5、鬼が島からの脱出


 静かな別れに水を差したのは、酔いどれた鬼どもだった。


 酒の臭い、血の臭い、獣の臭い。

 洞窟の入り口から入り込む腐臭に、カヤも父親も不快を通り越し恐怖を覚えた。

 地を踏み鳴らす鬼どもがの怒鳴り声が響き渡る。


「片腕よぉ。お前からはいつもうまそうな人間の臭いがしていたが、まさか、二匹も隠してたとは、俺たちに喰わせろ!」


 無数の鬼たちがカヤと父親に手を伸ばす。


 万事休すと思った二人を身を挺して守ったのは、隻腕の鬼。


「早く行け! カヤ! 小綱!」


 片腕とは思えない力で、鬼たちをなぎ払い活路を開く。

 カヤと小綱と、父親の三人は、隻腕の鬼と別れを言うまもなく逃げざるを得なかった。




 同族の鬼どもと戦いながら、隻腕の鬼は思った。

 自分も昔は、人間を食い物としか思えないただの鬼だったと。


 鬼は、人間を喰らうことを当たり前だと思っている。

 生きる人間を追い喰らうこともあれば、門や橋に捨てられる亡骸を喰らうこともある。


 隻腕の鬼は、都の門に住まい亡骸を喰らう鬼であった。

 故に、彼の知る人間とは冷たく横たわる骸か、骸を置きに来て彼を見て逃げ去る人間のどちらかだった。


(思えば、俺を狩ろうとした者たちでさえ終いには逃げさった)


 しかし、カヤだけは違っていた。




 逃げ出さないばかりか、鬼である彼を恐れることなく命を救ったのだ。

 人間の、しかも柔らかな女の手に、それほどの力があるとは思いもよらなかった鬼はカヤに興味が湧いた。


 隻腕の鬼は、彼女をさらった後すぐに喰うつもりでいた。


 しかし、カヤとの約束がありカヤを喰らえば最後の食事となると思うと喰らうことはできなかった。


 そうしている間に、次第に情が通いだす。

 冷たい物言わぬ骸だけが人間ではない。

 温かで安らぎを与えてくれる、それがカヤであり人間だと知ってしまった鬼は人を喰らうことはできなくなった。


 ひとりで闇に生まれ、いつの間にか消え逝く鬼にとって傍らに誰かがいるという経験はひどく甘美なものであった

 空腹と戦ってでも守りたい。

 失いたくない大切な人をどうして喰らうことができよう?




 闇から湧く鬼と違い、人間は十月十日、女が腹で子を育て小さな命を産み出す。


 小綱が生まれ、鬼はカヤが出会ったときに言った言葉の意味が分かった気がした。


 ――― どんな生き物も命はひとつだから、大切なのよ。


 鬼は、大切な『宝』を得た。


 しかし、宝を得た鬼は、『鬼』として生きることできなくなっていた。


 人間を喰らわずに鬼が生きていくことはできない。

 隻腕の鬼もそう長く、妻や息子と共にいることは出来ないことを悟っていたのだった。




 薙いでも、薙いでも敵は湧いてくる。

 カヤたちを逃がすために、必死に食い止めていたカヤの夫は何年もの間も人を喰らわなかったため、他の鬼のような怪力は続かなかった。


 地に伏し、遠のく意識の中で彼はつぶやく。


「カヤ……、お前を喰らわなくて本当のよかった。小綱、母さんを守ってくれ……」


 隻腕の鬼は、どの鬼も得たことのない『家族』の為に戦い、力尽きた。



 *



 見え隠れする月の明かりを頼りに、小綱たちは走った。


 すると突然カヤの草履の鼻緒が切れた。

 地に倒れたカヤは、それが何を意味しているのか痛いほどわかり、涙を堪えて立ち上がる。


「かあちゃん! はやく!」


 伸ばされた息子の手は、小さいながらもとても力強くカヤの心を奮い立たせた。


(あの人の分まで生きなければ……)


 鬼たちは、目の色を変えて追ってくる。


「これでも喰らえってんだ!」



 執拗に迫る鬼たちに、小綱が自分の角を折って投げた。

 すると、あたりにまばゆい光が散らばり鬼たち目を潰し足止めとなった。


「小綱! お前大丈夫か!?」


「じいちゃんは、心配性だなぁ。角なんてまた生えるさ」


 小綱は、走りながらカラカラと笑う。

 カヤの父は、小綱が角を折っても元気なことに安心したが、二度と生えてこないことを祈らずにはいられなかった……。



 隠していた船にたどり着き、三人は海へ出た。

 それでも、鬼たちはあきらめられず、海の水ごくりごくりと飲み、船を引き止めようとする。

 真っ青になる祖父と母親をよそに小綱は、


「まかせとけ!」


 と船の舳先へでると、着物をまくり尻を出した。

 そして、桃のような尻をぺんぺんと叩いておどけて見せた。


 すると、酔っていた鬼どもはおかしくて溜まらず飲んでいた水を噴き出した。


 こうして、船はいっぺんに進み3人は無事に人里に帰ることができた。


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