ひと夏

野村ロマネス子

パラレル

 買い物袋を手に下げてショッピングモールを出ると、そこはショッピングモールだった。


 チャララ・チャララ・チャラララ……


 さっきまでと全く同じジングルが流れ、館内放送が始まる。夏のイベントのお知らせと、新店舗の開店を告げて放送は途切れ、後にはどこかの店舗でかかっているBGMが薄っすらと聞こえ続けている。

 さっきまでと決定的に違うのは人がいない事だ。店々を繋ぐ広い廊下にも、店舗にも、トイレもフードコートも、とにかく無人なのだった。


 ショッピングモールの自動ドアを出れば、さっきまでの人で溢れかえったショッピングモールに戻れる。けれど、それではともう一度自動ドアをくぐると、そこは無人のショッピングモールに通じている。

 ショッピングモールの外に出られない。つまりはそういう事だった。

 私はぼんやりしたまま無人のエスカレーターに乗る。無人の店を覗き、ぶらぶらと棚の間を歩き、トイレを使い、飲食店に並んでいたチョコクロワッサンを摘んだ。念の為、料金はお店のトレイに置いてみた。それが消える様子もなく、チョコクロワッサンは普通の味がして、ちゃんとお腹は満たされた。

 ショッピングモール内のシネコンを覗いてみた。上映中の表示があるスクリーンは客席に誰もおらず、表に掲示された作品がきちんと上映されていた。

 書店を覗けば雑誌の最新号が置いてあり、生活雑貨の店ではいい匂いのするミストが吐き出され続けていて、誰もいないスーパーには生鮮食品が美しく陳列されていた。

 だんだんと状況が見えてくるに従って、これはかなり快適に生活できるのでは、と思う。

 食べるものに苦労しないし、映画も書籍も見放題。何しろインフラが生きているので、温かいものを食べたければ飲食店の厨房を借り、お風呂に入りたければジムのシャワールームを借り、眠くなったら店先に並べられたふかふかのベッドに潜り込んだ。

 人恋しくなると自動ドアを通り抜ける。元の世界のショッピングモールのベンチに腰掛けて、走り回る子供たちや、威勢の良い呼び込みの店員さん、団子になってさざめき笑う女子高生の集団を眺めて過ごし、また自動ドアを通り抜けて誰もいないショッピングモールに戻った。



「ねぇ、君」


 ある日、自動ドアを通ろうとした時に声をかけられた。その時私は人のいる方のショッピングモールを歩き回った後で、少し喉が渇いていた。夏休みが終わったのか、子どもの数がぐっと減っていて、そうか、今日は平日なのかと思ったところだった。

 その男の人には何も変わったところは見受けられなかった。少し髪が長いくらいで、清潔感のある服装をしていて、物腰も柔らかだ。


「気を悪くしないで欲しいんだけど、その、もしかしたら君は、ショッピングモールに行くところかな」


 それを聞いて、まず、血の気が引く感覚になった。自分のしていることを咎められたような気になったのだ。

 ショッピングモールの自動ドアを出ようとしているのに「ショッピングモールに行くところ」かと聞くのは、この自動ドアを通り抜けてもその先がショッピングモールに通じていると知っているからだ。


「……あなたは?」


 家に帰れるの? 言外にそう聞いたつもりだった。男はゆっくりと首を横に振ると、洋画みたいに両手のひらを上に向けて肩をすくめて見せた。


「どうも迷子みたいなんだ」


 変な人だ。でも、悪くない。

 私たちは一緒に自動ドアをくぐり、それから二人きりのショッピングモールでの暮らしが始まった。


 私たちは割と気が合うみたいだった。男は家電量販店のシェーバーを拝借して髭を剃り、私はコテを拝借して髪を巻いた。お互いに新しい服を見立てて、ポップコーンを摘みながら新作映画を観た。好きな本を勧め合い、旅行会社のパンフレットを眺めては行きたい旅行先をピックアップした。ゲームセンターでぬいぐるみを捕り、エアホッケーゲームで白熱の戦いを繰り広げる。お腹が空いたら適当な惣菜を持って生活雑貨屋のテーブルに広げて食べ、ふかふかのベッドに潜り込んで一緒に眠った。

 自動ドアを通り抜けて人のいるショッピングモールに戻り、再び自動ドアを抜ければ、全てがリセットされていた。食べた物は綺麗に片付き補充され、寝乱れたベッドは整えられ、拝借した家電は元通りに行儀良く並んでいる。快適だったし、この暮らしが永遠に続いても良いとすら思えた。


 季節だけがゆっくりと流れていた。

 売り場の服が夏服から冬服へ変わる頃、ふと思い立って自動ドアを一人で通り抜けた。今日もショッピングモールには大勢の人がいる。

 長い間順番を待って診察を終えると、外はもう陽が傾き始めていた。持って行った文庫本は読み終えてしまい、ひどく空腹だった。あの人もきっとお腹を空かせているかも知れない。

 帰らなくちゃ。

 そう思って、いつもの通りに自動ドアを通り抜けると、そこは駐車場だった。


 チャララ・チャララ・チャラララ……


 背後でショッピングモールのジングルが聞こえて、自動ドアがそれを遮る。

 涼しい風が頬を撫でた。どこか少し排ガスの匂いが混ざっている。カートを引いた女の人が前を横切って行く。子供たちが両親の腕にぶら下がりながら嬉しそうな声をあげる。

 懐かしい、人の気配がする景色だ。


 私は駅までのシャトルバスに乗り込んだ。座席に座る。無意識のうちにお腹に手を当ててしまう。バスの中では沢山の紙袋を手から下げた乗客たちが口々に笑い声をあげ、明日からの予定について忙しなく語り合っていた。

 置いてきてしまった。そう気付く。あのショッピングモールに、あの人を置いてきてしまったみたい。

 いつかまた会えるだろうか。

 休日のショッピングモールで、あの人が私に声をかける所を思い描いてみる。想像の中の私は子供の手を引いていて、少し困った顔をしたあの人はきっとこう言う。


「久しぶり。気を悪くしないで欲しいんだけど、もしかして、それは僕の子かな」

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