最終話.馬鹿ばっかり
一週間前と同じような澄みきった青空の下、透き通るような白い肌に
しばらく歩いた後、その少女は『鈴木家』と書かれた墓の前で足を止めると屈んで花束を供えた。そして手を合わせ目を瞑る。
少女は穏やかな気持ちで双子の兄に報告をした。
「千鶴も来てたんだな」
聞き慣れた声に振り向くと、そこには長身の青年。手にはジュースが握られている。
「
武琉は千鶴の横に同じように屈むとジュースを供えた。そして手を合わせ目を瞑る。
二人は立ち上がり、しみじみ石碑を眺めた。
「これでやっと俺たちも前に進めるな」
「ええ。憎しみを抱えたまま生きていくことなんてできないわ。きっちり復讐しないと」
「フフッ、そうだな」
約二年前、千鶴たちの兄弟である翔琉が近くの海岸で溺死体で見つかった。
海岸につながる川の近くの防犯カメラに彼が映っており、また、特に不審な点もないことから、不注意により川に落ちた事故として処理された。
当時、千鶴たち三兄弟は離れて暮らしていた。親の離婚によるものだ。千鶴が十歳の頃、武琉と千鶴は父親に、次男の翔琉だけは母親に引き取られ母親の旧姓である鈴木姓を名乗っていた。
三人は仲が良く、親の離婚後も毎月のように会っていたが、翔琉が亡くなる一年ほど前からは何かと理由を付けては彼は二人に会おうとしなかった。
そして、離れて暮らし四年が経ったある日、翔琉が亡くなったことを聞かされる。突然の訃報に二人は大きな悲しみに暮れ、特に双子だった千鶴はショックで一週間ほど寝込むほどだった。
翔琉が亡くなってしばらく経った頃、千鶴と武琉の二人は形見分けのため、母親から頼まれ遺品の整理をしていた。その時だった。偶然、千鶴があるものを発見する。それは翔琉のスマホ、正確にはオンラインストレージ上に残されていた彼の日記だった。
スマホのパスワードは、昔千鶴たちと遊びで使っていた合言葉だった。翔琉と疎遠になっていたが、彼が兄弟との思い出を忘れていなかったことが嬉しかった。しかし、それをこんな形で知ることになり、やるせない気持ちもあった。
二人は翔琉に悪いと思いながらも、彼の日記を読むことにした。二人は知りたかったのだ。なぜ彼は死んでしまったのか。そのためには、
そして、日記を読んだ二人は知ることになる。翔琉が死んだ本当の理由を。
日記は両親が離婚し、兄弟が離れて暮らし始めた頃から書かれていた。最初は新しい生活への不安から始まり、じきに慣れると他愛もない日々の生活が綴られていた。
しかし、亡くなる一年ほど前から内容は激変する。そこには、クラスメイトからの数々の嫌がらせ、いや、壮絶ないじめについて書かれていた。
最初は数人の無視から始まり、しばらくすると掃除や荷物運びなど雑用を押し付けられるようになった。物を隠されることはしばしばで、昼食時にはゴミや虫を入れられた給食を無理やり食べさせられた。
遊びと称しての暴力はもちろん、翔琉が複数の女の子と同時に付き合っている、万引きの常習犯、など身に覚えのない噂を学校やSNS上に流され、更には実際に万引きをするよう強要された。断れば殴られる、彼はその恐怖から何度か万引きをしてしまった。そして、一度捕まっている。
日記にはこれらいじめの詳細と共に、彼の悲痛な声も書かれていた。こわい、痛い、つらい、嫌だ、惨めだ、なんで僕が、もう学校に行きたくない、この街から逃げ出したい、助けて。日を追うごとに、それは深刻さが伝わる内容になっていった。
数と暴力で支配された陰湿ないじめ。それを主導していた一人の男の名前が日記には、はっきりと書かれていた。
――
熊のように体が大きく空手を習っており、クラスでは腕力でカーストトップに君臨していた。ただ、女子からの人気は別で特にモテるということはなく、逆にいつも女の子に囲まれている翔琉のことを妬み目の敵にしていた。
千鶴たち三兄弟はみな容姿に優れ、特に翔琉はその中性的な顔立ちで同級生からはもちろん、年上、ときには大人の女性からもアプローチされるほどだった。
ただ、本人は至って気弱で、女の子と接するのは苦手だし、むしろその中性的な自分の見た目をコンプレックスに感じていたほどだった。
ところが弘昭のように、異性にチヤホヤされる翔琉のことを気に入らないと思う者が昔から少なからずいた。以前なら武琉や千鶴がそういった連中から翔琉を守っていたが、離れ離れになってからはできなくなってしまった。
弘昭は狡猾で、翔琉の友達を次のいじめのターゲットにすると脅し、彼が誰にも告発できないように仕向けた。また彼自身、シングルマザーとなった母親に心配かけまいと、いじめを受けていることを誰にも相談しようとしなかった。
千鶴や武琉に会ったら、安心感からぽろっといじめのことを言ってしまうかもしれない。そう思い、彼は二人に会うのもやめていた。
そんな逃げ場のない状況の中でも、万引きで捕まった際に彼は勇気をふり絞って弘昭に強要されたと訴えた。警察や学校が全面的に介入すれば、さすがに弘昭も大人しくなり、いじめは収まるのではないかと考えたからだ。実際、弘昭は共犯として、親はもちろん警察や学校からも、一旦はこっぴどく叱られることとなった。
ところが、事態は翔琉の思惑通りには運ばなかった。クラスメイトの証言により、あくまで主犯は翔琉であって弘昭はただ一緒に居ただけという話になった。結局、弘昭は友達として、翔琉の万引きを止めなかったことへの注意に留まった。
この出来事により更に状況は悪化する。弘昭は翔琉に裏切られたと逆恨みをし、いじめはよりエスカレートしていった。
平日休日関係なく呼び出されては、ほぼ毎日殴る蹴るなどの暴行を受け、また慰謝料と称して金銭の要求を何度も受けた。
断ると更に酷い暴行を受けるため、翔琉は仕方なく母親の財布からお金を盗んでは弘昭に渡していた。日記には詳細な金額が書かれており、その合計は十万円以上。当然、母親が息子の盗みに気づかないはずもなく、彼は母親からの信用も失っていくことになる。
そんな毎日に耐えきれず、翔琉は体調不良で部屋に引き籠もるようになった。それを見た母親は、素行の悪い息子を新しい環境に移した方がいいと思い引っ越しを決意、すぐに隣町の学校に転校させた。
しかしこの時代、SNSなどを駆使すれば人の所在などどうにでもなるもの。弘昭は翔琉を見つけ出すと、逃げたことへ制裁を課すかのように以前よりも残忍ないじめを始めた。そして、弘昭から逃げられないと悟った彼は、防犯カメラに映った川へ足を向けることになる。
そう、翔琉が亡くなった本当の理由は、いじめによる自殺であった。
その日、いつものように朝から夕方まで弘昭から暴行を受けた翔琉は、痛む体を引きずりながら近くの橋へと向かった。そして、薄暗く
日記の最後はこう締めくくられていた。おそらく、身を投げる直前に書かれたと思われる。
『兄さん、千鶴、一緒の時はすごく楽しかった。幸せだった。本当にありがとう。そして、ごめんなさい』
読み終えた二人は怒りに震えた。また同時に、翔琉を守ってあげられなかったことを激しく悔んだ。そして決意する。
――弘昭への復讐を!!
それから二人は、すぐに準備を始めた。
大人に相談することもできたが、それでは少年法により弘昭は大した罰を受けないし、そもそも日記を見せたところで信用してくれるのかも怪しい。そのため、二人は自らの手で鉄槌を下すことにした。
千鶴たちが調べたところでは、翔琉が亡くなったことを知らない弘昭は、連絡の取れなくなった
ところが翔琉の時とは違い、見境なく暴力を振るっていたために、弘昭の蛮行はすぐに学校の知るところとなった。親は学校に呼び出され、厳重注意と共に被害者生徒への謝罪がなされた。
これにはさすがの弘昭も
千鶴は弘昭が受けそうな高校を片っ端から受験し、情報を得ると彼と同じ高校に進学した。
この時、弘昭が公立ではなく私立を選んだことは、千鶴たちにとっては幸運であった。もし公立だったら学区外のため、弘昭と同じ学校に入るのは厳しかっただろう。
武琉は一人になった母親を助けたいと申し出て、親権を母親に移してもらい鈴木姓になった。そして、母親のアパートにほど近い今の学校に転校する。
予定通り、二人は弘昭と同じ高校に通うこととなった。あとは彼を千鶴に惚れさせ、アクシデントを誘い荒れた川に飛び込ませればいい。二人は翔琉と同じ苦しみを味わわせたいと考え、溺死を弘昭を地獄に送る手段として選んでいた。
ところが、高校入学前に想定外のことが起こった。弘昭が幼馴染の紗絵と交際し始めたのだ。
最初は千鶴から弘昭にアプローチをかけ無理やり紗絵から奪おうと考えたが、なにげに彼は一途で他の女の子に興味を示さなかった。
そこで武琉は同じ学園にいる、かつて翔琉を弘昭と一緒にいじめていた生徒を見つけ出し、過去の弘昭の悪事を紗絵に伝えさせようとした。
いじめをしていたことを学園中にバラすと武琉から脅されていたのもあるが、その生徒も過去に弘昭から暴行を受けており、また、翔琉に対する謝罪の気持ちもあったのか、思いの外素直に武琉の指示に従った。
そして、当事者からの生々しい話ということもあってか紗絵は話を信じ、期待通り弘昭に別れ話をする運びとなる。
想定外の事態ではあったが、精神的ダメージを被った弘昭は扱い易くなり、逆にその後の計画はスムーズに進められた。
「でも、あいつが馬鹿でよかったわ。疑いもせず川に飛び込んでくれて」
「ああ。服を着たまま、しかも台風で増水した川に飛び込むだなんてまさに自殺行為だよ。たとえ人が流されていたとしても、絶対にやるもんじゃない」
「それにしても、ラノベじゃあるまいし『なぜか学園一の美少女が……』なんてあるわけないじゃない。その上、ちょっと優しくされたくらいで好きになるなんてありえないわ。物事にはたいてい、もっとちゃんとした理由があるものよ。ほーんとお馬鹿さん」
千鶴はクスクスと笑った。
「ラノベはあれはあれで面白いし、男子の夢を壊すようなことを言うなよ。まぁ、男が馬鹿なのは間違っちゃいないけどな」
「フフッ、そうね。武琉兄さんが作ったお弁当を私の手作りだと思い込んで嬉しそうに食べてたし。
「それはただ単に、お前が料理できないから仕方なく俺が作ってただけだろ。大変だったんだぞ、あれ」
武琉の文句に返す言葉もなく千鶴は渋い顔。
「ところで兄さん。あのお弁当、なにか変なもの入れたりしてなかったわよね?」
「ん? ちょっとした嫌がらせで色々入れてたぞ。味見はしてなかったけど、酷い味だったんじゃないかな。あっ、もちろんお前のは違うけどな」
「ちょっ、ちょっと待って……。それじゃあ、私はずっと味覚音痴で料理下手だって思われてたってこと?」
「うーん、まぁ、そう言われるとそうなるな。でもお前、元々メシマズ特性は持ってるだろ」
千鶴は顔を紅潮させると、わなわなと震え出した。
「武琉兄さんのバカー!!」
怒号が静かな霊園に響き渡った。
怒っている千鶴を横目に、真剣な表情で武琉が訊ねる。
「そんなことより、お前、なんで翔琉が受けたいじめの内容をあいつに言ったんだ? 適当にいじめを受けているでよかっただろ。それに、俺の名前を出すなんて馬鹿なこと。俺たちの素性がバレる可能性だってあったんだぞ」
千鶴は怒りを落ち着かせるため軽くフーっと息を吐くと視線を遠くに移した。
「あいつが翔琉兄さんのことを憶えているか確認したかったのよ」
「なんのために?」
「ちゃんと思い出した上で地獄に叩き落としたかったの」
「そうか……」
「まぁ、憶えてはいたけど、あいつ、名前を間違えてたのよ。
彼女は苦笑いすると俯いた。その顔はどこか寂しげ。
「笑っちゃうわよね……」
千鶴はしばらく俯いていたが、顔を上げると石碑に目を向けた。
「翔琉兄さん。ねぇ、なんで言ってくれなかったの? なんで私達を頼ってくれなかったの? 一人で勝手に死んじゃって……、死んじゃったらざまぁできないじゃない。翔琉兄さんの馬鹿、バカバカバカ…………」
涙がこぼれ両手で顔を覆う。今まで数え切れないほど泣いたにもかかわらず、千鶴の瞳からは止めどなく涙が溢れた。そんな千鶴と寄り添うように後ろからそっと武琉が肩を抱く。
しばらく泣き落ち着くと、涙を拭いて鼻をずずっとすすった。そして顔を上げる。
「……ほーんと馬鹿ばっかり」
ぽつりとそう呟き、吹っ切れたように今度は優しく微笑んだ。
「翔琉兄さん、私達を見守っててね。じゃあ、また来ます」
「翔琉、またな」
まだ心残りはあったが、それでも二人は力強く踏み出した。
「そういえば、武琉兄さんは紗絵さんと付き合わないの?」
「なに言ってんだ。仲良くしてたのは計画のためであって、あの朝だって作戦の一環だろ。それに、ただラノベを借りに寄っただけだし。しかしあの
「へー、人は見かけによらないものね」
「お前の方こそ誰かいないのかよ」
すると千鶴は顎に指を当てて「んー」っと考え込んでいる。
「私はまだ兄さん達が恋人でいいわ」
「なんだそりゃ」
武琉の腕を取った千鶴の顔には、どこか淋しげだが穏やかな笑顔がたたえられていた。
幼馴染に振られた日、なぜか学園一の美少女とお近づきになりました!復讐なんてやめて彼女と幸せになります!? 瀬戸 夢 @Setoyume
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