第18話 中庭は君の巣穴みたいなもの(終)

 アストリットは国王を部屋に返しがてら、中庭へと向かった。

 一ヶ月ほどろくろく世話をしていなかったが、きちんと世話をしてくれる人がいたらしい。ちゃんと葉が青々としている。花も咲いている。


 ゴキブリ行商人が来た理由は察しがついている。

 ジルヴェスターとアストリットの関係を調べてこいと母に言われたのだろう。ついでにアストリットに傷物にしてこいと。修道院にいたのでわからないが、姉たちはそれをやられたらしい。「傷物」にされ、夫婦不和になったところで母はするりと娘の夫を奪いにくるのだ。


 ぼんやりしていると、話し声がした。


 ジルヴェスターと母であった。アストリットは自嘲するかのように唇を歪める。ああ、と。

 夫が消えてしまう、とアストリットは庭園の草にすがる。

 嫁いだ時、何が何だか分からなかった。庭園がアストリットを救ってくれた。

 アストリットの居場所はこの庭園だ。

 だが、何も表現できなければ、大切なものが奪われてしまう。


「では、この辺で。義母上、アストリットの代わりにありがとうございました」


 ジルヴェスターはアストリットの母に折り目正しく頭を下げた。

 だが、その直後、アストリットの母はジルヴェスターに抱きついた。唇を重ねた。


「……義母上?」

「ジルヴェスターさま。娘を愛していただいているお礼を」


 くちゅ、くちゅ、という舌が絡む音がした。夫はまるで動けないようだった。アストリットも腰が抜けて涙があふれ、動けない。


 しばらくそうしていると、ジルヴェスターは唇を離した。アストリットの母に向かって微笑んだ。


「処す」


 しょす? アストリットは目をぱちくりとさせた。

 夫は母の腕を掴み、くるりと母を一回転させ、後ろからきつく抱きしめた。母はその表情に気色をたたえる。唇と瞳につややかさを宿して。


「ああ、そんな……こんなところで……」


 夫がさらりと剣を抜いた。母が目をぱちくりさせる。夫は母の喉元に、剣を突きつけた。


「神聖なる王国の、神聖なる国王陛下を護持し奉り、王国の守護を仰せつかるブリューム辺境伯に何をしている? 私がいつ接吻を貴女に許した?」

「……えっ」


 母が、女性特有の、作った艶かしい声ではなく、素の声で「えっ」と言っている。


「ねえ、フリーデリンデどの……、あなたは私の妻の母親です。妻が悲しむかもしれないので、あまり過激な手段をとりたくないのですが、ねえ? 国王陛下がおられる中、この城で、城主を汚すような、綱紀の乱れたことをされたくないのですよ。うふふ——」


 夫がつうっと母の首筋に剣を這わせた。母の首から血がたらりと垂れる。

 アストリットはさらに目をパチクリさせた、いや、腰を抜かしたまま震えた。母より強者がいる。


「幼い国王陛下の居ますこの城で、ふしだらな貴女を生かしておくわけには。ねぇ?」

「……あ、え?」


 母が、女性特有の、作った艶かしい声ではなく、素の声で「あ、え?」と言っている。


「いくつか取り得る手段があります。この城の城壁に吊るされて何日間かかけて肉ごと皮剥ぎにされるか。それとも熱い鉄の棒で尻の穴を貫かれるか。乳房を切り落とされながら腸を巻き取られるか。でも貴女、私の妃の母なんですよね。私の妃の名誉に傷がつくのも嫌だし、うーん、……穏便に病死に見せかけた服毒程度でどうでしょう。大量に血を吐きながら、幻覚を見て、呻いて——地獄へ行かれては? 今まで私が国王陛下のために処断してきた罪人達と同じように」


 さすがにちょっと、とアストリットは立ち上がった。


「あ、あの……ジル様……?」


 ジルヴェスターはパッと振り向いた。剣をほっぽり出し、フリーデリンデをそこら辺の椅子のように押しやった。一生懸命作り笑いをしだす。


「……アストリット! なんで中庭にいるかなぁ!? そうだ! 中庭は君の巣穴みたいなものだったね! ……体調は大丈夫?」

「大丈夫……ですけど……」


 あなたが怖い、とはいえなかった。母が顔を引き攣らせている。


「あの、お母様とお二人で何を?」


 嫌な質問だ、とアストリットは自責する。するとジルヴェスターが微笑んだ。


「君のお母上がうっかり陛下に無礼なことをされていたから、婿としてたしなめていたの」


 母は完全に青ざめている。首からだばだば出血もしている。


「お母様、首から血が」

「だ、大丈夫よ!!」


 この場から立ち去りたいようだった。はじめて、母の気持ちがよくわかった。逃げたいだろう。

 ジルヴェスターはアストリットの方を向いて、ふくれっ面をした。


「ひょっとして、僕の貞操を疑っている?」

「えっ」

「アストリットはひどい。僕がこれだけ愛しているのに……まさか自分の母親と夫の関係を疑うなんて、発想が突飛だし、僕に失礼だし、なにより……」


 耳元で囁かれた。


「そんなに僕のことが好きなんだね!? うふふっ」

「……好き。とっても好き。世界で一番好き。薬草を除けば」


 アストリットは顔を真っ赤にして頷いた。ジルヴェスターは目を大きく見開き、涙を流しそうなほど嬉しそうな顔をした後、「うーん! でも薬草に勝てないか!」と悶え、アストリットにくちづけた。


「ねえ、やっぱりそろそろ……」

「何ですか?」

「——寝室一緒にしようか?」


 アストリットは顔を覆いながら「はい」と答える。


 フリーデリンデは「いやぁぁぁ! 怖いぃぃぃ!」と悲鳴をあげながら後ずさり、与えられた部屋へと戻っていった。

 息子の危機を察したらしいマティルデが、拷問器具を抱えて飛んできたが、ただ息子夫婦がいちゃつきながら寄り添っているのを見ただけだった。



 父母は急いで帰還してしまったが、国王はしばらくここに滞在するらしい。政治情勢が許さないのだという。ザイルストラ公爵が「お断りしますッ!」と王太后に木っ端微塵に振られた結果、二度目の失恋に闇落ちして王宮を燃やしたらしい。


 夫は国王を守っているので攻め込まなくてもいいらしいが、今、諸侯が「いい加減あきらめろよザイルストラ」という旗印を掲げて王都へ攻め込み、王太后奪還に動いている。


 国王はアストリットの中庭が好きになったらしい。アストリットは中庭ではしゃぐその「弟」の様子を見ながら、ハーブを収穫していく。

 春がやってきたのだ。様々なものが芽吹く春が。

 カモミールが収穫できたので、加密列茶カモミール・ティーを入れる。


「いいにおいだなー」


 四歳の弟王はお茶を飲みながらそういった。弟は控えめにいっても天才らしく、アストリットにある提案をした。


「やくそうをそだてているのなら、あぽてぃけーるになるといい」

「アポティケール?」

「よくわからん。よが、おなかいたくなったときとか、ねつをだしたときに、いしとともにくすりをだしてくれるものどもだ」


 つまり、国家調剤師アポティケール。アストリットは目をまたたかせた。


「わたし、そんな、できるでしょうか」

「やってみないとわからん。でもよのあねうえなら、こっかしけんのとき、あきらかにソンタクされてゆーりだろう」

「んんっ……」


 やはり国王の姉だとは名乗らないほうがいいのかもしれない。

 だけれど、修道院でお世話になった、ユリアーネのような人たちになれるということだろうか。


 夜、夫にそれとなく相談すると、二つ返事で頷かれた。


「国家調剤師が育てる薬草や薬なら、高く売れるッ! やろう!! やってくれ!! 中庭だけじゃなくて、もっと広い場所を用意しようじゃないか!!」


 アストリットは顎に手を当て、「うーん」と考え込んだ。


 ——明日、修道院の調剤師であるユリアーネに手紙を書いて、なり方を聞いてみるか。


(終)

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アストリットの薬草庭園 ことり@つきもも @coharu-0423

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