第2話 ウサイン・ボルト

「いつまでそうやって天を仰いでいるつもりだい?」


 天を見上げて霧散していた意識を地面に縫い止めたのは、戯けた声で私の肩を叩く怜悧だった。あんな世界の終わりみたいな光景を見てよくそんなセリフが.....と喉まででかけた文句を胸の奥に引っ込める。


「うっさい、ちょっと目に隕石の砂が入っただけよ。あんたこそ目が腫れてるんじゃない」


 精一杯気張っているけれど、怜悧の瞳は隠しきれないほど大粒の涙で溢れていた。


「これは....そうあれ!武者震いというやつだ!!」


「別に誤魔化さなくていいわよ。泣いてるのバレバレなんだから」


「そこまでストレートに言うかい?まあ、確かに涙なんて私には過ぎた代物だけどさ」


 怜悧は私の視線から誤魔化すように大粒の涙を拭くと、いつもの不敵な笑みを浮かべる。うん、こっちの方がよく似合っている。 


 それに、次は我が身だ。感傷に浸るような時間は、もう私達には残されていない。


「ともかく、そろそろ私達も此処から離れよう。花だってこのまま私と心中する気はないんだろ?」


「そうね、あれが落ちてくる前に逃げましょう」


 空で輝く一つの星を睨みつける。その星は他の星とは違い、黄金の光を纏いながら、明らかに異常な速度で輝きを増していた。学校に隕石でも落ちればいいのに、とは常に思っていたけれど、まさか本当に夢が叶うとは....って私まだ学校にいるやないかい!


 何も私ごと木っ端微塵に粉砕して欲しいわけじゃない。学校と心中なんてしてたまるかって話。とにかく今は早く此処から逃げないと。


「ひとまず怜悧は自転車を持って校門に向かって。私もスマホを取ったらすぐに向かうから」


「ラジャー!」


 私達はどちらからともなく顔を見合わせて頷き合う。私は屋上からいち早く脱出する為、唯一の出入り口である赤錆びた扉へと駆け出し、ドアノブへと手を掛けて———


 掛けて——あれ?


「どうかしたのかい?」


「なんか扉が開かなくて....錆だらけで古かったし、さっきの衝撃で扉が歪んだのかな。いつもならこうグッと力を入れると開くんだけど....」


「ガチャガチャ、ガチャガチャ、ポキ!」


「ん?」


 グッとした瞬間、なんだか金属質の何かが壊れた音がしたような.....それにこれまで手元から感じていた抵抗を一切感じないんだけど。


「もたもたしてないで早く扉を開けたまえ。それとも隕石と心中でもする気になったのかい?」


 ドアノブを握ったままの姿で動かず、額から嫌な汗が止まらない私を苛立った怜悧の声が 焦らせる。


 まてまて落ち着け私!まだ壊したと断定するには早すぎる。そう、早すぎる!まだワンチャンあるかもだし!


 そーっと手を捻ると、バキャ!という金属の破壊音と共に、ドアノブが扉に別れを告げた。怜悧も破壊音を聞いて状況を察したのか、顔が青い。私は多分、死人みたいな顔色をしているんじゃないかな。


「ねぇ、怜悧」


「な、なんだい?もしかして本当に私達は隕石と心中するハメに...」


 怯えた声の怜悧に、私は首を横に振る。


「私達、心中かもしれない」


「ちょ、ちょっと待ちたまえまだ心の準備が——」


 何かごねてている怜悧に、私が握っている塵——ついさっきまでドアノブだった鉄屑を見せる。怜悧は鉄屑をしばらく見つめた後に、


「死んだ.....」


 と言い残して地面に倒れ伏した。


 私は鉄屑を投げ捨てて、屋上から脱出する方法を考える。扉を使っての脱出はもう無理だろう。壊そうにも、錆びているとはいえ鉄の扉を女子高生が一人(怜悧は戦力外)で道具もなしに破壊するのは不可能。


 いっそのこと飛び降りるとか?いや死ぬ。どう考えてもそれは無茶だわ。


 こうやって考えている間にも隕石の衝突が近づいてきている。怜悧は使えないし、死を覚悟した殉教者みたいな顔つきになっている。いやマジで死ぬから!死が物理的にどんどん近づいてきてるから!!


「あーもうっ、どうすればいいのよ!!」


 そもそも扉以外からの脱出なんて無理。あるとすれば飛び降りるぐらいだけど、あいにくあるのはカッチカチの地面。どう考えても詰み。着地と同時に足が木っ端微塵、動けないところを隕石で木っ端微塵にされるだけ。


 せめて地面が水のようになっていれば——


「そうよ!水のある場所に飛び降りればいいじゃない!!」


 さっすが私、普段から授業中にテロリストの侵入や宇宙人の侵略をシュミレーションしていた甲斐があったってものだ。


「自殺なら君一人でやりたまえ。大体この学校には池も海もないだろうが」


 虚な目をした怜悧の声でおかしな方向に走り始めた意識が戻る。違う違う、もう衝突まで時間がないんだからさっさと動かないと。


「よし怜悧君、よく考えて欲しい。校舎の北には何があるかね?」


「......硬い地面」


「違う。もっと先」


「.......先の尖ったフェンス。まさか串刺しになって死ぬ方がマシとかじゃないだろうね?」


 訝しげな視線を怜悧が向ける。ふふん、分かってないなあワトソン君。仕方ない、この橘花・ホームズがこの難題を解く最後のピースを授けよう。


「じゃあフェンスの奥は?」


「フェンスの奥って......まさか屋上からプールに飛び込む気かい!?」


「正解!」


 寝転んだままの怜悧に手を差し出して立たせる。私の立てた作戦は至ってシンプル。全力で走ってプールまで飛び降りるだけ。


 だが、この作戦には致命的な欠陥がある。


「しかし花、陸上部エースの君なら飛べるかもしれないけれど、私には無理だ」


 それは帰宅部名誉部長の怜悧では、プールまで到底届かないということ。


 それに対して、私は足が速い。特技の欄にランと書くぐいには速い。自分で言うのもあれだけど、陸上部のエースをしている。


 地区と県大会はほとんど制覇。夏のインターハイもぶっちぎりで優勝したし、あだ名は女子高生のウサイン・ボルトと呼ばれている。ならば——


「私が怜悧をおんぶして走る」


 私の作戦の欠陥は、私の体で埋める。それだけだ。


「っ.....正気かい?」


「本気よ。私がなんて呼ばれてるか知ってるでしょ?」


「お昼時の探索者ってやつだろ。でもそれとなんの関係が.....」


「そ・れ・は!昼飯を食べたらふらりと何処かに消えるあんたを探して学校中を歩き回っている時の私でしょ!」


 廊下ですれ違う教師に散々馬鹿にされた。今思いだしても腹が立つ。ってか全部あんたのせいだ!怜悧!反省しろ!


「ほら、もっと私の偉業を称えるようなあだ名があるじゃない」


「サボり魔の飼い主の方かい?」


「あんたに関係するのばっかじゃない!まさか私が陸上でインターハイ優勝したの知らないの!?」


「えっそうなの?」


 素で驚かれた。おっかしいな〜、一応ニュースにも出たし、学校の垂れ幕にも書いてあったんだけど...ショック。


 そんな落ち込む私の髪を、荒れ狂う暴風が巻き上げる。反射的に空を見上げると、直視できないほど眩い黄金の光が私の目を覆う。


「文句は後で聞くから早く乗って!」


 本能的な恐怖が体を駆け巡る。今すぐにでも此処から逃げ出したい衝動を理性で押し潰して怜悧に手を伸ばす。逃げるのなら、二人で。こんな甘いこと言ってられるのもあと数秒。もう一瞬の猶予も残されていない。


「怜悧!!」


「あーもうっ!死んだら地獄で文句を言いに行くからな!!」


 ヤケクソ気味に怜悧が背中に飛び乗る。


 刹那、私は隕石よりも早く、駆けだす。


 筋肉は誰よりもしなやかに、駆ける。心臓は誰よりも力強く、駆ける。地面を踏みつける両脚は誰よりも速く、駆ける。


 とにかく速く、遅刻しかけた朝よりも、インターハイ決勝のよりも速く。それこそ私の短い人生の中で一番速く、駆ける。というか今走らないと私死ぬ!!


 そして、今出せる全力の速度の最高点に達した体で空を、駆ける。だが——


「あ、これダメだ」


 届かない。やけに冷静な思考でそう直感した。耳元からはおんぶされた怜悧の甲高い悲鳴が聞こえる。さてと、一体地獄でどんな文句を言われるんだか.....いいや、覚悟を決めよう。


 地獄に堕ちるのは私だけでいい。


 私は怜悧を抱きしめて、全身で包み込むようにする。これなら落ちたとしても私がクッションになって死ぬことはないだろう。まあ、私は死ぬんだけど。


 それでもいい。最初から無謀なのは分かっていた。それに怜悧は私を信用して.....別に信用はしてなかった気もするけど、なんだかんだで私に命を預けてくれた。


 だから私の作戦のミスは、私の命で埋める。それだけ、それだけの事だ。


「ごめん、怜悧」


 最後に耳元で小さく呟く。腕の中で怜悧が震えるように動くのが分かった。全く、本当にあんたには振り回されたわ。最後まで。でも、楽しかったような気がする。


 そんな別れへ水を差すように、黄金を纏う隕石はその圧倒的な質量と速度で二人の通う学校に落ち、その場に存在するあるありとあらゆる物質を塵も残さずに天へと吹き飛ばした。


 そう、黄金の隕石はありとあらゆる物を吹き飛ばした。校舎のすぐ側で抱き合いながら落下する......ね。

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それでも世界は廻ってる 初戸間 遊沙 @hatomayusa

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