おばけホテル

警備員と犬

今はもう取り壊されて跡形もない。

地元の人間でも多分、そんなうわさあったなあというくらいだろう。

当時の騒ぎにうんざりして、訊けば苦い顔をされるかもしれない。


私がそこへ行ったのは今から30年近くもむかし。

私たちが訪れてから10数年後、やっと取り壊されたとニュースでもやっていたらしいが、大学卒業と共に地元に帰ったのでそれは知らない。


当時、車の免許取り立てで、走りたくてうずうずしていた。

彼女を乗せれば最高だ。

みな同じようなものだったろう。

仲間数人集まっては、週に二度、三度と、バイトの終わりや休日にドライブへ行くのが楽しみだった。

ご多分に漏れず、無茶をしがち。

名所旧跡を訪れるわけもなく、深夜の出発ともなればもはや定番、うわさに名高い心霊スポットへ。


琵琶湖を望む山の上に、バブル崩壊のあおりを受けて倒産したホテルがあった。

白くきれいなホテルだったらしいが、しばらくはそれでも再建へ向けて頑張っていたらしい。

ところが火事が起こり、ホテルは全焼、死人も出てしまったという。

ホテルは結局、人の手にわたった。

おりしも不況のただなか。

取り壊しもされず、ホテルは焼け焦げた無残な姿で山のなかに置き去りにされた。


出る。


と、うわさが広がったのは必然だったか。


京都の大学に通っていたので、隣県のそんなものはすぐ耳に入ってきた。

今なら高速も無料化されてさらに便利になっているが、当時の夜でも京都市中心部から琵琶湖へなど、1時間もすれば難なく着ける。


行こう!


すぐさま決まった、それこそ若さだろう。

親にもなった今なら、苦笑いしかない。

自分の子どもがそんなことをしようとしていたら、すぐさま叱りつける。


当時は二十歳そこそこ、もちろん危険なんて顧みない。


だからこそ大人は止めるのだろうが、警告など何も耳に入らない若気の至り。

幽霊はいる、いないと他愛ない話で車のなかは盛り上がりつつ、今までがそうであったように、今度も幽霊になど出会えないと誰もが心のなかでは高をくくっていた。


男は三人、そのうちの誰だったかの彼女が一人。

ちょうど車一台で行ける人数が、その夜のメンバー。


不気味な雰囲気はすでに、山の分岐、ホテルへ向かう道から漂っていた。


真夏の蒸し暑い夜だった。

今でもはっきり覚えている。

車から降りるとすぐ、汗がにじみ出してきたものだ。

やぶ蚊にもたかられ、それが何より嫌だった。

目の前には立ち入り禁止の看板。

フェンスで閉ざされた道。

すでに誰かが壊していたのだろう、南京錠は打ち捨てられていた。


車はそれ以上入れない。

懐中電灯片手に、整備されないようになれば夏草生い茂り、けもの道然とした山道をそろりそろり。

女の子がいるから、でもかっこつけて。


こわくない。

何がこわいもんか。

ヤンキーでもいそうだから、それには気を付けようぜ。


四人はもうぴったりくっついて一つの生き物のようになっていた。

口では勇ましいことを吐き出していても、内心では全員、夏の山特有の蒸したにおいの先にある何かを感じ取っていたのかもしれない。


息が、荒かった。


しばらく歩くと、建物がはっきり見えてきた。


黒い。


ゴクリと、誰かがつばを飲み込んだ。


い、行こうぜ……。


それでも歩を進める。


一人、ビデオカメラを持ってきていた奴がいた。

当時は当然、スマホなどない。携帯電話も普及し始めたところだったか。コンパクトなビデオカメラは家族のシーンを撮るのに重宝されて、たいていの家庭には一台あったものだ。それを、持ち出してきたのだろう。


玄関。

多分、そうだと思われるが、懐中電灯の小さな光の先にも、ぼろぼろになっているのは分かる。板を打ち付けられて中へは入れないようになっていた。


本当に火事があったんだ……。

誰もが思ったことだろう。

緊張が走った。

焦げたにおいなど、もう火事からもずいぶん経っているのでするはずもないのに、鼻がむずむずする。


だったら、死人が出たというのも……。


遠くで犬が吠えている。


山のなか?

それともふもとからだろうか?


静かな深夜だ。

その吠え声は誰の耳にも、実際より大きく届いていた。


女の子などもう、彼にしがみついて、目も開けていなかったんじゃないだろうか。

ワン、ワン! と、聞こえるたび、ビク、ビクと、体を震わせていた。


おかしい。


気付いたのは私だけだったか、それとも全員か。


犬の鳴き声が近づいてくる。


野犬?


おばけよりもよほど、それのほうが怖い。


どうもホテルから聞こえてくる。

犬が近づいてくるのではなく、自分たちが近づいているのだ。

廃墟に野犬が入り込みねぐらにしているのだろう。


これはダメだ。


と、いうことになりそうなものだが、カメラを構えている奴だけがやけに強気だった。

カメラのファインダー越しというのは、世界が違って見える。

すぐ目の前に危険が迫っているはずなのに、まるでテレビの向こう側のことのように錯覚して危機感が薄れてしまうのだ。


行こうぜ!

中に入ってみよう!


きっと面白いものが撮れる。

それをテレビ局にでも売れば一山当てられるぞ。


何かにとりつかれたように、まっくらななかもずんずん進んでいく。


ちょ、ちょっと、やめよう。もう帰ろう。ダメだって。


泣きべそかいた女の子の震えた声、今でも耳にこびりついている。


それでもそいつはいきがって、そうとしか見えなかったわけだが、破れ目からホテルのなかへ……。


「ワンッ! ワワッ、ウゥワンッ!!」


ものすごい吠え声だった。


女の子が悲鳴を発する。


野犬だ。

とびかかってきた。

真っ黒な犬。

違う。

色が黒いのではない、炭のように焼け焦げているのだ!

狂ったように吠える。

何故か見えないガラス扉にでも遮られているように、犬はホテルから出られない。

それでも目の前に異様な犬がいるのである。

カメラの奴は腰を抜かしてしまった。

女の子はしゃがみ込み、泣きだしてしまった。


「こらーーーっ!!!」


夜の闇を破るかのような、ものすごい怒声だった。


正気に戻った。


逃げよう!


私はすぐに走り、腰を抜かしたカメラの奴を引き起こした。

こんな時、女の子のほうが気丈だ。彼氏よりも先に一緒になって助け起こしてくれた。

最終的には三人で。正気を失い、ガタガタと歯を鳴らすだけで全身の力が抜けている奴を抱えて必死に……。


そのあと、どうやって帰ったか覚えていない。

よく事故もせずにとは、今でも思う。


後日談がある。


あのホテルの火事で犠牲になったのは、警備員さんだった。

調べればすぐに分かった。


火事の時、誰か残っている人はいないかと、ホテルへと戻って……。

彼がかわいがっていた、人懐こいホテルの看板犬と共に。


人の好い警備員さんだったそうだ。

ホテルが倒産しても、後始末の内はと、愛着のあるホテルに残ったという。

何よりいつも人の安全を気にしていた。


ビデオは最後まで回されていた。

あいつの手から落ちなかったのは、ベルトがあったからだろう。


「いたずらもほどほどにな」


どこかあたたかい、野太い年配の男性の声が最後に入っていた。

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おばけホテル @t-Arigatou

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