東京のあるマンション504号室

黒心

東京のあるマンション504号室

 俺はしがない高校生。魔法やら超能力が好きだが使えない普通の人間だ。もしかしたらこの世の中の摩訶不思議な現象が魔法だったり、超能力で引き起こされているんじゃないか?!と心躍らせてしまう事はある。現実は甘くない。どっかのイギリスの調べによるとポルターガイストの九十九パーセントはただの自然現象で説明がつくらしい。


 かなしいかな。甘くない現実は浪漫を抱く気持ちさえ完璧に壊しにかかる。


 そんな風に窓ガラスを頭留守にしながら眺めていると、雲が空をめぐって争っているように見える。そろそろ末期かもしれない。





 *





 じーちゃんとばーちゃんが亡くなった。

 よくある猛暑の日にエアコンをつけてなくて体温が上がりすぎてしまったことによる事故だ。痴呆も始まっていたから忘れてしまったんだろう。

 二つ並ぶ棺をみると勝手に涙があふれる。俺の浪漫は少なからずじいちゃんに影響を受けていた。八歳よりも前ぐらい、よく夏に田舎に遊びに行っていた。空がきれいで、緑もあった。じいちゃんの自慢は水晶玉を空に掲げて雲を動かせることだ。グアテマラのデチャンコオフスキーなる人からもらったと言ってたかな。グアムだったかも。

 化粧を塗った肌に小粒の塩水が落ちた。

 許してくれじいちゃん。


「リョ―、遺書があった」


 親父は興味なさげだ。

 タンス整理をしてた業者が見つけたって、書いていたのは遺産配分。小さい家系だし、年金暮らしだったからそんな配分で揉めるようなことはないはずなんだけどなぁ。遺言は遺言。

 東京のあるマンション504号室、俺が受け継ぐ遺産だ。




 *





 ネグラハトラの視線はねっとりとしてるのは有名な話だ。カーテンに潜む悪魔なんて言い方もある。そのせいで俺は受け取った部屋で包丁を振り回す羽目になったし、クイッ〇ルワイパーと掃除機を酷使して壊してしまった。


 部屋にあるのは大体が蔵書とよくわからない武器だ。その中に例の水晶玉はなかった。親父に聞くと遺言に従って処分したそうだ。


 504号室で俺は何冊かの本を読みこんだ。

 例えば、南米研究者のグラハスマは滅んだ部族の儀式を研究材料にしていた。同行者兼助手はチャウキー、中国で活動し預言士と自称していたらしい。


 儀式の当時の文献は当然存在せず、わずかな証言を纏めて実際に行ってみることが活動の中心となる。現地入りしてから半月、協力者のリャッケン村長が謎の失踪事件に巻き込まれた。さらにその半月後、グラハマスが何者かに襲われ軽傷を負う。


 大学から研究成果が無くてはクビを宣告されていた彼女はデチャンコオフスキーに協力を求める。その手の界隈では有名みたいだ。


 残念なことにリャッケン村長は遺体で見つかった。遺体に関して遺族は受け取りを拒否し、後がないグラハマスが儀式に使用し見事成功した。

 そのころになると大学側から危険な実験をしているのではないかと疑義を掛けられていたが、チャウキーを盾に追及を逃れ切った。


 儀式の内容は遺体をねんごろに葬る方法。危険でも何でもないが、チャウキーはCIAに抹殺されたとか、グラハスマの論文は学会ですら発表されていないのは裏があるからだとか、色々陰謀論がはびこっている。


 本によれば、デチャンコオフスキーはロシアにこの研究成果で多額の資金を受け取ったと書いてある。

 理解できる事実は一つ、魔法だとか超能力とかは無いみたいだ。かなしい。




 *





 高校にもネグラハトラの視線は意外とある。せっかくだから504号室から持ちだした比較的小さな武器で駆除してたんだ。それを見られた。


「なんでカーテンに八つ当たりしてるの?なんか最近リョ―変だよ」


 玲、同級生だ。幼馴染ではない。


「ネグラハトラの視線は基本無害かもしれないけど、駆除した方がいい。空き部屋とかに住み着いて大繁殖する」


「はっ?」


「ガグブの子供が餌にしてるのもいただけない。あいつは増えたら水道管を詰まらせる」


 これも本の知識だ。


「……キモいよ、リョ―。そこには何もないじゃん」


「見えてない?そうかな、そうなのかもしれない。魔法も超能力もないんだ。この生物もいない……のか?」


 俺が振り返るとレイは怪訝な顔をしていた。見えてないのだろうか、この虫のような生き物が。待てよ、生き物だとは本でも特定されてないみたいに書かれていた。つまりこれは……なんだ。


「リョ―?」


「……ねぇレイ」


「えっなに」


「じいちゃんの遺言でもらったものがあるんだけど、今日見せたいから来てよ」


「急に、うん、わ、わかったからその目止めて」


 別にみられて困るものはない。〇〇本を避難させた程度だ。読みものを少し手伝って貰おう。魔法じゃないけど、超能力じゃないけど、何かあるかもしれない。

 そのままネグラハトラの視線を全部退治した。


 レイから行くついでにカフェに行かないかと誘われたが、こっちをジロジロ見るガグブの成虫が居たから諦めてもらった。




 *





 学校が終わって、カフェの無駄だった時間を除くいてもかなりの時間を使って本を読んでいる。レイも渋々だが付き合ってくれたいた。


「はぁ、リョ―のいってることがわかった。分かりたくなかった」


「魔法はないけど、超能力もないけど、ありそうに思えないか?」


 レイはこめかみを押えて頷いた。時計を見ると短針は八時を指している。夜ご飯も食べずにぶっ通しで読んだから、面白い本を見つけれた。


 エベレスト登山に失敗したジャックジャネルソンは失った片足を義足で補うだけじゃ我慢できなかった。彼は藁にも縋る思いで東ヨーロッパの魔女を頼ることとなる。


 道中のクラクフ駅で知り合ったカネーラは怪しい出自で、ユーロポールの追跡をたびたび振り切る必要があった。普通ならそんな人物を警察に突き出すかもしれない、しかし、ジャックジャネルソンのとっては重要な情報源で彼の人脈を駆使して彼女の逃走を手伝った。


 二人はキシナウの町で別れることになりジャックジャネルソンはまた一人で魔女を探すことになる。一方でカネーラはウクライナを超えてロシアに侵入する。ここまでくると当然ユーロポールの追ってはいなくなったが次はイギリスのMI6らしき構成員に追われることになる。


 ジャックジャネルソンはブライラ、コモティニ、コンスタンティノープルを渡り歩くも魔女は見つからず、ってトルコまで行ってんじゃん。逆方向のビゼウに流れつく。魔女は見つからなかったが道具一式を探し当てたようでそれを使って生の足を錬成しようした。


 その過程で胡散臭い黒魔術を使い失敗。両腕を失う結果となって失意の内に息を引取った。その道具一式は親友のヒューズに受け渡された。


 ロシアに渡ったカネーラは保護を求めてデチャンコオフスキーに接触するも拒否される。さらに不幸なことにロシア当局から追われる羽目になり中央アジア諸国を逃げまわる。最終的にミャンマーで国軍のクーデターに巻き込まれ死亡する。


 MI6やユーロポールが散々追いつけなかったカネーラが何故クーデターに巻き込まれたか疑問が残るらしい。そんなことはさっぱり、ただ、魔法っぽい感じがしない。かなしい。


「ネグラハトラの視線ね。思い返せばたくさんいた気がする」


「放置していても無害だよ。付き合わせちゃってごめんね」


「お腹減ったし、何かおごってよ」


 お小遣いはほとんどクイッ〇ルワイパーに消えたなんて言えなかった。チェーン店の安いハンバーガーで我慢してもらおう。

 ハンバーガ屋にもガグブの成虫がいるけど、刺激しなければ無害だ。刺激する方法は簡単で、仕事をする人を貶す行為をするとめっちゃ怒る。どうなるかは人それぞれらしいが触らぬ何かに何もなしだ。


 食べながらレイも本の話をした。よほど心に残ったらしい。


「“ギャオラの根は幹に成長することなく、そのまま有毒な葉をつける”」


「なにそれ」


「分かりたくない。でもなんとなくわかるんだよねぇ……ほら、あそこで談笑してる女子会の人たち見て」


 目立たせず指をさした方向には確かに笑って楽しく会話をしている、たぶん大学生くらいの人たちがいる。目を凝らしてみると口の中に葉っぱみたいなのがあった。耳には根っこがあるみたいだ。


「無害、無害よ。魔法でも超能力でもない。気になるのは文章の続き、ジギンヘンリーのギャオラの根に関する研究はデチャンコオフスキーによって抹消された可能性があるって書いてあった。だれ?デチャンコオフスキー」


「じいちゃんも探してたんだと思う。あの部屋にある本には大抵デチャンコオフスキーの名前が入ってる。南米にいたのはファレンコスキーが回収した何かをロシアに送るため、ベトナムかミャンマーに不法入国して指名手配されてるし、オーストラリア政府がイギリスに泣きつく原因になったらしい。全部あの部屋の本に書いてあったことだから信憑性は……ね」


 そのあとは無言で食べきった。窓ガラスには相変わらずネグラハトラの視線が大量についてた。取り切る気持ちは湧かなかったからそのまま帰って寝た。




 *





 夏休みになり、俺とレイは家出した。二ヶ月後には戻る予定と置手紙を残してきたけど考え直すと、少し不味かったかもなぁ。レイは喜んでるけど俺は移動中ずっとヒヤヒヤしてた。


 なんで家出というか小旅行することになったかというと、504号室にある大量の旅行雑誌が発端で、レイがキラキラした目で眺めてたから冗談交じりに二人だけで行く?って言ってしまったのが原因かな。レイが大金の入ったデビットカードを持って腕を掴んできたときは何事かと思ったよ。


 それだけだったら俺は新幹線の窓から雲を眺めてない。

 デチャンコオフスキーは日本を訪れることもしていた。東京、仙台、福岡などに潜伏しているスパイと話し合っているのが目撃されている。また、魔道具一式を持ってるヒューズも日本に数か月前に移住しているらしい。この人実は有名な歌手だった。エベレスト登山に成功して頂上でMVを撮ってインターネットでバズってる。


 本は結局過去しか教えてくれないけど、つなぎ合わせると未来が見えてくることもある。デチャンコオフスキーは基本一人で行動するが、移動するたびにロシアの関係者と必ず会う。インドネシアの密林に移動したときも、潜伏するロシア資本の犯罪組織に接触、技術交換した。


 要するにロシア人と会えたらデチャンコオフスキーに会えるかもっていう浅はかな考えだ。会えなければ普通の家出旅行になる。


「そういやさ、リョー、新幹線にはネグラハトラの視線がいなんだね」


「そういや……そうだね」


「で、これから会うかもしれないヒュイマンって人は信用できるの?」


「まぁ、実際にあってないから確証はないかなぁ。ジャックジャネルソンの登山仲間ってだけでもかなり信用できるよ」


「片足の登山家……旅してる途中でも山登り諦めきれなった人ね」


「義足は付けてたから片足ではないけど」


「テレビは受けやすい方を使うんだよ?」


 苦笑するしかなかった。

 そういえば、日本でもオカルト系の人材はいる。テレビとかに出ている人がホンモノとは限らないけれど、大学に勤めている新井田准教授はまだ信頼できる、確かロマンシュ語研究だった。

 近くだからついでに会いたいな。


「ヒュイマンは……名古屋か、いなければ大阪で探すんだよね」


「そう、連絡はとったけど秘匿主義だから昔使ってた場所しか教えてもらえなかった。指定された日付で会えなかったら無かったことになる」


「変な人、リョ―みたい」


「……そ、そんなわけ……ないよ」


「いいのいいの、変でもいいから」


 俺はいびつな感情を抱きつつ、黒い富士山に視線を逃がしたのだった。






 *






 名古屋には何事もなくついた。警察が家出した子供を探してるって話も聞かないし、まだ家族はすぐ帰ってくると信じているみたいだ。


 ヒュイマンの約束まで時間があるから、名古屋の観光スポットを二人で巡った。食べ物が美味しかった。プールに行く?って誘われたけど生憎水着は持ってきてない。嵩張る荷物は持ってきてないんだ。


 ネグラハトラの視線が多い場所を避けつつ、二人で夕陽を眺めていたらそのまま約束の時間になった。

 場所は雑居ビルの二階、三十年前は新興宗教のヨガ教室だったようで当時の看板が未だに放置されている。


 室内は暗くて分かりずらいがガラスが三面に張ってあって、追加で意味深なチケットが机の上に置いてある。


「「夜行バス?」」


 チケットには名古屋・大阪と書いてある。


「これ、わざわざ夜まで待つ必要なかったじゃん」


「そう……だね」


 ヒュイマンの警戒心は強い。

 登山雑誌に掲載さえている記事を読むと、用意周到は当然のこと、人間関係まで細かく把握する。登山者の間では彼を大木、ビッグツリーと呼ぶ。ヒュイマンの命令通りに行動すれば難しい山でも登り切れるからだ。そして帰りも順調そのもの、ただし、一つでも彼の命令に背けば危険な目に遭う。そのせいかビックツリーのあだ名と伏せてビックブラザーのあだ名も持っている。


「まぁ、彼の言う通りにするしかない。そういう人だから」


 レイの眉間に皺が寄る。

 どうしようもないのでその場を後にした。


 夜行バスに向かうまでの道で警察に心配されたが、事前の打つ合わせ通り年齢を偽る台詞を用意してたから事なきを得た。去り際に警察は無線で違った、と連絡していたから親が通報したのかも。


「すごいギャオラの根だったね。葉はついてなかったけど」


 耳に巻き付いた根は、あれはもはや幹だった。





 *





 大阪に着く。約束の時間が迫っていたから、小走りで、最終的に走って何とか間に合った。見た目は普通の一軒家。野口の表札がある。


「「お邪魔します」」


 扉の鍵は掛かってなかった。

 絨毯の廊下を抜けた先の扉が開いている。あそこに行けばいいのだろうか。


 そこには厳つい表情で道具を磨いている人、あと数年で髪の毛が白く染まりそうな年頃の男性がいる。


「ロシア語」


 首を振る。代わりにスマートフォンの翻訳画面を机に出した。


「話せる。前置きは無しだ。その界隈じゃ有名なあいつにどうして会いたい」


「好奇心」


「デチャンコオフスキーはモノで動く。あとは、そうだな……超常現象ならモノが無くても会えるだろう」


 厳つい見た目からはかけ離れた優しい声。俺は拍子抜けしてしまった。


「会ったことがないから教えられるのはそれだけだ。心配するな、切符は用意している」


「切符?」


「登山に命を懸けるってことは、何かに縋りたくもなる」


 ヒュイマンの手には二枚の切符、おそらく航空券が握られている。


「どうして、そこまでしてくれるんですか?」


「気にするな、誰かの借りを返す時が来たんだ」


 俺の手に航空券を無理やりに握らせると、背中を押されて手を振られた。


「名古屋じゃ危なかったろう。追手がいるから気をつけろ」


 警察のことだろうか。


 俺とレイは出来るだけ深くお辞儀をしてその場を後にした。地図を開いて気付いたことがあって、この付近には警察署はおろか交番もなかった。一直線で最寄りの空港まで行くルートも人通りが多い場所だ。


「あの人凄いね、未来読めてる」


「さすがビックツリーとかビックブラザーって言われる人だ」


「それ悪口でしょ、細かすぎるって」


「そうかな……そうなのかも」


 なんとも言えない空気のまま関西国際空港を目指す。電車を乗り継いでいくことに不安はあるが、航空券の時間に合わせるにはそうするしかなかった。

 やっぱり、細かすぎる人なのかもしれない。





 *





 シンガポールのチャンギ空港とアラブ首長国連邦のドバイ国際空港を経由。その道中、関西国際空港でヒューズ、ドバイ国際空港でクュジャに出会った。どちらもヒュイマンから連絡があったようだ。

 ヒューズはジャックジャネルソンの親友、魔道具一式を持っているはずの人だ。

 クュジャは情報屋をしている。人と人を繋いだり、不可解な事件の情報が得意らしい。


 魔道具一式についてヒューズに売店で買った翻訳機を挟んで聞いてみると、ヨーロッパの別荘、元自宅に今も保管していた。彼はエベレスト登頂を成功させているが、そのことで後悔しているぽかった。

 ジャックジャネルソンが電話越しで咽び泣いて初めて登頂失敗を聞かされ、親友を差し置いて登頂しまったばかりに魔女探しなどと無謀な旅に出たんだと。


 落ち込むヒューズにレイは日本語でそんなことないじゃん、ってちょっときつめの言葉で諭していた。日本人諭しの効力があったのか、いや無いけども、ヒューズはヨーロッパの別宅にきたら魔道具一式を見せて貰えることになった。


「日本語、コレ?」


「はい、わかります」


「ゆーろぱ、ボローニャ、人、会う」


「誰ですか?」


「ウィッチ、ジャック、探してない片方」


 クュジャは俺とレイに分かるように日本語を使ってくれたが、結局翻訳機で詳細を話してもらった。

 ドバイからヨーロッパ、詳しくはイタリアに飛んでジャックジャネルソンが探していない方の魔女に会う。魔女に代償を支払って知識を教えてもらう。そのあとロシアに行ってデチャンコオフスキーに会うという予定らしい。


「代償?手とか?」


『それでもいける、その魔女は思い出深さに価値があると言っていた』


「思い出……持ってきたものに何かあるかな」


 504号室の蔵書と変な武器をいくらか持ってきたけど、どれも思い出深そうじゃない。他にはスマートフォン、水、インスタント食品、そしてプリクラ写真。


「……これ使っていい?」


 レイに写真を見せるとみるみる内に赤面する。


「ダメに決まってるでしょ!」


「そうか、手か足を差し出そうかなあ?」


「……ああもう、あっ!ほら、飛行機の時間なったから!」


 俺の手を引いて速足で検査場に急ぐ。振り返ればあの二人が微笑ましい顔をして付いてきている。

 ふと、家族が気になった。まだ一週間しかたってないが、家出としては長い方なはずだ。心配させないように手紙の一通でも送るべきなんだろな。





 *







 到着、時刻は深夜。

 アルプスは夏であろうと肌寒く、服を買うことになってしまった。まさかここまで寒いとは思いもしなかった。高山気候を舐めたら駄目だ。


 イタリアに飛行機が着陸した後、ホテルを探して翌日から魔女を探すことになったんだが、どっかのスパイなのか秘密組織なのかチェックインしたホテルで盗聴器が仕掛けてあった。それでレイがカウンターに怒鳴り込んで、ガグブの成虫が反応してしまった。

 ホテルの従業員が盗聴器を仕掛けてない証拠になるんだけど出来れば仕掛けていて欲しかった。


 ガグブが音にならない叫び声をあげて何かを呼んだ。オーナーだったり、警察だったり、特殊工作員だったり……そう、目立たないようで実は機敏な動きをして俺たち四人をすぐさま囲い込んだ。人数は六人ぐらいだったかな。

 あ、終わったって思ったよ。そしたらまた別の集団がホテルに怒鳴り込んできたんだ。黒ずくめで銃を構え即発砲、威嚇だったがシャンデリアの根元に当たったらしく轟轟に崩れ去った。


 そっからは逃避行。

 クュジャを先頭に三人が走って付いていく感じ。


 イタリアの古い町並みを横目に後ろから追っかけてくる車とか、人とかを振り切っていく。時々爆発とか銃撃が飛んできたけど当たらなかったから幸い。


 クュジャの案内でなんとか駅に着いたあと、出発間近の電車に載せて貰ってから四人とも疲れて眠た。起きた時には真夜中の一時くらいだった。よく分からない所で降りるわけにはいかず、そのまま終点に行くことになる。そこがスイス、永世中立国スイス。


 まだ陽は昇ってない。静かな空間の中でレイだけがすすり泣いている。


「ごめん、私が怒らせなかったら、今頃魔女に会えてたよね」


 中学から一緒だがここまで泣いているのを見るのは初めてだ。肝試しの時より泣いてる。


「そもそも、無理やり連れださなかったこんな、こと、ならなかった」


「二つ返事でさして計画を立てなかった俺も悪い」


「せかしたのは私のせい」


「……レイ。俺は命の危機があったとはいえ、楽しい」


「?」


「魔法も、超能力も、全くない世界だけど。なんだ、面白いじゃないか。学校で燻っているより遙かにマシだよ」


 俺はレイにとびっきりの笑顔を見せた。


「そう?たのしい?」


「死んでもいい」


「それはダメ」


 なんとかレイに笑顔が戻る。


 見計らってクュジャが話しかけてきた、ヒューズはまだ電話中みたいだ。


『誰かに魔女を探しているのがバレた。それで追われている』


 目を伏る。いい状況ではない。


『取り敢えず頼れる人が近くにいる。そこに匿ってもらう。計画はそこで練りなおす』


 俺は無言で頷いた。

 奥でヒューズが電話を終えるのが見える。


『車は無理だったが泊めてくれるみたいだ。ちょっと遠いが歩きで行こう』


 クュジャが時間を逃すまいとすぐに歩き始めた。俺はレイと手を繋いで一緒についていく。





 *





 アルプス山脈の影から太陽が見える。かのハンニバルも同じ気持ちだったんだろうか、希望が胸に湧いてくる。写真に収めるには余りにも惜しい。心の中にずっと留め置いておくことにした。


『ついた』


 クュジャかヒューズか、どちらかが翻訳機を使って教えてくれた。機械越しでも分かるほど高揚している。

 山小屋、いやログハウスといえばいいのか。木で組まれている家に着いた。鍵は開いているようだ。家主が出迎えてくれた。


「日本人の子供聞いていたけど、高校生かな?」


「新井田准教授……」


 壮年の男性は俺がよくテレビで見ていた人ご本人。言語研究者の新井准教授だった。まさかクュジャと知り合いだったなんて。世界はもしかして狭いのか。


「おお!知ってくれてるか!歓迎するよ」


 そのあとヒューズと何かの言語で話し合っていた。こちらは初めて会うらしい。


 家の中は温かい。日本の秋のような朝だったから寒かったからしっかり体を温める。


「クュジャから詳細は聞いたよ。大変だね、親御さんには内緒にしておく、ただし、ちゃんと生きて帰るんだよ」


 縁起でもないことを平気で言う人だ。しっかり返事をすべきか冗談交じりに返事をすべきか迷う。


「ははっ、いいんだいいんだ。可愛い子には旅をさせよ、ほら、ことわざにもある」


 やっぱり、どう返事をすればいいか分からない。


「さてと、真面目な話をするとここに入れるのは今日いっぱいだ。生憎、今日の夜にはドイツに行かないといけない。学会がそこであるんだ……そうそう魔女に関してどこにいるかは定かではないけれど、一つ、心当たりがある」


「「『『!』』」」


「気さくな人でとても魔女とは思えなかったんだけどね、お金に困って道具一式を売り払ったって言ってたよ」


 ヒューズが翻訳機の声を聞いて目を見開いた。


「ヤーパルギーナ、思い出の魔女って二つ名がある。クュジャも子供のころあってるだろう?」


『ウチチェレクで、その時ボローニャの住んでいるのを知った』


 すらすらと話し、目を教授に合わせる。


「今はイタリアに居ない。誰かに呼ばれてロシアに向かったよ」


 准教授が一番聞きたいこと言うと、四人に緊張感というか、驚きが飛び出る。


「じゃあ、ドイツ行きの用意があるから席を外すね」


 テーブルを囲む四人が残る。

 俺でも分かる。何かがこちらに手招きしている感がすごい。別に困ることもないから素直に向かえばいいような気がする。


「ねぇリョ―、出来すぎじゃない?」


「そうだね、うん、向こうに着いたらあっちから会いに来てくれそう」


 率直な感想を言うと、三人は頷いてくれた。悪を暴こうとか、復讐とかの感情でこの旅をしている訳ではない。ヒュイマンの善意でここにいるだけだ。さもなければ、俺はレイと一緒に日本津々浦々の名所を巡っていたはずだ。


『私は此処で降りてもいい、道案内は必要そうにないから』


『亡き親友の友の頼みだ。日本に帰るまで付いていく』


 確かに、ロシアに行くことが決定しているなら道案内役のクュジャは居てもいなくても変わらないかもしれない。


『そうだ。だれが追跡者を振り切れるんだろう』


「あっ……」


『ヒュイマンから前金は貰ってある。それにかなり報酬がいい』


 ジャックジャネルソンに登山仲間は本当に未来が読めているのではないだろうか。細かすぎたり、ちょっと厳つい面はあるが、一度山を登り始めたら降りきるまでの面倒を見てくれる。

 過保護、だからこそのビックツリー。


「リョ―は周りにいい人がいっぱいいるね」


 レイはため息交じりに言う。

 俺は頭を下げることしかできなかった。





 *






 カネーラはずっと一人で逃げていたのだろうか。

 グラスゴーで麻薬取引に失敗してからスコットランドヤードに追われることになり、逃げた先の質屋の二階で超常現象を目撃した。その後、イギリス各地を転々としながら非現実的な情報収集に積極的になる。ヨーロッパ中の超常現象を裏で研究する人たちが集まる会合にも出席、ここで魔女に関する知識を収集した。


 最終日、さぁ解散というところでスコットランドヤードが突入、後ろ暗い人たちから捕まっていく。カネーラは三人の警察をコロコロしつつ逃走、船に乗ってオスロへ。


 懲りずに変な取引をしてユーロポールに指名手配されてしまう。また色々な人か超常現象などの話を聞いて一度はフィンランドまで逃走した。でも誰かに追跡されていることに気付いたのかロシアに入ったフリをして、ドイツに行く。


 ユーロポールはすぐに戻ってきた指名手配犯を追う。東へ東へ逃げる途中でジャックジャネルソンに出会った。彼と分かれた後にイスラム系のテロに巻き込まれるが命辛々生還する。


 病院のベットに寝かされていたカネーラはいつの間にかいなくなっていたらしい。ネットで当時の記事を調べると行方不明者二人と表示されるし、内一人がカネーラなのは間違いない。


 不思議なのはこの本は常に三人称だった。カネーラの独り言も時々一緒にいる誰かに話しているような、そんな気がする。


「ねぇ、惚けないでよ。あともうちょいでモスクワだよ」


「ああ、もうそんなに……ネグラハトラの視線も居ないし、無事つけそうだね」


「クュジャさんのおかげね、今寝ちゃってるけど」


『徹夜で頑張ってたんだ。ゆっくりさせてあげよう』


 俺たちはスイスで准教授と別れた後、カネーラのように追われながらウクライナを超えてロシアに入ろうと思ったが、国境は閉鎖されているからその方法は使えなかった。一旦北上してポーランドとベラルーシの国境を超える手も考えたけど、緊張感マシマシでそれどころじゃなかった。


 スイスにとどまっている間、ネグラハトラの視線が増え始めて逃げるようにオーストラリアに行った。でも、ネグラハトラの視線が窓に着き始めてて、ウィーンからプラハ、ブタペストという感じにジグザクに移動した。


 このままではロシア国境にも行けないから、思い切って飛行機を使ってベラルーシに入った。意外とネグラハトラの視線が少なく、列車に乗ってモスクワまで向かう途中だ。


 クュジャがいなかったらプラハの劇場で捕まってたと思し、モスクワの検査も潜り抜けられないだろう。そのために人に人にと連絡しまくってた、徹夜で。


「なんとなくで、家族に何も言わず飛び出たけど……なるようになるんだなぁ」


 レイを見ると神妙に頷いてた。


『行動力のおかげだろう。祖父の部屋にある本を全部読んだ上でここにいるということは、読まなくちゃここにいないってことだ』


 とても優しい声で応えてくれる。

 レイの瑞々し唇が揺れる。


「ブタペストで下水管が爆発したときは死ぬかと思った」


『咄嗟にカバンで身を守った』


「おかげでじいちゃんの武器が壊れた」


「でもみんなを守れた、みんな傷一つないよ?」


 俺の頬は勝手に緩くなった。

 十字架とか、聖書とか、変な布だったり、“武器”としては不細工かもだけど、しっかり人の役に立ってくれた。


 列車の窓から空を見上げると、雲が不思議な動きをしていた。






 *






 モスクワに着いた後、シベリア鉄道を使ってウラル山脈を越えた。

 クュジャが人伝で魔女の滞在先を突き止めてくれていたおかげだ。


 タイガの中にポツンとある家、魔女の家と思うと禍々しい気配を纏うようだった。実際に会ってみると、全くそんな気配なんて無い。世界中にいる優しいおばあさんだった。


『わしはヤーパルギーナ。思い出深い友の葬式に行かねばらなん』


「デチャンコオフスキーに会いたい」


 魔女の目が細くなる。


『紛れもない。友の名はデチャンコオフスキーという』


「えっ」


『故郷の村で、家族に看取られながら幸せじゃろう……その家族がせめてわしだけでも葬式に来てほしいとな』


「……」


『苦労してきたんじゃろう。呼吸してなくても会いに行け』


 老婆はそう言った。

 村はタイガを出てすぐ近くにある。閑散としていて若い人も年々減っているらしい。日本の限界集落のようになるのは時間の問題だった。そのためか、村人は動ける内に人が多いところへそれぞれの伝手を頼って引っ越すそうだ。


 デチャンコオフスキーの葬儀はそんな忙しいさなかに行われるため、家族と司祭以外居なかった。何かのために世界中を巡った人物の葬儀としては、あまりにも小さすぎる葬式だった。


 すでに棺桶の中にデチャンコオフスキーはいる。家族は最後の顔合わせを済ませ終わっていた。


「結局、誰だったんだ」


 青色の花が棺桶にまかれる。ロシアではどう祈るか分からず、手を合わせて祈った。


 もし、会えていたら、何を聞いたか。

 グアテマラで俺のじいちゃんと会ったとき、何を話したのか。

 世界中を飛び回って、何をしたのか。


 何かのために何かをした人にしては、何も残っていない。


 目を開けると、悍ましい数のネグラハトラの視線が棺桶に密集している。俺とレイは気付いて顔を見合わせるが、ほかの人は気付いていないようだ。

 司祭が祈りの言葉を棺桶に向かって言う。さらにネグラハトラの視線が集まってくる。


 悍ましすぎて空に目線を映すと、雲が動いていた。それは形を成していく、細い線が幾本も伸びて、二枚の雲の厚みにそれができる。


 目だ。


 大きな一つ目が空にできる。


「目……」


 レイの声が震えていた。

 暗くなってきたこと加え、葬儀に来た人が雨が降りそうみたいなことを隣の人に言っていた。


 ゴロゴロと雷の音までし始める。丁度そこで、司祭の言葉が終わってデチャンコオフスキーの家族が棺桶に土をかけていく。


 空を見てた俺は、雷が真上から一瞬で堕ちるのを目撃した。けたたましい音を立てて棺桶に直撃、燃え上がった。

 家族が慌てふためいて、急いで土をかける。


 しばらくしたら火が消えたが、結局、デチャンコオフスキーも棺桶と一緒に燃えてしまった。


「魔法……魔法だ」


 盛り上がった土塊つちくれの中にデチャンコオフスキーが埋まっている気はしなかった。そっと脇に目をそらすと、彼の息子が汚物を見る目で土の山を見ていた。家族とうまくいってなかったんだろうか、翻訳機を片手に語り掛けてみることにした。


「あの、俺の祖父が世話になったかもしれない」


『うん?ヤポンスキー、何の用だ』


 首の根元から黒いタトゥーが覗いている。


「あなたの父親について知りたい」


『知るかよ。どっかいけ』


『やめなさいな。ヤーパルギーナから思い出を頼ってここまで来たと、そうですね?』


 娘だろうか、てことはこの男性は孫だったのか。


「ええそうです」


『父の葬儀に手間をかけて……ありがとう。古いですが家にどうぞ、雨も降りそうですから』


 そう言ってお互い空を見上げると、あの巨大な目は無くなっていたが雲は集まったままだった。お言葉に甘えて四人ともデチャンコオフスキーの家にお邪魔することになった。


 案内されたのは書斎だった。元は二つの部屋だったらしいが、真ん中の壁を取り除いて大きな一部屋にしたらしい。


 世界中から集めたものがそこにあった。

 南米のどこかの部族の杖、意匠の籠もった鎧、ボロボロのローブ、ルーンストーンもある。じいちゃんと同じく蒐集家だったのだろう。


『父は変な人でした。政府の役人が家に押し入ってもこの部屋だけは絶対に見せなかった。銃を突きつけられても、頑に扉にへばりついて開けさせなかった。それ程大事な部屋だったんです』


 デチャンコオフスキーはどことなくじいちゃんに似ている。504号室のことは家族の誰も知らなかった。そもそも、東京に来ていたこと自体親戚の一人も知らなかった。


『でも、一人だけ、私はこの部屋に入るのを見ました。日本人。子供の頃に見た人にあなたはとても良く似ています』


「……じいちゃん」


『その時はもう一人いましたね、女性でした。その時はもうかなり逼迫してて、二人を急いで村から追い出しました。銃を持った役人がずらりと家を取り囲んだ時は怖かった』


「それは……どうして」


『隠し事がバレそうだったんです、大事なものを政府に提出してなかったことが。なんとかバレませんでしたが、今はありません、父が亡くなる前に壊してくれと頼まれたから』


「あの、それはもしかして、水晶玉」


 そんなことあり得るはずがない。そう思っても、そう思わざるを得なかった。


『……ふふ、父はもう一つ言い残したんです。次来る人に、これを渡してくれって』


 彼女は手紙を渡してくれた。キチンと封がされていて、筆圧濃くじいちゃんの名前が書いてある。

 俺は何も言えない。


『届けてあげてください』












 *










 504号室のベランダにはヤマボウシが植えてある。もう枯れてしまって見る影もないが、今年もしっかり咲いていたはずだ。


 あの後、大雨が村に降り注いだ。そのおかげで四人は誰にも見られることなく村を脱出できた。シベリア鉄道に乗ってウラジオストックまで付いた後、中国を経由して日本に帰った。


 クュジャは北京で別れ、たしか預言士と会うって言ってたか。ヒューズは和歌山で別れた。結局、魔道具一式を見ることは叶わなかったけど、連絡先を交換して次の機会となった。


 一応、ヒュイマンに会った家に行ってみたが空き家だった。代わりにお線香の匂いが漂っていた。電話もかけて、不通。一体どこに行ってしまったんだろうか。


 そのまま新幹線で帰ろうとしたんだが、レイが京都で遊びたいと言って聞かなかった。観光客であふれる京都は夏なこともあって蒸し暑かった……折角だから和服を借りて散策した。

 レイが我儘をしたんだったら、俺も我儘でじいちゃんの家まで行くことにした。


 家は掃除されてない、ありのままの姿だった。仏壇もどこかに移動されて、手紙を置く場所がない。庭の石は早くも苔が生え始め、可愛い猫とその子猫が玄関を塞いでいた。


 自然と、俺は空に向かって祈る。

 デチャンコオフスキーは最後に魔法を見せてくれた。あれから、ネグラハトラの視線はどこにもいない。もしかしたら、じいちゃんか、デチャンコオフスキーの魔法だったのかも。


「リョ―!今日の掃除終わらせた?」


「もちろん」


「原宿にいい店みつけだんだ、いこうよ!」


「待って待って」


 俺は和室部屋にある仏壇の前に立って手を合わせた。


「いってきます」


 親にとんでもなく叱られたとか、大学受験が迫ってるとか、諸々の報告を済ませて仏壇にお線香を立てる。

 じいちゃんの顔写真と封を開けられてない手紙をきちんと並べる。


「おじいちゃん、行ってきます」


 日本に帰ってきてから、レイもこう言うようになった。まだ挨拶は済ませていないけどね。


「魔法はあったなぁ」


「魔法、なくても楽しいでしょ?」


「それはそうだ」


「ねっ」




































注意:ユーロポールは捜査権を持ちません

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東京のあるマンション504号室 黒心 @seishei

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