『足の裏にできた肉刺(マメ)が潰れた』

小田舵木

『足の裏にできた肉刺(マメ)が潰れた』

 左の足の裏にできた肉刺マメが潰れた。プシュッと潰れて中から体液があふれ出し。

 サンダルの中がベタベタになる。これはなかなか気持ち悪い。

 それでも歩む足は止めない。別にそんなに痛くもないし。

 俺は何処に向かっているか?実は目的地などありはしない。

 ひきこもりがちだった生活を整える為に散歩をしているだけだ。

 サンダルで出てきたのは間違いだったなと思う。ソールが薄いから足の疲労が早い。

 辺りはまだ暗い。なんせ朝の4時。早起きの老人や鶏すら眠っているだろう。

 

 歩いているのは車線の多い国道沿い。この時間だと言うのにトラックがビュンビュン走っていて。世の中は確実に動いているよなあと思う。

 そんな中をのこのこ歩く俺。その景色に自分の状況をオーバーラップさせてみる。

 まったく情けない話だ。世界に取り残されつつある自分が浮き彫りになる。

 世の中に迎合するつもりはないが。取り残されるってのは気分が良くない。

 とは言え。会社という小さな社会ですら、うまく人間関係を築けなかった俺がどのように世界という流れに乗っていけば良いかは分からなかった。

 

 道すがらにコンビニ。このコンビニにはこの時勢にも関わらず喫煙コーナーが設置されている。思わず立ち寄り。そこで煙草をふかして。

 俺の口の先から煙は立ち上る。その煙には何が含まれているんだろう?有害物質の他に俺の体から何が出ていっているんだろう?

 やる気かな。そう、俺は仕事をやめて以来、家に引きこもってしまっていた。出るのはハローワークに失業給付をもらいにいく時ぐらいだ。


 劇的な何かがあった訳ではない。

 ただ。仕事をしていく中で、妙な虚無感を覚えてしまって。そこから転がり落ちるように仕事を辞めちまった。元々人間関係が希薄なのもあって惜しまれる事はなく、あっさり辞めちまった。

 妙な虚無感。そいつは将来への希望の無さ、と形容することも出来る。

 どうせ、真面目に働いたところで俺はどこにもいけない。

 人生にはライフステージがある。俺は今30で。本来なら仕事が楽しくなったり、パートナーを得たり、やりがいが出る時期らしいのだが。俺は今あげた2つを感じる事はなかった。仕事は俺がやらなくたって他の誰かが担えるようなどうでもいい仕事だし、パートナーなんてモテの欠片もない俺には縁がない。

 この件に関して、俺の父親はこうコメントした。

「お前の心構えの問題である」と。まったくもってその通りだが。

「自分の心をごまかせねえ」と俺は言い返してみたが。

「世の人間はそう思ったとしても、押し殺して働いてんだよ。日々のかてを得る為にな」父は眉をしかめなからそう言って。

「俺にはそのこらえ性がなかったんだよ」俺は降参宣言をし。

「この意気地なしめ」と言う言葉を頂いた。まったくその通り過ぎて言い返す言葉もなかった。


 煙草を吸い終えて、コンビニを出る。その先には大きな橋がかかっていて。

 日が上りきらない今の時間は涼しい風が俺を撫でる。今や季節は夏だ。

 そう。夏になっちまった。俺が仕事を辞めたのは年度替わりの春先。

 もう3ヶ月が経とうとしている。なのに、気分は落ち込んだままだ。

 今までの仕事の疲れが出ているのか?はたまた?

 歩む足。橋を渡り切ろうと進んでいくのだが。この橋は存外に長く。

 視線を横にやれば河口が見え、その先には日本海がある。茫洋ぼうようとしたその海に身を投げたいという欲求が立ち上ってくる。今の季節、水温が高いから死にはしないだろうが。

 死。それが俺を捉えだしたのは何時の頃だったか。

 少なくとも学生の時ではない。むしろ能天気な人間だったのだ、俺は。

 社会人になってからだ。それも入社してからしばらく経った後。

 俺は仕事が出来る口ではないが、致命的にできない訳でもない。

 じゃあ、何故死にたくなるほど気分が落ち込んでいるか?

 それはさっきコンビニで考えた感情のせいだ。俺はどこにもいけない。

 やろうがやろうが終わらない仕事。いや、仕事ってそんなものだとは思うが。

 慣れてくるとルーチンワークと化してくる仕事。その様に無限地獄のようなモノを感じてしまっていた。

 俺は飽き性なのかも知れない。そして堪え性がない。

 だから真面目にやっていけない…というのは言い訳だ。

 親父の言うように世の人間はこういう感情に折り合いをつけて頑張っているのだ。それに比べて俺は。

 

 橋を渡りきれば。この街の湾岸地域に入る。この辺は工場が多い。

 そのせいか、働く車がいっぱいだ。この時間だと言うのに。

 世界の歯車は今日も回る。一体、何の為に?

 経営者にとっては利益を上げるためだろうが。普通のワーカーは何を考えているんだろう?

 むしろ何も考えてないのだろうか?俺もその手を使えば良かったかな、と思うが。

 暇だと思考が明後日の方向にいきがちな俺には難しいのかも知れない。

 

                   ◆


 湾岸地域を一周してしまう。俺は歩くことに飽きてきて。

 そろそろ家路につくか。そろそろ太陽が上ってきちまう。日中は暑いのだ。

 きびすを返して、もと来た道を戻っていく。


 帰り道。スーパーに立ち寄る。この地域は工場や病院が多いせいか24時間営業のスーパーがたくさんある。

 適当に食料を買い込み。ついでに酒を買って。

 

                   ◆


 

 家に帰ってきて。サンダルを脱いで足の裏を見る。

 できたてだった肉刺マメは見事に潰れていて。皮が破れている。傷ができてないのが唯一の救いだ。

 しかし、肉刺なんてできたのは中学生の時以来だな。


 買ってきたツマミを食べながら酒をむ。こんな時間に酔っ払ってるのは俺くらいのものだろうな、と思いながら。

 チープな酎ハイ。人工甘味料の甘みとアルコールの味。美味いもんじゃない。ただただ酔いたいが為に呑む酒。

 

 酔いが回るとさっきの散歩のとき考えてた事がフラッシュバックする。

 なんで酒ってこういう負の感情ばかりを刺激するんだろう。

 俺はどこにもいけない。

 酒は無力感を強め。ほとほと死んでしまいたくなる。真面目な話ではない。ただ、この世界から消え去って…自分から開放されたいだけだ。

 社会人になってから。自分の無能っぷりを理解した。学生の頃は根拠もなしに自分はしょうもない人間ではないと思っていたが、社会という世界に出るとそれが幻影だった事に気がつかされた。大した事はできない人間なのだ。


「あー」とつぶやいて。この先を何か続けたいと思ったが。特に言える事はない。

 部屋を眺めて見ればゴミが散乱している。まるで俺の精神のようだ。実際、メンタルの状態は部屋で推し量れるという。

 空になったペットボトルや菓子パンの袋がそこら辺に落ちていて。

 俺の頭の中もこうやって整理できてないのかね、と思うと憂鬱だ。

  

                    ◆


 クローゼットを開ければ。乱雑に突っ込まれた服の下にロープがある。

 社会人になってから、無力感にさいなまされるようになった俺が衝動買いしてしまったものだ。

 そいつを取り出して。ハングマンズノットに結わえて。その輪っかに自分の首を入れてみて。ロープを引っ張る。これは俺が度々やる儀式だ。ロープが首元に食い込んでくる。

 呼吸が苦しくなって。頭が破裂しそうな感覚に襲われる。

 この後に快楽を感じる人間もいるらしいが。俺は苦しくなってロープを緩めて。

「げほっ」と咳払い。酸素が美味い。

 うん。俺は自殺志願者にはなりきれない。まあ、本気でやろうと思うなら、適当な高さの木が必要だ。

 

 心が腐れてきたので、スマホを取り出し、動画アプリを立ち上げ。柴犬や猫の動画をぼうっと眺める。

 人間が出ている動画は苦手だ。人の肉声が聞こえると嫌悪を感じる。だからこういう動物モノばかり見がちだ。

 俺も動物くらい本能で生きれればなあ、と思う。そういう生活はシンプルなはずだ。

 ただ、生きるために精一杯…親父が言うような生き方に似てるような気がしてきた。

 俺というヤツは行動する度に一々考えこみ過ぎる。だからこうやって仕事を辞めるまでに至る。

 

                    ◆


 ベランダで明るくなりつつある街を眺めながら煙草。

 いい加減、近所の人間に文句を言われるだろうなと思いつつも部屋では煙草を吸えない俺が居て。

 空を眺めれば暗めのホライズンブルー。地平線なんて久しく見てない気がする。この街はごちゃごちゃし過ぎなのだ。

 ガヤガヤとした喧騒が聞こえる。それは街が動き出す合図で。

 そこから取り残されたるは酔いどれの俺。これから眠ってしまうだろう。

 煙草の煙は空に立ち上り。何処かに消えていく。その様が羨ましい。

 俺もあの煙みたいに世界に溶けて消えてしまいたい。

 その為には自分が邪魔だ。

 何かと疑問をていしてくる俺。

「このまま日々を過ごしてさ、働いてさ、未来は明るいのか?」これに明るいってアンサーや、それでも食っていくためには日々を我慢しなくてはならないって返せない俺は。ほとほとどうしようもない人間で。

「明るい未来なんてない。俺は一生この惨めな有様さ」こうこたえる俺。

「そんなもん死んでるのと変わりゃしねえよ」イマジナリーはなじる。

「リビングデッド。亡者のような俺」

「さっさと自分を処せよ。きっとせいせいするぜ?」

「ってもね。この時期に自殺なんてしてみろ、腐臭が凄いぜ」

「んなもん死んでからは気になりゃしねえよ」

 

                  ◆


 俺は部屋に戻る。そしてテーブルを見れば。そこには心療内科でもらった睡眠薬。

 コイツをオーバードーズ過剰服薬したところで死にはしねえよなあ、と思う。

 せいぜい眠りすぎるくらいだ。深すぎる眠りは逆に疲れる。

 残っていた酎ハイでいつもの容量を流し込む。薬剤師に絶対するな、と言われてる事をやってしまう。

 そしてベッドに倒れ込んで目をつむる。

 酒とミックスされた睡眠薬は恐ろしく早く回り始める。思考は鈍麻し。でも、うるさい俺は振り払えなくて。

「んな事しても寝すぎるだけさ」

「分かってら。寝たいんだよ。お前の相手をするのも疲れた」

 

                  ◆


 睡眠薬での眠りは夢を伴わない事が多い。だけど今日は違うらしい。

 夢の中でも俺は散歩をしていた。だがさっきのような近所の風景ではない。

 何処までも広がる荒野。それが俺の前に広がっていて。

 スニーカーの中の足の裏に肉刺マメが出来ているのを感じる。さっき潰れたのより大きいかも知れない。しかも両足に出来ている。

 吹きすさぶ風。その風は生ぬるい。

 俺は何かを目指して歩いているらしいが。その目的地は分からない。ただ、闇雲に歩いているのと変わらない。

 周りには植物一つ咲いてなくて。コイツはまるで俺の精神みたいだな、と思う。

 足は進む。足の裏の肉刺が大地を捉える。定期的にかかる体重。それは肉刺を押し潰すには十分なもので。

 ブシュッと潰れた。右の足の肉刺が。そこからじんわり痛みが伝わってくる。恐らくは血肉刺だ。

 右足をかばいながら歩いていると、左の足の肉刺も潰れて。コイツも血肉刺っぽい。


 俺はその場にへたり込む。

 ああ。歩みが止まった。俺の人生と同じように。

 そう肉刺はメタファーだ。俺の人生の歩みを止める障害の。

 そいつは俺が世界という地面を踏みしめると出来る。地面との摩擦で。

「肉刺なんて気にせず歩け」親父の声が天からして。

「案外痛ぇんだよ」なんて言い訳をして。体育座りを崩してその場に倒れ込む。

 頭の裏には硬い地面が。視線の先には濁った象牙ぞうげ色の空が広がっている。

「汚え空だな」なんて俺は心象風景に文句を言う。俺の心は汚い。

 

 ポツリ、と頬を打つ水滴。またたく間に雨が降ってきて。その水は生ぬるく。

 喉が乾いている俺は口を開けて水を受ける。不純物にまみれた水はまずい。

 濡れていく体が気持ち悪い。でもその場から動けなくなってしまっているのだ。

 周りの地面が泥濘ぬかるんでくる。泥が俺の体にまとわりついて。

 手を空にあげようとしても泥がついてくる。俺をむさぼろうとしているのだろうか。

 このまま大地の一部になるのも悪くはない…なんて弱気な思考が俺を襲う。

「あーもう」なんて夢でうなって。

 体を起こそうとしてみるが。泥が俺を手放さなない。

「おいおい」と呟く。勘弁してくれよ。


 いつの間にか俺の寝ている地面が蟻地獄のような流砂…流泥になっていて。

 俺はその渦の中に引き込まれる。腹の方から埋まっていき、顔が浸かり、最後に腕と脚が飲み込まれていく。

 ああ。俺は死ぬんだなあ。ま、夢の中だけど。 


                  ◆


 汗に塗れて起きる。締め切ったカーテンから夏の日差し。どうやら今は昼だ。

 アルコールの眠りは浅いからいけない。キッチンに行って水を飲む。生ぬるいそれが今は美味い。そいつを二、三杯流し込んで。

 嫌な夢を見たような気がするが。そのディティールが思い出せない。

 俺は部屋の真ん中で胡座あぐらをかいて、足の裏を見てみる。

 片方の足だけに肉刺が出来ている。特に出血はしていない。

 これならまだ歩ける…はずだ。

 まだ歩みを止めるまでには至っていない。

 だが―と言い訳を探し出す俺。何にエクスキューズを挟もうとしているのか?

 それは動かない自分に対してだ。動けない理由を探してきて歩みを止めようとしている。

 まったく情けない。いい歳こいたおっさんがやる事かよ?

 

 ベランダに出る。煙草を吸いに。蝉の声と熱気が俺を迎えてくれる。

 波長の短い光に満たされた空は明るく輝いていて。

「そろそろ、仕事に戻るか」なんて決心をしてみるが。

「…いったい何すりゃ良いんだか」とこぼれてしまう。親父流にいけば何でも良い。

 だけどなあ。そんなもん頑張ったところで―いやいかん。そんな事を考え出したらきりがない。


 夏の空は輝く。淡い水色に。

 その下で今日も人類はせわしなく動き続ける。

 希望なんてない世界だが、とりあえずは動かなくては。

 そう思う俺はちっぽけで。矮小で価値もないが。

 ま、死ぬまでは頑張ってみないとな。

 

                   ◆


 夏の朝のまだ涼しい時間。俺は歩く。潰れた肉刺をかばいながら。

 行く先はハローワーク。

 とりあえずは失業の認定の為に通わなくてはならないからな。

 散歩とは違っていく先があるのは良い。

 

 とりあえずの人生はまだまだ続く。

 その中で疑問を抱くこともあるだろう。歩みを止めたくもなるだろう。

 でも歩き続けなくては。そのうち歩けなくなってしまう。

 肉刺ができたところで気にしてる場合じゃないのだ。

 

                   ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『足の裏にできた肉刺(マメ)が潰れた』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ