第10話 マリオンとスローライフ

 私にとって、ユーリは運命だった。


 昔、小さいころ私は孤児院にいた。孤児院では優しくしてくれた先生や友達がいた、と思う。小さいころだから、あまりはっきり覚えていないけど。だけど私は才能があったということで孤児院をでて軍人になることになった。

 軍人としての生活はとにかく言われたことだけをやって、目立たないように息を殺して端っこでうずくまるようにして、できるだけ殴られたりしないようにするので精いっぱいで、ユーリと出会うまでのことはあまり記憶にない。

 ただ顔も名前も思い出せなくて、もう本当にあったのかすらわからない幸せな孤児院時代の夢を見る睡眠時間だけが息をしていられる時間だった。


 ユーリと出会って、すべてが変わった。ユーリは私を助けてくれた。ユーリが私の前で手を持ち上げても、私に来るのは暴力じゃなくて優しいスキンシップだった。

 最初に会った時、笑顔でよろしくと私と握手をしてくれた。たった二人の女だから何でも言ってと私の名前しか知らないのに優しくしてくれた。


 ユーリは若くして上司として赴任してくることになって他の人から敵意を向けられていたけど、ユーリは最初から全員ぶっとばして自分の立ち位置を確立した。そして私が、今までとは比べ物にならないくらいちょっとした、それこそお互いの不注意でぶつかって怒られている時でさえ、私の味方になって相手をぶっ飛ばしてくれた。

 ユーリと会ってから、私は端っこを歩かなくてもよくなった。油断して歩いても文句を言うためにわざとぶつかってくる人はいなくなった。危険な時にわざと私を突き飛ばして囮にされることはなくなったし、雑用をおしつけられて絶対にできない仕事量になったり、間に合わなくて怒られることはなくなった。


 ミスをしてしまうこともあった。だけどユーリは私に注意をしても、手をあげることはなかった。一緒にどうすればいいか考えて教えてくれた。どうすればもっといいか教えてくれて、その通りすると頭をなでて抱きしめて褒めてくれた。

 ユーリと会ってから、私は孤児院の夢は見なくなった。


 ユーリと過ごすと、安心するってこういうことだと知った。ユーリがいて、私は楽しいってことを知った。ユーリとお話しして、笑顔ってどういう時になるのか知った。ユーリと一緒に食べて、美味しいって意味を知った。

 生きるっていうことがどういうことなのか、ユーリが全部教えてくれた。私にとってユーリはすべてで、私はきっとユーリに出会うために生まれてきて、ユーリは私の運命の人なんだ。私を助けてくれる、絵本の白馬の王子様みたいな、そういう運命の人なんだ。そう信じていた。


 ユーリについていきさえすれば、私は幸せだし、ユーリの為なら死んでもいい。むしろ、ユーリの為に死にたい。そう思っていた。


 でもあの日、私はユーリを失いかけて、初めて運命を感じているのは私だけだってことに気が付いた。当たり前だ。ユーリは一人でなんだってしてしまう。

 もちろんユーリにも苦手なことやできないこともある。でもそれは私がしなくたって、ユーリは誰とでもうまくやってしまう。誰かに何かをさせて、恨まれるどころか好かれてしまう。そういう私じゃ絶対にできないことが当たり前にできるから、ユーリはすごいんだ。


 ユーリと別れて、私はどう生きればいいのか本当にわからなかった。


 そんなからっぽで何もない私に、ユーリは言ってくれた。


「私はマリオンといて楽しいし、マリオンに幸せになってほしい。笑顔でいてほしい。お願い。私と一緒に来て。私たち、家族になろう。一緒に暮らそう」


 それは、夢にみることすらはばかられるような、この上ない素敵なプロポーズだった。どん底の私を掬いだしてくれる、私にとってだけじゃなくて、ユーリにとっても私を特別にしてくれる魔法の言葉だった。


「……本当に、私でいいの?」

「マリオンがいいんだよ」


 そうして私とユーリは結婚した。結婚して家族になるのがどういうことが、私はよくわかっていなかった。だけど結婚するのは特別な相手で、私がユーリの特別な相手ということだけで私には十分だった。

 軍での生活は嫌とか嫌じゃないとか、そういうものではなかった。早く死んでしまいたいとユーリに会うまでは思っていたし、会ってからも軍人として戦って死ぬのだと思っていた。

 だから辞めたと言う事実はなかなか私の中にしみこんでこなかった。だけど毎日ユーリが抱きしめてくれて、油断しても気を抜いても、魔物の遠吠えや敵襲はなくて、突然出動することもなくて、そんな生活に頭じゃなくて私の体が理解した。

 普通に生きるというのはこういうことなのだ、と。夢みたいに幸せで、だけど夢じゃないと毎日ユーリが抱きしめて教えてくれた。


 家を決めてからはよりのんびりした生活になった。護衛などではまだ夜に警戒をすることもあったけど、絶対に日帰りで仕事を終わらせ、夜は家で寝るようになった。雨でも雪でも嵐でも出勤していたのに、ちょっと雨がふったり、雨上がりあとのぬかるみがあるだけで仕事をお休みにした。

 そんなにお休みばかりしていいのかな? と少し心配になることもあった。でもユーリはこんな風に好きな時に好きなことをしてゆっくりするのがスローライフだよと教えてくれた。


 スローライフの意味はよくわかっていなかった。ユーリがそうしたいならしたらいいと思っていただけだった。だけど少しずつその意味もわかってきた。

 昔はわかってなかったけど確かに私は魔法の才能があって、他の人ができないことができる。それがお金になって、生活するだけのゆとりがある。

 だから毎日働かなくてもよくて、のんびりと働きたいときにだけ働いて、興味があることをする。やりたくないけどやらなくちゃならないから命令に従って働くんじゃなくて、自分がしたいことをする。そういう生活に、私もなれていった。


 そして私の誕生日。ユーリは当たり前みたいに祝ってくれた。生まれてきてくれてありがとうって言ってくれた。

 今までにもおめでとうって言ってはくれていたけど、私もユーリも余裕がなくて、お休みの日でも丸一日今みたいに気を抜いて過ごすなんて無理だった。

 ユーリにとっては余裕さえあればこんな風に全力で祝ってくれるのが当たり前なんだろう。


 夢の中でだって、こんなに優しくしてもらったことはない。ユーリはいつも私を受け入れてくれた。だけどそれだけじゃなかった。

 何もできなくて、何もかもユーリにおぜん立てされて生きているだけ、ひっついてきて、たくさんお金もつかわせて、料理だってまだまだろくにできない私に、生まれただけで感謝をしてくれた。

 存在そのものを愛してくれている。それを改めて実感した。愛される幸せを、ユーリは私に教えてくれた。


 それから私は夜が恐くなくなった。朝目が覚めたら全部夢で、ユーリがいなくなっているんじゃないかと心配になることはなくなった。

 そうなるとなんだか、毎日一緒に寝てもらっているのも恥ずかしくなって、タイミングを見て一緒に寝るのはやめた。ユーリに甘えきっていたけど、私だって成人しているし、それに結婚しているのだ。一方的に寄りかかりすぎるのは駄目だ。そんな風に考えられるようにもなった。


 そうして私はユーリと毎日幸せに過ごした。ユーリに愛されているということが自信にもなった。知らない人と話したり、自分で判断して何かをすることができるようになった。

 ユーリ以外どうでもよかった。でもそうじゃなかった。ユーリは特別で唯一だけど、友達っていうのはまた全然違うものだった。一緒に遊ぶのは楽しかった。知らなかったことを教えてもらうのは、お仕事の手伝いだって面白かった。


 そんな風に普通の暮らしが当たり前になって、友達とおしゃべりをして、毎日面白可笑しく暮らしていた。ある日、友達と遊んでいる時にユーリと出会った。ユーリも友達と一緒で、ちょっとすれ違っただけだった。

 でもその時、なんだかユーリはちょっと寂しそうだった。それで思い出した。私に友達ができる前、ユーリに友達ができて一緒にいる時寂しかったこと。私を一人にはしないように一緒にいてはくれたけど、私の友達ではないしなんだかユーリを取られてしまうように感じて嫌だったこと。

 ユーリも、私に対して少しはそんな風に思うんだ。


 そう気づいて、あっ! てなった。ユーリは私の運命の人で、神様で、いつでも完璧な王子様みたいに私を助けて幸せにしてくれる。

 でも、運命の人じゃなかったし、神様でもないし、絵本の王子様でもない。ユーリは完璧じゃなかった。私と同じで、ただの人間だったんだ。運命とか関係なく私を選んでくれただけで、それはしてくれて当たり前のことじゃなかった。ユーリが自分からそうしてくれただけなんだ。そんな当たり前のことに気づかなかった。


 ユーリが私を幸せにしてくれているように、私もユーリを幸せにしたい。そう思って、どうすればいいのかわからなくて友達に相談して、そうして初めて、私とユーリは結婚しているとはとても言えない関係だということを知った。普通に姉妹だと思われていた。

 結婚の意味を、ただ一緒にいてくれる大事な存在としか思ってなかった。だけどそれだけじゃないんだ。


 恋人同士の人を見たことはあった。キスをしているのを見て、仲がいいんだなって。そういう関係もあるんだなって思ってた。それが私とユーリの関係だなんて考えたこともなかった。

 私は子供だった。でもユーリはそうじゃない。私にプロポーズしてくれた時から大人だった。きっと私が子供だから合わせてくれているだけで、ずっと本当の結婚をするのを待っていてくれているんだ。


 それがわかったけど、でも、行動に移すのは恥ずかしかった。

 ユーリのことは好き。キスするのも、私だけ特別ってことだし、今までその発想がなかったけどいいかもしれない。考えるだけでドキドキするけど、なんだか素敵なことにも思える。

 だけど自分からそれを言うのははしたない気がした。それに、もし失敗したらどうしよう。どういう風にすればいいのかわからない。それで幻滅されたらどうしよう。もちろんユーリが私を嫌いになることなんてないけど、でももうそういうのはいいよって言われたら? そういうのから関係が悪化して離婚ってなることもあるって、何でも知ってる宿屋の友達が言ってた。


 だから私は友達と一緒に勉強した。言葉でおしえてもらって、夜、一緒にそういうことをしている人を見に行ったこともあった。暗いしよく見えないけど、なんとなく空気感はわかった。みんなこうやってこっそり覗いて勉強するんだよって教えてくれた。何でも知っている友達がいてよかった。

 そうして準備して、でも何にもないのに今日っていうのも恥ずかしくて、私は自分の誕生日、18歳になった時に切り出すことにした。

 18になれば結婚している人もいるし、ユーリも私が子供だから我慢していたことも、大人になったってことで自分自身に許可を出してくれるだろうから。


 それからのことは、ちょっとびっくりした。ユーリのプロポーズはプロポーズじゃなかった。当時私が結婚と言う本当の意味が分かっていなかったのと同じように、血のつながらない二人の大人が家族になるという意味がわかってなかった。

 そういうちょっと抜けたところも、可愛いと思う。いつも優しく何でも受け入れてくれるユーリは、器が大きくておおらかすぎるせいで抜けているところが多い。それをフォローすると褒めてもらえるし、役に立っているようでうれしかった。

 でも今は、それを可愛いとすら思う。まだ子供だった頃と気持ちは変わっていく。ユーリは私のすべてで、ユーリのことが大好きだった。だけどそれ以上の大好きがあるんだって、ユーリは教えてくれた。


 そしてそんな私を、気持ちを全部、ユーリは受け入れてくれた。改めてプロポーズをしてくれた。


 幸せってどういうことか、ユーリが教えてくれた。でもその幸せも、もっともっと先があるってユーリがまた教えてくれた。


「ユーリ」

「んー? なに?」


 お休みの昼下がり、ユーリが机について真剣な顔で木を削っている。今日はカトラリーを作っているらしい。真剣な横顔を見ていると、胸がぽかぽかしてきて、ため息がでそうになる。大好き。


「大好き、愛してる」

「う……」


 心のままに口にすると、ユーリはさっきは視線ひとつで手は動かしたままだったのに、ぴたりと動きをとめて、頬を染めて視線を泳がせた。


 ユーリと本当の意味で結婚して、ユーリはまた少し変わった。前まではユーリの方が気軽に、簡単に私に好きって言っていたのに。私が好きって心を込めて言うと照れてしまう。

 そう言うところ、本当に可愛いと思う。前は私の方が恥ずかしくって、私なんかが好きって言ってもって風にも思っちゃって、なかなか言えなかった。

 でも今は違う。私の気持ちを受け入れてくれるだけじゃない。喜んでくれる。その確信がある。だからいくらでも言えるし、たくさん伝えたい。いくら伝えても伝えきれない、胸の中からあふれてしかたないこの気持ちを。


「……あの、ちょっとキャラ変わりすぎじゃない?」


 照れながら喜んでくれたユーリに嬉しくてにやにやしていると、ユーリはちょっとすねたようにジト目になった。出会ってしばらくはユーリの意に沿わないことをして、嫌われたらと心配したこともあった。でも今は、ちょっとくらい不機嫌な顔も可愛いと思う。

 だって普段はいつもにこやかで、よっぽどじゃないと怒らないユーリが私の言葉一つ、態度一つで子供っぽい顔を見せてくれるのは、なんだかそれはそれで特別っぽくて嬉しいから。


「こういうの、嫌?」


 椅子をつめて体をすりよせ肩をユーリにぶつけながらユーリの顔を見上げて尋ねる。ユーリは手をおろして困ったように笑う。


「い、嫌じゃないけど」

「じゃあ言いたいから言う。ユーリも、言って?」

「……好きだよ。愛してる」

「ん」


 ユーリの肩をひいて、背筋をのばしてユーリの頬にキスをする。ユーリは赤くなりながらも小刀をおいて、私にキスを返してくれた。


 好きな時に好きなことをしてゆっくりする。最初は意味を聞いてもちっともわからなかった。でもきっと、これがユーリが目指していたスローライフなんだろう。

 これからもずっと、ユーリと一緒にスローライフを続けていくんだ。スローライフ、最高!



めでたしめでたし

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病んでる君と私のスローライフ 川木 @kspan

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