第7話 思い出の
「お嬢ちゃん、その制服浜江中学校のかい」
「は、はい」
私と氷室さんが話していた場所から一番近い席に座っていた、白いひげが特徴的のおじいさんに声をかけられる。
「そうかそうか。祭の演奏頑張ってなぁ。楽しみにしてるよ」
「えっ、ありがとうございます!」
それがまさか応援メッセージだとは思わず、私は少し動揺してしまった。
「へえー吹奏楽の子か! 凄いね、頑張って!」
「私も吹奏楽部だったんだよー! 大変だろうけど頑張ってね」
おじいさんに応援されたのを皮切りに、その雰囲気は隣の席の人、そのまた隣の席の人とだんだん伝播していき、自然とその場にいた全員に温かい言葉を頂いた。恐らくみんな地域の方なのだろう。「見に行くね」なんて言葉がチラホラ聞こえてきた。
にしても、満カフェにこんなに人がいるのは何だか違和感がある。まるで別世界に迷い込んだみたい。
私が小さい時に氷室さんに聞いたあの質問の本当の答えが、今になってようやく返ってきた気がした。
こんな大勢の人に囲まれながら応援されることが初めてで慣れていない私は、気恥ずかしさをごまかすために氷室さんの元へ駆け寄る。
氷室さんはいつの間にか抹茶ケーキを手に持っていて、カウンターの前に立つとこちらに微笑みながら優しく置いた。
「わ、なんかいつもより豪華だ」
「お祝いケーキよ。今日だけ特別ね。あっ、お父さんにはちゃんと連絡しとくのよ」
「はあい」
いただきますと手を合わせて、抹茶ケーキにフォークを入れると、大きめに分断された。ギリギリ食べられるくらいのサイズだったので、気にせずそのまま口に放り込む。
やっぱり美味しい。今日は特別にチョコソースがかけられており、いつもより甘くなった生クリームが抹茶の苦味を緩和して、良い塩梅に仕上がっていた。
体をくねくねしながらそう感想を伝える私に、氷室さんがクスクス笑う。
「だから何なのその動きは……。本当、お母さんによく似てるね。優香ちゃん」
「えっ?」
「あっ」
思わず頬張ろうとした最後のひと口を、彼女の一言で口元から遠ざけた。氷室さんは自分自身で言ったにも拘らず、失言したとばかりに慌てて話題を変えようとしてくる。けれど私がその手に乗るはずもなく、むしろ何やら詳しく話を聞く必要がある彼女にジリジリと詰め寄っていった。
「わかった、わかったから、話すから! ちょっと落ち着いて優香ちゃん!」
数分間の攻防戦の末、折れたのは氷室さん。私の真顔で質問攻めする作戦が上手くいったようだ。
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせ、ついに話す気になった氷室さんにさっきの発言について問い詰めた。
「どうか怒らないで聞いてほしいんだけど……。私と優香ちゃんのお母さんは知り合いっていうか、高校からの友達なんだけど、優香ちゃんが産まれてすぐの頃にもう自分は永くないって悟ってたのかここに来て私にこんな相談を持ちかけてきたのよ。優香ちゃんがもし行き詰まったら、そのときは助けてやってくれって」
「な、何それ」
「私もよく分かんないのよ。でも本人が言うには、優香ちゃんはきっと音楽の道に進むだろうから、それ関係で困ってそうなときは何か後押ししてやってくれってさ」
あの子言葉足らずなとこあったから、なんて言って苦笑いを浮かべる氷室さんに、本当に友達だったんだとやっと理解する。
にしても、なぜお母さんは私が音楽の道に進むことがわかっていたのだろう。伝えたことなど一度もなかったのに。やはり母親の勘というやつだろうか。
私は言わずとも理解してくれていた母の姿を思い、胸の奥がじわじわ温かくなっていく気がした。
「じゃあお母さんが死んだことも知ってたの?」
「あー……うん、知ってた。何か騙してたみたいでごめんね。あの子がどうしても優香ちゃんにバレないように支えてほしかったらしくて。にしたって、友達っていう関係性まで秘密にすることないと思ったんだけどねぇ。多分そこはいつ気づくかゲーム的な遊び感覚だったんだろうな」
当時のことを思い出してか呆れて笑う彼女の言葉を、心の中で繰り返し刻んで頭の整理をする。
ああ、だからあのときああ言ったり、メヌエットを流してくれたりしたのか。氷室さんが今話してくれた内容と母との関係を当てはめて考えてみると、これまでの行動に合致が行く。
なるほど、あれらが彼女の言う「支え」だったのか。
「落ち着いた?」
「うん」
途中頭がパンクしそうになったが、何とか一通り整理することができた。気持ちが高ぶって上がった体の熱を冷ますように水を一口飲む。耳を澄ますと、またどこかの客席で笑いが起こる声がした。
コップの中の氷が揺れる。そこで抹茶ケーキを一口残していたことに気が付き、小さく分けたケーキを口元に持っていく。ふわりと抹茶の豊潤な香りが広がった。
――何だ、いたんじゃないか。昔も今も、ずっと応援してくれていた人は。先ほどのお客さんたちに限らずに、私はずっと応援されていた。決して初めてなんかじゃなかった。
懐かしくも寂しさを感じるその匂いに、私は初めて母とここを訪れたときのことを思い出す。たしかあの日もこうして抹茶ケーキを食べていた。今よりぐんと幼いにも拘らず、母の驚く顔を面白がりながら一口、また一口と食べ進めて。
あのときと同じように、今日だけ特別な見た目のそれをぱくりと頬張る。
明日、もし嫌なことがあったとして……いや、それよりももっと壮大な、例えばいつかさよならを言わなければならない日が来てしまうとして。
私はきっと最後の最期までこのケーキの味を忘れずにいるだろう。
母と食べた、思い出の味を。私を応援してくれる人の声が聞こえる、抹茶ケーキの味を。
例えば明日、この世にさよならを言うとして 明松 夏 @kon_00
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