先端恐怖症 -aichmophobia-

ペンの先、抜き身の短剣、木の幹から伸びる枝、カラスの嘴


先端恐怖症の私にとって、世の中は恐ろしいものであふれている。


世の中のあらゆる尖ったものが怖い。

いや、もっと怖いものもある。



私の住む村は、昔は平和で長閑な村だったと聞く。

村には美しい川が流れ、作物も家畜も健やかに育っていた。

近隣には他の村もない僻地の村で、皆自給自足をし、何不自由なく暮らしていた。


そこに降って湧いた災難。


私の母が小さい頃に、村の生活は一変した。

川の上流に大きな「工場」というものが建ち、空は曇り、川は汚された。


村の人々は飢え、絶望した。

一体だれがこんな仕打ちをしたのかと。


しかし村の人々は無垢ゆえに無知であった。

川の上流に「工場」が建ったことも、世界が急速に変化し始めていることも、知る由もなかった。


土地は枯れ、人々も一人、また一人と死んでいった。


人口が半分ほどになったころ、村に救世主が現れた。


それは悪魔だった。


悪魔は村の惨状を見て、哀れんだ様子で言った。


「おお、可哀そうにな。どれ、俺がこうなった原因を取り除いてこよう」


人々は泣いて、悪魔に縋りついた。

悪魔の出した条件も、喜んで引き受けると言った。



半年かけて、村の川は綺麗になり、また作物が育つようになった。

さらに半年かけて、村は以前のように豊かになった。

あの悪夢の日々が嘘のように。


悪魔が何をしたかは誰も知らない。

ある夜、川の上流の方の空が赤く光っているのを見た人がいた。

悪魔が「工場」を燃やしたのではないか、という話であった。


村に子供の笑い声が響くようになったころ、悪魔は村に対価を要求した。

「この村の若者を、半年ごとに俺に差し出せ」と。


村の人々は、悪魔が嫁を欲しているのだと思い一人の若い娘を悪魔の元にやった。

飢饉で親を亡くした娘であった。


人々は娘こう言って送り出した。

「お前はこの村の恩人のところに嫁ぐんだよ。幸せにおなり」


この期に及んでも、村の人々は無垢で無知であった。


数か月後、娘は死体で見つかった。

体中傷だらけで、片手片足が無く、村の外れに打ち捨てられていた。


村の人々は獣に襲われて食われたのだと思った。

娘は手厚く葬られた。



それからまた数か月が経ち、約束の半年となった。


悪魔は村にやって来て若者を所望した。

「年齢や性別は問わん。骨のあるやつをよこせ」


村の人々は、次は召使として若者を欲しがっているのだと思い、働き者の青年を悪魔の元に送った。


そのまま半年が過ぎようとしたころ、青年は死体で見つかった。

いつかの娘と同じく体は傷だらけ。

今度は目や耳が無くなっていた。



それから数日後、また悪魔がやってきた。

「さあ、次のやつをよこせ」


村の人々はさすがに不審に思った。

悪魔の元に行った若者が次々と死んで帰ってきているのだ。


村の長が悪魔にそのことを尋ねると、悪魔はにやりと笑って言った。

「お前たちには関係ない。若者を寄越さなければ村は前のようになるぞ」


次に白羽の矢が立ったのは、村一聡明な少年であった。

両親は止めたが、少年は言った。

「きっとあの悪魔の悪事を暴いて戻ってくるよ」


数日後、少年は悪魔の元から逃げてきた。

しかし生還は叶わなかった。


前の二人のように傷だらけではなかったが、村に通じる道の途中で心臓を一突きされ息絶えていた。



悪魔は毎回半年きっかりでやってきた。

前に送った若者がどれだけ早く死のうが、半年は村に来ることはなかった。


若者を持つ家庭はその日が近づくと怯えて暮らし、どうかわが子が選ばれないでくれと必死に祈った。


村の若者は段々減っていき、自分の子が選ばれる確率が上がると、若者を持つ家族は村を離れた。

そしてとうとう村から若者がいなくなった。


約束の日にやってきた悪魔に、村の長がそのことを悪魔に告げた。

「村の若者はすべて去ってしまった。どうか勘弁してくれ」


悪魔はしばらく考えた。

「そうだな、俺もずいぶん楽しませてもらった。では、こうしないか。次に生まれた赤ん坊を俺に差し出せ。それで最後にしてやる」


村の長はその条件を飲んだ。


それから数年、村に赤ん坊は生まれなかったが、悪魔は辛抱強く待った。


そして運悪く、私が産まれた。



私が産まれてから、悪魔は村に移り住んだ。

私がある程度成長するまで、逃げないように見張るためだった。


私は10年間母と住んだ。

愛のある10年だったかと言うと、そうではなかった。


私の母は、望まずに私を身ごもった。

父親は誰かわからない。

10年経って、母は喜んで私を悪魔に差し出した。

村からの謝礼と引き換えに。



悪魔と一緒に暮らし始めて、私は理解した。

死んでいった若者がなぜ傷だらけで発見されたのかを。


悪魔は毎日家にいるわけではなかった。

数日に1回帰って来ては、私で「実験」をした。


どれくらい深く刺したら大きな悲鳴をあげるのか。

何枚爪を剝がされたら泣きだすのか。

体の骨を何本折れば気を失うのか。


私は毎日悪魔が返ってくる恐怖に震え、村の人々は私のあげる悲鳴を聞き震えた。

何度も逃げ出そうとしたが、そのたびに村の人々に捕まえられ、連れ戻された。


私を逃がすと、次は村の誰かが悲鳴を上げることになる。

そんな恐怖で悪魔は村を支配していた。


ある日、悪魔は意気揚々と帰ってきた。

手にはビンに入った液体を持っていた。


「これがあれば、お前の村の人間は永遠に助かるぞ」

今までに見たことのないほど嬉しそうな顔をしていた。


次の瞬間、悪魔は置いてあった短剣で私の腹を刺した。

何度も、何度も、何度も刺した。


そして私は死んだ。


はずだった。


気が付けば私は寝床にいて、腕には針が刺さっていた。

針の先には管があり、その先には悪魔が持ち帰った液体の入った袋に繋がっていた。


「これがあればお前が死ぬことはない」


そこからが本当の地獄の始まりだった。



悪魔の行う「実験」は、それまでとは段違いに耐えがたいものとなった。


釘を体中に打てば何日で死ぬのか。

外に貼り付けにしていればどれくらいの期間でカラスに食われるのか。

ぎりぎり生かすにはどこに刃を刺せばいいのか。


私が死んでも、例の液体で生き返らせることができる。

悪魔はこれまで以上に「実験」に熱中していった。


悪魔は実験を村人に見えるところでおこなった。


最初は怖がっていた村の人々も、段々と私が流す血に興奮を覚えるようになっていった。


元より娯楽などない村だ。

安全を保障された村の人々には最高のエンターテイメントであるのだろう。

いつしか悪魔の一刺しに歓声が上がるようになった。


この村の人間は、一人残らず悪魔へとなり果ててしまった。



殺されては生き返らされ、また全身を刺しぬかれ殺される。

私の一生は永遠の苦痛の中に閉じ込められた。


ペンの先、抜き身の短剣、木の幹から伸びる枝、カラスの嘴


世の中のあらゆる尖ったものが怖い。


それ以上に村の人々の刺すような好奇の目が怖い。


何より一番怖いものは、私を地獄へと引き戻すあの針の先端なのだ。

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恐怖症 -phobia- ヒノワ馨 @hiro_n04

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