幼稚な動機
「――ぐ……っ!?」
突然横合いから現れたラディムに突き飛ばされたリヒトは、崖の切れ目、指先の力だけでその場にどうにかぶら下がって落下を免れた。
指先の力だけで身体を支えるというのも、普段のリヒトや里の者達ならばどうにか自らの力だけで身体を持ち上げ、崖の上へと登ることもできる。
しかし、リヒトがどうにか身体を支えている左手は無事ではあるものの、ラディムがぶつかってきたその場所――右腕はだらりと下がったままだった。
その腕には今、里の女衆が使う護身用の短刀が突き立てられており、溢れるように広がっていく血液が身体に纏った黒い装束に染み込んでいく。
そうして流れた血液がぽたりと崖に滴り始め、眼下を進んでいた魔物が血の匂いに気が付いて
高さにして、およそ十五メートル程。
まるで地獄の底に落ちた者達が同胞を手招き、引きずり込もうとでもしているかのような光景だ。
落ちる訳にはいかず、かと言って右腕は上がらず。
リヒトが顔を顰めながら歩み寄ってきた足音に顔をあげれば、歪な笑みを浮かべたラディムの姿がそこにはあった。
「……くくっ、はははははっ! 苦しそうだなぁ、えぇ?」
「……なんの、つもり――ッ!?」
訊ねたリヒトの左手、崖上でどうにか身体を支えているその指先を、ラディムが力を入れて踏みつけ、その痛みにリヒトが言葉に詰まる。
そんな姿を見下ろしながら、ラディムが踏みつけているリヒトの左手に体重をかけるかのように左膝を曲げ、その膝に両手をついて顔を近づけた。
「はははっ、無様だな、オイ。俺がこの指を蹴り飛ばせば、お前は真っ逆さまだぜ? そうなったら助からねぇだろうよ。そぉら、見ろよ。鈍重な魔物共がお前を見上げて早く落ちてこいって叫んでるぜ?」
「……ッ、ラ、ディム……ッ!」
「別にテメーにゃ直接手を下すつもりはなかったんだがよぉ。テメーのせいでせっかく『俺が用意した魔物たち』の様子を見に来てみりゃあ、戦い始めてやがるじゃねぇか。倒しきれるとは思わねーが、万が一テメーがあの魔物の群れをどうにかしちまったら、せっかく高い金を払って用意した魔道具も、俺様の苦労も水の泡になっちまうだろ?」
「……ッ、用意した、だって……!?」
偶発的に起こった魔物の群れによる侵攻かと、そう考えていた中で告げられた真実に、リヒトは思わず目を見開いた。
そんなリヒトの表情さえ、ラディムには愉悦の対象となったのだろう。さらに嬉しげに表情を歪めた。
「くはっ、はははははっ! あぁ、そうだ。町で面白い魔道具を見つけてなぁ。魔物を誘い出すっつー高い魔道具をわざわざ買って、わざわざ誘導するように仕掛けてきたんだ。大変だったんだぜ? そんな苦労をテメーは邪魔しようとしてるって訳だ。そんなの、許せねぇだろう?」
「……ふざ、けるな……! なんのために、そんなことを……!」
「あぁ? ……テメーにゃ分かんねーだろうなぁ、えぇ? 術の天才とかなんとか、ちやほやされてきた、テメーには、よぉッ!」
「――ぐ……ッ!」
ぐりぐりとリヒトの指を踏み潰すかのように動かしながら、ラディムは先程までの愉悦に染まった笑みから一転、憎々しげにリヒトを見下ろしながら叫んだ。
「テメーやクラースみてーなおかしな奴らがいるせいで、俺の評価が低いんだ! 分かるか、リヒトォ! 若手の中で実力のあるこの俺が! 不当な評価で貶められてるなんて、そんなの認められる訳がねぇだろうが! 俺の方が、テメーらなんぞよりも評価されるべきなんだよ! だってのに、リクハルドやらアルノルドは口うるせぇし、年寄連中も俺を厄介者を見るような目して見てきやがる! 女衆も言うことを聞きやしねぇ――!」
嘆くように、不条理に怒りをぶつけるかのように、リヒトの指先を何度も執拗に踏みつけながらラディムが叫ぶ。
戦いの中での傷や痛みならばシャットアウトできるリヒトだが、ラディムという闖入者のせいでその意識から引き戻されている事もあって、激しい痛みは消えそうにない。それでもなんとか顔を顰めて痛みに耐えていた。
「――だから分からせてやるのさ! 力の衰えた年寄連中にも、女衆にも! 俺の強さってもんを見せつけてやろうってなぁッ! 里に襲いかかる魔物を倒せば、あいつらだって目を覚ます!」
「……あれだけの魔物を、どうにかできる、と……?」
「ハッ、わざわざあんな数を相手にするつもりなんてねーよ。頃合いを見て魔道具を解除すりゃ、勝手に散っていくって話だしなぁ」
「……なるほどね」
幸いにして、先程の黒い人影のような、崖上にまで攻撃を仕掛けてくるような魔物は先頭の方にしかいないようだ。この場所で無防備にぶら下がるリヒトに攻撃を仕掛けてくるような事はなかった。
崖の下にいる魔物たちは腕から流れる血と、獲物であるリヒトの姿を見て足を止めており、群れを分断するという狙い自体は先程の攻撃も相まって成功していると言えなくもない。
それらの状況も頭の中で整理し終える頃には、ラディムの叫びも落ち着いたのか、肩を上下させながら目を見開き、リヒトを睨みつけて言葉を止めていた。
――あまりにも、愚かだ。
激昂しながら叫ぶラディムの動機も、行いも。
リヒトは痛みに耐えて情報を整理しつつ、方針を頭の中でまとめていく。
そうして、ラディムを見上げるように顔をあげたリヒトは、敢えて口角をあげてみせた。
「……テメェ、何がおかしい……!?」
「……あまりにも幼稚だな、って思って、ね」
滑稽なものを見るかのように、リヒトは冷めた目をラディムへと向けて告げてみせる。
激痛を呑み込みながらも、敢えてそんなものは何も感じていないのだと言わんばかりに涼しい表情を浮かべて見せながら。
「――んだと……?」
「動機が陳腐で、下劣で、愚かで、幼稚だ。キミは周りの所為にしたがっているみたいだけれど、全部キミのやってきた事が返ってきた、その結果じゃないか。問題を起こして、言う事すら聞かず、女衆からも毛嫌いされる。それは全て、他ならぬキミの所為じゃないか」
「――ッ、テメェ! この状況が分かってねぇのか、あぁ!?」
「分かってるよ。だけど、だからってキミに同意することはないな。むしろ、そんなに気に入らない事が多かったなら、里から出て行くなりなんなりすれば良かったじゃないか。町まで下りていたキミなら、姿を消そうと思えば消せたはずだ」
「……っ!」
「結局キミは、お山の大将を気取りたいだけのお子様だ。やりたい通りにできない、思い通りにならなければ気に入らない、楽しくないと癇癪を起こして暴れ回る。でも、外で一人で生きていくなんてできっこない。だって、そこに行けばキミの大好きなお山はない。ちやほやしてくれる大人も、女衆もいないって分かっているんだから。そんなキミを幼稚だと、そう言ったのさ」
小馬鹿にするように、愚かしさを嘲笑うかのような表情を浮かべながら、リヒトはそう言い切って締め括った。
ラディムの反応は分かりやすいものだった。
怒りのあまりに顔を真っ赤にしていて、己の拘っていたものを幼稚だと一蹴された事に激昂していて、額に筋が浮かんでいるのが見て取れる。
故に、リヒトはさらに続けた。
「ハッキリ言ってあげるよ、ラディム。キミは、クソガキにも劣る。魔道具を止めれば魔物が止まる? その保証はどこにある? 浅はかにも程がある。キミは周囲の評価通り、ただの害悪に他ならないよ」
「……ッ! テメェ……、ぶっ殺してやる……! 魔物に喰われて死ね!」
踏みつけていた左手から足をどけて、その指先を蹴り飛ばそうとラディムが動く。
その瞬間、リヒトは自ら左手を離し、崖を蹴って勢いをつけて中空へと跳びあがり、ラディムから距離を取りつつ崖下へと飛び降りた。
「――殺すのは、僕の方だ。魔物を片付けたら、お前は必ず殺す」
目を丸くして自分を見つめるラディムに小さく告げながら、ぐるりと身体を回して崖下にいる魔物たちを視界に収める。
ラディムに痛めつけられていた左手は痛むが、それでも、動かない程じゃないなと素早く判断して、乱暴に『〝理外〟の術装具』から術符を抜き取った。
そうして自由落下に身を任せて魔物へと飛び込みつつ、リヒトは術を発動させた。
「――爆ぜろ、【風爆】」
眼下に迫る魔物の群れ。
リヒトを喰らおうと大口を開ける魔物たちに向かって左手で突き出した術符が光を放ち、刹那、言葉通りに風の塊が爆発でもしたかのように周囲に弾け、魔物たちの群れを薙ぎ払ように吹き飛ばし、圧し潰し、吹き荒れる。
この術はダンジョンに行く前、身体能力に劣るリヒトが魔物を吹き飛ばし、己も後方に下がって間合いを確保するという目的のために開発した術の失敗作だ。
試しに魔物相手に使った事はあったが、その時はリヒトまで吹き飛ばされて木に背中を打ち付けるという事故を引き起こした代物。魔物を吹き飛ばす事には成功したものの、自分も制御できないという欠点があるためお蔵入りしていた、里の術を改造したものであった。
ダンジョンで手に入れた力で、これをうまく利用すれば高速移動、あるいは爆発の方向性だけでも指定できるのではないかと考えて残していたものではあったが、未だ手をつけた訳ではない。
――崖から落ちる己の自由落下の勢いを殺せるのではないか。
ラディムが自分語りをして、勝手な事を口にしているあの時間に思考を巡らせ、導き出された唯一の活路こそがこれだった。
ぶっつけ本番という形となって行ってみたが、狙い通り術の反動によってリヒトの落下速度もがくんと下がり、吹き飛ばされた魔物たちの群れのあったその場所も開けている。
上手く着地する事に成功して、リヒトは右腕に突き立った小太刀を引き抜いて投げ捨てつつちらりと崖上を見上げれば、ラディムがこちらを覗き込んでいるのが見えた。
まさか崖下に降り立って生きているとは、とでも言いたげに目を見開いているらしい姿が見て取れて、リヒトは少々溜飲を下げつつも、しかし仕返しは生き残ってからだと気持ちを切り替えた。
「……とは言え、だけど……」
身構えるリヒトを囲うように動き出す魔物の数々。
分断できているとは言え、その数は到底正攻法で戦うような数でもなく、死地に立たされている事には変わりない。
背後は壁、周囲には魔物、その向こう側にも魔物。
右腕は刺し傷で自由が利かず、左手は踏みつけ痛めつけられて握力もあまり入らない。
絶体絶命とも言えるような状況は、未だ回避されていない。
「……生き残れるかどうかは、後になれば分かる、か……」
静かに呟いて、苦無を口に咥えリヒトは意識を切り替え術符を引き抜く。
それと同時に、周囲の魔物たちがリヒトに向かって殺到した――――。
――――――――――
あとがき
少々私事でバタバタしてましたが、再開しますー
いつか霧の向こうで 白神 怜司 @rakuyou1214
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