あのにます

田辺すみ

あのにます

 どこも同じような大都市周辺に広がる住宅地域だと思う。

 鹿島は大概そのショッピングモールにいた。

 うちの街には大きなショッピングモールが一軒しかないが、それでも地元の中小商店は数を減らしていた。そんな訳でサボりの学生が行き着く先はショッピングモールか、市営プール脇のゲーセンだけになってしまうのである。

 赤い癖っ毛に脹脛ふくらはぎまで隠すスカートの鹿島とは、三年生で初めて同じクラスになった。無関心なのかケンカっ早いのか誰かとつるんでいるところを見たことがない。

 私は学級委員だったために、よくプリントを渡すよう先生から頼まれて、ショッピングモールで鹿島を探した。放課後なら毎日、サボりの日も、鹿島はそのショッピングモールにいた。

「猪宮、こっちこっち」

 鹿島も私が探しにいくことを知っていて、部活終わりの時間からショッピングモールまで歩くのにかかる20分まで見越して、モール裏の搬入口付近で私を待っていた。律儀にプリントを受け取るぐらいなら、学校へ来れば良いのに、と思う。


 鹿島はショッピングモールの屋上で、よく鳩やカラスに餌をやっていた。パン屋や惣菜屋が廃棄した残り物をくすねてくるのだ。搬入口脇の廃棄物コンテナーは鍵がかかっていないらしい。既に廃棄された食料を盗むような者はいないという前提なのだろう。

「商店街が無くなっちゃったからさあ」

 かつて野鳥や野良犬・猫が商店街のゴミ箱を漁るので問題になっていたらしいが、今やあそこもシャッターが閉じているばかりである。店舗の廃棄物を一括管理しているショッピングモールに動物たちが入り込む隙は無い。明るく清潔なショッピングモール。


 鹿島についていって屋上から見ると、地平までぎっしりと並んだ屋根の上に沈む燃え立つ夕日が綺麗だった。二羽のカラスが頭上でもつれるようにはばたき飛んでいる。

「猪宮、進路どうすんの」

 屋上のフェンス越しに西の空を睨んで鹿島が言う。私は隣りに立って、地下のスーパーで買った一番安い炭酸飲料を飲みながら答える。

「進学でも就職でもいいからどっか行きたい。どうせ何していいんだか分からないんだし」

 へえ、猪宮みたいに成績良くても分からないことあるんだな、と私が渡した缶に口を着けながら鹿島は呟く。回し飲みも何度目かだが、今だにしゅわしゅわした気分になる。炭酸のせいだと思いたい。と突然、店内アナウンスのひしゃげた音が響いてきた。

『ご来店の皆さま、東エントランス付近に野鳥が迷い込んでおります。ご注意下さい』

 鹿島は舌打ちすると缶を私に押し戻して、階段を駆け降りていってしまった。初めてでもないので、私は勝手に炭酸飲料を飲み干し家に帰ることにする。鹿島が飲んだ後は、メンソールみたいな草いきれみたいな味がする。


 将来やりたいことも無いのに、受験勉強なんて何の意味があるのかと思う。うとうとしながら単語帳をめくっていたら、携帯が鳴った。鹿島からの電話は、着信音を変えてあるのですぐ分かる。サン=サーンスの『動物の謝肉祭』だ。出席は真面目でないのに、こういうことに変に詳しいのが、鹿島のおかしなところだ。ショッピングモール来て、とこちらが言葉を発する間も無く言い捨てて切れる。なにそれ駆け落ちかよ、と笑っていいのか怖れていいのか喉元まで迫り上がってくる気持ちを何とか押さえ込む。もう眠っているはずの母の寝室前を抜き足で過ぎ、コートとスニーカーを引っ掛けて、街灯もまばらな道を駆け出した。


 丑三つ時のショッピングモールは闇夜に更に暗く、だが熱を発してそびえ立っていた。近付くにつれてその異様に私は息を呑む。窓という窓、壁という壁に数多の鳥たちが、トカゲたちが戯れている。狐や狸、イタチや猫まで、さんの間を跳び回っている。住宅街の真ん中に、突然いびつな森が浮かび上がったみたいだった。そして私の目を奪ったのは、月光を浴びて屋上から動物たちを見守る美しくしなやかな森の王、一頭の牝鹿。



 朝の陽光が瞼裏に差す気配がして、私は目が覚めた。登校する道から見えるその影は、露のように跡形もなく消えてしまっていた。今はまたただ明るく賑やかなショッピングモールである。本当に閉じ込められているのは人間だ。私は放課後鹿島を探しにいく。

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あのにます 田辺すみ @stanabe

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