鯉が釣れた日

山田Eren

第1話始まりと日常

 今年の夏はいい風が吹くと思っていた。

実際そんなことはない。去年と変わることなんて課題の量ぐらいだった。何もない日々が続く、今年も、そして来年も。

 朝の静かな小川沿いの道をママチャリで走り抜ける。真夏でも朝だけは涼しいこの町では、すこし冷たいそよ風が通り抜けていく。

 今日は何故か5時に目が覚めた。やることもなく早く家を飛び出したのだが、憂鬱な登校がまっているだけであった。目的地である古実高校はど田舎の学校で、すこし坂を登ったところにある。

 チャリ通の生徒達にとっては最後の難関であり、いずれ思い出となる印象深いものであった。そして今、その難関が僕を襲う。また、今年の夏はその重みをより際立たせる。

 いざ行かんと、ギアを下げたペダルに力をこめた。一瞬で脚に負担が現れる。

無駄な力が入って、ハンドルが左右に大きく揺れる。目線は完全に下を向き、足に力を込み続けた。

 そんな時だった。体中を覆っていた生暖かい湿気と、うざったい汗が一瞬で消え去った気がした。

僕の前を歩いていた彼女の姿が異様に可憐で目が離せなくなった。空を囲む雲と、道を取り囲む光を遮る大きな木々が彼女に大自然のスポットライトをあてていた。

 すると、彼女がこちらを振り向く。おろされている長い黒髪が綺麗に流れる。

自然と目が合った。気まずさが混じる静寂が二人を包み込む。

 そして、ニコっと笑顔を見せた。

「君、早起きだね。」

 僕の目を純粋さを思わせる眼で見つめる。

「ええ、、まぁ。今日は不思議と目が覚めまして」

 同級生ではないと雰囲気で理解した。高校生になって日が浅く、同学年の顔を把握してなくても、その凛々しい彼女の佇まいが大人っぽく見える。

なんとなく自転車から降りた。

「いつもこの時間帯に登校してるんですか?」

「うん、そうだね。だいたいこの時間帯かな。」

 なんの変哲もない会話が続いた。

「えーと、先輩ですよね?」

 結局、聞いてしまった。

「私は2年の美川瑠衣。君は?」

 僕の目測は間違っていなかったみたいだ。

「僕は1年の桐山十四郎です。」

 すると、また彼女がニコっと笑う。

「いい名前だね。」

「え、、ありがとうございます。」

 僕もなにかいったほうがいいのか、、。


「んじゃ、私行くね。」


 気が付いたら、すでに玄関の前にいた。僕はすこし先の駐輪場に自転車を止めなくてはいけない。

「あ、はい。」少し名残惜しい気持ちで小さく手を振った。

 頭が真っ白な状態で、駐輪場の方向へ自転車を押す。

何もない駐輪場にとめる。少しさび付いたレバーを捻りだし、ぐりぐりと鍵を引き出す。

 ふと、玄関を見ると。もう彼女はいなかった。

 今日は一日集中できる気がしない。

そんな気がした。


 時間というのは勝手に進むもので、気づいたら昼休みだった。

特に今日は彼女との出会いで、気を取られていたのかもしれない。

「なんだお前、ぼーっとして。今日変だぞ!」

 僕の思考を遮るように話しかけてきた男子がいた。彼は日野彰、僕とは小学校からの付き合いで親友だ。高校になり、彰はサッカー部に入った。忙しそうな毎日で遊ぶ機会が少なくなってはいるが、昼休みはほとんどこいつと過ごす。

「今日は朝からこんな感じなんだよ。」

「なんかあったのか?」

 彰が不思議そうに聞いてくる。

多分珍しいことなのだろう。普段僕は感情を表に出したり、思い悩むことがない。

 そう、中学生のあの夏から。


「おい、お前ほんとに今日変だぞ?ぼーっとしてよぉ」

「んあ、ごめん。ちょっと考え事をね」

 適当にはぐらかす。今朝の出来事に大した秘密があるわけではないが、何故だか言いたくなかった。言わない方がいい、そんな気がした。

「それよりさ!お前見たか?昨日のジャンプ!」

「まだだから、ネタバレすんなよー」

「はやみろやお前・・・・・・・」

 と、いつもの会話が続いていく。


 放課後になった。

僕は今、ある部屋を目指して廊下を歩く。そこは、別館の燐縁館一階に位置しており僕が所属する写真部の部室だ。別館と校舎は高低差があるが、一つの大廊下で繋がれている。

 部室の前に着くと少し錆びついたドアノブに手をかけた。金属の嫌な音がする。

 中に入ると、2人の生徒が向かい合わせにくっ付けられたボロい机の上に干からびていた。

「おはようございます。千夏先輩、真波先輩」

「お、、はよう。十四郎くん、、悪いニュースと悪いニュースどっちから聞きたい?」

 いつも元気溌剌な千夏先輩が干からびた声で言う。

「なんですかその無意味な前置き。何があったんですか?」

「可愛くないやつだな、全く。少しは彩巴を見習え、な?彩巴。」

 彩巴先輩が真波先輩の頬をぷにぷにと触る。

「・・・うん」

 どうやら真波先輩は猛暑により完全にノックアウトしたらしい。

 だが、変だな?いつもはクーラーで冷蔵庫状態なのに。

「その悪いニュースの前に聞きたいんですけど、なんでクーラーつけないんですか?」

「つけれるならつけなたいさ!てかそれが一つ目の悪いニュースだ!そう、我が部の神器であるクーラーが故障したのだぁぁぁぁあああああああああああああああ!!!!!」」

 千夏先輩は燐縁館に響き渡るような大声で嘆いた。

 

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