第4話.異世界転生!?
駅から今朝待ち合わせをした橋に向って歩いている弘昭と千鶴の二人。辺りは、まだ少し強めの風が吹いていて、時折ザワザワと通りの街路樹を揺らしている。
時刻はもう夕方四時半。昼間の元気な太陽が少しずつ赤く染まり夕日に変わろうとしていた。その太陽がちょうど川の上流の方向に下りてきていて、増水した川面がキラキラと目の前いっぱいにその光を反射していた。
その赤になる前の淡いオレンジに近い光を、千鶴がまるで
橋の中頃まで来ると、弘昭は足を止め千鶴に声を掛けた。
「千鶴、今日はありがとう。とても楽しかった」
「いえ、私から誘ったんですし、こちらこそありがとうございました。本当に楽しかったです」
屈託のない笑顔。元カノに遭遇するハプニングがあったので少し心配していたが、千鶴の笑顔から本当に楽しんだことが伝わってきた。
このデートの前から弘昭は言おうと思っていたことがあった。そして今日一日の千鶴の様子を見て、実行しようと決めていた。
夕暮れ時、橋の上には二人きり。まさに絶好のシチュエーション。この機を逃さまいと、弘昭が意を決して口を開こうとした時だった。
「弘昭さん!」
弘昭の発言を遮るかのような千鶴の声。見ると、彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。夕日で赤く染まっているわけではない。
「な、なに?」
「あの、えっと、きょ、今日のお礼がしたくて、目を……、目を瞑ってもらっていいですか?」
デート終わり、夕暮れ時に二人きり、目を瞑ってとお願いされている。
もう、どう考えてもキスじゃん。いや待てよ。そう思わせておいて、なにかお茶目ないたずらの可能性もある。それか、「じゃーん!」とか言ってあの大きめのトートバッグからサプライズプレゼントを出してきたり。まだ付き合ってないからキーホルダーやストラップなどの小物だろう。で、「お揃いなんです」なんて言って恥ずかしそうに自分のを見せてきたりして……。うーん、どれもありそうだ。
そんなことを妄想しながらチラリと見ると、彼女は恥ずかしそうにモジモジしている。
もし、いたずらやプレゼントならワクワクやドキドキだろう。この感じは……、うん、キスだ。きっとそうだ。ほっぺだよな、まさか唇?
千鶴の大胆な行動に弘昭は面食らっていた。そして、このあとの展開を想像する。
きっとキスされ、もしかしたら「好きです」とかって言われたりするのかな……。
それはそれでとてつもなく幸せな展開だが告白は男らしく自分からしたい、彼はそう考えた。
弘昭は両手の拳を強く握りしめ、夕日が見える川の上流の方向に目をやった。本当は真っ直ぐ彼女の目を見て言いたかったが、恥ずかしいのと千鶴の美しすぎる姿に圧倒されて直視することができなかった。
「ちち、千鶴!」
「は、はい!」
緊張した面持ちの彼の様子に、千鶴もいつもと違う雰囲気を感じ取っていた。ごくりと固唾を呑む。
「あの、えっとだな、その前に先に言わせてくれ!」
「えっ!? あぁ、はぃ……」
彼女の返事は心なしか少し残念そう。
「その、言いたいことはだな、えーっと、あのぉ、なんだ、そのぉ……」
覚悟を決めたはずなのになかなか言い出せない。紗絵とは幼馴染なのでそれほど緊張しなかったが、聖女のように美しい千鶴を前に緊張しないわけがない。
あたふたしているうちに、弘昭はついには彼女に背中を向けてしまった。落ち着こうと、スー、ハー、と何度か深呼吸をする。
ふと後ろから、彼女の強い視線を感じた。背中越しでも彼女の緊張した様子が伝わってくる。きっと彼女は期待を込めて自分の言葉を待っていてくれているのだろう、弘昭は彼女の視線からそう感じ取った。
くそっ、なにやってんだ! 恥ずかしがってないでちゃんと言おう!
そう自分を奮い立たせ、弘昭はついに切り出した。
「お、俺、お前のことが、すす、好……」
「あぁー!!」
全てを言い切る前に、またもや弘昭の言葉を遮るように千鶴が叫んだ。振り向くと、彼女は欄干から身を乗り出し空中に手を伸ばしている。
彼女の視線の先に目をやると、先ほどまで彼女が被っていた帽子がふわりと空中を舞い、濁流の上にちょうど落ちるところだった。帽子が風で飛ばされたようだ。そして、茶色い流れの中に点のように浮かんだ真っ白な帽子は、どんどんと下流に流されていっている。
「あぁ、どうしよう。お母さんの形見の帽子が……」
千鶴の母親が亡くなっていることは彼女から聞いている。彼女の必死の形相から、あの帽子が彼女にとってとても大切な物であることが分った。
そして、彼女は欄干に足を掛け、今まさに川に飛び込もうとしている。
「ダメだ! やめろ!」
彼は後から抱きかかえるように千鶴を抑えた。昨日の大雨で増水しているため、か弱い千鶴が飛び込んだら瞬く間に濁流に呑まれ溺れてしまうことは安易に想像できた。
「でも、あの帽子はお母さんの――」
静止を振り払うかのように、千鶴は半狂乱で涙を流しながら遠ざかる帽子に手を伸ばしている。こんなにも彼女が取り乱しているところは見たことがない。
彼はその姿を見て決意した。
「俺が取りに行く!」
彼女の両肩に手を置いて力強くそう告げると、彼は躊躇なく欄干を乗り越え川に飛び込んだ。
「あぁ、弘昭さん!」
彼は泳ぎには自信があった。空手の訓練の一つとして水泳を取り入れており、以前は水泳部と肩を並べるほどの実力があった。
川に落ちると、ドボーンと大きな水しぶきが上がった。その勢いで沈み姿が見えなくなった。
欄干から身を乗り出し様子を見守っていた千鶴は、彼が浮き上がってこないかドキドキしながら川面を見つめていた。数秒後、すぅっと黒い影が現れ水面に顔を出す。そして、大丈夫だと言わんばかりに手を振っている。その様子に彼女はハーっと息を吐いた。
遠ざかる帽子を確認すると、それに向けて弘昭は力強く泳ぎ出した。しかし、着ているジャケットで動きづらい。また、水を吸ったズボンも重く、履いている靴も足枷になっていた。プールで泳いでいた時のようなパフォーマンスは出せない。もっと身軽になってから飛び込めばよかったと少し後悔する。
それでも、持ち前のパワーでどうにか帽子に追いつき、そして掴んだ。
弘昭は橋の上にいる千鶴に向かって、手にした帽子を高く掲げた。遠目に彼女が微笑みながら、彼を称えるように大きく手を振っているのが見える。
よし、戻るか。この活躍で千鶴は絶対に俺の告白を受け入れてくれるはずだ!
期待に胸を膨らませながら、数十メートル先の岸に向かって泳ぎ出した。ところが、思った以上に流れが速いせいか、波に翻弄されその場でくるくると回ってしまう。手に持っている帽子が邪魔で泳ぎづらいというのもあった。
それでも彼は必死に泳いだ。しかし、水の冷たさで手足の感覚がなくなり始め、また、体力も限界に近づいていた。
――まずい!
弘昭は命の危険を感じた。自力では岸にたどり着けそうにない。
大見得を切って川に飛び込んだが、こうなってくると恥も外聞もない。弘昭は千鶴に向かって大きく手を振り叫んだ。
「助けを呼んでくれ!!」
しかし聴こえていないのか、彼女は相変わらず微笑みながら手を振っているだけ。
「おーい! なにやってんだ!! 助けを呼べって!!」
再び叫ぶがやはり声は届いていないよう。彼が余裕を見せるために手を振っているものだと勘違いしているようだ。
「くそっ! あの女! ちくしょう、このままだとやばい」
とうとう帽子を投げ捨てると、彼は最後の力を振り絞り岸に向かって必死に水をかき始めた。けれども、うねる濁流に次第にのまれていく。
「がふっ、ち、ちくしょう。死にたくねぇよ。だ、誰か、ぐわっ、誰か助け、うわっ、うっ、た、助け……」
最後は力尽きたのか弘昭はもがきもせず、ゆっくりと流れる川の中に消えていった――
あ、あれ? ここは……。
目覚めた弘昭は霧がかった見知らぬ場所にいた。辺りは薄暗くシーンとしている。
俺、確か川で溺れて死んだはずじゃ……。
むくりと起き上がり顔を上げると、目の前にはこの世の者とは思えない美しい女性が立っていた。その女性に見とれていると、不意に彼女が口を開いた。
「私は異世界の女神。あなたはこちらの手違いで死んでしまいました。お詫びに強力なスキルを授けた上で、私の世界に転生させましょう」
空間を全て包み込むような荘厳な声。直接頭に響いているよう。いや、実際そうだったのかもしれない。
なにっ!? まさかの異世界転生!? こんなこと本当にあるのか? でも、実際に目の前には女神はいるわけだし……。
その女神が手にしている杖を掲げると、突然彼の体が輝き出した。そして、体の底から力が湧いてくる。
スゲー! なんだこの力! 超ラッキー! この力で俺tueeeして異世界でハーレムを作るぞ! 見てろ! くっころ美人女騎士からケモミミ少女、耳長エルフお姉さんにロリババアまで揃えてやる!! フハハハハッ――
……なんて夢を死ぬ間際に見てたら笑っちゃうわね。
通報を終え、スマホを耳から下ろした少女がニヤリと微笑んだ。
そして、足元に置いてあるぬいぐるみを無造作に掴むと川へと投げ捨てる。濁流の中、くるくると回転していたぬいぐるみは、しばらくすると弘昭と同じように波に呑まれ冷たい川底へと沈んでいった。
一週間後、近くの海岸に腐乱した男の遺体が打ち上げられた。
その男と一緒に居た少女の証言では、川に落としそうになったぬいぐるみを掴もうとして欄干から身を乗り出したところ、誤って川に落ちたとの話だった。他に目撃情報はなく特に不審な点もないことから、不注意による事故として処理された。
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