無知な世界と少女の苦悩
「…いや、そんな予備知識無しで異世界転生しても…」
先程叫んだからだろうか。少し心が軽くなった私はいるのか分からない転生の神様に向けての不満をぶつぶつと呟きながら無駄に広い自室の中をうろうろと彷徨っていた。
私が読んできた異世界転生ものー所謂ラノベと呼ばれるジャンルーでは、主人公はそのゲームの覇者であったり、小説の内容を熟知していたり、或いは子供を庇おうとしてトラックに撥ねられて、目覚めた時には真っ白な部屋で何処からともなく神様らしき人がチート能力や知識を授けて下さって異世界ライフをエンジョイする…といった風に兎に角何かその世界に対しての知識があるものばかりだった。
しかし、今置かれている状況から推察するに、全く知らない世界で全く知らない人達と共に神様などの超常的現象が現れるわけでもなく、まるで生まれたての赤ん坊のような状態で異世界に放り出されてしまったようだ。いや、そうに違いない。
こんな情報弱者が混乱するのも無理はないだろう。
「此処で右往左往していても状況は把握できないか」
そう呟いて私はまた辺りを見回して何か目ぼしい物はないか探し始めた。
すると、豪奢なベッドの影に隠れていたのか、先程部屋を見回した際には目に入らなかった学校の制服のような物が化粧台の横のソファらしきこれまた豪華な椅子の上に置かれているのが見えた。きっとルイーズさんが置いて行ってくださったのだろう。
近寄ってみるとそれは、どんなにお金持ちの御子息・御息女が通うようなお金持ちのお嬢様学校よりも手間が掛かっているように見える美しい装飾が施された物だった。
畳まれていたシワ一つついていない制服を広げると、それは雪のような光沢を放つ純白のセーラー服と思われるような形状の服であった。
私の瞳と同じ様な温かみのある色合いの肌触りの良いセーラーカラーには真珠のようなセーラーテープが引かれており、ふんわりとしたサテン生地であろうリボンは襟よりも少し濃い薄桃色に染まっており、スカートはカラーと同色に見える。
セーラーの胸ポケットには細いペンや折畳式の定規が入りそうな大きさで少々不便そうに思われる。一体何を入れるのだろう、と少し不思議に思われた。
まるで新品同然の服に袖を通してリボンタイを器用に結ぶ。
一見シンプルなデザインでは有るが、多分小学生ぐらいである私が着るのも烏滸がましい程の工夫や装飾がふんだんに施されているのがよく分かる。
姿見の前で微調整し、くるりと一回転。長い髪の毛がふわりと宙を舞った。
自分の前世よりも優れた容姿を見て「(この年でこの可愛さなら将来有望だな)」とほくそ笑んで、そう言えば私は死んでしまったんだな、と少しだけ感傷に浸った。
もっと色々なことをしたかったし、沢山友だちと遊んでみたかった。
学校で馬鹿騒ぎして、学校帰りにはハンバーガーとタピオカを頬張り下らない事で皆と笑い合いたかった。もっと人生を楽しみたかった。
そう考えると段々感情が抑えきれなくなり、瞳一杯に溜め込んでいた涙が一粒、また一粒と零れ落ちていき、精巧な絨毯に雫の模様を描いた。
嗚咽を止める術も持たず、壊れたように咽び泣いた。
慟哭を押し殺し、誰にも悟られないように歯を食いしばりながら。時折自分の愛する両親の名前を譫言のように呟いて。私は気が済むまで泣いた。
嗚咽が静まり少し悲しみも薄れてきた頃。泣き腫らした赤い目の自分を鏡に映し、「…しっかりしなくちゃ!」と喝を入れる。
予備知識もチートスキルもないこの異世界で前世の分まで目一杯体を動かして、友達と沢山笑って、死が訪れるまで気兼ねなく人生をエンジョイする。
そして、もし自分の命の灯が潰えるその時に「生きていてよかった」と思えるような人生を歩んでいく。大病に罹らず健康的な生活を送る。
それが私の今世での目標であり、生きる意味でもある。
人生の指標を見出すことが出来た私は、鏡に映る情けない顔の自分の頬を思い切り張り、にっこりと微笑んだ。
病弱で手足を動かすことですらままならなかった前世の如月菖蒲。
これからは、転生後の健康的な身体と有り余る財力、そして若さを活かして、今世では平和で健康的な生活を送ろうと決心した。
もう一度鏡を見ると、頬を微かに赤らめた私が悩み等の辛く苦しい呪縛全てが吹っ切れたような表情を浮かべながら、まるで天使のような笑顔を湛えていた。
転生したけどもふもふに囲まれて幸せに暮らしています。〜貴族少女の癒し系スローライフ〜 禱 @ephemere
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