交うなか、私はひとりやっていけるのだろうか、という不安。
答えは簡単だった。
自分の部屋から飛び出したあのときから、全ては始まっていた。行きたい気持ちと、扉を開ける一歩さえあれば、世界中のどこにだって行ける。
世界は私の部屋の扉に繋がっている。
世界は私の心を解放してくれる、豊かにしてくれる。
それを私は、今回の旅で知ってしまったのだ。
『星月夜』を真正面から観続けていると、この絵を描いたファン・ゴッホすら見える気がした。「ぼくのこの絵はどう?」と問われている気がする。
ねぇおじいちゃん、私、ここまで来たよ。
本物に、会いに来たの。
いつも書斎で見せてくれたポスターの本物だよ。
流し見する人々の流れや、絵の写真をバシャバシャと撮る人たちなんてなんのその、私はただひたすらに『星月夜』と向き合っていた。
手に持つスマホに取り込んだ昔の写真には、幼い私と祖父がツーショットで写っている。どうしても一緒に観たくて、スマホに同期した。
絵を観てこんなに胸が熱くなって、目が離せなくなるなんて、思ってもいなかった。紙越しとは全く違う。授業で見聞きしたものとも違う。独学で読んだ本とも違う。祖父の部屋にあった絵とも、迫力が違う。全く違う。あの頃は書斎で眺めていただけで、満足だったはずなのに。
『星月夜』から感じるこの生命力は、なんなのだろう。
私自身の思い入れが強いからだろうか。
はたまた、初めての海外ひとり旅という状況が後押しをしているのか。
いやこれはきっと、「ホンモノ」からしか得られない力だろう。
おじいちゃん、私にこの絵を、出会わせてくれてありがとう。
こぼれ落ちそうな涙をグッと堪え、スマホに力を込めた。
幻覚のファン・ゴッホは、そんな私をどう思っただろう。「やっと会えたね」と言ってくれるだろうか。
そしておじいちゃんも、こんな私を見てどう思っただろう。「華ちゃん、やっと一緒に観られたね」と、あの頃と同じように優しい笑みで頷いてくれるだろうか。
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