秋風落莫

口十

第1話 左顧右眄

 幼少の頃から不思議であた。何が偉人だ。何が先輩だ。先に生きたばかりではないか。何が偉いのか、今を生きる事こそ偉いのではないか。それが判らぬのだから、愚鈍などと呼ばれるのではないか。

 下手に知識だけ持っていた私はそう考えていた。姉の教科書を盗み見ては終ぞ思っていた。ニュートンが居らずとも、現代まで来る間に誰かが見つけてくれる。

 それを姉に言ったら最後、一日口を聞いてくれなくなった。如何せん姉は歴史が好きだったものだから、私と意気投合することは最期までなかった。

 その姉が死んだ。交通事故だったそうだ。

 私は必死に悲しみを押し殺した。今まで喧嘩ばかりだった者が泣いていいはずがない。そう当時の私は思っていたのだろう。だから気丈に振る舞って泣いている親族を小馬鹿にもした。こっぴどく叱られることも妥当だと判っていながら、それでも止めようとはしなかった。




「なぁ金森、昨日出たゲームやった?」

 時が経ち十六の頃、まだ高校一年生の時分だ。私には好きな人がいた。同じクラスの金森という少女だ。

「やったよ。あんまり面白くなかった」

「そうか~。俺もそう思ってたんだ。でもボスが負け惜しみするシーンはちゃんちゃら可笑しくなかった?」

「そうだね。そこは面白かった」

 私は面白いと思ったのに、そんな些細な食い違いさえ許さないほど私は彼女に恋焦がれていた。そして彼女が私に好意を寄せていないことも、この時既に心の何処かでは判っていたんだろう。だから一度も目が合わないのだ。

 他愛ない会話も慣れてきた。彼女は空返事ばかりで屹度きっと明日まで覚えていることはないのだろうと思い、どこかでそれを許容していた。

 そこで私は友人に呼びかけられ我に返る。何と恥ずかしい様を見られてしまったのだ。今の私ならそう思うやもしれないが、当時は何故かこの恋心を隠し通せる、そう思っていた。



 転機というのは往々にして突然訪れるもの。それは姉の死で十分理解した心算つもりだったのだが、それでも現実を認めることが出来ないでいた。

 金森を好きになった時、彼女はいつも一人で弁当を食べ、放課中は読書をして過ごしていた。私の知るところでは友人と呼べる者も少なかった。だから狙ったのかと言われればぐうの音も出ないが、それでも私は彼女の核心を好きでいる心算だった。

 だがその日、まだ蝉も取り残されている夏休み明けのことだった。彼女は心機一転し、積極的に他生徒へ話しかけるようになったのだ。夏休みの間に何があったか、私は知らない。ただ、彼女の何かが変わった。そんな出会いがあったのだろう。それが人なのか、将又はたまた本なのかは矢張り判らない。それでも彼女が変わったことだけは確かだった。

 途端に私は淋しくなった。あの不愛想な彼女は何処だと、色々と手練手管を尽くして話しかけてみたが、一向に帰ってくるのは屈託のない笑みばかり。声も幾許か高くなったような気さえしてきた。

 あぁ、もう帰ってこないのだ、と心の底から理解してしまった。それと共に、私は彼女を愛しているわけではないことが判って心底から自分が憎らしくなった。私が愛したのは彼女ではなく、私の中にある”金森”というイメージ像だったのだ。

 微塵も思っていなかった。まさか私が彼女を愛していないなんてことがあるはずがない、と自問自答で眠れぬ夜もあるほどだった。それでも恋と言われて思い出すのは矢張り今の彼女ではなく、過去の”誰か”だった。

 殺したいほど過去の自分を恨み、憎み、終には学校にいけないほどに深く後悔した。

 しばらくの後、私が学校に出向くと金森は矢張り優しい笑みで迎え入れてくれた。それがまた莞爾かんじと笑うものだから、怒りの矛先が彼女に向くことを抑えるので必死だった。

 恋人ができた。男に体を委ねた。人生を変える本に出合った。何で変わったか周りに尋ねてもこの程度の雑然とした返答しか返ってこなかった。

「なぁ金森、先週出たゲーム……」

「あれ面白かったよね!特にアクション面が―――」

 そうして語る様を見て言えると、深い悲しみと共に、どこか安心する自分がいることに気付いた。あの金森が二度と顔を出さないのならば、新しいこの誰かとまた新しい関係を築けばいい。もう二度と彼女に恋することはなくとも、友人としてなら屹度仲良くできるだろう。

「そうだな」

 私は彼女の話に空返事をした。それを聞いて拍車のかかる彼女の話の何と耳に入らないことか。屹度昔の私の話もこうして聞き流されていたのだろう。

 チャイムの音で我に返った彼女がヒラヒラと手を振る。それに気づいて返したはいいが、どうも遣る瀬無かった。

 もういいのだ。終わったことではないか。そう自分に言い聞かせることのなんと虚しいことか。

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秋風落莫 口十 @nonbiri_tei

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