始まりのいし
零
第1話
「いい加減にしなさい!」
そう言って、ママはボクのゲーム機を取り上げた。
「あー!」
ボクは腹の底から声を出した。
「何が、あー、ですか!」
でも、そんなボクの声よりもっと大きなママの声が帰って来た。ボクはびくっとなって小さくなった。
その後は延々説教。ボクが最近全くママとの約束を守らずにゲームばかりしていること。テストの点数が悪いこと。授業中もぼーっとしていて、先生に叱られること。よくそれだけボクのダメなところを覚えているなぁと思えるくらい、たくさんたくさん並べられたボクのダメなこと。
いつものことだ。
いつものことだけれど、でもボクはその日、何だかとても哀しくなってしまったんだ。まるで、真っ暗なところに一人で放り出されてしまったみたいに。
その日、ボクは夢を見た。
ボクの周りに、たくさんのスクリーンがあって、そこに何かが映っていた。よく見ると、それはゲームの画面だった。
そのゲームは、ボクが初めて買ってもらったゲームだ。勇者が、魔王を倒しに行くストーリー。今考えれば、それほど人気だったわけでも無くて、それほどやりたかったわけでもなくて、ただ、何となく目に留まったものを買ってもらったのだった。
周りの友達は面白くないって言っていたけれど、ボクには間違いなく宝物で、大好きなゲームだった。
「あ、これ」
ボクはその中のひとつに目を向けた。それは、ボクが初めてダンジョンに入って、ダンジョンのボスを倒した時だ。
ボクはその時の気持ちを思い出した。すごくドキドキしたんだ。ダンジョンに入ってからも、まだ入っちゃダメなところかもしれないとか、レベルは足りているのかとか、すごく悩んだ。道があっているかどうかも分からなくて、行き止まりで何度も引き返した。
それでも、どうにかこうにかやっとクリアしたんだ。
スクリーンの中でも、小さなキャラクターがダンジョンから出て来た。ボクはそれを見て、ほっと息を吐いた。
そして、もう一度周りのスクリーンを見渡した。その中で、一つのシーンが目に留まった。そこには、勇者が一番最初に仲間になった親友と喧嘩して、一時別れてしまったシーンが出ている。それは、自分で何かを選べたわけでは無く、ストーリーの進行上、仕方のないことだったんだ。
それでも、ボクはひどく寂しい気持ちになったのを覚えている。
どうしてだろう。ボクが友達と喧嘩したわけでは無いのに。
きっかけは小さな行き違いだった。それまでの二人が、とても仲が良くて、ボクもそんな風に友達と仲良くできたら思っていたんだ。だから、仲良しだった二人が離れてしまったのがひどく哀しかったのかもしれない。
すると、スクリーンの中のシーンが変わった。そこには、仲直りしてしっかりと握手している二人が居た。この時ボクは心の底からほっとした。本当に良かったと思って、自分のことのように嬉しかった。
これは、ゲームの一つ一つのシーンかも知れない。勇者の思い出なのかもしれない。
でも、ボクの思い出でも、あるのかもしれない。
そう、思った。
その時、急に周りに会ったスクリーンが次次と消え始めた。
「え?」
ボクは慌てた。でも、どうすることも出来なくて、黙って消えていくスクリーンを見ていた。
そして、真っ暗になった。
ボクは急に怖くなった。
「誰か、」
小さな声でそう、呟いた。
すると、ボクの目の前に、一つの大きなスクリーンが開いた。
そこに映し出されたものを見て、ボクは心臓が止まりそうになった。
「そうだ、このシーン……覚えてる」
それは、勇者が最愛の恋人を亡くした時のシーン。
そのシーンの時はまだ、恋人なのかどうかはっきりは言われていなかった。でも、確かにそこには、勇者が彼女に恋をしていた気配があった。はっきり好きだとは言っていなかったけれど、優しく彼女を見守る勇者の目。勇者を信じ、彼を支え続ける彼女の姿。それらから、ボクはきっとこの二人はお互いに恋をしているのだと思った。
ボクはまだ小さくて、恋とか、愛とかは分からないけれど、二人がお互いを大切に思い合っていることは感じられた。
それなのに。
それなのに……
二人の優しくて温かな想いを想像していたから、それが失われた時、ボクもひどく哀しくなったのを覚えている。
スクリーンの中で、モンスターの攻撃から勇者を庇って彼女が倒れた。その彼女を抱えて、勇者は叫んだ。
この時、彼は何を思ったのだろう。
神様を恨んだのだろうか。
自分の弱さを憎んだのだろうか。
あの時のボクは、今の僕よりも小さい。あの時のボクは、同じシーンを見て、何を思っただろう。思い出そうとしても、哀しかったこと以外、思い出せない。本当は、あまりよくわかっていなかったのかもしれない。
今の僕は、あの時のボクより少しだけ、大人になっている。今のボクは、このシーンを見て、何を感じているだろう。
胸が痛い。どうしてか分からないけれど、ひどく痛む。目頭が熱くなって、涙が零れそうだ。言葉に出来ない何かが、胸の奥をきりきりと痛めている。
ボクはぐっと、自分の胸を抑えた。
そうして、次のシーンでは、小さな墓石に花を供える勇者が居た。その時、勇者は静かに泣いていた。背中しか、見えなかったけど、その項垂れた首と、いつまでも離れがたくそこに跪く姿。
その後姿だけで、ボクは、ううん、全てのプレイヤーは彼が泣いていると感じただろう。
涙は、見えなくても。
涙を見せなくても、哀しいということが、分るのだと、ボクは知った。
涙を見せることだけが、哀しさではないと。
ボクはその時、罪悪感すら感じた。あの時、そのモンスターがいるダンジョンに、彼らを向かわせたのは僕だ。ストーリーがそう、設定されているのだから、避けようはないのだけれど。それでも、彼のあまりの悲しみの深さに、あの時ボクが彼らを連れて行かなければと、思ってしまう。
ゲームの中では、良くある話だ。一回入ったダンジョンのボスに負けて、リセットする。でも、彼等にはそれは現実で、一度死んだら帰ってこられないのかもしれない。そんなプレイヤーの身勝手さを、彼らは受け止めているようにも思える。
「そのことで、君たちが、何かを受け取ってくれたら、嬉しい」
声が聞こえた。顔を上げたら、そこに見慣れた勇者の顔があった。
勇者が現れたら、そこにはまた、たくさんのスクリーンが開いた。それらの中に、また、色んなシーンが出て来る。勇者はそれを、目を細めて見ていた。
「これらは、私の思い出。そして、君の思い出」
勇者にそう言われ、ボクはそっと自分の胸に手を当てた。
ボクは、ゲームをしている間、色んなことを感じた。楽しいこと、淋しいこと、嬉しいこと、哀しいこと。勇者に何か起こるたびに、ボクの胸には、まるで自分で体験しているように色んな感情が浮かんだ。ボクは勇者の身体を借りて、ゲームの世界を冒険していた。
だから、知ってる。勇者だって、悩んだり、迷ったりしながら進んでいたこと。嬉しかったり、哀しかったりしたこと。勇者はその優しい眼差しに全てを隠してしまうけれど、ボクには、分る。
大変だったことも、苦しかったことも全て飲み込んで、優しい眼差しで
「そのことで、君たちが、何かを受け取ってくれたら、嬉しい」
そう、言って、笑う。それが、自分の役目だと。
ゲームの中の勇者は知らない。けれど、ここにいる勇者は知っている。自分と、ボクとの関係。 ボクにとっての勇者が、どんな存在なのか。そして、それなら、
「ボクの役目は何だろう」
そう呟いて、ボクはじっと自分の掌を見た。ボクの世界にとって、ボクは何だろう。周りの友達や、家族にとっては?何よりも、ボクにとっての、ボクは、何だろう。
「それを、今、そして、これから、君たちは探していくのだろう?」
勇者はそう言って、ボクの頭を撫でた。
「今、私がそれが役割だと言えるのも、今、ここにいる私が、その役割を終えたからさ」
「死んだ、ってこと?」
ボクは恐る恐る聞いた。あの物語は、ハッピーエンドで終わったはずだ。でも、その先のことは、誰にも分からない。
「そう、とも言えるし、そう、ではないともいえる。終わった、という設定の、私さ」
そう言って笑った。
「終わる前の私は、君たちと同じように迷って、悩んで、経験して、前へ進んできたんだ」
ボクは、うんうんと頷いた。それは、ボクの知っている勇者だ。終わる前。それは、ゲームの途中ということだから。
「少しずつ、レベルアップしながら」
ボクが目を輝かせてそう言うと、勇者は嬉しそうな顔になった。きっと、ボクらは同じ顔をしている。胸に生まれるワクワクと、ドキドキ。それが、溢れてくるみたいだ。
「そう」
「転職したり」
「そうだね」
そう言って、僕らは笑った。
「私には私の物語がある」
「ボクにはボクの、物語があるかな」
「もちろん」
そう言うと、勇者は胸に着けていた、キレイな石をボクの手に握らせた。それは、勇者を冒険に導いた、始まりの石だ。
彼が洞窟で、偶然その石を拾った事から、全てが始まった。そうだ。彼は最初から勇者では無かった。
「これ、」
「君にも、新しい物語の始まりがあるように。そして、その道を、君が勇気をもって歩けるように。お守りだよ」
「じゃ、じゃあ」
そう言ってボクはごそごそとポケットを探った。どうしても、ボクからも勇者に何か上げたかった。でも、そこにはおもちゃのコインしか入っていなかった。
「こんなものしかないや」
ボクはそれを手に握り込んで背中に隠した。
「それ、君の掌に乗せて」
ボクがしぶしぶそれを掌に乗せると、勇者はそれにそっと自分の手を合わせた。
すると、僕たちの掌の隙間から光があふれ出た。
「わっ」
驚くボクを他所に、勇者はそっと手を退けた。そこには、金色に光り輝く紋章が現れた。
大きく羽を広げた鳥と、花の刻まれた、何か意味の深そうな紋章。今はまだ分からないけれど、そこに秘められた謎を思うと、ボクの心は大きく跳ねた。それを見透かしたように勇者が勝気に笑う。きっとボクたちは、今、同じ顔をしている。
「ほら、新しい始まりだ」
そう言って勇者はそれをボクの手から受け取り、自分の胸に付けた。光が一層強くなる。その中で、僕たちの輪郭が薄くなっていくのを感じた。
「お別れ?」
ボクは少し哀しくなった。でも、勇者は黙って首を横に振った。
強くなる光に、勇者の姿が消えていく。でも、不思議と怖くはなかった。ボクの掌で、勇者がくれた石が熱くなっているのに気が付いた。見ると、そこにも同じ紋章が浮かんでいた。
ワクワクと、ドキドキが、ボクの心を満たしていく。
「新しい、始まりだよ」
勇者の声が、聞こえた気がした。
そうして、ボクは目を覚ました。
夢だと知っていたけれど、夢じゃない。だって、ボクの手には、小さな小さな勇者のしるしが握られていたから。それは、ただの石になっていたけれど、夢が、ただの夢じゃなかった確かな証拠だ。
ボクはその日、ママと話をした。
朝ごはんを食べるのもそっちのけで。ママは最初、何かを言おうとして、それから黙ってボクの話を聞き始めた。
ボクは一生懸命話した。初めてかってもらったゲームのこと。それに出て来た勇者のこと。冒険のこと。
それから、ゲームをしていて、ボクが何を感じていたのか。
楽しかったこと。
哀しかったこと。
嬉しかったこと。
腹が立ったこと。
そして、それが、ギジタイケンに過ぎないってことも知ってるってこと。結局は、ボクは勇者本人じゃない。それは、ボクの体験じゃない。でも、その身体を借りて、少し安全な所から、勇者の体験の小さな欠片をもらうことはできる。そして、その欠片をもとに、ボクはボクが出来る体験よりも、もっと多くのことを体験、したような、気持ちになれる。何もしないでいるよりは、ずっと、ボクはいろんなことを考える。色んなことを感じる。そうやって、ボクはボクの世界を広げていく、キッカケを、作っていきたい。
うまく説明できなかったかもしれない。それでも、ママはじっとボクの言葉に耳を傾けていた
そして、ボクが話し終わると、大きく一つ、息を吐いた。
ボクは、ドキドキしてママの言葉を待った。
「あのね」
ママは静かにそう言った。
「ママは、ゲームをすることが悪いって言ってるんじゃないわ。あなたには、あなたのやらなければならないことがある。それをおろそかにして、ゲームをすることが良くない、って言っているの。ママが、ご飯も作らず、お洗濯もせず、掃除もしないでテレビのドラマばかり見ていたら、あなたは困らない?」
ボクはうっとなってしまった。
ママにはママの、ボクにはボクの役割がある。それは、小さく分けたら、場所によって変わるのかもしれない。家での役割、学校での役割。
ママは続けて話をし始めた。
「勉強はね。あなたの未来を創る下地になるわ。だから、やっていた方が将来のためになるの。今は分からなくても、いつか分かるということもあるわ。それに、知識は持っていて損はないものよ。やったことがない、よりも、やったことがある、を、増やしていった方が得だと思うわ」
経験値だ、と、ボクは思った。たくさん経験値を稼いで、レベルアップしなければならない。レベルアップしていけば、今までできなかったことができるようになっていく。それは、ゲームだけじゃない。現実だって、同じだ。それは、分る。
色んなことをした方が、より強くなれる。より、未来が広がる。覚える魔法、覚える技、なれる職業。これは、現実でも同じ。未来のボクのために、今のボクが頑張るんだ。
ボクは大きく頷いた。
「約束は守るよ。だから、」
そう言って、ボクはママの手を握った。
「ゲームはダメって言わないで」
すると、ママはにっこりと笑って言った。
「約束を守るなら、いいわよ。それから、ママもちゃんとお話ししなかったのがいけなかった。これからは、たくさんお話をしましょう」
「ゲームの話も、していい?」
ボクは小さな声で、上目遣いでいった。本当は、ママに聞いてほしかったんだ。ボクがどんなことを思っているのか。どんなことを考えたのか。ママに知ってほしかった。
するとママはくすっと笑って
「いいわよ。どんなことを思ったのか、ママに教えて」
と、言った。
何だかママと友達になったような気がした。きっと、ママも仲間なんだと思う。家族も、友だちも、先生も。出会った人、みーんな。
一緒に経験値を稼いで、成長していく仲間なんだ。その中で、ボクにはどんな役割があるのか、これから探して行かなくちゃいけない。
ボクはなんだかワクワクしてきた。少し怖いけど、それでもワクワクする。ドキドキする。
勇者も、こんな気持ちだったのかな、と、ボクは手の中の小さな宝物にそっと尋ねた。
「新しい、始まりだよ」
見上げる空は、青く青く透き通っている。
ボクは、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
大きな声で叫びたい気分だ。
ワクワクが止まらない。
ボクがその気になったら、きっとその日が新しい冒険の始まりなんだ。
ボクは駆けだした。
ほら
新しい冒険の始まりだよ。
始まりのいし 零 @reimitsuki
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