それでも世界は廻ってる
初戸間 遊沙
第1話 屋上に二人
その日、地図から名前が消えることになる東起田町は、朝から空に雲ひとつない遠くまで見渡せる青空と澄んだ清純な空気が町中を満たしていた。実に気持ちのいい、なんだかいいことがありそうな予感がする。
教室では黒板に文字を書く単調な音がこだまする。窓から差し込む暖かな光が制服を纏った体を心地よい熱気で包む。
私は小さなあくびを一つすると、徐に両腕を机の上に投げ出した。それにつられるように、津波のような眠気が私を襲って....
「グンナイ数学」
「おい橘花!この俺の授業でいい度胸じゃないか。これ以上成績が下がればどうなるか分かってるんだろうな?」
爽やかな眠気を吹き飛ばすような怒声に顔を上げると、教科書片手にイライラした顔の禿頭が私のことを睨んでいた。数学の江藤め。禿げのくせに私の成績に触れるとはいい度胸じゃないか。
負けじと私も睨み返す。
グヌヌ...強い。普通の教師ならすぐに目を逸らしているというのに。私と禿げの視線で教室内に火花が散る。己の誇りを賭けた仁義なき戦いはさらに過酷さを増す......ことはなく私が目をそらす事で結果がついた。
これ以上は無理。おっさんと見つめ合うとかどんな拷問だ。危うくお昼ご飯のステーキが出るところだった。
「ふん、早く授業を始めるぞ」
勝ち誇った顔の禿げが私から目を外す。そして行き場を失った視線は、自然と私の隣にある空席へと吸い込まれていき.....あ、マズイ。これは私が呼びに行かされる流れなんじゃ....
「ったく今日も
「嫌です。大体、別に私じゃなくてもいいでしょ。なんで毎回私が呼びに行かなきゃいけないんですか!?」
「なんでってお前ら友達なんだろ。口答えする暇があるんならさっさと行ってこい!!」
鶴の一声ならぬ
「毎日毎日なんで私がこんな事を....」
重い足を引きずりながら例の人物、私の隣の席であり、絶賛授業サボり中の怜悧がいるであろう屋上へ続く階段を登る。この高校の屋上の扉は開校から一度も補修されておらず、かろうじて扉として原型を保っているものの、赤錆た鉄の塊と言ったほうが正しいほど荒れきっている。
そんな扉もどきをありったけの力を込めて開ける。言ってなかったけれど、馬鹿みたいに建てつけも悪い。
「ん、風が強い」
小さめの体育館ほどの広さの屋上には朝まで吹いていなかった強い風が吹いていた。
そして、私の視線の先には短く切り揃えられた髪を
先生のもとい私のお目当ての少女、灰坂
「やっぱここにいる。毎回サボりのあんたを呼びに行かされる私の身にもなってよね」
私の声に振り返った怜悧はいたずらっ子のように悪い笑みを浮かべ、
「聞き捨てならないね。それは筋違いというやつだ。毎回君を呼びに行かせる先生が悪いのであって、私は何も悪くない。まるで私が悪いみたいな言い方はやめてほしいね」
と、悪びれもなく言い放った。
「怜悧さぁ、授業は真面目に受けましょうって小学生の時に習わなかった?」
「それを持ち出すなら花だって授業中いつも居眠りをしているじゃないか」
「ご飯を食べた後に眠くなるのは生理現象だからセーフ」
「じゃあ私もセーフで」
「あんたは普通にスリーアウトよ」
花というのは、私の名前だ。橘花 花。
両親にもっと捻らんかいと言いたくなるような名前だが、これはこれで気に入っている。
「さてと、身に覚えのない愚痴はそこまでにして君もこっちに来たまえ」
「なんで愚痴の原因がそんなに偉そうなのよ」
文句を言いながらも、怜悧のすぐ側まで歩いて行く。怜悧は近づいた私には目もくれずに眼前に広がる町の景色を眺め続けている。
この学校は高い丘の上に立っていて、こうして屋上からは町の全貌を見渡すことが出来る。怜悧はこの景色が気に入ったらしくて最近はここでサボっていることが多い。
「あんた本当にここの景色が好きよね」
「ああ。こうして見ていると、町に住む人々の命の鼓動というか、世界が歯車のように円滑に廻っているのを感じないかい?」
「そう?私にはただの町に見えるけど」
立ち並ぶのは背の低いビル。シャッターの方が多い商店街。街を歩く人も老人ばかり。有り体にいって寂れた町。この町で育った人には悪いけれど、何処か寂しくて古い、時代に置いて行かれた町。私の目にはそう映る。
「それに、この私が毎日の授業時間を犠牲にしてようやく見つけたんだ。全く、苦労した甲斐があったというもの...」
「怜悧に反省を促すチョップ」
「いったぁい!頭脳明晰な私の頭に何するのさ!!」
怜悧が床に倒れ伏しながら暴れる。この野郎、いなくなるたびに私が血と汗を撒き散らしながら必死に学校中を探し回ったというのに、反省の色がまるでないじゃない。というかまずサボるのを止めろ!
そのまま暫く放置していると、電池が切れたかのように動かなくなった。死んだ?とも思ったけれど、寝そべったまま話しかけてきた。
「ねぇ、花」
「なに?ようやく謝る気になった?」
「いや、謝るのは私の頭を殴った花の方ってそうじゃなくてさ......あれ何?」
殴られて寝そべったままの怜悧は空に向かって指を向ける。指につられるように私も空を見上げて、そして絶句した。
呼吸が止まる。心臓が高鳴る。目は大きく見開かれ、空に広がるそれを真っ直ぐに見つめる。絶句したのはなにも驚いたからではない。むしろその逆、それは自然と完全に調和していて、むしろ今まで見ていた空が偽物に思えてくるほどだ。
それほどまでに、眼前の青空を覆いつくす星々は美しかった。
晴天の空に広がるのは幾万かの星空。煌々と光を放つ星々は青空を背景に幻想的な光景を創りだす。星光は刻々と輝きを増していき、刻々と姿を変えていく。夢でも見ているんじゃないかと疑いたくなるけれど、それはない。だって芸術の成績2だし。
そして、何よりも目を見張るのは、星空が見ているうちにも徐々に大きさが増してきていることで....
「私の目から見ると明らかに大きくなっているんだが....花はどう思う?」
「そだねー綺麗だねー」
「おいコラ見惚れてんじゃねぇ。君も少しは頭を使って現状を把握したまえ」
怜悧が私の頬を引っ張る。痛い痛い。いよいよ本格的に眼前に広がる光景は夢じゃないらしい。ってことは空に見える光がどんどん大きくってるのも幻覚じゃなくて、単純に私達に向かって近づいているだけなんじゃ....
「ねぇ怜悧。今からとんでもない事を言うんだけど心の準備はできてる?」
「奇遇だね。ちょうど私も大量の隕石がこの町に迫ってるという衝撃の事実をお届けしようと思っていたところだ」
怜悧は軽い口調で話しているけれど、その声は震えている。私もさっきから震えが止まらない。
「怜悧はもし、本当にあれが全部隕石だとしたらこの町はどうなると思う?」
「正真正銘、最悪の地獄と化すだろうさ」
怜悧そこまで言ったところで、突然視界が真っ白に染まる。咄嗟に怜悧の名前を呼ぶが、地獄の蓋が開いたかのような轟音で返事どころか自分の声すら聞こえない。直後、地獄の蓋がぶっ飛ぶような振動と、突風が私達のいる屋上を吹き荒れた。
「怜悧!!」
僅かに回復した視界で怜悧に掴まって飛ばされないように耐える。幸い、突風も揺れも数秒で収まった。
「もう大丈夫そう。怜悧は無事?」
「ああ。私はなんともない。そ、それより早く私から手を離したまえ」
咄嗟に動いたから考えてなかったけどこれ私思いっきりバックハグしてるじゃん。めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。
「まって!一旦落ち着いて私の話を聞いて欲しいんだけど!!」
「分かった分かったから手を離せ!なんで更に締め付ける!早く離さないと私が爆破するぞ!!」
慌てて怜悧を腕から離してあげる。
「私も咄嗟のことでパニックになってたというかなんというか——」
「.......」
私の方が恥ずかしさで今すぐにでも爆発しそうだが、怜悧はどこか様子がおかしい。なんだか全身が強張っているし、顔色が悪い。その顔は、相変わらず町の方向を向いている。
「謝罪は受け取ろう。それと、どうやら冗談を言っている場合じゃなくなったようだ」
怜悧の視線の先にあるのは町の一角を穿つ巨大なクレーター。おそらくその場にあったであろう建物も、道路も、人間も、何もかもが粉砕されてクレーターに沈んでいる。そしてクレーターのある位置は住宅街。ちょうど、怜悧の家がある場所だった。
ギリッと歯が擦れる音がする。隣を見ると、苦々しげに、だけどどこか諦めた怜悧の表情がクレーターから背を向けていた。
「こんなのどうしろっていうのよ」
天を仰ぐ私の瞳にはこれから降り注ぐであろう美しい満天の星空と、一際眩い輝きを放つ黄金の一等星が嘲笑うかのように瞬いている。落ちた隕石はまだたったの一つ。地獄はまだ、始まったばかりだ。
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