6、炎の虫<終>
三人は、故郷の村で穏やかに暮らしていた。
小綱も数えで十歳。
母親思いのよい子に育ち、村の子供たちとも溶け込み、毎日、野山をかけ回っている。
幸せな生活が続くと思っていたある日、小綱が一緒に遊んでいた子供の耳を噛んだという。
祖父が叱るため小綱の頭をコツンと叩くと、手の方が痛い。
よくみれば、小綱の頭には再び角が生えてきていた……。
*
鬼ヶ島から離れて、4度目の夏が来ようとしていた。
夕闇が迫り、あたりが暗くなっても小綱が家へ帰ってこないのを心配し、祖父と母は捜しに出る。
方々を探し回り、カヤたちは初めて小綱の父の鬼に会った場所へたどり着いた。
小綱の姿はそこにあった。
「どうしたの? さあ、一緒に帰りましょう」
母の声に、うなだれた頭を上げずに小綱が声を出す。
それは、泣くのを堪えているように震えていた。
「なあ、母ちゃん。じいちゃんを喰ってもいいか?」
カヤも、祖父も息の呑む。
あんなにも、来ないで欲しいと祈っていた日がついに来てしまったのだ。
「だめに決まってるでしょ!?」
人間として生きていけるように引き止めたい気持ちが、息子の肩を抑える手に力が入る。
「そうだよな。村の人たちに必要だし。おいらもじいちゃん大好きだしなぁ」
小綱はそういうと、深いため息をついた。
小綱の祖父は、島から逃れてきた後自分たちの命を助けてくれた小綱をとてもかわいがり、よく世話をしてくれた。
村人に慕われる祖父を、小綱も誇りに思っているのだ。
「近頃、人間が喰いたくてしかたがないんだ」
ぽつりと呟く声に、いつもの元気はなくすべてを悟っているような大人びた口調にカヤはたまらなくなる。
「なら、母さんを食べてもいいわ!」
「そうしたら、おいら本当の『鬼』になっちまう」
小綱は、まっすぐに母を見返した。
小綱の大きなどんぐりのような瞳は、夜の闇の中では雲母のような金色に光る。
この鬼の目を星のようだと思ったことがあったことを、カヤは思い出していた。
子供は、紛れもなく鬼の血を引いているのだ。
「おいら、鬼だったけど父ちゃんのこと大好きだ。母ちゃんのことすげえ大事にしてたし、人間を喰らうことはなかった。けど、今のおいらならわかる。それはすごく難しいことだったんだ」
人間の甘い臭いに、喉が渇く。
好物のクマイチゴを見たときのように腹が鳴るし、頬張りたくなる。
子供の小綱に、その衝動を堪えることはできなかった。
「おいらは、ずっと『人間』でいたいんだ。かあちゃんの子供で……だから、かあちゃん。この木っ端に火をつけておくれ」
いつのまに集めたのか、小綱の後ろには燃えやすい小枝の山があった。
「そんなことできないわ!」
泣きながら息子を抱きしめるカヤ。
「私を喰らってもいいから、どうか行かないで……」
鬼になっても、母親は何も変わらず自分を抱きしめてくれた。
柔らかな母の胸に抱かれながら、小綱は満足そうに笑った。
すると、夜の闇を切り裂いて一条の閃光が枯れ枝に落ちた。
―――― 雷だ。
それは、あっという間に燃え上がり小綱が望んでいた火柱を作り上げた。
「ありがとうな……かあちゃん」
そう言うと、小綱は
闇の中、大きく炎が立ち昇り、
一瞬にして小綱を無数の火の粉にした。
『かあちゃん、笑っておくれ。
おいらはさ、
鬼の父ちゃんにも、
人間のかあちゃんにも、
じいちゃんにも、
村の人にもかわいがられてよ。
う~んと幸せだったんだから!!』
火の粉は、羽虫になり天を目指す。
その炎の虫は、
真っ赤な虫たちは、闇夜を美しく乱舞する。
「小綱もどってきて……」
泣き崩れる娘の肩を支えながら、父親が言う。
「カヤ、よくお聞きなさい」
虻の低い羽音は言う。
―――― 盆……盆……。
蚊の高い羽音は言う。
―――― 彼岸……彼岸……。
『かあちゃん。その頃また帰ってくるさぁ!』
カヤと、父親にはどんぐり目玉で八重歯のかわいい少年がにっこり笑って手を振っている姿が見える気がした。
だから、蚊や虻が人間を喰うのを許してください。
あれは、やさしい子鬼の生まれ変わりなのですから。
* お わ り *
炎の虫 天城らん @amagi_ran
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