カウンター・チンパンジー
渡貫とゐち
猿に聞け!
「――どうしてこんな簡単なこともできないんだッ!!」
「す、すみません!!」
オフィス内に怒号が響き渡る。
周囲の目も気にしないくらいに、二人だけの世界へ入ってしまっていた。
「在庫を数えて表にまとめる――増減をお前が管理する……こんなこと、『猿でもできる』ことを忘れるな!」
「はい!! 以後、気を付けます!!」
肩を落としながら席に戻ると、隣の席に同僚が、ぽんと肩に手を置いた。
「まーたやらかしたな、
「う、……まあ仕方ないよ、無能なおれが悪いんだし……」
「パソコンが苦手なんだっけか? 管理するだけならまず紙でもいいんじゃねえのか? 紙にまとめておけば、後で俺がデータ上で作っておいてやるけど……」
と、提案してくれているが、言われた当の本人は、ブツブツと呟いている……。
「(……そうか? 猿でもできる……、本当に?)」
「おーい、西藤ー。……ダメだ、自分の世界に入っちまってる。夢中になるのはいいけどよお、ぼーっとしてるとまた怒られるぞ?」
すると、遠くの机で、人影が動いた。
「――おい西藤ッ、手を動かせぇッッ!!」
「うわぁっ!? すいませんッはぁい!!」
「……ほら、言わんこっちゃねえ」
〇
翌日。
西藤が手を引いて連れてきたのは――
「……おい、西藤。なんだソイツは」
「チンパンジーのカケルくんです。知り合いがこの子の飼い主でして……、今日だけ預からせてもらったんですよ」
「……そうか。で? どうして会社に連れてくる。自宅にひとりぼっちは可哀そうだからか? それが分かっているなら、最初から預かるなって話なんだが……」
「先輩、昨日おっしゃっていましたよね? こんなこと猿でもできると……だから、検証です」
検証? と、オフィス内の全員が同時に首を傾げた後、
「――チンパンジーのカケルくんでも、実際に仕事ができるのか、教えてみたいと思います!!」
西藤の膝の上に座るチンパンジー……もとい、カケルくん。
彼は西藤の指示に従い、パソコンの使い方を学んでいく。
「カケルくん、マウスはこうやって動かして……キーボードは……そう、そうやって入力して……」
「なあ、西藤」
「でね、在庫表がこれ。紙にメモした内容を、データ上に――ん? どうしたの?」
「これ、なんのためにやってんの?」
誰も触れたがらないが、さすがにがまんできなくなった同僚が声をかけた。
自分の仕事を遅らせてまで、こんなことをする必要があるのか?
「もちろん、先輩が『猿でもできる』って言うから……本当に? と思って。だから試してるんだよ。正直、個人的にはできないと思うけど、仮にできたとしたら……バナナ数本でおれと同じ仕事をしてくれるなら、便利じゃないか!」
「その場合、お前の首が切られる可能性があるが……まあ、好きにしろよ」
「うん……さて、カケルくん、次の作業はね――」
検証開始から一時間後。
西藤は同僚と共に喫煙所へ向かった――たばこ休憩である。
たばこだけは、なぜか席を外しても咎められないのだから、不思議なものだ。
「西藤、結局、そのチンパンジーは仕事を覚えたのか?」
「ダメだった……やっぱり猿でもできるは嘘だね。いくら賢い猿でも、できないものはできない――今後、猿でもできるって言葉は使えな、」
「そりゃ、オマエの教え方が悪いからだ」
――と、予想していなかった角度から声が聞こえ、二人が同時にたばこを落とす。
視線は斜め下。
連れてきていた、チンパンジーからだった。
「…………」
「…………」
「猿でもできる――そりゃ指導者のレベルによるもんだ。オマエが無能なら、教わった猿も無能になるだけだ。指導者が優秀なら猿も優秀になる……これはそういう話だぜ?」
「さ、猿、が……」
「しゃ、しゃべ、喋ったぁっっ!?」
「おいおい、バカにし過ぎだろ、言葉くらい覚える。なぜなら指導者が優秀だったからだ……ったく、それにしてもここは最悪な空気だな。オレを喫煙所に連れてくんじゃねえよ」
文句を垂れる彼の手には、さきほど渡したバナナがあり……
「猿がバナナを、たばこみたいに持ってやがる……、もしかして今覚えたのか?」
「へえ、賢いんだねえ……」
「飼い主が優秀だからな。比べてオマエは無能だな、サイトウ……猿も呆れるレベルだ」
チンパンジーが肩をすくめた。
腹が立つが、しかし言い返せない……、無能は事実だからだ。
西藤は、だから怒りを飲み込む。
「おれは……、苦手なだけだよ、別のことなら人並みにできる……たぶん」
「ああそうかい」
チンパンジーが席を下り、喫煙所を出ていこうとする――
「あっ、カケルくん!」
「サイトウ、オマエの仕事はほとんど覚えた。あとはこっちで学べる……、オレに構ってないで、自分のスキルを磨いた方がいいんじゃねえか? ……なあ、同僚さんもそう思うだろ?」
問われた同僚は、吸い始めたばかりのたばこを口から離し、
「…………ぷは。……そうだな、スキルは磨いておくに越したことはねえ」
「だとさ、サイトウ――その気があるならオマエの仕事、オレがやってもいいけど……」
「いいや、大丈夫だよ、カケルくん」
「ん? なんだよ、遠慮をするな、バナナ十本あれば、オマエ以上の仕事ができ、」
西藤は、ゆっくりと首を左右に振った。
「……カケルくんとおれの違いは、埋められないものだよ……、効率や性能だけを求めているなら、機械でいいじゃないか。でもね、人間がわざわざやるのはね、そこに人徳や人同士の繋がりが生まれるからなんだよ。おれは無能だけどね、でもそれをカバーするくらいに、他の人から信用がある。仕事ができなくても、信頼を寄せられている……、さすがにこればっかりは、どれだけバナナを積んでも、カケルくんにはできないことだと思う。
チンパンジーの君はさ、可愛がられても、重要な相談はされないと思うから……、ここが『猿でもできる』の限界だと思うんだよね……」
「…………」
「女の子から恋愛相談をされて、満足に返せるチンパンジーがいると思う? 教えて、学んで、習得できる技術ではないと思うんだよね……。それはやっぱり、猿にできなくて、人間にしかできないことだと思う――」
感情的に言い返さなかった分、彼はやはり、賢いのだろう。
他のチンパンジーだったなら、ムカついて飛びかかっていたかもしれない――。
「……そうか。人間が素早く木を登れないように、オレたちにはできないこと、か……」
ちらり、と、チンパンジーが西藤から視線をずらした。
三本目のたばこに火を点けた同僚に、だ。
「恋愛相談か……おい、同僚のアンタもできるのか?」
「ん? …………なあ猿、お前はこういう言葉を知ってるか?」
大抵の言葉なら知っている、と言うよりも早く。
同僚の口から、当然、知っている言葉が出た。
猿だからこそ、身に染みて分かっている。
「猿も木から落ちる――だ」
…了
カウンター・チンパンジー 渡貫とゐち @josho
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