終章「レイケツリベンジ」
エピローグ
リメイは程なくして後遺症もなく退院した。
腹部に縫い痕ができたが、軍人にとっては勲章のようなものだ。
帝国のセントラルに戻った機会に、リメイはある人物が収容されている営倉へ面会に行くことにした。
「少佐、面会させていただき、ありがとうございます」
「……まず、どうして来たのかしら?」
ルイス村の支配者だった女が憎らしげにリメイを睨んだ。華やかだった厚化粧の顔貌も、今やすっかり影を潜めている。
薄暗い面会室で会うハダルは、どうも老け込んで見えた。
「私を笑いに来たんじゃないでしょうねぇ?」
「いえ」リメイは短く答えた。「フウカのことを教えてくれませんか?」
ハダルはつまらなさそうに眉を顰めた。そんなことか、とでも言いたげだ。
――ちなみに軍法会議にかけられたハダルには、補償金の横領の罪で、軽謹慎の懲罰が下された。フウカへの虐待は咎められていない。
本来、そちらを罰するべきだと思うが、フウカの出自や村での凶行が判明したこともあり、軍の判断も冷静だったようである。
「小鳥ちゃんの何を聞きたいの?」
ハダルはあっさり了承した。
彼女が比較的に軽い処罰で済んだのは、リメイのおかげでもある。フウカの凶行を暴いたことを恩に感じているかもしれない。
リメイはすぐ本題を尋ねた。
「フウカを屋敷で雇っていた理由はなんですか?」
彼女が村人二人とレヒドを殺め、リメイに重傷の怪我を負わせたことはハダルも知っていた。質問の意図を誤解したようで、途端にハダルは謝罪した。
「あなたには大変な思いをさせたと思ってるけど、まさかフウカちゃんがあんな事をするなんて、私も思いもよら――」
「そういうことじゃないんです」
リメイは首を振り、回答を遮った。
「あの子を雇っていた理由を聞きたいんです」
「それは私のコレクションとして……」
ハダルからその言葉を聞けると思わなかった。
事実、アイクやリメイも含め、特別な隷血種を蒐集していた。それは認めるらしい。だが聞きたいことは別のことだ。
「アイクは森に繋いでいましたね? 実際、鎖に意味はなかったですが」
「アイク……? ああ、あの隷血種の男、そんな名前だったの」
「一方の私は准尉として派遣されたので、エヴァンス邸の住み込みも自然なことでした。でもフウカは違う。傍に置いておく理由がない」
リメイが気になったのは処遇の差だ。
「収集癖と嗜虐心を満たす為なら、アイクと同じように鎖や檻でフウカを監禁しておけばいい。それを侍女として身近に置いた。何故ですか?」
「それは……」
矢継ぎ早の追及にハダルも困惑した。
その質問に何の意味があるか、理解できなかったからだ。リメイにとって、それはあの言葉の真意を確かめる重要な手がかりだった。
「理由があるんでしょう?」
リメイが真剣な眼差しで追及すると、ハダルは諦めたように語りだした。
「……東方のガルムンド基地のことは知ってるかしら?」
心がざわつく。その基地の名はフウカの口からも語られていた。
ハダルは頻りに面会室の扉を確認しながら話を続けた。
ガルムンド基地で行われた異種配合研究は、とっくの昔に断念された。
帝国軍で何年か研究を繰り返すうち、異種配合は再現性に乏しく、生産性が低いことが明らかになっていた。
母体の健康管理、試験体の胚培養、出産後の養育や調教。
コストが高かった。
もし戦争終結後、世間に知れ渡れば批判される可能性もある。
研究は人知れず終止符を打ち、産まれた試験体たちの処遇をどうするかについて議論された。
解体できるパワードスーツとは訳が違う。
生まれてきた隷血種は、軍関係者の家に養子に出す方針が決められていた。
そんな時、一人の試験体の少女が、ガルムンド基地からセントラルへ護送中に逃げ出した。彼女は約束された人生を自ら棒に振ってしまったのだ。
北方のクダヴェル州まで逃げられてしまい、その間の目撃情報もあり、軍も彼女を処分するしかなくなってしまった。
殺処分の運命しかない隷血の少女を不憫に思い、そのとき前線にいたハダルは当局には処分したと嘘をつき、少女にフウカという名前を付け、屋敷の侍女として養うことしたのである。
――その騒動を人々は『黒人狼事件』と呼んだ。
「フウカちゃんを匿ったのは私の責任。それは感じてるわ」
リメイは口元に手をあてがい、逡巡した。
「……フウカのような隷血種は、パフィリカ鉱山事故が発端で造られたんですか?」
元より隷血種の軍事利用研究はリメイの存在がきっかけだとフウカは語っていた。
フウカは、悲哀に満ちた己が試験体の運命を呪い、生まれる発端となった鉱山事故の関係者に復讐するためにレヒドを――。
「やっぱり、本当はそれが聞きたかったのねぇ?」
ハダルは不敵な笑みを浮かべた。ここが彼女の書斎だったら、優雅に扇子を扇いでいたことだろう。
「あなたの存在は当時、軍で大騒ぎになったわ」
ハダルは懐かしむように語る。
「あの鉱山事故、地方の駐屯地では、わざと救出を遅らせて生き埋めにしたんじゃないかって噂が出回ってるけど、とんでもない」
「え……」
「あの日は不運にも前線で獣人種との激戦が起きていて、応援を回せなくてね。少数での救助作業で時間がかかってしまったのよ」
「試作爆弾を流用したことの口封じだったんじゃ……」
「馬鹿ね。貴重な資源輸出国を敵に回すような真似、するわけないでしょ」
パフィリカ共和国はミザン帝国と同盟を結んでいた。自国民を生き埋めにされたとあってはパフィリカも黙ってはいまい。
ハダルは今は亡き同胞を思い、遠い目を浮かべた。
「周辺の町や村を駆け回って人手を集めてね……。数日かけて一人、また一人って遺体を見つける度に彼も死にそうな顔をしていた。そこで最後、生きていたあなたを見つけたとき、レヒドは――」
『生きてる……! 生きてるぞっ! き、君、大丈夫かい?』
あの表情は驚愕というより驚喜か。
必死に生存者を探して一人だけ助けられた。
報われたからこそ、あんな顔をして叫んだのだ。
「軍はあなたを利用しようと、ガルムンド基地へ移送しようと計画していたみたいだけど、レヒドが無理やりあなたを養子にして阻止した。パフィリカ共和国と良好な関係を築いていた彼は、試作爆弾の件をダシに軍と交渉したのよ」
――代わりに士官学校の教官なんて末席に追いやられたけれど。ハダルはそう付け加えた。
「そう……だったんだ……」
義理の父がどんな思いで自分を育ててきたのか。優秀な指揮官だったのに、どうして指導教官なんて立場に落ち着いたのか。
それを今さら知ることになった。
「よりにもよって死んじゃってから……」
リメイは震える声を押し殺した。
感謝しなきゃいけないことはたくさんあったのに。
「私もレヒドとは旧知の仲だったから、あなたの話をよく聞かされていたけれど、溺愛だったわよ」
「……」
士官学校を落第した後も、レヒドは面倒を見てくれた。旧友のハダルを頼り、准尉としての赴任を取り次いでくれたのだ。
そうして流れ着いた長閑なルイス村。
「フウカちゃんのことも、ちゃんと育ててあげれば……」
懺悔の言葉をハダルは漏らす。
「本当はね、あなたの言う通り、地下室にでも縛り付けてもよかったのよ。あの村は私の庭みたいなものだし、監禁したまま育てることもできた」
ハダルは溜め息を漏らした。後悔の念が込められていた。
「フウカちゃんには……愛嬌とでも云うのかしら? 愛くるしさがあった。私なりに愛情を注いで、ある程度の手応えもあったし」
「手応え?」
娘を思う母親のような口ぶりだった。まるで育児に失敗した親。
ハダルの目には後悔の色が浮かんでいる。
「人を思いやる心があるなって。――その程度のことで笑っちゃうかもしれないけど、実験サンプルを真っ当な人間に育てるって、大変なのよ?」
「……」
リメイは返す言葉が見つからなかった。ルイス村の人々に向けたフウカの親切心は、ただの独善的な縄張り意識の為だっただろうか。
思い返せば、それ以上の思いがあったように思う。
村の老人たちは皆、フウカとすれ違うたびに笑顔を向けていたのだ。
だったら、あの最後の言葉の意味は――。
「さ、もういいでしょ。こんな湿っぽい話、土産話にもならないわよ」
ハダルは長舌にしびれを切らしたようだ。鬱陶しそうに手を払い、露骨にリメイを追い出そうとしている。
「少佐、ありがとうございました」
リメイは席を立ち、出口の扉に手をかけた。
「あ、それと復帰を心待ちにしてます」
「……どの口が言ってるのかしらねえ」
「ふふ、少佐も頭が冷やす時間が必要でしょう。それでは、また」
リメイは憎まれ口とともに一礼すると、颯爽と面会室を出た。
営倉に残されたハダルは唖然としていた。
「見た目は相変わらずなのに生意気になったものねぇ。……リメイ中尉」
陸軍中央司令部の渡り廊下を歩きながら、リメイは黒の軍帽を被る。
リメイはその功績が認められ、『中尉』階級に昇進していた。初任務を全うした頃には『大尉』として昇格する見込みだ。
将校資格を得た直後のスピード昇進。……レヒドの死のおかげだ。
きっと村人二人を殺した殺人犯を突き止めただけでは、これほどの功績として認められなかっただろう。
フウカがレヒドを殺したからこそ軍の功績となったのだ。
もし、それらをすべてフウカが見越していたとしたら……。
倫理観の欠如した彼女が主人と認めた相手に、どういう形で奉公を働くかはリメイも計り知れない。計りたくもない。
フウカ本人も最後の瞬間まで気づいていなかったかもしれない。
彼女なりの献身。それは、主人を英雄に祭り上げるための殺人。
それこそが第三の犯行の動機――。
奪われた命はもう取り戻すことはできない。故にリメイはこの階級と黒い軍帽を覚悟の楔として被り続けねばならない。
そうだ。もう一度、墓参りに向かおう。
汽車に揺られ、辺境の片田舎へ赴く。
ミザン帝国の北部国境に位置するクダヴェル州。
車窓から映る鬱蒼とした針葉樹林と、遠くに連なるレナンス山脈の霊峰がこの広大な土地の風土を映し出していた。
二度目となるその光景を、リメイはぼんやり眺めていた。
あの山々の先では、いまだに大規模な戦争が起こっている。
人間と獣人種、巨人種どもが領土と資源を奪い合う大戦争を起こしている。リメイと血を分けた兄弟も、あそこで戦いに身を投じているかもしれない。
しかし、諍いは国境を越えた先だけの話ではない。
平和に映る森林や山々の景色が表層の光だとすれば、その影でリメイが関わった事件は、深部の闇と云えよう。
汽車を降り、蔦だらけの駅改札を通過する。
リメイ中尉の初任務は、またしても此処、ルイス村が舞台だった。
件の功績を称えられ、新たに編成された対隷血特殊部隊ブラックキャップの小隊長に任命され、特殊作戦チームの傘下で動くこととなった。
高潔な黒い軍帽を被り、リメイ率いる特殊メンバーに適した任務に就く。
隷血種による対隷血種専門の特殊部隊だ。
ルイス駅は相変わらずの無人駅。
出世してもこの待遇は変わらず、ほっとして息が漏れた。久しぶりの澄み渡った空気を吸い、ゆっくり吐き出して満喫する。
「――おう」
愛嬌のない声がした。リメイは不服そうに振り返った。
「おうって……。あのね、今日から私は正式にあなたの指揮官よ」
「リメーはリメーだ」
「はぁ……」
その不遜な態度が、この男の野生児らしさを感じさせる。
先が思いやられた。だが、望むところだ。
リメイは、お馴染みのガスマスクを口元に当て、固定ベルトの帯をかちゃりと嵌め込んだ。
「いいわ。村での訓練が終わるまで大目に見てあげる」
謹慎からハダルが復帰するまで、リメイが領主代理として村に駐在し、それまでアイクと技能連携の訓練に励むことになっている。
ハダルが戻り次第、本格的に特殊作戦の任務地へ赴く予定だ。
「次の任務までに、お手とお座りくらいは覚えてもらうんだから」
「そりゃいいんだがよ」アイクは頭を掻いていた。「リメー。そのガスマスクはやっぱり……」
過去を克服したはずの少女。
しかし、その口にはまだ首枷が掛けられていた。
苦悩は続いているのだろうか。アイクはそう憂いで指摘した。
「気にしないで」
リメイは微笑んでアイクを見上げる。どうやら杞憂だったようだ。
「これ、ファッションだから」
もう彼女は一人ではない。
ガスマスクは父親が繋いでくれた命の象徴だ。
この先もリメイが戦い続ける限り、ずっと傍で見守っていてほしい。
願わくば、このマスクを外す時には、悲しい運命を背負う隷血種たちにも平穏が訪れることを願って――。
「戦争が終わってから外すって決めたの」
【完】
レイケツリベンジ 胡麻かるび @karub128
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます