第10話「否定と肯定」

10「否定と肯定」




8月9日で溢れる愛を一つにした2人、そこには幸せ以上の物が確かにあった。

言葉では説明することなど出来ない、表現することなど出来ない物。

過去の人生でここまでの核心を実感した事がないと言い切れる物だった。

あわよくば、このまま全てを投げ捨て、璃々さんと共に道を歩んでも良いのではないか。

そんな夢を願い、希望を抱き、想い馳せる事に幸せを感じ始めていた。

2人は途切れる事のない連絡で、思い溢れる愛を毎日伝え合い、愛を伝えない日は一回もなかった。

朝起きてから夜寝るまで本当に幸せと思える日々を実感していた。

想司は、息子との予定を調整し、璃々さんの自宅へ泊まったり、休日はデートへ出かけたり、璃々さんと息子も連れ3人でデートもした。

限られた時間の中で2人は出来る限りの交際をしていた。


「私、星が好きなんですよ!」


「え? 本当に!? 俺も大好きなんだけど!?」


「え? 絶対嘘ですよ! 合わせて言ってくれてます?」


「いやいや! まじ! 俺、夏の大三角形のアルタイルとベガが好きなんだけど、これって彦星と織姫って知ってる?」


「全然知らなかったです! 想司さんって本当に星好きなんですね!」


「なら今度一緒にプラネタリウム見にいこうよ!」


「え!? 行きたいです!」


その時、唐突に想司の携帯が音を鳴らし、それを見て璃々さんは言う。


「また元嫁さんですか?」


「うん……そうだね」


「出ていいですよ」


「ありがとう」


想司は璃々さんの前で不機嫌な声で電話に出る。


「なに?」


「今日は帰ってこなくてもいいから」


「あっそ……わかった」


想司は息子の母体とはあれ以来、仲は良くない。

良くしたいとさえ思っていない。

息子に関わる連絡事項以外で会話も連絡も取る気なんてさらさらない。


「今日は帰らない事になったわ! だから今日は実家に帰ろうかな!」


「よければうちに来てもいいですよ?」


「……こんな理由で行くのは申し訳ないけど、本当にいいの?」


「もちろん複雑です」


「だよね……本当にごめんね」



タイミングとは恐ろしいもので、璃々さんとのデート中は必ずと言っていいほどに想司の携帯は鳴った。

その度に想司は璃々さんを複雑にさせてしまう。

きっと、普通の彼氏彼女、普通の交際の権利がある者であれば、悩むことなどない。

しかし、現実を考えれば想司は息子の親権を持つ父親なのだ。

「帰ってこなくていい」と言われる以外は璃々さんと会う日でも必ず十八時三十分までに息子を迎えに行かなければならない。

更にはその後、必ず息子の母体がいる家へと帰らなければならなかった。

その為、想司の携帯には元嫁からの連絡はよく来てしまう。

しかし、息子の父親である想司は父親としての自分を無碍にすることはできなかった。

璃々さんは不本意でありながらも、日々父親として頑張る想司を少なからず応援してくれてはいた。

だが、大好きな彼氏がいつも帰る先が他の女が居る家など、璃々さんの心の中は複雑になるのは間違いなかった。

想司も日々璃々さんに会った日は申し訳なく、いつも謝っていた。

でも、今から4年前のあの惨劇、あの絶望を、精神が壊れる事なく生き抜いて来れたのは間違いなく息子の存在があったからだ。

想司にとって父親として息子も大切で、彼氏として璃々さんも凄く大切だった。

だから毎日のように息子と璃々さんを天秤にかけ、日々可能な限りどちらにも尽くす想司。

どちらも愛していた。

どちらも捨てることなど出来なかった。

しかし、どちらにも負担をかけていた。

璃々さんの不安や不満は日々募り続け、苦しみ、悲しみ、不快感が重なり続けていた。

何度か不満を想司に語りかけ、想司も必死に説明もし、元嫁とはもう今すぐにでも可能なら離れたいと、しかし息子を思うと小学校2年生の今ではない。

あれだけの過去は息子の記憶には残っておらず、息子にとって父親は想司であり、あれだけ狂った元奥さんでも大好きな母親に変わりはなかったのだから。

それと同時に想司は小学校2年生の息子を残し、全てを投げ出す事なども出来なかった。

せめてもう少し大きくなってからだとそう考えていた。



だが、その時は来てしまった。

交際してから約三ヶ月経った十一月十五日。

璃々さんの返信を見て想司の手は止まった。



「急にすいません……色々考えてみたんですけど……別れたいです」



想司は二年間の交際を提案した時点で、二年は続くことが出来ないかもと予想していたことだった。


「そっか……正直、別れは切り出されると思ってた……」


「ずっと考えてました……色々と……」


色々と悩ませてしまっていた事。

色々と悩んで出した結果だという事。

きっと璃々さんは優しいからそう決断したんだろうとも思えた。


「……色々と考えてくれてたんだね」


「はい……考えせられました」


「そっか……悩ませて本当にごめんね……次の休みで璃々さんの自宅の荷物取りに行くよ」


「はい」


「璃々さんは落ち込む必要なんてないよ! 俺はこれからも璃々さんと仲良くできるなら仲良くしていたいんだからさ!」


「そう言ってくれてとても安心しました! はい! 私も仲良くしていきたいです! では、元嫁さんと仲良くやってください。 さようなら」 


「ちょっと待って。 なんか勘違いしてない?」


「してません。 この前話し合ってくれての結果です。 やっぱり元嫁さんと離婚してるのに家にいる。 ずっともやもやしますし、ニ番目の女みたいな位置ですごい嫌なんです。 私が嫌だって言って行動に移すわけでもなかったのでそれまでなんだと感じました」


「そっかぁ……いっぱい悩ませて、辛い思いさせちゃったね。 ごめんね。 璃々さんがそう決めたのならそれでいいと思う。 その選択で正しいって判断したなら正しいと思う。 その代わり、璃々さんには幸せになって欲しい。 それを願うと俺も諦めるしかないって思えて来るから。 でも、俺は本当に幸せだったよ。 本当に幸せだったと思えた。 一生の人生に残る最高の3ヶ月だった。 璃々さんに色々もらったこの感情は本当にかけがえのない物になった。 本当に感謝してる」



想司には止める資格も、止められる権利も、何も持っていなかった。

璃々さんが悩み、想司の知らない所で悲しみ、泣いていたと考えると、想司はこれで離れるべきなのだろうとも思えた。

支えたいと願っていた自分が璃々さんを苦しめていたと言う現実に、これ以上璃々さんを苦しめるのは違うとそう判断した。

しかし、どこか璃々さんは勘違いをしているのだとも拭いきれない。

だが、それを説明することも想司には出来なかった。

だからこのまま別れを選択し、璃々さんを肯定しようと思い返信を続けた。


「悲しいし、悔しいし、寂しいし、今すぐ諦められないけど、その気持ちに早く慣れてまた璃々さんを応援出来るよう頑張るよ。 ちなみに、好きが嫌いになるわけじゃないから仲良しではいて欲しい。 冷たくされた方が辛いのは確か。 でも気は使わなくていいからね! 今後のポジション的には俺は楽な人って、気を使わなくていい存在とそう思ってもらえればそれでいいや! こんな携帯で打っただけじゃ伝えたい物を全然伝えられないけど……でも本当にありがとう!」



璃々さんの為なのだと、想司は自分にそう言い聞かせた。



「究極の決断でした。 けどこのままじゃずっと元嫁さんとの事に引っかかったままでしたし、想司さんにもまた同じこと聞くと思います。 それは自分が納得してないからだと思うので。 私もこの三ヶ月とっても幸せでした! そして色々と恋愛を教えてくれて感謝してます! この先も普通に接してもいいですか? 私も別れたからと言って嫌いになるわけじゃないし、ましてや、まだ好きだけどこの決断をしたので。 本当に今までありがとうございました!」


そして、璃々さんは続けて連絡を入れる。


「最後に聞きたいです。 偽りなく答えてください……元嫁さんの事、まだ好きなんですか?」


「はっきり言えるよ。 好きなわけがない。 前にも話したけど、あの過去があって好きでいられるはずがないよ」


「でも情はありますよね?」


「ない。 断言できる」


「だったら一緒にいないで欲しかったです」


「そうだね……」


想司はその言葉に何も言い返す事もしなかった。

本音は璃々さんの為でもあり、理由は息子の為だった。

息子の為に母親を奪うことをしたくなかった。

あの狂った女でさえ、息子の母親で、何があろうとも息子にとって最愛の母親なのは間違いなかったからだ。

しかし、この場で息子を理由に出した所で、言い訳をした所で、それは邪智深くあり、想司はずるいと思え、更には子を持たない璃々さんには理解できるはずもないと、もう諦めるしかないと、これ以上璃々さんを苦しめてはいけないと、想司は何も弁明はしなかった。



「本当に言うことはそれだけでいいんですか?」


「思うことは沢山あるけど、言わないよ。 言った所でこの結果は何も変えられない。 それに璃々さんとの別れは、せめて良いものにしたいから」


この結果を変える事など出来ない。

息子の為にも今すぐに璃々さんの願いを叶えてあげることはできないのだから。


「そうですね。 変わりませんね。 でも私も良い別れにはしたいです」


「だよね。 また当日に連絡するよ! さようなら! 本当にありがとう!」


「はい! 連絡待ってます! さようなら!」


想司はせめてこの場から逃げたかった。

早く連絡を終わりにしないと、感情が全てを壊してしまいそうだった。

自分が自分で居られなくなり、冷静を失い、璃々さんを傷つけてしまいそうだった。

でも何故か、涙は出なかった。

別れという現実を受け入れられていないのか。

それともまだ混乱しているだけなのか。

しかし、翌日には職場で顔を合わせ、一緒に仕事をしなければならなかった。


「おはよう」


「おはようございます」


自然を装いつつも思いとは裏腹に冷たくなってしまう。

でも、それはお互い様に思えた。

璃々さんのその仕草、その視線の動かし方、足を止めずに言葉だけ置いていくその全てが想司の心に痛みを与えた。

本当は今すぐにでも抱きしめて大好きと言いたいのに、大好きだからこそ、何も変わらず仲良くしたいのに、想司は別れている現実を必死で受け入れようと努力する。

だが、受け入れようとすればするほど胸の痛みが増した。

更に、すれ違う度に璃々さんの香りが後を引き心が苦しくなり、隣で他の男と会話する璃々さんを見る度に切なくなり、想司は普通で居られるはずがなかった。

ため息は増え、あからさまに話さなくなり、お互いがお互いを避けていた。

いや、別れたと言う現実を受け入れようと、表現している結果に過ぎなかった。


そして、想司が休憩中に頭の中を他の事で埋めようと携帯を親指でなぞっていたそんな時だった。

唐突に後ろから人差し指で「ツンッ」と、ご丁寧に効果音までもついて軽く触れられた。


「大丈夫ですか?」


振り向けばそこには璃々さんがいた。

心配し、気にかけてくれた優しさに嬉しさを感じ、そのまま「ねぇ……好き」と言葉が溢れてしまいそうになった。

だが、同時に璃々さんが別れを切り出したのに心配してきた事に複雑な気持ちも抱いた。

「あなたが俺を振った所為でこうなってる」とも思った。

しかし、逆に心配をさせてしまった事が自分に悔みも感じさせ、自分の情けなさと、不甲斐なさから謝意を抱き、そんな色んな感情が一瞬にして想司を襲った。

この時のこの瞬間に込み上げる感情の量の多さはないと思えた。


「いや……それはずるいって」


大量の感情の中から必死に選んだ言葉はそれだった。


「つい……心配で。 話しかけない方がよかったですか?」


そう言わせてしまった自分が更に情けなくなった。

だから明るく、素直に答える。


「正直、大丈夫とは言えないかな! でも受け入れようと努力してるよ」


「なんか本当にすいません」


その言葉はまた想司の心を抉り取る。


「いや、ごめん……俺がいけないんだ。 もう少ししたらきっと元に戻れるようになると思う。 ごめんね」


想司は自分が見苦しく、自分自身に不快さまで感じ、まるで一日中、心臓に刃物を突き立てられていたそんな感覚の今日をようやく終えて想司は家に帰った。

そして、ようやく想司は僕の声に耳を傾けてくれた。



「こうなるって、わかってたことでしょ?」


「予想はしてはいた。 でも、こんなに早いとは正直、思ってなかった」


「まぁ……そうだね。 でもわかっててこの道を選んだのなら、この結果にも納得してるでしょ?」


「してる……いや、しようと頑張ってる。 努力で自分を納得させようとしてる」


「それでいい。 それが正しい。 いや、これが正しいんだよ」


「でも好きだった分……いや、好き以上の大きさの分、更に諦めようと思えば思うほどに、気持ちが裏返って俺の心を傷つけて来る」ーー


璃々さんに抱いていた思いが、感情が、想司の心に爪を立てていた。


ーー「こんなにも重い思いを、璃々さんは受け止めてくれていたんだなって……思う」


「なら……感謝しなきゃダメじゃん」


「だからだよ……この思いを受け止められるのは璃々さんしか居ないんだよ」


「だからこそだよ」


「は?」


「なら聞くけど……君と璃々さんどっちの方が辛いと思ってるの?」


「……くっそ……」ーー


想司は自分自身に必死で考えもしていなかった。

いや、きっと考える余裕すらなかったのだろう。

だから僕は想司に気づかせてあげる。

それが僕の役目でもあるから。


ーー「そうだよ……俺は何やってんだよ」


別れてから一日が経ち、僕に諭され、そしてようやく想司は悲しさと、璃々さんの優しさに気づき瞳から出た思いが頬を伝い顎先に溜まる。

ただ、自分が苦しかった。

自分だけが苦しがっていた。

璃々さんの事を好きと言って璃々さんの事を思っていたのに、想司は自分の事で精一杯で璃々さんの事を考えられてなかった。

だから僕は想司に聞く。


「想司は璃々さんが好きなんだよね?」


「好き以上な」


「なら璃々さんを思うなら、璃々さんの幸せを本当に願うのなら、その全ての辛さも大切にしなきゃ……」


僕は想司の為にも、璃々さんの為にもこの言葉を想司に贈る。


「今までたくさん貰った笑顔も、喜びも、夢も、希望も、幸せも、悲しみも、悔しさも、後悔も、未練も、そして今のその涙も、その全ての感情が璃々さんとの大切な想い出でしょ?」


そう、その全てが想司の記憶に残る璃々さんを色濃く染めている。

だから想司は考えなきゃいけない。

その感情を、その思いを、大切にしなきゃいけない。

だから僕は伝える。


「苦しくて辛いのは想司だけじゃない。 想司が思いを寄せる璃々さんが悩んで、たくさん悩んで出したその答えを、想司が肯定してあげないで誰がするの?」


でも想司は間違ってはない。

悲しいのは誰でも一緒。

でも、あともう一歩。

その先を想司には気づいて欲しい。


「忘れちゃいけないよ。 絶対に忘れちゃいけない。 想司が璃々さんの事を最愛と思えているのなら、君は優しくなれるはずだ。 それは璃々さんにも、そして、自分自身にも」


好きだからこそ、否定してはいけない。

璃々さんのその答えに、結果に、思いに、そして何よりも想司自身が抱いた璃々さんへ向ける思いを否定してはいけない。

今までの想い出が、色濃く残る全てが、大切なら想司は肯定しなければいけない。

それはこれまでの幸福と感じた璃々さんとの幸せを全て否定する事になってしまうから。


「君は璃々さんに救われたはずだ。 別れたからと言って好きがなくなった訳じゃない。 嫌いになったわけじゃない。 交際する前に戻っただけ。 想司は璃々さんと交際する前の関係でも幸せを感じていたはずだ。 璃々さんを精一杯応援していたはずだ。 だからもっと自分の気持ちに素直になっていいんだよ」


「うん……確かに」


「想司が感じてるその全ての感情を大切にして」


「うん……ありがとう。 目が覚めた気がする」


「頑張れ。 僕はいつでも想司を応援してる」


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